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第16話 トランプの暗号

(殺人のトリックを販売するサイト、か……)

 ねむは顎に手を当て、ゆっくりと歩きながら考えていた。


(気になるけど、今の情報だけじゃ何とも言えないな。楠木さん、ちゃんと追ってるのかなー)

 つぶやくようにため息をつく。夕方の商店街は、学校帰りの学生たちで賑やかだ。けれど、今日は珍しくひとりの下校だった。


 ――数十分前。放課後。


「ごめん、ねむ。今週末、陸上部からピンチヒッター頼まれてて、練習しないといけないんだ」

 凛子が両手を合わせて、申し訳なさそうに笑う。


「えー……じゃあ、ひとりで帰るかー」

 ねむは肩を落とす。


「来週からは一緒に帰るから!」

 そう言い残して、凛子はグラウンドの方へ駆けていった。


 そんなわけで、今日はひとり。

 少し風の強い帰り道、ねむはポケットに手を突っ込みながら歩いた。


(……あのサイト、どこまで本当なんだろ)

 そんなことを考えていた、そのときだった。


 ドンッ。

 体ごと押し返されるような衝撃が走った。


「いたた……」

 ねむは尻もちをつく。視線の先には、男がひざをついて倒れ込んでいた。右肩を押さえ、うっすらと赤いものが滲んでいる。


(えっ……私のせい?ぶつかっただけなのに?)


「だ、大丈夫ですか?」

 駆け寄る。だが男は反応しない。手をずらすと、指の隙間から鮮やかな血がこぼれた。


(うそ……血が流れてる?)


 喉が乾く。冷たい汗が背中を伝う。

 慌ててスマホを取り出し、通報した。


「もしもし、救急ですか!? 男性が血を流して倒れています! 場所は──桜並木通り、早くお願いします!」


 サイレンの音が近づいてくる。

 救急車に同乗し、ねむは男の横顔を見つめた。年は二十代後半くらい。スーツ姿だが、名札や社章のようなものは見当たらない。ポケットの中には、古びた銀色のライターがひとつだけ。


「これは……銃創だな」

 救急隊員の一人が、眉をひそめてつぶやく。


(銃……? 日本で? この人……何者?)


 救急車が、けたたましいサイレンを響かせながら夕方の街を駆け抜けていった。

 病院に着くと、男は担架に乗せられ、そのまま病院の奥へと運ばれていく。


 一応、楠木さんにも連絡しておこうと思い、スマホを取り出した。

 『銃で撃たれた人が今、白峰しらみね総合病院に運ばれた』

 そうメッセージを打ち込む。


 ふと足もとに目をやると、さっきの男のポケットから落ちたらしい紙片が一枚、床に転がっていた。

 拾い上げると、そこにはトランプの絵柄と矢印、そして「うさぎ」と「ねこ」の小さなイラストが描かれている。

 不思議なことに、ジョーカーのカードにも数字が記されていた。


 A♦ / 3♠ / 2♥゛ → うさぎの絵

 5♣ / 2ジョーカー → ねこの絵


 さらに、下の段にはもう一列。


2ジョーカー゛ / 3♥゛ / 6♠ / 4♥ / 2ジョーカー / A♦ / 7♠ / A♣ →?


 (……どういう意味だ?)


 病院の白い蛍光灯が、ねむの頬を青白く照らしていた。

 ベンチに腰を下ろし、ねむは手の中の紙片を何度も見つめていた。


(……やっぱり、ただの落書きじゃないよね)

