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第21話 黒羽村の金色①

 体育の授業中。

 今日はバスケットボールだった。


 ねむはコートの中央で、ぼんやりと立っていた。

 頭の中では、昨夜の暗号の文字列がぐるぐると回っている。


 (IVLIVS……って、なんなんだろ)


 「ねむー! パス!」


 凛子の声が飛んだ。

 しかし反応する間もなく、ボールが勢いよく飛んできて――


 ――ゴンッ。


 「いったぁぁ……」

 額を押さえるねむ。

 周囲から笑い声と「だいじょぶー?」の声が飛んでくる。


 「だめだ、集中できない……」

 頭をさすりながら、ねむはコートの外へ下がった。


 体育館の端に腰を下ろし、ぼんやりと試合を眺める。

 コートの中では、凛子が軽やかに走り回っていた。

 見事なシュートを決めて、クラスの女子たちから拍手が上がる。


 (やっぱ、背が高いっていいなぁ)


 ふと反対側のコートに目をやると、男子の試合。

 そこでは悠真が目立っていた。

 軽快なドリブル、綺麗なシュートフォーム。

 そして――女子たちの黄色い声。


(……相変わらずモテてるなー)

 女子の笑い声が響くたびに、悠真は軽く手を振って応えている。


 そのとき――ふと、視線がぶつかった。


 ねむがコートの外で頭をさすっているのを見て、

 悠真の動きが一瞬だけ止まる。

 心配そうに眉を寄せ、ほんのわずかに口を開きかけて……

 けれど、すぐに何事もなかったように視線を逸らした。


 (……今、目が合った?いや、気のせいか)


 コートの中では再び歓声が上がり、悠真は何事もなかったように笑っていた。


 視線を横にずらすと、そこに体育座りしている奈乃の姿があった。

 バスケの順番待ちらしいが、動く気配はまるでない。


 「……奈乃くんも見学?」

 「うん。運動は苦手だし……理論上、非効率だから」


 「……だよね」

 ねむは思わず笑った。


 ふたりは並んで体育座り。

 その間に漂う、どこか“同族”めいた空気。


 体育館の中で、ドリブルの音だけが響いていた。


 数学の授業中。

 ねむは机に突っ伏していた。

 チョークの音がカツカツと響く中、夢と現実の境目をふわふわと漂っている。


 「――じゃあ、藤田。次の問題、解いてみろ」


 黒板の前で悠真が立ち上がる。

 ねむは目だけを少し開けて、その様子をぼんやり見ていた。


 悠真は迷いもなくチョークを走らせる。

 解き終わるまで、ほんの数十秒。


 「……正解だ。よく出来たな」


 「ありがとうございます」

 さらっと答える悠真。


 (ホントになんでも出来るんだなぁ)

