桃太郎/ZERO --鬼退治前日秘譚--
むかしむかし、あるところに桃太郎という名の若者がいた。
「おじいさん、おばあさん、僕は鬼退治に行きます」
「何を言い出すんだい? 桃太郎や」
おばあさんはとても驚いて桃太郎を引き留めようとする。
「鬼はね、それはもうとてもとても恐ろしいのよ。鬼に殺されて食われちまうよ」
「でもおばあさん、鬼を退治しないとみんなが困るばかりじゃないですか」
「それはそうだけど……」
「おじいさんもおばあさんも、いつ鬼がやってくるかと、夜も安心して眠れない日を過ごしているし」
桃太郎は真剣におばあさんを説得する。
「年々、鬼の被害は増えるばかり。僕はおじいさんとおばあさんが日々を平穏に暮らせるようにしたい。そのためには誰かが鬼を退治しないとならないんです」
「ちょっと、おじいさんも桃太郎に言ってください。鬼退治は簡単な事じゃないんですよ。鬼に殺されちまいますよ」
言われておじいさんは桃太郎の顔をじっと見る。桃太郎は真剣な顔でおじいさんの目を見返す。二人はしばらくじっと見つめ会い、やがておじいさんは深く頷く。
「桃太郎……、いつのまにか、一人前の男の顔をするようになったんじゃなあ……」
「ちょっと、おじいさん?」
「ばあさんや、桃太郎はもう幼子では無い。もう立派な一人前の若人だ。一人の漢の決心を止められはせんよ。わしら年寄りは桃太郎の無事を祈って送り出してやろう」
おじいさんの言葉に桃太郎は深々と頭を下げてこう応えた。
「けっしておじいさんとおばあさんを悲しませるようなことはいたしません」
「うむ、だが命あっての物種じゃぞ桃太郎。危なくなったらすぐに逃げるんじゃ。そして桃太郎の帰ってくるこの家は、ワシがしっかりと守っているでな」
おばあさんも仕方無いと桃太郎の鬼退治を認めることに。
「無茶をしてはダメですよ桃太郎。鬼は本当に恐ろしいのだから」
「分かっています。それではおじいさん、おばあさん、行って来ます」
こうしておじいさんとおばあさんの許しを得た桃太郎は、意気揚々と鬼退治へと向かう。
「先ずは鬼の生態を詳しく調べ直すとしよう」
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◇鬼
鬼(おに、英語: Oni)は日本の妖怪。民話や郷土信仰に登場する。
大型の鬼は体長280cmにもなる。
最大体重は約780kg。
一般に密に生えた毛皮と短い尾、太くて短い四肢と大きな体を持つ。
視覚や聴覚は特に優れてはいないが、嗅覚は発達しており。すぐれたイヌの7倍もの嗅覚を持つ。
頭部は大型だが、眼や耳は小型で耳介は丸みを帯びる。
顎が発達しており、犬歯は長い。
イヌ科やネコ科の動物がかかとを地につけず、つま先立ちで歩く『趾行』を行うのに対し、ヒトと同じようにかかとを地につけて歩く『蹠行』動物である。そのため後肢のみによる二足直立は比較的得意。
巨体でありながら運動能力は高く、走る速さは100メートル約6秒台。木登りも得意であり、海や川を泳いで渡ることもある。
指趾は5本、それぞれに長く湾曲した出し入れできない鉤爪がある。この爪は物を引き裂いたり掘り起こすのに適していおり、木登りや穴掘りに優れた形状をしている。
2023年の鬼による人身被害は、全国で197件。被害者数は218名、うち死亡者は6名。年々被害は増加傾向にある。
被害は東北地方に集中し、岩手県と秋田県の被害が多い。
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桃太郎は鬼について詳しく調べ、道具を揃え準備を整え、いざ鬼退治と山へと向かう。
だが、その桃太郎の進む前には目を疑う光景があった。
「なッ? なんだこれはッ!?」
そこには十数人の人が並び、色とりどりの垂れ幕を手に一斉に声を上げていた。
