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第12話 光の湖に沈む声

 「ねえ、アクアベイリゾート、リニューアルしたんだって!」

 昼休みの教室で、凛子がスマホの画面を見せながら言った。


 「え、あの海沿いのやつ? 行きたーい!」

 ねむは身を乗り出すが、すぐに現実的な顔になる。

 「……でも、ちょっと遠いし高いよね」


 「だよねー。学生が気軽に行ける場所じゃないって感じ」

 凛子がため息をつくと、ねむは口元をにやりとゆがめた。


 「あっ――でも、いい考えがある」

 「え?」

 「ふふふ……任せといて」


 その“悪い顔”に、凛子は思わず一歩引いた。

 (ねむが“いい考え”って言うとき、絶対ロクなことにならないんだよな……)


 数日後の休日の朝。

 車内には陽気なテーマソングが流れていた。

 「アクアベ〜イ〜リゾ〜ト♪」

 「今日はい〜っぱい楽しむぞ〜♪」

 ねむと凛子が声をそろえて歌う。


 フロントガラスの外では、うっすら白い息が揺れている。

 冬の海沿いの朝は冷たく澄んでいて、

 遠くの水平線に低い太陽がかすかに滲んでいた。


 運転席では楠木がげんなりした顔をしていた。

 「……なんで俺がこんな朝っぱらから運転係なんだよ。まだ朝の六時だよ、さみぃーよー」


 「今までの借り!」

 助手席のねむが即答する。

 「この前の事件の時、私がどれだけ協力したか、覚えてる?」


 「……覚えてるけどさ」

 「じゃあ、文句なしでしょ!」


 凛子は後部座席で笑いながらスマホを構えた。

 「はい、記念撮影〜! 刑事と女子高生たち」


 「やめろ」

 楠木が眉をしかめる。


 そんなやり取りをしながら、車は海沿いの道を抜けていく。

 朝の陽光が海面に反射して、まるで道そのものが光っているようだった。

 冬の海風が窓を揺らし、ねむは思わず両手を袖の中に引っ込めた。


 「着いたー!」

 ねむが窓を開けて叫ぶ。

 冷たい潮風が頬を刺すように吹き込み、凛子が「寒っ」と身をすくめた。

 巨大な観覧車と、きらびやかなホテル棟が遠くに見えていた。


 アクアベイリゾートのゲート前は、すでに人の波でごった返していた。

 吐く息が白く混ざり合い、空気がかすかに甘いポップコーンの香りを運んでくる。


 「うわー、めっちゃ混んでるね」

 凛子が人混みを見渡して、軽くため息をつく。


 「ほんとだね。並ぶのやだなぁ」

 ねむは帽子のつばを押さえながら眉をしかめた。


 「まあまあ、並ぶのもいい思い出だよ」

 凛子は笑顔でポジティブに言う。


 「俺にはいい思い出にならなそうだけどな」

 楠木は腕を組んでぼやいた。


 入場口に着くと、ねむがさっと振り返った。

 「はい、予約はしてたから、支払いよろしく〜」


 「……おい」

 楠木はため息をつきながら、泣く泣くクレジットカードを差し出した。


 「いいの? 刑事さんのおごりで」

 凛子が遠慮がちに言うと、ねむがさらっと答える。

 「大丈夫、大丈夫。楠木さん、いっぱい事件解決してるからボーナス入ってるんだって」


 「いや、そんなに急には上がらないんだって……」

 楠木はレシートを受け取りながら小声でつぶやく。


 セキュリティゲートの前で荷物を預け、金属探知機をくぐる。

 ピッという軽い電子音のあと、三人は足を踏み入れた。


 それをくぐると、そこはまるで夢の国だった。

 噴水の向こうに広がる青い湖、メリーゴーランドの音楽、キャラクターの行進。

 潮風とポップコーンの甘い香りが混ざり合い、

 冬の冷たさすら忘れるような、夢の匂いが漂っていた。


 「わぁ……! ねむ、あれ乗ろう!」

 凛子が指さす先には、巨大なジェットコースター型アトラクション。


 「行こ行こー!」