 ねむは半分夢の中みたいな顔で思った。

 頭脳も運動も完璧。しかも顔もいい。


 そんなことをぼんやり考えながら、再び突っ伏した。


 昼休み。

 ねむと凛子は教室の窓際で弁当を広げていた。


 「ねむってさ、ホント美味しそうに食べるよね」

 凛子が箸を止めて笑う。


 「これが一日の楽しみだから」

 ねむは真顔で答え、唐揚げを口に放り込む。


 「やれやれ……もうちょっと夢とか希望とか持ちなよ」

 「唐揚げが希望なの」


 凛子は吹き出しながら首を振った。


 そんなとき――。


 「……あの」


 少し緊張した声が前から聞こえた。

 顔を上げると、悠真が立っていた。


 「今週末って、予定ある?」


 「んー、別にないけど」

 ねむは口いっぱいにご飯を入れたまま答える。


 「実はちょっと、手伝ってほしいことがあってさ」

 「手伝い?」


 悠真は少し視線を泳がせて、言葉を探すように口を開いた。

 「旅行に行かない? 一緒に」


 ねむは箸を止めて、ぽかんとする。

 「……えっ、いやだ」


 即答。


 「即答!?」

 凛子がツッコミを入れる。


 悠真は一瞬ためらってから、少し声を落として言った。

 「……実はさ。埋蔵金を探してほしいんだ」


 「……え?」

 ねむは箸を持ったまま固まる。

 「埋蔵金って、あの……埋まってる金?」

 「うん」

 悠真は真顔でうなずいた。


 凛子が思わず吹き出した。

 「え、ちょっと待って。悠真くん、真面目な顔で何言ってんの?」

 「いや、ホントなんだって!」

 悠真は慌てて手を振る。

  「親父の弟――俺のおじさんがさ、群馬の山のほうで小さい宿をやってるんだけどさ。

  この前、蔵を片付けてたら“古い地図”みたいなのを見つけたらしいんだ。

  それがどうも、村に伝わる“埋蔵金の隠し場所”の手がかりっぽくて……。

  おじさん、そういうの本気で信じるタイプなんだよ。

  変わり者っていうか、完全に好奇心のかたまりでさ。

  今、その暗号を解ける人を探してるんだって」


 「へぇ……」

 ねむは半分あきれ、半分興味を引かれた顔をした。

 「で、悠真も手伝いに行くって訳だ」


 「そう。俺も最初は笑ったんだけどさ……その地図、なんか暗号っぽいんだよ。

  俺、一応勉強はできるけど、こういうのはからっきしダメでさ。

  おじさんにも“誰か頭のいい子を連れてこい”って言われて……

  それで、ねむの顔が浮かんだんだ」


 「……で、私に?」

 ねむが片眉を上げる。


 「ねむなら、こういうの得意だろ? 暗号とか、謎解きとか」

 悠真は少し照れくさそうに笑った。

 「一緒に来てくれたら……心強いな」


 ねむは箸を置いて、しばらく黙り込んだ。

 (埋蔵金……? まるで小説みたいな話だ)

 頭のどこかがくすぐられる。けれど、休みの日に行くのは面倒くさい気もする。


 (でも、もし本当に見つかったら――)

 (……分け前、少しくらい貰えるかも)

 口元がわずかにゆがむ。


 「……凛ちゃんも来る?」

 「え、私?」

 「うん。二人きりは、なんか気まずいし」

 「ごめん。週末は親戚のとこ行く予定あるんだよね」

 凛子は申し訳なさそうに笑った。


 「そっか……じゃあ、奈乃」

 ねむは振り向いて奈乃を見る。

 「奈乃も行こうよ?」

 「え、僕?」

 奈乃はペンを止め、目を瞬かせた。

 「いや……僕、そういうアウトドア的な活動は非効率だから……」

 「そっか」

 ねむは肩を落とした。


 「というわけで」

 悠真が少し期待を込めた目でねむを見る。

 「……頼めるのが、ねむしかいないんだ」


 ねむは唐揚げをもう一口食べ、しばらく考えたあとで、ため息をついた。

 「……しょうがないなぁ」

 「じゃあ――!」

 悠真の顔がぱっと明るくなる。


 「でも、ひとつだけ条件」

 「え?」

 「もし埋蔵金見つかったら、三割は私の取り分だから」

 「え、取り分って……!」

 「探偵料ってやつ」

 ねむは悪戯っぽく笑った。


 凛子が呆れ顔でため息をつく。

 「ねむ、ほんっと現金だよね……」


 ねむはお弁当の残りを片付けながら、静かに呟いた。

 (埋蔵金か……悪くないかも)