 トランプの絵柄、数字、ジョーカー、そして「うさぎ」と「ねこ」。

 その組み合わせが意味するものを考えてみても、見当がつかない。


 自動ドアが音を立てて開く。

 廊下の向こうから、見慣れたスーツ姿が近づいてきた。


「ねむっ!」

 低い声に顔を上げると、楠木刑事が現れた。

 ねむは小さく手を振る。


「楠木さん」

「今、その男はどこにいるんだ?」

「まだ……手術中。結構経ってるから、たぶん、もうすぐ終わると思う」


 楠木が腕時計に目をやる。


 そのとき、手術室のランプが「手術中」から消え、静かに明かりが落ちた。

 間もなくドアが開き、担架が静かに廊下を進んでくる。

 包帯で覆われた男の肩に、まだ血の滲んだ跡が見えた。


 楠木は医師の前に立ちふさがるようにして尋ねる。

「容体は?」

「弾は摘出しました。幸い、骨には達していません。命に別状はありませんが、しばらくは意識が戻らないでしょう」


「そうか……」

 楠木は短く息を吐き、腕を組んだ。

 その横で、ねむは胸をなでおろす。


「銃で撃たれてるなんて、相当物騒なんじゃない?」

「そうだな」

 楠木の声が低く響く。

「日本じゃめったにない。しかも、通行人の前で倒れていたとなれば、単なる抗争や事故じゃない。……狙われた可能性が高い」


「狙われた?」

「そうだ。撃たれてここまで逃げた……あるいは、逃げようとしてた途中で倒れた」


 楠木は病室へ運ばれていく男を目で追いながら、ポケットから手帳を取り出した。

「で、ねむ。おまえ、何か見たか? 撃った相手とか、車の音とか」


「ううん、何も。私、ほんとに偶然ぶつかっただけ」

 ねむは首を振る。

「この人、何者なんだろ。名札もなくて、持ち物はライターひとつだけだった」


「ライター?」

「うん。蝶の刻印の入った古びた銀色のやつ。あと、これ」

 ねむは紙片を差し出した。


 楠木は眉をひそめてそれを受け取る。

「……トランプ?」

「うん。でも、普通のじゃないよ。ジョーカーに“2”って書いてある」


 楠木は光にかざし、黙り込んだ。

 カードの記号と数字の並びを見ながら、何かを頭の中で組み立てているようだ。


「A♦、3♠、2♥、うさぎの絵……そして5♣、2ジョーカーで“ねこ”。

 さらに下に長い列……。これは……暗号か?」


「だと思う」

 ねむはベンチに座り直し、顎に指を当てた。

「たぶん、“場所”か“時間”を示してると思う。『ねこ』と『うさぎ』は、その解き方のヒントかも」


「つまり、何かの待ち合わせ場所……」

「かもね」


 楠木は顎に手をやり、しばらく考え込む。

 そして、意を決したように一言。


「――全然分からないな」


 ねむはずっこけた。

 (だろうと思ってたけど)


「まぁ……今回の件は、お前の出番はないかもな。特に大きな事件が起きてるわけでもないし」

 楠木は肩をすくめる。


「意識が戻り次第、話を聞いてみよう」


 ねむは静かに頷いた。

 窓の外では、沈みかけた夕陽が病院の壁を赤く染めている。


(銃で撃たれた男と、謎の暗号。

 ――まだ、何か続きそうな気がする)


 そのとき、病室の扉が開き、顔を出した看護師が、静かに告げる。


「意識が戻りました」


 ねむと楠木は顔を見合わせ、同時に頷いた。

 二人は立ち上がり、病室へと向かう。


 白いカーテンの向こう、ベッドの上には先ほどの男がいた。

 包帯の巻かれた右肩、点滴のチューブが腕に通され、まだ顔色は悪い。

 だが、ゆっくりと目を開け、ぼんやりと天井を見つめている。


「……どうだ?」

 楠木が声をかけた。


 反応はない。

 男は焦点の合わない目で、ただ天井を見つめ続けている。


 楠木はもう一歩近づき、声の調子を少し強めた。

「聞こえますか?」


 その瞬間、男が小さく瞬きをし、ゆっくりと視線をこちらに向けた。

「あぁ……僕、ですか」


 掠れた声。

 ねむは胸をなでおろしながらも、その言葉に違和感を覚えた。

(やっぱり、まだ意識がはっきりしてないのかも)