 ねむは勢いよく走り出し、楠木が慌てて後を追う。

 「おい、走るな! こけるぞ!」


 最初のアトラクションは“待ち時間30分”の表示。

 「30分ならまだマシだね」

 凛子がスマホで次の予定を確認しながら言う。


 「30分でまだマシなのかよ」

 ぼやく楠木。


 ねむと凛子は画面を覗き込み、

 「これ終わったら、あの観覧船行こっか」

 「いいねー、景色良さそう」

 「待ち時間どうだろう?」


 そんな二人の会話を聞きながら、楠木はうんざりと空を見上げた。

 「……俺、もう帰っていいかな」


 「ダメです!」

 二人の声がぴったり重なった。


 ジェットコースターを降りたねむと凛子は、まだ興奮が冷めやらない様子だった。


 「きゃー! やばかったね、最後の急降下!」

 「落ちるとき、浮いたよね! もう最高!」


 ふたりはキャピキャピと笑いながら歩く。

 対照的に、楠木は明らかに顔色が悪い。


 「……俺、ああいうのダメなんだって」

 「えー、刑事のくせに根性なし〜」

 ねむがからかうと、楠木は弱々しく手を振った。


 「ちょっと……トイレ行ってくる」

 「ついでに飲み物ほしいー」

 「はいはい、分かったよ」


 楠木はフラフラとトイレの方へ歩いていった。


 ねむと凛子は次のアトラクション――大観覧車の列に並んでいた。

 水辺の光を反射して、巨大な輪がゆっくりと回っている。


 「ねむ、あれ乗ったらSNS映えするよ」

 「私SNSあんまりやらないんだよねー」

 そんな他愛もない会話をしていると、背後から声がした。


 「お待たせ。よくわからないから適当に買って来た。オレンジとアップル」


 楠木が両手にジュースを持って戻ってきた。

 「遅ーい! もう暑くて倒れるかと思った!」

 ねむが奪い取るようにして飲む。


 楠木は苦笑しながら頭をかいた。

 「悪い悪い、トイレ混んでたんだよ」


 観覧車を降りたあと、ねむが大きく伸びをした。


 「はぁ〜、楽しかった! でもお腹すいたぁ」

 「だね。そろそろお昼にしよっか」

 凛子がスマホでレストランのマップを開く。

 「この“マーメイド・カフェ”ってとこ、かわいくない?」


 「わぁ、いいじゃん。あそこ行こ!」

 「はいはい……また映え狙いか」

 楠木は呆れ顔で、二人の後をのそのそとついていった。


 店内は海をイメージした内装で、貝殻のランプが淡く光り、

 壁には波模様のプロジェクションが流れていた。


 「かわいい〜! 写真撮っていい?」

 「撮る前に注文!」

 「はーい」


 三人はカウンターで注文を決めた、ねむはシーフードパスタ、凛子がハンバーガー、楠木は前日飲んでいたのかフライドポテトだけ。

 結局、楠木がクレジットカードを差し出すことになった。


 「……また俺か」

 「当然でしょ、引率者なんだから」

 ねむはにやっと笑う。


 トレーを持って席に着くと、

 海老の香ばしい匂いと、炭酸の泡の音が広がった。


 「うまそー!」

 凛子がハンバーガーを手に取る。

 「こういうとこ来るとテンション上がるよね!」

 「そりゃあんたは食べる専門だもんね」

 「失礼な!」


 そんな賑やかな会話のすぐ隣のテーブルでは、

 別のグループが食事をしていた。


 「亮太、楽しいでしょう〜?」

 明るい声の女性が言う。

 しかし、“亮太”と呼ばれた男は、

 ストローをくわえたままぼんやりと返事をした。

 「あぁ……楽しい楽しい」


 もう一人の男が陽気に笑った。

 「俺は楽しいけどなー! やっぱアクアベイリゾート最高!」


 そしてもう一人の女性は、

 テーブルの上の料理を次々に撮影していた。

 「ちょっと動かさないでー。はい、映えるアングルで……よし!」


 ねむはフォークを止め、ちらりとそのグループを見た。

 (なんか……バランス悪いな)