 ――こうして、ねむと悠真の“埋蔵金探索の旅”が決まった。


 土曜の朝。

 まだ人影の少ない駅のホームに、ねむの大きなあくびが響いた。


 「……ねむ、ちゃんと起きられたんだな」

 「二度寝したけど、奇跡的に起きれた」

 ねむは眠そうに髪を結び直しながら、ボソッと答える。


 悠真はそんな彼女を見て、思わず笑った。

 二人きりの“埋蔵金探し旅行”。

 少し緊張して、少しだけ期待して――そんな心境だった。


 「よし、じゃあ行こうか」

 悠真が切符を取り出した、そのときだった。


 「おーい、待たせたなー!」


 声とともに、旅行バッグを片手にした楠木がホームに現れた。


 「……は?」

 悠真の顔が一瞬で固まる。

 「なんでいるんですか」


 「一応、役に立つかと思って呼んでおいた」

 ねむはあくび混じりに答える。


 「呼んだの!?」

 悠真が思わず素で叫ぶ。


 楠木はにやりと笑い、肩をすくめた。

 「ちょうど休みで暇だったんだよ。それに、旅行って聞いたら行くしかないだろ?」


 「……マジかよ」

 悠真は頭を抱えた。


 ねむはそんな悠真の肩をぽんと叩いた。

 「まあまあ。保護者兼、経費削減のためのボディーガードだと思えば」


 「俺ボディーガード!?」

 楠木が笑いながら突っ込む。


 その直後、ねむがふと売店の方を指さした。

 「ねえ楠木さん、駅弁食べたい」

 「……は?」

 「奢りで」

 「なんで俺!?」

 「ボーナスが出てるでしょ」

 「出てねぇよ!」


 そんなやりとりをしているうちに、結局楠木は折れて駅弁を三つ購入。

 ねむは当然のように自分と悠真の分を受け取り、満足げに笑った。


 「さすが楠木さん、頼りになる」

 「お前、絶対俺を財布扱いしてるだろ……」


 悠真は苦笑しながら、その光景を見ていた。

 (なんか……二人とも息合ってるんだよな)


 そのあと、三人は電車に乗り込んだ。


 車窓の外を流れる景色を見ながら、悠真が口を開く。

 「目的地は、群馬のちょっと奥。黒羽(くろばね)村ってところ」


 「黒羽村?」

 ねむが首をかしげる。

 「なんか、名前からして不気味だね」


 「まぁね。そこにおじさんの宿があるんだ。

  今回はその宿に泊めてもらう予定」


 「へぇ……」

 ねむは駅弁を開けながら、のんびり相槌を打った。

 「宿ってことは、温泉付き?」


 「一応……あるみたい」

 「やった」

 ねむのテンションが一瞬だけ上がる。


 楠木がそんな様子を横目で見て、くすりと笑った。

 「お前ら、なんだか仲いいな」

 「ただのクラスメイトだよ」

 ねむは、何でもないように答える。


 その一言が、悠真の胸の奥で静かに響いた


 こうして三人の――奇妙な“埋蔵金旅行”が始まった。


 電車を降りると、ホームの空気が一気に変わった。

 ひんやりとした風が頬を撫で、遠くで鳥の声が聞こえる。


 「おお〜、空気うまっ! マイナスイオンだな!」

 楠木が両手を広げて深呼吸した。


 「……マイナスイオンって言葉、久しぶりに聞いた」

 ねむは半目でぼそり。

 駅前には店どころか、自販機すら見当たらない。

 「……ほんとにここ、群馬?」


 「ここからまだバスに乗るよ」

 悠真が時刻表を見ながら言う。


 「まだ乗るの?」

 ねむはがっくりと肩を落とした。


 小さなバスに揺られて、さらに山の奥へ。

 車窓の外には田んぼと杉林が続き、民家の数はどんどん減っていく。


 乗客はねむたちのほかに二人だけ。

 窓際に座る中年の男と、反対側で静かに文庫本を読んでいる若い女性。

 誰も話さず、車内はエンジン音だけが響いていた。


 「……本当に、こんなところに村あるの?」

 ねむが不安そうに小声でつぶやく。


 「大丈夫。ちゃんとあるから」

 悠真は笑って答えるが、声には少し不安が混じっていた。


 やがてバスは山道を抜け、古びた木の橋を渡る。

 川の音が近くでざあざあと響く。


 「次はー、黒羽村ー、黒羽村です」

 運転手のアナウンスが流れた。


 停車。

 三人が降りると、そこはまるで時間が止まったような場所だった。


 細い道の両脇に、木造の家が数軒。

 屋根には苔が生え、風鈴がゆれている。

 自販機も、コンビニも、看板もない。


 「……すご。思ってた以上に田舎」

 ねむは呆然と辺りを見回す。


 「いいじゃないか、こういうのも風情がある」

 楠木はカメラ代わりにスマホを構え、空を撮っている。


 「意外とそういうことするんだね」

 「するよ、癒しも大事だろ」


 ねむは呆れたようにため息をつき、ふと前を見る。

 道の奥に、一軒だけ大きな建物が見えた。


 「……あれが、宿?」

 「うん。おじさんの旅館だよ」

 悠真がうなずく。


 石畳の坂を上がると、木造二階建ての宿が現れた。

 玄関の前で、作務衣を着た中年の男性が手を振っている。


 「おーい! 悠真!」

 穏やかな声に、悠真が笑顔で駆け寄った。


 「おじさん、久しぶり!」


 「ようこそ、よく来たね。初めまして悠真の叔父の藤田 浩平(ふじた こうへい)です。そちらが一緒の方々かな?」

 「はい。友達のねむと……あと、刑事の楠木さん」

 「刑事?」

 おじさんの眉がぴくりと動いた。


 「ははは、一応」と楠木が軽く笑う。


 おじさんは少し戸惑いながらも、「遠いところよく来たね」と微笑んだ。


 宿の看板には、古びた文字でこう書かれていた。

 「黒羽館(くろばねかん)