「鬼を殺すなー!」
「鬼の命は大事じゃ無いのかー!」
「鬼の住む自然を守れー!」
「鬼を殺すなんて残酷だー!」
「鬼にだって人権はあるんだー!」
「鬼を駆除しろって言う残虐な議員を先に駆除しろー!」
「鬼の命を守れー!」
「自然を守れー!」
「人の勝手で鬼を殺すなー!」
プラカードを掲げシュプレヒコールを上げる人達を前に、桃太郎は混乱する。
「いったい何を言っているんだ? この人達は? まさか、鬼の被害のことを知らないのか?」
これでは鬼退治ができない。桃太郎は事態を把握するために街へと向かう。
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秋田県庁舎、その最上階。
「なにが自然保護だ、ふざけおって……」
秋田県を治める県の長、越 光は厳めしい顔で窓の外を見下ろし、苦々しく呟く。
2023年には秋田県における鬼の被害は70名にも登り、鬼対策は急務。しかし鬼の保護を訴える人たちのクレームにより県庁の業務は停滞していた。
県長の執務室、革張りのソファに浅く腰掛けた桃太郎は県長、越 光の背中に声をかける。
「自然保護団体、ですか? 彼らはいったい何を考えているんですか?」
「自然保護というのは建前だ。奴らの目的は別にある」
県長、越 光はゆっくりと振り向き言葉を続ける。
「鬼の駆除に抗議の声を上げるのはほとんどが他県の者だ。秋田県の実情も知らずに好き勝手に言ってくれる」
「なぜ、わざわざ他県からクレームを?」
「実行しているのは踊らされている者だ。金で雇われた闇バイトのクレーマーだ」
「金が目的ですか? そんな、県民に被害が出ているというのに」
「秋田県の何が羨ましいのか分からんが、金も労力も使ってご苦労なことだ。だが大量のクレームの対処に県政が進まない。悔しいが効果的な手ではある」
「いったい首謀者は誰なんですか?」
「目星はついている。こちらでも調査は進めてきた」
県長、越 光は歩を進め桃太郎の正面、テーブルを挟んだソファにどっかと座る。
「だが、県際条約に阻まれ捜査は進まず、手をこまねいているうちに外交官特権を盾に他県に逃げられた」
「なんて卑劣な……」
「鬼の被害は増える一方、秋田県に猶予は無い。私は県を治める長として、県民の命と平穏を守る為には、もはや手段は選ばん」
越 光はスーツの懐に手を入れると、1枚のカードをテーブルの上に置く。
「桃太郎君。コレを手にすれば、後戻りはできん。それでもやるというのか?」
桃太郎はテーブルの上のカードをチラリと見ると、落ち着いた様子で言葉を紡ぐ。
「……何処の誰とも知れぬ僕を引き取って育ててくれたのが、おじいさんとおばあさんです。僕を受け入れ暖かく育んでくれたのが、秋田の心優しき人たちです。僕は少しでも、この秋田に恩返しがしたい。そのためなら、」
桃太郎はためらい無くテーブルの上のカードを手に取る。決意と共に。
「なんでもするつもりです。例え、悪鬼羅刹と呼ばれることになろうとも」
「……秋田の地にこのような若者が育っていたとは、」
県長、越 光は目頭を抑える。
「ならば私も覚悟を決めよう。すべての責任は私が取る。血の十字架は私が背負おう。桃太郎君、存分にやりたまえ」
「はい、すべてこの桃太郎にお任せ下さい」
桃太郎は立ち上がり一礼して県長の執務室を出ていく。誰もいない県庁の廊下で立ち止まると、手にするカードに目を落とす。
「……鬼退治を円滑に進める、その為には、」
桃太郎が手にするのは県長の発行した殺人許可証。秋田県政が密かに闇に発行した殺しのライセンス。
桃太郎はその殺人許可証を懐へとしまい、前を向き力強く静かに歩き出す。
「先ずは人退治、からか」
こうして秋田県で唯一の殺人許可証を持つ男、桃太郎の、
マーダーライセンス・モモの秋田県を守る戦いは、ここから始まった。