 明るく見えるけど、どこかぎこちない。

 亮太という男だけ、浮かない顔をしていた。


 テーブルの上には、淡いブルーのトレーと木目のカトラリー。

 プラスチックじゃない、少し温もりのある手触り。

 フォークの先が軽く皿を打つたびに、かすかな木の音が響いた。


 凛子が気づいて小声で言う。

 「ねむ、また観察してるでしょ」

 「……いや、別に。ただ、なんだか気になって見てただけ」


 楠木はポテトをかじりながら苦笑した。

 「お前、飯の時くらい捜査モードやめろよ」


 ねむはむっとして言い返す。

 「しょうがない、癖なんだもん」


 そのあとも、ねむと凛子はアトラクションを乗り倒した。

 ふたりの笑い声は、冬の澄んだ空気に溶けていくようだった。


 楠木はというと、すでに体力ゲージが真っ赤だった。

 「……そろそろ、俺、帰ってもいい?」

 「ダメだよ!」

 またも二人の声がぴたりと重なる。

 それでも彼は、しぶしぶ二人の後をついて歩いた。


 あっという間に午後になり、太陽が傾きはじめたころ。

 園内に軽やかなファンファーレが流れた。


 《まもなく、アクアベイリゾート名物・水上パレードを開始します――》


 歓声があがり、人の波が一気に湖沿いへと流れていく。


 「やば、始まっちゃう! ねむ、早く行こ!」

 「うん! いい場所取らなきゃ!」


 ふたりはスマホでマップを確認しながら、

 「この辺が見やすいって書いてあった」「いや、こっちの方が空いてるかも」と

 ネット情報を頼りに走り出した。


 楠木はすでにただの“荷物持ち”と化していた。

 「……もう好きにしてくれ」

 ぼやきながらも、後を追う。


 昼に見かけたグループのひとり――亮太の友人らしき男も、

 同じように走って場所を探しているのが見えた。

 (あれ、さっきの……)

 ねむは一瞬気になったが、今はそれどころじゃない。


 「じゃあ、別行動で探そう! 凛子、あっち!」

 「オッケー!」


 ねむは人混みをすり抜け、湖沿いの小高いデッキへ走った。

 そこからは、青い湖全体が見渡せる。

 ほどなくして、凛子が手を振りながら駆けてくる。

 「ここ、最高じゃん!」


 パレードが始まった。


 湖の上を、光り輝く船がゆっくりと滑り出してくる。

 音楽が風に乗って響き、カラフルな水柱がリズムに合わせて跳ね上がった。

 噴水のしぶきにライトが反射して、夜明けのような虹色のアーチを描く。


 「うわぁ……すご……!」

 凛子が思わず声を漏らす。


 帆の形をした巨大なステージ船には、キャラクターたちが手を振っていた。

 水上を走る小さなゴンドラが次々と現れ、

 ミストのスクリーンには海の生き物たちの映像が浮かび上がる。

 光の波が湖面を伝い、まるで水そのものが歌っているようだった。


 「ねむ、見て! あのイルカの光!」

 「ほんとだ、すごい……! これ、どうなってんの……?」

 ねむは思わずスマホを構えるが、すぐに下ろした。

 (これは、画面越しじゃ伝わらないや)