 この山に、宿はここ一軒だけ。

 村の静寂を一手に抱くように、建物はぽつんと立っていた。


 宿の玄関を入ると、木の香りがふわりと漂った。

 廊下の奥から、ぱたぱたと足音が近づいてくる。


 「ご主人、お客様ですか?」


 現れたのは、五十代くらいの女性だった。

 髪を後ろでまとめ、割烹着姿。柔らかい笑顔が印象的だ。


 「うん。悠真の友達だよ」

 「まあまあ、遠いところをようこそ」

 その女性は深くお辞儀をした。


 「こちら、うちを手伝ってくれてる木島(きじま)とよ子さんだ」

 「よろしくお願いしますね」


 「よろしくお願いします」

 ねむたちは軽く会釈を返す。


 とよ子さんはにこにことねむたちを見渡してから、

 「お部屋の準備、もうすぐできますから、どうぞロビーでお待ちください」と言って奥へ下がった。


 玄関のすぐ脇には、薪ストーブの置かれた小さなロビー。

 古いけれど清潔で、壁には昔の村の写真が飾られている。


 ねむが椅子に腰を下ろしたそのとき――。


 玄関の戸が再び開いた。

 がらりと風が吹き込み、二人の客が姿を現す。


 「あ、あなたたちは……」

 ねむが思わず声を漏らす。


 朝のバスで見かけた男女だった。

 文庫本を読んでいた女性と、隣の席で無言だった男。


 男の方が少し低い声で言う。

 「すみません、今日予約してた久賀 一馬(くが かずま)です」

 隣の女性も軽く会釈した。

 「朝比奈 美奈(あさひな みな)です。お世話になります」


 おじさんが笑顔で頷く。

 「いらっしゃい、久賀さんに朝比奈さん。お部屋、すぐご案内しますね」


 (……同じ宿だったのか)

 ねむは心の中で呟いた。


 楠木がちらりとねむを見る。

 その目には、もうすでに“警戒モード”の光が宿っていた。


 荷物を置いてから、三人は再びロビーに集合することに。

 宿の廊下は少し古びていて、床板を踏むたびに小さく鳴った。


 悠真と楠木の部屋は二階の角。

 窓の外には、山の稜線と枯れた棚田が広がっている。

 ねむの部屋は一人用で、隣の部屋より少し狭い。

 けれど、木の香りがして落ち着いた空間だった。

 (……思ったより、いい部屋)