 楠木は椅子を引き寄せ、穏やかな口調で言った。

「お話を伺っても大丈夫ですか?」


「……はい」

 男はかすかに頷く。


「名前を教えてもらえますか?」


 男は眉を寄せ、しばらく沈黙した。

 唇が動くが、音にはならない。


「……わかりません」

 しばらくして、かすれた声でそう答えた。


 ねむと楠木は、思わず顔を見合わせる。


「じゃあ、年齢は? ご職業は?」

「……思い出せません」

「どこにお住まいですか?」

「……わかりません」


 楠木は手帳を閉じ、深く息を吐いた。

「記憶が……抜け落ちてるのか?」


 ねむは小さくつぶやく。

(この人……もしかして、記憶喪失?)


 病室の窓の外では、夕陽が沈みきり、街の灯りがひとつ、またひとつと点いていった。

 その光が、男の無表情な横顔を淡く照らしていた。


 このあとも楠木は粘り強く質問を続けたが、男の答えはどれも曖昧で、核心には届かなかった。


 名前も住所も、職業も記憶にない。

 ただ、時折――昨日食べたものや、好きなテレビ番組の話など、断片的な日常の記憶だけは残っているようだった。

 しばらくして、楠木は時計を見て息を吐いた。

「……もう遅いな。ねむ、お前はもう帰れ」


「楠木さんは?」

 ねむが尋ねる。


「素性も知れないし、銃で撃たれてる以上、何か事件に関わってる可能性もある。

 しばらくは見張りをつけておく。応援を呼んで、交代で監視するよ」


「仕事、増やしちゃったかな?」

 ねむが申し訳なさそうに言うと、楠木は苦笑して頭を軽くポンポンと叩いた。


「これが俺の仕事だから、そんなこと思うな」


 ねむは少し照れくさそうに笑い、立ち上がる。

「じゃあ、見張りしっかりね」

 敬礼のポーズをして、病室をあとにした。


 ――夜。


 家に帰ると、キッチンからいい匂いが漂っていた。


「遅かったわねー」

 エプロン姿の母が顔を出す。

「ご飯できてるから、手を洗って食べなさい」


「はーい」

 ねむは制服のまま椅子に座り、湯気の立つ味噌汁をすする。

 (あっ、そういえば)

 食卓の上にカバンを置き、ポケットから例のメモを取り出した。


「ねぇ、お母さん。これ、見てくれる?」


「なに?……この紙?」

 母は興味深そうに紙片を手に取り、目を細めた。


 A♦、3♠、2♥ → うさぎ

 5♣、2ジョーカー → ねこ

 そして、その下に並ぶ長い数字の列。


「暗号文ね……私に挑戦なんて、面白いわね」

 母はにやりと笑い、しばらく黙って見つめていたが、やがて口元を緩めた。


「なるほどね」


「わ、わかったの!?」

 ねむが身を乗り出す。


「ええ。場所の名前ね」

「どこ!? どこなの!?」


 母は唇の端を上げて、いたずらっぽく笑った。

「ふふ、まだあなた、解けてないのね?」


「ぐぬぬぬ……っ」

 ねむは頬をふくらませて悔しそうに唸る。


 母はコーヒーを一口飲んでから言った。

「ヒントだけあげる。――母音と子音、ね」


「ぼいん……と、しいん?」

「そう。あとは自分で考えなさい。どうせ、教えられるのは嫌でしょ?」

 母は軽く笑いながら席を立った。


「本当に分からなかったら、教えてあげるわ」


 ねむはメモを睨みながら、むむむ……と唸る。

(母音と子音……? そんなの、どうやって関係あるの?)