 楠木も少し離れた場所から、その光景を見上げていた。

 顔に、わずかな笑みが浮かぶ。

 「……初めて見たけど、結構いいもんだな」

 凛子が振り返って笑う。

 「ねぇ刑事さん、ちょっとは癒されてる?」

 「まぁ……悪くないな」


 風が少し強くなり、しぶきが頬に当たる。

 冷たさが、逆に心地よかった。

 ねむはその光と音の洪水に目を奪われながら、

 胸の奥がふっと温かくなるのを感じていた。


 音楽が終わり、湖面にゆっくりと静寂が戻る。

 最後の花火が夜空に咲き、光の残像が水面に滲んで消えていった。


 「やばい、最高だったね!」

 「動画も撮ったけど、実物の迫力やばすぎ!」

 凛子とねむは顔を見合わせて笑った。

 頬が赤く、冬の空気が心地よく冷たい。


 「こんなに人がいるのに、みんな楽しそうだな」

 楠木がぼそりと呟く。

 その口調にも、わずかな柔らかさが混じっていた。


 ――そのときだった。


 湖の反対側から、甲高い悲鳴が響いた。

 「きゃあああっ!!!」


 音楽の余韻を裂くように、ざわめきが広がる。

 「……え?」

 ねむと凛子が顔を見合わせた。

 楠木も一瞬で表情を引き締める。


 「行ってみよう!」

 ねむが駆け出す。

 凛子が慌ててその後を追い、楠木も短くため息をついて続いた。


 反対側に行くと、人だかりができていた。

 みんなが湖の方を覗き込み、口々にざわついている。


 「どうしたんだろ……」

 凛子が小声でつぶやく。


 ねむは人の隙間をすり抜け、柵の前まで出た。

 冷たい風が頬をかすめる。

 湖の水面がわずかに揺れ、ライトの残光がちらちらと反射している。


 「……あれ」

 ねむが声を震わせた。


 水面に、何かが浮かんでいた。

 最初はパレードの小道具かと思った。

 でも、波に揺れる影が少しずつこちらを向いたとき――

 それが人間だと、誰の目にもわかった。


 ねむたちが見下ろしている近くの水面だった。

 ゆっくりと回転するその顔を、ねむは見たことがあった。


 「あの人……昼間の……?」


 昼に“楽しいでしょう”と声をかけられていた、亮太と呼ばれていたあの男だった。

 表情は穏やかすぎて、逆に不気味だった。

 まるで夢の終わりを見つめるような、静かな顔。


 「嘘でしょ……」

 凛子が青ざめてつぶやく。


 楠木はすでに携帯を取り出し、どこかに連絡を入れていた。

 「おい、誰も近づくな! 警察を呼べ!」


 ざわついていた観客の中に、泣き出す女性の声が混じった。

 その声は、昼に亮太に話しかけていた女性のものだった。

 「亮太っ……! うそでしょ、なんで……!」


 湖面を照らすライトの色が、彼女の頬の涙に反射してきらりと光る。

 そのすぐそばでは、他の二人の仲間もただ呆然と立ち尽くしていた。


 ねむはその光景を見つめながら、

 胸の奥がざわつくのを感じていた。


 人のざわめきが少し落ち着いたあと、アクアベイリゾートの一角にある関係者用ラウンジが臨時の聴取場所になった。

 窓の外には、さっきまでのきらびやかな湖が広がっている。

 だがその水面はもう、さっきのような夢の色をしていなかった。


 楠木は被害者、田口亮太の友達から事情聴取を始めた。


-|亮太の恋人 相沢 美沙(あいざわ みさ) 19歳

 明るく面倒見がよいが、感情の起伏が激しい。付き合って一年になる亮太の冷めた態度に焦りを感じ、無理に楽しませようとしていた。事件当時、パレードの開始前に別行動を取っていたと証言。

-|亮太の友人 川瀬 俊(かわせ しゅん) 19歳

 亮太とは高校時代からの友人。グループのムードメーカーで、誰とでもすぐ打ち解ける性格。事件当時は観覧エリアを探していたと話す。

-|亮太の友人 水嶋 紗香(みずしま さやか) 19歳

 穏やかで人当たりが良く、三人の中では最も中立的な存在。社交的で周囲への気配りもあるが、時に他人の顔色をうかがいすぎる一面も。

大のテーマパーク好きで、アクアベイリゾートにも詳しい。


 楠木は手帳を開き、静かに顔を上げた。

 「まずは――相沢美沙さんから話を聞こうか」


 相沢は紙コップの水を握りしめたまま、指を小刻みに震わせていた。

 泣き腫らした目の赤みが、まだ消えていない。


 「パレードのとき、あなたはどんな状況でしたか」

 楠木の声は落ち着いていたが、視線はまっすぐだ。


 「……亮太は、パレードが始まる前にタバコ吸ってくるって言って。

  喫煙所がある方にフラッと歩いて行ったんです」


 「それは何時ごろ?」


 「たぶん、始まる15分くらい前です。

  そのときは……普通でした。そんなに楽しくはなさそうだったけど」


 相沢はそう言って、唇を噛んだ。

 「それで、そのあと三人で話したんです。

  “どこで見ようか”って。人が多かったから、三方向に分かれて場所取ろうってことになって……」


 楠木はテーブルにマップを広げた。

 アクアベイリゾートは、中央に大きな湖があり、

 その周囲をアトラクションや通路がぐるりと囲む構造になっている。

 園内は大きくAからDまでの四つのエリアに分かれていた。


 「あなたはどのエリアへ?」


 「エリアAです。湖の左側の観覧デッキのほう」


 楠木はメモを取りながら、ゆっくり頷いた。

 ねむはその隣で、腕を組んで聞いていた。


 (エリアはAからDまで四つに分かれている。

 エリアA――遺体が見つかったのは、たしかその方角だ)