 ねむはそうつぶやいて、小さく伸びをした。


 壁に掛けられた古い掛け時計が、コトリと針を進める音だけが響く。

 窓の外では、風が竹林をゆらし、どこかでカラスが鳴いた。


 やがて、階下から楠木の声がする。

 「おーい、ねむ。みんな集まってるぞ」


 ロビーには、宿の主人・藤田浩平と、地元の住人・黒瀬 彰人(くろせ あきと)新藤 勝(しんどう まさる)の姿もあった。

 囲炉裏の火がぱちぱちと音を立て、湯気がゆらめいている。


 「さっき話してた“埋蔵金”ってやつ、ほんとにあるんですか?」

 悠真が尋ねると、黒瀬が口の端を上げて笑った。


 「ああ。昔から村に伝わっとる話や。

  “黒羽の山に千両箱”っちゅうやつやな」


 「ただの言い伝えじゃないの?」

 ねむが言うと、浩平がゆっくりと立ち上がった。


 「そう思っとったんだが……最近になって、うちの蔵からこんなもんが出てきてな」


 そう言って、浩平は木箱を取り出した。

 箱の中には、古びた羊皮紙のようなものが一枚。

 茶色く変色した紙には、墨で線が引かれ、ところどころに文字が記されている。


 「これが、その……地図だと言われとる」


 ねむが身を乗り出す。

 古びた和紙の上には、滲んだ墨で山と川の輪郭が描かれていた。

 中央にぽつんと赤い丸――「×」の印。

 そのすぐ横に、かすれた筆跡で《黒羽村ノ奥 カラスマデ》とある。

 道なのか、血の跡なのか、細い線が南の方角の山へ延びていた。


 「これ……本物っぽいですね」

 楠木が低くつぶやく。


 浩平は肩をすくめた。

 「真偽は分からん。ただ、村の古老が言うには、この地図を“開く”には、ある歌が必要らしい」


 ねむが眉をひそめる。

 「歌?」


 黒瀬が頷いた。

 「“からすむしゃさまの唄”や。夜に口ずさむと、財宝が目を覚ます――ってな」


 囲炉裏の火が、ぱち、と大きく弾けた。

 その音が、なぜか不吉な予感を残した。


 紙の上側には、滲んだ赤で描かれた一羽の首が切られた鴉。

 嘴の先から、細い線が山の等高線を縫うように南へ延びている。赤の上に、さらに細い墨文字が重なっていた。


 「この文字……何て書いてあるの?」

 ねむが顔を寄せる。


 浩平が顎に手を当てる前に、新藤が口を開いた。

 「それが“からすむしゃさまの唄”だよ」


 新藤は囲炉裏の火を一瞥すると、低く節をつけて歌い出す。


からすがなくよ よるのはて

あしおとひとつ きえてゆく

もりのはざまに かげひとつ

りんどうゆれて なみだふる


てらのかねさえ もうひびかず

らんのしずくが いとをひく

のきばにゆれる しろきもの

あさはみれず ゆれている


みつからぬまま かわながれ

のこるはくろき はねひとつ

このよにのこる くびのかげ

やみにかえる むしゃのうた


 歌い終えると、新藤は口の端を上げて笑った。

 「――ま、殺される前に逃げといた方がいいかもな」


 「や、やめろよそういうの……」

 楠木が肩をすくめる。冗談に乗るタイプではないらしい。


 悠真がねむの前にすっと出る。

 「大丈夫。俺がいるから」

 頼もしく言ったつもりだが、震えていた。

 ねむは首をかしげるだけだった。


 「全然平気だけど」

 さらり。ねむは懐からスマホを出して、歌詞をメモしていく。


 ねむたちは手描きの地図を片手に、宿を出発する。


 最初の目的地は、地図の端に描かれた“黒羽橋”。

 「これ……だよね?」

 悠真が指差した先に、木製の小さな橋がかかっていた。

 川幅は狭く、水面が陽光を反射している。


 けれど――橋の色は、奇妙なほど黒かった。


 「……なんか、煤でも塗ってあるみたい」

 ねむが欄干に触れると、手のひらに薄い黒粉がついた。

 「黒羽橋……名前の通りって感じね」


 「夜に見たら、ちょっと怖そうだな」

 楠木が肩をすくめる。


 橋を渡りながら、ねむは周囲を見回した。

 鳥の声も人の気配もなく、ただ水の音だけが響いている。

 (黒羽……カラス……森の名前は煤森(すすもり)

 「なんかこの村、暗い単語ばっかりだね」

 「たしかに。もうちょっと“桜ヶ丘”とか“光の森”とか、明るい名前でもいいのに」

 ねむのぼやきに悠真が吹き出した。

 「たぶん“光の森”って名前だったら、埋蔵金伝説とか生まれなかったよ」


 次に向かったのは、地図の中心近くに描かれていた寺――

 煤森寺(すすもりてら)


 参道を進むと、そこにあったのは小さな山寺。

 古びた石段と、くすんだ瓦屋根。

 境内には本堂と、小さな納屋のような小屋がひとつ。


 「……こぢんまりしてるけど、雰囲気はあるね」

 悠真が言うと、楠木がポケットから小銭を取り出した。

 「せっかくだし、お参りでもするか」


 三人は並んで賽銭を入れ、鈴を鳴らした。


 楠木が手を合わせて何やら真剣な顔をしている。

 ねむも両手を合わせ、目を閉じた。


 (埋蔵金が見つかって……おいしいものいっぱい食べられますように)


