アリス
昔の短編です。
良ければ読んでみてください。
「うわあ、降ってきたぁ!」
「どうすんだよ、傘ねえよ!」
突然の夕立に、有沙と拓は叫びながら走り出した。雨は酷くなる一方で、二人の制服は瞬く間に濡れていった。
「おい、あそこで休むぞ!」
先を走る拓が雨宿り出来そうな建物、骨董屋を指差す。
そこには『シルバー』という看板が立ててあった。
「うん!」
有沙が雨音に負けないよう叫び返し、二人は屋根のある店の入口前まで逃げ込んだ。
「あの天気予報士、絶対許さねえ……」
しかし、すでに二人は十分濡れており、すぐ目の前では未だ土砂降りの夕立が続いている。誰が見てもしばらくは降りそうだった。
拓の言葉に苦笑しながら、有沙は店の方が気になっている様子。
『シルバー』は地方都市にしては大きめの店舗で、洒落た雰囲気を出していた。
「へえ、こんな店があったんだね」
通学路なのに気付かなかったと有沙は呟いて、店の外に向けられたショーケースを見やる。
「……なにこれ」
「ん?」
そこには高校生の常識を覆すほどの0が並んでいた。椅子や棚、小物では懐中時計などが飾られている。
「高え! そして絶対に俺ん家の椅子より座り心地が悪そうだ!」
「……拓、貧乏臭い」
有沙の一言で、拓は目を泳がせた。
「あー、ほら、機能性? 重視なんだよ」
高校生らしく、少しだけ弄った髪。背が低い代わりと言わんばかりに顔つきは大人っぽい。
言動は子供じみているが、肝心な時は頼りになる……というのが、有沙の拓に対する評価だった。
高校では別のクラスになったが幼馴染で家も近いため、二人はよく一緒に帰る。
そわそわする拓を有沙はしばらく眺めていたが、
「ふああ」
と、あくびが漏れた。
「……眠いのか?」
「うん、最近ね」
拓は心配そうに有沙を見ると、頭の後ろへ手をやった。
「どうかした?」
「……中に入ろう」
「え! お金ないよ!」
「見るだけだ」
「でも、迷惑じゃ……」
「ここに立ってても迷惑は同じだろ」
出来るだけ制服の水気を切ってから、鈴の音と一緒に拓が『シルバー』へと入っていった。慌てて有沙も続く。
「……これじゃあ風邪をひきそうだ」
「え、何?」
拓の優しさが有沙には聞こえなかったらしい。
「わあ」
有沙が声を漏らしたのも無理はないだろう。店内は外から見るよりも広く、よく手入れが行き届いていた。机のような大型のものと、アクセサリに近い小物は別の場所に分けて展示しているようだ。見た限りでは西洋のものばかりを取り扱っている。そういう専門店なのかもしれない。他に客はおらず、男性店員が一人で退屈そうにカウンターの前に座っていた。
へえ、と呟くと、拓は一人で店内を物色し始めた。少しだけ居心地悪そうにしてから有沙も拓とは逆方向へ歩き始める。
有沙が向かったのは小物売場の方だった。全てガラス張りのケースに入っているのだが、そのどれもが入口前に展示されていた物より高かった。
やがて有沙は時計の展示場所へと差し掛かり――
「ウソォ!」
――店内に響き渡る大声を上げた。
すぐさま拓が駆け寄ってくる。見れば、店員が不審そうな目を向けていた。
「ど、どうした有沙。流石に迷惑だろ」
「あ、ごめん……でも、これ見てよ!」
有沙は一つの腕時計を指し示した。
「これ、私が最近なくした腕時計……」
「確かに見覚えがあるけど、似た物じゃないのか?」
「ううん、絶対に私のだよ。だって、私が生まれた頃にオーダーメイドしたらしいから」
銀一色の腕時計には装飾が施されており、小さくAと刻まれていた。
「……なるほど。落としたか忘れた時に誰かが拾って、ここに売ったんだろうな」
「酷い。大切な物なのに」
「まあ、見つかったんだから買い戻せばいいだけだろ」
「それは……確かに」
有沙と拓は値札を見た。
「「う」」
思わず声が出る。
その腕時計は、小物売場で一番の高値が付いていたのだ。
「すみません、ちょっと訊きたいんですが……」
そう切り出し、有沙は店員に事情を説明した。
「あー、あの腕時計か。数日前にウチで買い取ったらしいなぁ。なんでも、ここ数年で人気が急上昇した職人のオーダーメイドらしくて話題になってたよ」
有沙が目に見えて肩を落とした。あの時計には確かに自分の名前を意味するAが書いてあるのだから、落ち込むのも無理はない。
「悪いけど、盗品だからって返すわけにはいかないんだ……ごめんよ」
有沙の様子を見て、店員は申し訳なさそうに言った。
「あ、あの! じゃあ、売りに来た人って分かりますか?」
「有沙、そこまで」
「両親の、プレゼントだから」
囁く声に、拓が開いた口を閉じる。
「うーん。俺はただのバイトだし、あの腕時計を買い取った時はいなかったから何とも……」
店員が申し訳なさそうな顔を浮かべ、有沙も仕方ないと項垂れた。
「あ、買取の書類を見れば――うん、売却者の下の名前は『アリス』とあるな」
「……『アリス』」
「これ以上は言えないけど……店長なら」
「その、店長さんを呼んでもらってもいいですか?」
「それが……今日はいないんだよね。明日で良ければ話は通しておくけど」
お願いします、と有沙が頭を下げ――拓もそれに倣った。