 脳裏に、湖面に浮かぶ亮太の顔がよみがえる。

 ねむは無意識に、自分の足元の水の流れを思い出していた。


 「相沢さん、そのあと亮太さんを見たのは?」

 楠木が続けた。


 「……見てません。パレードが始まって、音楽と光ばっかりで。

  終わったあとに、あの……悲鳴が聞こえて……」


 その声は震えていたが、どこか張り詰めた調子もあった。

 ねむはそのわずかな違和感を逃さなかった。

 (“悲鳴が聞こえて”……じゃなくて、“誰が悲鳴を上げたか”は言わなかった)


 楠木が手帳を閉じる。

 「ありがとう。少し休んでていい。次は――川瀬俊くん、君の番だ」


 相沢が席を立つと、ねむはほんの一瞬、その背中を見送った。

 凛子がそっと耳打ちする。

 「ねむ、どう思う?」

 「……まだ分かんない。でも――なんか、違和感は感じるな」


 次に呼ばれたのは、川瀬俊だった。

 彼はどこか落ち着いた様子で席に座り、軽く笑みを浮かべた。

 「なんか、取り調べって初めてですよ。ちょっと緊張しますね」


 「リラックスしていいよ」

 楠木は手帳を開きながら言った。

 「さっそく聞こう。パレードのとき、君はどこにいた?」


 「僕はエリアCの方です。湖の右側のデッキ。

  あそこ、観覧位置としては人気なんですよ」


 「エリアC、ね」

 楠木は図面を見ながら頷く。

 遺体が見つかったのは湖の反対側――つまり、エリアCはエリアAの反対方向。


 「遺体発見場所とは反対側だな」

 「そうですね。だから、正直びっくりしましたよ。

 反対側で合流したときには、もうあんなことになってて……。

 僕はもう、場所取りに必死で。立ち見の列、すごかったですし。

 結局そのままパレードの時間になっちゃって、

 集合は難しそうだから“それぞれの場所で見よう”って話になったんです」


 軽い口調だったが、どこか用意されたような響きがあった。

 ねむは黙って彼の顔を見た。

 ――まっすぐに楠木の顔を見ている。

 (この人、緊張してるフリして、全然動揺してない)


 楠木は質問を続けた。

 「亮太くんとは、そのあと連絡を取った?」


 「いえ、取ってないです。

  そもそも、あいつ最近ちょっと冷めてたっていうか。

  僕らが盛り上げても、反応薄くて。

  だから、正直“タバコ吸いに行く”って言ったときも、

  ああ、またかって感じでした」


 川瀬は苦笑いを浮かべ、首をすくめる。

 「でも、まさか、そんなことになるなんて……」


 凛子がねむの袖を軽く引く。

 「ねむ、どう?」

 「……ちょっと変」


 「変って?」

 「“あそこが一番人気”とか“列がすごかった”とか……

  まるでスタッフみたいな言い方してた」


 ねむの言葉に、楠木の視線がわずかに鋭くなる。

 「川瀬くん、君はアクアベイリゾートによく来るのか?」


 「あ、いえ……ここにはあまり来ません」

 川瀬はあっさりと答えた。


 「じゃあ、なんで人気のスポットだって分かったの?」

 ねむが首をかしげる。


 「いや、パレードが混雑するなら、普通に調べますよ。

  せっかく来てグダグダになるのも嫌ですし」


 「……なるほどね」

 ねむは軽く頷いた。

 (確かにそうか。私たちだって、SNSでおすすめの場所を調べてから来たし……) 


  「事件当時の状況を教えてください」

 楠木の声は淡々としていた。


 「混雑していたから、別々に場所を取ろうってなって……。

  私はエリアBに行ったんです」

 水嶋は落ち着いた口調で言う。


 (エリアB……AとCの間か)

 ねむは頭の中で地図を思い浮かべた。

 (ちょうど中央寄り。つまり、どちらの様子も見やすい位置――)


 「あなたは、アクアベイリゾートによく来られるんですか?」

 楠木が質問を続ける。


 「はい、よく来ます。年パスも持ってます。

  リニューアルされてから、ずっと楽しみにしてたんです」

 柔らかな声だったが、どこか無理に笑っているようにも見えた。


 「じゃあ、パレードは楽しみでした?」


 「はい、とても。映像で見て、すごく感動して……」


 「映像?」

 ねむが眉をひそめる。


 「SNSの動画です。

  みんなフルバージョンでアップしてて、

  中にはすごくいい席から全体を綺麗に撮ってるのもあるんです。

  だから、事前に“どこからどう見えるか”も分かってました」


 「なるほど……」

 楠木がメモを取りながら頷く。


 ねむはその横で静かに考えた。

 (つまり――パレードの動きは“映像で事前に知ることができた”ってことか)


