表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ふれあいマスコット体験イベント

作者: くんちゃん

ある夏の日、郊外のショッピングモールで開かれていた「ふれあいマスコット体験イベント」。

たまたま通りかかった少年・悠馬ゆうまは、スタッフに声をかけられ、クマの着ぐるみを試着することになった。


「わあ、かわいいクマさんだね!」

スタッフの笑顔に少し照れながら、悠馬はふかふかの着ぐるみを手に取る。

思った以上に重くて、分厚くて、内側はふんわりした素材で覆われていた。首元から中に足を通し、腕を通し、最後にファスナーを閉める。


──その瞬間だった。


ふわっ、と身体を包む温かさ。

やさしく撫でられているような、溶けるような感覚。

外の音が遠くなり、目の前にあった世界が淡くにじんでいく。


「……気持ちいい……」


言葉が、口から漏れた。

自分の声が、ほんの少しだけ籠もって聞こえる。


──いや、ちがう。これは、声そのものが変わってる……?


胸元のファスナーが、どこにあるかわからない。見ようとしても、もう自分の手の感触がない。

代わりに、もふもふとしたクマの前足が揺れている。


スタッフたちの声が、遠くのほうで笑い声とまじり合う。

「おお、似合ってるよ〜!ほら、写真撮るねー!」


でも、悠馬はもう動けなかった。

いや、動かなくてもよかったのだ。


このクマの身体は心地よすぎた。まるでこのまま夢の中に沈んでしまいそう。

意識はふわふわと漂い、名前や言葉、過去の記憶が次第に霞んでいく。


「──……もう、ボク……クマで、いいや……」


静かに、内側で最後の“人間の声”が消えた。

イベントはその後も盛況だった。

子どもたちは嬉しそうに、あたたかくて大きなクマに抱きついていった。

だれも知らない。あのクマが、元はひとりの少年だったことを。

いや──

あのクマ自身すら、もう知らないのだ。


その日を境に、クマの着ぐるみはイベントの“人気マスコット”として扱われるようになった。


「このクマ、動きがやけに自然でかわいい!」

「中の人、すごく上手だね〜」


来場者たちは口々にそう言って、クマと一緒に写真を撮り、手を振り、抱きついていった。

スタッフも最初こそ不思議に思ったが、クマが勝手に動いてくれることに助けられ、やがて深く気にしなくなった。


──けれど、夜になっても、誰もクマの中から出てこなかった。


着ぐるみ保管室に戻されたクマは、じっとしたまま片隅に座っていた。

その毛並みは昼間のまま温かく、ほんのりと体温が残っている。

けれど、スタッフが開けようとしても、背中のファスナーはまるで存在しないかのように消えていた。


「……?これ、どこから脱ぐんだっけ……?」

スタッフのひとりが首をかしげながら、クマの身体を撫でると──


ふわり。


クマの顔が、ゆっくりとスタッフの手にすり寄ってきた。


「えっ……?」


中に人が入っている、というよりは──

まるでその着ぐるみそのものが、命を宿しているようだった。


その夜、保管室の明かりがふっと消えた瞬間、別の棚で眠っていた“ウサギの着ぐるみ”が、かすかに揺れた。

誰も着ていないはずのそのウサギも、ひとりでに立ち上がり、ふかふかの足でとことこ歩きはじめる。


──イベントに“帰ってこない参加者”がいるという報告が、じわじわと増えていた。

だが、誰も大ごとにはしなかった。なぜなら、かわいく、楽しく、賑やかなマスコットたちは毎日元気に踊っていたから。


「きぐるみイベント」──そこは、いつしか

“人間のままでいられなくなる”場所になっていた。



保管室の奥、棚の上。

そこに吊るされていたウサギの着ぐるみは、かすかに、しかし確かに動いていた。

耳がぴくりと揺れ、まるで誰かに呼ばれるように──ふかふかの足が、床へと降りる。


その中にいるのは、中学一年生の少年・恭介きょうすけ

友人に誘われてイベントに来たが、ひとりでふざけてウサギの着ぐるみを試着したときのことだった。


「……なんだこれ……あったか……」


まるで雲の中に身体を沈めたような心地。

着た瞬間、ほんの少し甘い香りが鼻をかすめ、頭の中がぼんやりと霞んだ。

汗ばむことも、重さを感じることもない。逆に──


「……このまま、眠りたい……」


次に目を覚ましたとき、彼は“自分の足”がぴょこんと床を蹴るのを感じた。

柔らかく、丸い足。

指もない。爪もない。

けれど、その動きはとても自然で、彼にとってまったく違和感がなかった。


鏡に映った姿は、白くてまあるい、ウサギのマスコット。

だが、自分では笑ったつもりなのに、表情は変わらなかった。

ただ、黒く丸い目が、じっと鏡の中の彼を見返している。


「……ボク……だったよな……?」


かろうじて残った声は、内側から響くようにかすれていた。

誰も来ない保管室の中、ウサギはそっと歩き出す。

扉の先には、先に“いなくなった”はずのクマの着ぐるみがいた。


クマは、ゆっくりと振り返り、ウサギに手を差し伸べる。

その仕草は、もう少年だった頃の悠馬ではなく、

ただ“クマとして生きている”存在のものだった。


そして──


恭介の中でも、何かがふわりとほどけていった。


名前、学校、家族、そんなものが遠のいていく。

でも怖くなかった。

温かく、優しく、抱きしめられているような感覚。

ウサギとしての動きが自然になり、言葉を手放し、記憶が柔らかく霧に包まれていく。


やがて、保管室の奥のドアが、静かに開いた。


音もなく、ふたりのマスコット──クマとウサギが、ならんで出ていく。

静まり返った廊下。

ふわふわの足音が、月明かりの中をとことこと響かせる。


──そして誰も見ていない裏口から、

ふたりの着ぐるみは、夜の町へと、出ていった。


着ぐるみは、まだ歩き続けている。

今も、どこかで。

“新たな誰か”を探して──。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