 ぱちん、と手を合わせる音。

 隣で悠真がわずかに早く目を開け、ふとねむを見た。

 視線が合うと、彼は照れくさそうに目を逸らす。


 「何願ったの?」

 ねむが覗き込むと、悠真は顔を赤くして首を横に振った。

 「……内緒」

 「えー、ずるい」


 「俺は言えるぞ」

 楠木が胸を張る。

 「頭が良くなりますように、って」

 「小学生か」

 ねむのツッコミが飛んだ。


 三人は笑いながら寺を後にした。


 その道すがら、悠真が地図を広げて言う。

 「次は――この“墨蓮湖ぼくれんこ”って場所だな」

 「湖?」

 「うん。村の端にある。もとは山の湧き水が溜まってできた湖らしい」


 ねむは地図の片隅を指でなぞる。

 そこには墨で描かれた大きな水面と、その中央に浮かぶような黒い点――まるで沈んだ何かを示すかのようだった。


 「……名前からして不吉だね。墨の蓮だって」

 「ほんとだよな。咲いてるの、白じゃなくて黒い花だったりして」

 楠木の軽口に、ねむは小さく笑った。

 けれど、その笑みの奥で、何かがざらりと胸をかすめた。


 (“黒羽橋”に“煤森寺”……次は“墨蓮湖”)

 (全部、“黒”に染まってる)


 湿った風が吹き抜ける。

 その向こう――湖の方角から、かすかにカラスの鳴き声が響いた。


 風が止むと、あたりの音がすっと消えた。

 目の前に広がる湖――墨蓮湖は、まるで墨壺をひっくり返したように黒かった。


 「……これ、湖? ただの穴じゃない?」

 ねむがつぶやく。

 風景に似つかわしくないほど静まり返っていて、鳥の声すら聞こえない。


 光を吸い込むような水面。

 覗き込んでも、自分の影すら映らなかった。

 ただ、底の見えない闇が広がっているだけ――。


 「……不気味だな」

 楠木がつぶやき、足元の石を投げた。

 ぽちゃん、という音。

 そのあとの波紋が、やけにゆっくりと広がっていく。


 湖面には、いくつか白い蓮が浮かんでいた。

 しかし近づいてよく見ると、その根は泥ではなく――灰色に濁った沈殿層に絡みついている。

 悠真が眉をひそめた。

 「ここ、昔鉱山の水脈だったって聞いた。鉛とか鉄とかが流れ込んでて、今も底には沈殿物が残ってるらしい」


 「なるほど……だから“墨蓮”か」

 ねむは小さくつぶやいた。

 「蓮が白く咲いても、水が黒なら――意味ないね」


 その瞬間、湖面の端がかすかに揺れた。

 風ではない。

 まるで、誰かがそっと水に指を差し入れたような、ゆらめき。


 「……今、見た?」

 ねむが声をひそめる。

 楠木と悠真も、同じ方角を見た。

 波紋が一度だけ広がり、やがて消えた。


 そのあとに残ったのは――耳の奥に張りつくような、低いカラスの鳴き声。


 「……からすむしゃ、さま?」

 ねむが思わずつぶやく。


 遠くで、風が吹いた。

 白い蓮の花びらが一枚、ゆっくりと剥がれ、黒い湖面に沈んでいった。


 湖のほとりには、すでに先客がいた。

 朝のバスで見かけた、文庫本を読んでいた女性――朝比奈美奈(あさひな みな)

 黒いカメラを構え、黙々とシャッターを切っている。


 「……あの人」

 悠真が小声でつぶやく。


 ねむが近づくと、朝比奈は一度レンズから目を離し、にこりと微笑んだ。

 「すごいでしょ、この景色。まるで“時間が止まってる”みたい」

 「そうですね……静かすぎて、逆に怖いくらいですけど」

 ねむが苦笑いで答えると、朝比奈はカメラを下ろして言った。


 「この湖、有名なんですよ。地元では“死を映す鏡”って呼ばれてるんですって」

 「……なにそれ」

 「昔から、行方不明になる人が多いらしいです。特に夜。

  湖を見に行ったまま帰らない人が、何人もいたって」


 ねむと悠真は顔を見合わせる。

 「……それって、“鴉武者さま”の呪いとか?」

 ねむが言うと、朝比奈は唇の端をわずかに上げた。

 「かもね。あの唄、気味悪いけど……ほんとに“何か”あるのかも」

 そう言って、いたずらっぽく笑った。

 だがその笑みには、どこか冷たいものが混じっていた。


 ねむは小さく息をつく。

 (……なんか、あの人ちょっと怖い)


 一通り周囲を見終えたあと、三人は湖を離れた。


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