  「どう思う?」

 楠木が腕を組みながら、ねむに視線を向けた。


 「……まだ分からない」

 ねむは短く答えた。

 頭の中では三人の証言を何度も反芻していたが、

 どれも決定打に欠けていた。


 そのとき、ドアの向こうから足音がして、

 一人の警察官が資料を抱えて入ってきた。


 「楠木刑事、検視の速報が出ました」


 楠木が顔を上げる。

 「で、どうだった?」


 警察官は手帳をめくりながら報告した。

 「被害者は鋭利な刃物のようなもので胸部を一突き。

  刺されたあと、まだ息がある状態で水上パレードの湖に投げ込まれたようです」


 「……瀕死のまま、水に?」

 楠木の眉がわずかに動く。


 「はい。溺死の形跡はなく、致命傷は刺創です。

  ただ――」


 「ただ?」


 「凶器はまだ見つかっていません。

  それに、刺し口がナイフや包丁のものとは違うんです。

  少し……いびつな形状で」


 「いびつ?」

 楠木が聞き返す。


 「はい。断面は歪で、直径およそ4〜5センチの丸い形状をしています。市販の刃物では説明がつきません。」


 ねむはその言葉に反応した。

 (いびつな凶器……?)


 視線を落としながら、頭の中でいくつもの映像が交錯する。

 木製のカトラリー、テーマパークの安全検査、

 そして――金属探知機を通る入場ゲート。


 (園内のナイフやフォークのカテラリーは安全を考えて木製やプラスチック。金属探知機……なら、金属じゃない凶器の持ち込みの可能性が考えられるな)


 ねむの胸の奥で、静かな疑念が芽を吹いた。

 

 そして持ち物検査。

 テーブルの上に三人の荷物が順に並べられる。

 バッグの中身はどれも一見なんの変哲もないが、ねむは一つひとつをじっと観察していく。


 最初は相沢美沙。

 ハンドバッグから取り出されたのは、ピンクのポーチ、手のひらほどの鏡、ハンドクリーム、香水のミニボトル、折りたたみの日傘、そしてハートのキーホルダーがついたスマホだった。

 「女性らしい持ち物ですね」楠木が言うと、相沢は小さく笑った。だが指先はどこか落ち着かず、震えが見える。


 次に川瀬俊。

 黒いバックパックの中からは、折りたたみのレインジャケット、文庫本、ノート、金属製の水筒が出てきた。

 「それ、ステンレス製ですか?」と楠木。

 川瀬は頷く。

 「ええ。一人暮らしなのでこれで飲み物代を節約してます」

 そう言って、さりげなくボトルの表面をハンカチで拭った。ねむはその仕草を見逃さなかった。


 最後に水嶋梨花。

 小さなショルダーバッグの中には、財布、リップ、ハンドタオル、ノート、筆記用具、そしてミニサイズのカメラが入っている。

 「これでパレード撮ってたんです」彼女は笑顔で見せたが、その笑顔にはどこか引きつりがあった。


 「筆記用具、見てもいい?」とねむが訊ねる。

 「えぇ、大丈夫です」水嶋はやや不思議そうに答え、承諾した。


 中身を広げると、消しゴム、シャーペン、定規、そして万年筆のように重厚な作りのボールペンがあった。

 「これは?」とねむがボールペンについて尋ねる。

 「大学の入学祝いで、親に貰ったんです」水嶋は素直に答えた。


 ねむが蓋を開けてみると、中身は普通のボールペンだった。


 楠木が三人の荷物を眺め、短く吐息をつく。

 「特に目立って怪しいものはないな」


 だがねむの中では、いくつか気になる品がちらついていた――(おそらく、あれを使った可能性が高いと)