 暗号のメモをにらみつけたまま、ねむはいつのまにか布団に突っ伏して眠っていた。


 ――翌朝。

 外はまだ薄曇り。

 今日は珍しく休みの日だった。


 布団の中でうとうとしていると、枕元のスマホがけたたましく鳴り響いた。

 ねむは寝ぼけ眼で手を伸ばし、通話ボタンを押す。


「……もしもし?」


 スピーカーから飛び込んできたのは、聞き慣れた低い声。

 けれど、その調子はいつもと違っていた。


「ねむ……! 俺、やってしまった……!」


「えっ、楠木さん? どうしたの?」

 ねむは一気に目が覚めた。


「……昨日の男だ。

 寝落ちしてる間に、逃げられた」


「逃げた!?」


「見張りの交代のタイミングだったんだ。ほんの数分……。

 まさか、自力で動けるとは思わなかった。

 もしあいつが何か大事を起こしたら、俺の責任だ……!」


 受話口の向こうで、焦り混じりの声が響く。

 ねむは一瞬黙り込んだあと、勢いよく立ち上がった。


「今そっち行くから、待ってて!」


 そう言って通話を切ると、寝ぐせのままパーカーを羽織り、鞄を掴んだ。


 階段を駆け下りる途中で、キッチンから母の声が飛んできた。

「ちょっと、ねむ! 朝ごはんはー?」


「いらない! ごめん、今、急いでる!」


 ドアの音がバタンと鳴り、足音が遠ざかる。

 残された母は、味噌汁をかき混ぜながら小さくため息をついた。


「まったく……ほんと、あの人に似てるんだから」


 そのつぶやきは、誰に聞かせるでもなく、静かな台所に溶けていった。


 病院に着くと、入口からすでに慌ただしい空気が漂っていた。

 制服姿の警官たちが出入りし、警備室では監視カメラを確認している。

 ねむは駆け足で廊下を抜け、昨日の病室へ向かった。


 そこでは、楠木が数人の捜査官と話をしていた。

 その顔には、いつもの余裕も冗談めいた笑みもない。


「楠木さん!」


 ねむが声をかけると、彼は振り返った。

 疲れ切った目をしていた。


「……ねむか」


「どんな感じですか?」


 楠木は苦い表情で髪をかき上げ、深くため息をついた。

「夜中の三時過ぎだ。窓のロックが外されてて……あいつ、そこから脱走した」


「まさか、あの状態で?」

「ああ。包帯と点滴を外してな。見張りの目をすり抜けたらしい」


 ねむは思わず唇を噛んだ。

 廊下の向こうでは鑑識が窓を調べている。外はまだ朝靄が残っていた。


「手がかりは?」

「今のところ、何も。捜査網は広げてるんだが……足取りがつかめない」

 楠木は拳を握りしめた。

「くそっ……俺の責任だ……!」


 泣きそうな顔でうつむく楠木を見て、ねむはそっと一歩前に出た。

「楠木さん」

 彼女はポケットから例の紙片を取り出した。


「このメモの謎が手がかりになるかもしれない」


 楠木が顔を上げる。

「……暗号か?」


「うん。昨日、お母さんがヒントをくれた。“母音と子音”って」

 ねむは紙を両手で広げ、もう一度じっと見つめた。


 A♦、3♠、2♥ → うさぎ

 5♣、2ジョーカー → ねこ

 そして、その下に続く長い並び。


(母音と子音……A、E、I、O、U……?)

 ねむの頭の中で、カードの並びと英字が重なっていく。


「母音と子音……つまり、文字を置き換える暗号……」

 呟きながら、ねむの指先が止まる。

「そうか!」


 ぱちん、と小気味よい音を立てて指を鳴らした。


 楠木が驚いたように顔を上げる。

「わかったのか?」


「うん。楠木さん――移動するよ!」

 ねむは紙を握りしめ、くるりと踵を返した。


 その目は、完全に“探偵”のそれに変わっていた。

面白いと思ってもらえたら、ブクマしてもらえると嬉しいです。

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