雨が止んだことを確認してから、有沙と拓は『シルバー』を出た。すっかり暗くなった道を進んでいくが、有沙の足取りは重かった。
「『アリス』だなんて、まるで私の名前を知ってるみたい」
有沙と『アリス』。無関係だとは考えにくい。
「そうだな。身近な人物が盗んだ可能性も考えた方がいいかも知れない」
「……うん」
有沙は考えたくないと言うように頷いた。
「いつ頃に腕時計をなくしたんだ?」
「一週間も経ってない。いつも身に着けていたんだけど……朝、家を出る前に着けようとしたらなかったの」
なるほど、と拓が頷く。売られた時期と矛盾していないことを確かめているのだろう。
しばらくの間、拓はそのまま考え込んでいたが、やがて口を開く。
「でも、どうして犯人探しなんて真似をするんだ? 探し出しても、腕時計が戻ってくるわけじゃないだろ」
「どうしてって、気になるじゃない」
有沙は少しむっとした声で言う。
「ま、そうだけど。らしくないなって」
確かに、普段の有沙はそこまで深入りをするような性格ではない。むしろ少し距離を取って我慢をするような娘だった。
「実は……私の両親、今は仲が良くないの。毎日のように喧嘩してる」
その通りだと思ったのか――有沙は観念したように告げた。
拓が息を呑む。それは、拓にすら打ち明けたことがない事実だった。
「お前、大丈夫なのか?」
すぐに拓は心配そうに有沙を見ながら訊ねる。
隠されていたことを怒るより先に、拓が自分の身を案じてくれた。有沙の心臓が一際高く脈打つ。
有沙はその問いに答えず、
「だから、両親から貰った腕時計は大切なんだって思えたの……落とした癖にね」
無理矢理に笑みを作ってみせた。
「まったく、そういう大事なことは言っておけよ」
拓は憮然とした調子で言って、空気が緩む。
「ごめんごめ……ふああ」
気が抜けたのか、有沙が謝りながらあくびをした。
次の日。
学校帰りに有沙と拓が『シルバー』を訪ねると、昨日と同じように客の姿はなかった。ただし、カウンターに座っているのは随分と高齢のおじいちゃんに変わっていた。彼が店長なのだ。白髪と白髭をたくわえ、優しそうに微笑んでいる。しかし、有沙と拓が近付いていくと不思議そうに首を傾げた。
「あの、店長さんですよね?」
「はあ」
「……昨日の店員さんからお話は聞いてますか?」
「はあ」
店長の老人は曖昧な返事を繰り返す。が、どうやら事情は伝わっているらしいと判断して、有沙は切り出した。
「で、あの腕時計を売りに来たのは、どんな人でしたか?」
「わたくしには……何が何やらさっぱり分からないのですが……」
有沙と拓は顔を見合わせた。
「それは、どういう?」
「……売りに来たのは、あなたでしたよ。お嬢さん」
老人は有沙を見ながら、そう言った。
「――え」
一瞬の間。しかし有沙はすぐに気を取り直して、
「私は昨日、初めてここに来たんですよ?」
「いえ、確かにあなたです。わたくしはそこまで呆けてはいませんよ?」
「一体、どういう」
有沙が困惑の声を上げる。有沙は嘘を吐いていないが、目の前の老人が嘘を吐いているようにも見えなかったのだ。
「まさか」
拓の呟きに、有沙が顔を向ける。
「わっ」
途端に、拓が有沙の両肩を掴んだ。
「な、何? どうしたの拓」
「有沙。最近、記憶が飛んだりしていないか?」
「? どうして? そんなことはないけど……ああ、居眠りは多いかな」
拓が切羽詰まったような表情を浮かべる。有沙は小さく首を傾げた。
「……昨日の、夜九時は?」
「う、うん。ちょうど居眠りをしていたけど……」
拓の顔が真っ青になった。
「昨日の夜九時に……俺はお前と電話で話したぞ?」
「ちょっと拓、言ってる意味が分からないよ――え?」
拓が自分の携帯電話の通話履歴を有沙に見せる。そこには確かに昨日の夜九時に有沙と通話した記録があった。それも、有沙側から掛けている。
「両親のことで悩んでるって、両親が別れるなら腕時計もなくなった方が良いかも知れないって、腕時計だけが残ったら嫌だって、言った記憶はあるか?」
有沙が力なく首を横に振る。拓は有沙の肩を握る手により力を込めた。
「有沙、落ち着いて聞いて欲しい。昨日の夜、俺は確かに電話でお前の声と話した。違和感はあったけど……お前の声だった」
有沙がもう一度首を横に振る。
だとしたら、と拓は続けた。
「専門的なことは分からないが、お前はおそらく二重人格かそれに近いものだ」
有沙は首を横に振り続ける。
「腕時計を売ったのは、お前自身なんだ」
「そんな……そんな」
有沙が力なく俯いた――良い頃合いだろう。
「有沙、大丈夫か。すぐに病院へ」
私は顔を上げて、拓に微笑みかける。
拓は安堵の表情を浮かべ――
「大丈夫よ。ふふ、あははっ」
――凍りついた。私が有沙ではないと気付いたのだろう。
「やっぱり……お前は昨日の」
「ええ。直接会って話すのは初めてね。どうぞよろしく拓。『アリス』よ」
そう言って、表に出た私は右手を差し出した。
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