 「皆さん、同じ学科なんですか?」

 ねむが尋ねる。


 「ううん、違うよ」

 水嶋が小さく首を振った。

 「私と美沙は心理学科で、川瀬は理工学部。海流とかの研究をしてるんだ」


 「へえ、そうなんですか。皆さん、すごいですね」

 楠木が感心したようにうなずく。


 その直後、ねむが唐突に言った。

 「楠木さん、喫煙所の場所を調べてほしいです」


 「喫煙所?」

 楠木は手帳をめくりながら眉を上げる。

 「……待てよ、ちょうど施設マップの一覧がある」


 手早くプリントを広げ、赤で印のついた箇所を指でなぞる。

 「園内の喫煙所は、各エリアに一つずつ。AからDまで、計四か所だ」


 「なにか関係あるの?」

 凛子が不思議そうに尋ねる。


 ねむは地図を覗き込みながら、小さく頷いた。

 「おそらく――現場は、喫煙所の近くだと思うから」


 「喫煙所の近く?」楠木が目を細める。

 「ええ。亮太さんが最後に“タバコ吸ってくる”って言って姿を消した。

  でも、どこの喫煙所に向かったかは分からないからもしかしたら、喫煙所に行ったら亮太さんが刺された場所がどこか分かるかもしれない」


 その口調には、確信めいた響きがあった。


 ねむは顔を上げると、勢いよく立ち上がった。

 「ちょっと、実際に見に行ってくる」


 「おい、勝手に動くな!」

 楠木の制止も聞かず、ねむは小走りで出口へ向かう。


 「待ってよ、ねむ!」

 凛子が慌てて後を追う。


 ドアが閉まる音が室内に残り、楠木は小さくため息をついた。

 「まったく……いつもこうだ」


 その声の奥には、呆れと、どこか期待が混ざっていた。


 ねむは園内マップを手に、喫煙所を順番に回っていった。


 まずはエリアA。

 噴水広場に面した開放的なベンチスペースで、通行量が多く、人の目もカメラも多い。


 エリアB。

 湖沿いにあり、季節の花が咲く広い花壇が続いていた。

湖との間には、腰の高さほどの柵が二重に張られている。


 エリアC。

 湖沿いの遊歩道に設けられた半屋外の喫煙所。

通路から少し奥まっていて、低い柵の向こうには水面が間近に見える。

すぐ近くには管理用の通路があり、監視カメラの死角も多い構造だった。


 最後にエリアD。

 レストラン街の裏手にある屋内喫煙室。自動ドアの前には監視カメラ、入退室の記録も残る。


 四つの喫煙所を回り終えたねむは、地図を畳んでしばらく考え込んだ。

 「……やっぱり、エリアCが怪しい」


 凛子が顔を上げる。

 「C? 屋外のところ?」

 「うん。あそこ、だけ低い柵だったし監視も甘かった……やるならあそこしかない」

 ねむは眉を寄せ、記憶をたどるように視線を泳がせた。


 (そういえば――遺体を発見したとき、あの人の行動……どこかおかしかった)

 ねむの胸の奥で、何かがひっかかる。

 「でも……遺体をエリアAまで移動させるなんて、どうやったんだろ」


 考え込みながら歩くねむに、凛子が声をかけた。

 「ねぇ、ねむ。少し休もうよ」

 「……そうだね」


 二人は自販機で飲み物を買い、湖の見えるベンチに腰を下ろした。

 冬の風が頬をかすめ、甘いココアの湯気がゆらめく。


 「あんなに素敵なパレードだったのに、こんなことになるなんてね」

 凛子はスマホを取り出し、撮ったばかりのパレード動画を再生した。

 水上を進むフロートの上で、光と音が弾ける。


 「ねむも見る?」

 「うん、ちょっと貸して!」


 ねむはスマホを受け取ると、動画を指で巻き戻しては拡大した。

 ある一瞬、何かに気づいたように目を細める。

 画面に映る水面、波の流れ、光の反射――その動きが決定的だった。


 「……そういうことか」

 ねむは静かに息を吸い込み、指をぱちんと鳴らした。


 「凛ちゃん。謎は――解けたよ」


 「えっ?」

 凛子が目を瞬かせる。


 ねむはスマホを握ったまま立ち上がり、すぐに電話を取り出した。

 「楠木さん? そのまま、みんなを帰さないで」 


 楠木に全てを伝えたねむは、再び事件現場に戻った。

 夕方の風が冷たく、湖面の光はもう薄く揺れている。


面白いと思ってもらえたら、ブクマしてもらえると嬉しいです。

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