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二百五十九話 れおなにおまかせ on the sea

「娘さんよ。俺っちがなんだって?」


 私の投げかけに関心を示した蛉斬れいざん

 相手の話を聞いてしまうという時点で、ここに来たばかりの彼とは、在り方が大きく変質しているのを私は見逃さない。


「まず、拠点から離れたこんなところまで海賊を追いかけて来て、行き当たりばったりで翔霏しょうひと楽しくド付き合うまでして。蛉斬さんはずいぶんと楽しいでしょうけど、船を漕がされている人たちはどうでしょうか。そろそろ不安や疑心が最高潮に達するほど、疲れが溜まっているんじゃないでしょうか」


 私たちが話しているここにも、隣接横づけされた蛉斬の船室からなにやら、叫びとも呻きとも取りにくい、低い声がたびたびこだまするのが聞こえる。

 人間、体力が尽きると心まで悪いものに支配されがちである。

 普通は櫂で漕ぐ船がこれほどの沖合に来ることはないので、それだけでも漕ぎ手の精神をより苛む効果があるだろう。

 苦い顔をしながらも、蛉斬は真摯な声で答えた。


「仕事が終わった帰りは波と風に乗って巡幸する! 漕いでる連中はゆっくり休ませる段取りになってるんだ! 今までよく頑張ってくれたからな!」


 あえて大声を出したのは、船底にいる東海の漕ぎ手たちにちゃんと聞こえるようにだろう。

 こういうところは立派なリーダーで、彼の下で働く人はきっと幸せだろうなと素直に思える。

 蛉斬の人的魅力がもしもなかったら、罪人を奴隷のようにこき使って船を漕ぐという作戦も、ボイコットや反乱に遭って破綻していたかもしれないね。

 この方向で彼を挫けさせることができないと悟った私は、速やかに攻め方を変える。

 わざとしらばっくれるように、よそよそしく。

 あさっての方向を見ながら、私はこう言った。


「でも蛉斬さん、早く帰らないとご家族が……」

「なに!? 俺っちの家族が、どうかしたって言うのか!?」


 はい、目に見える動揺いただきましたー。

 食い気味に続きを聞きたがる彼に、私はあえてゆっくりしゃべる。


「あくまで又聞きですけど、相浜そうひんの街に呼ぼうとしている蛉斬さんのお母さんと、たくさんの妹さんたち。彼女たちがそろった段階で、家に火を点けたり、攫って人質にしようとしている人たちがいるって……」

「な、なんだって!? おふくろや妹たちを!?」


 驚く蛉斬と同じく、鶴灯くんも私の横で大口を開けて、疑問を口にした。


「そ、そんな話、街にいても、き、聞いたこと、ない」

「うん、私もさ、鶴灯くんは蛉斬さんを慕ってるから、あんまりひどい話を耳に入れたら可哀想かなと思って黙ってたんだけど」


 私の言葉の意味が分からない蜻蛉が、食って掛かりそうな勢いで詰め寄る。

 

「どういうことだ! いったいどこのだれが、俺っちの家族を狙ってるって言うんだ! そんなこと、姜兄ぃだって一言も……!!」

「おい、大声で麗央那を脅すな」


 割って入ってくれた翔霏の肩にそっと手を置き、大丈夫だよ、と意思表示して私は続ける。


「姜さんが言っていなかったのは、その情報をあなたに届けたくなかったからです。街や陸地で心配事が起きてしまうと、家族想いの蛉斬さんなら一度、海から引き揚げて家族の安否を確認したり、家の守りを完璧に固め直すでしょうから」

「当たり前だ! 親のことを想わない息子がどこにいる! もしそれが本当なら仕事なんざ二の次だからな!!」


 彼のこういうところは、本当にわかりやすい。

 だからこそ、たちの悪い人につけ込まれるんだよね。

 いや、つけ込むのは私なんだけれど。


「姜さんはあえて、街での不穏な情報を教えなかったんです。あなたがいないと作戦を完遂できないですから。姜さんは羽をもがれた鳥になってしまうのを恐れたんです」


 私が淡々と説明することに、蛉斬は唇を震わせる。

 けれどぶんぶんと首を大きく振って、私の言葉を否定した。

 そんなことは嘘だと、自分に言い聞かせるようだった。


「有り得ねえ! あの姜兄ぃが俺に、そんな……! 俺が蛇に噛まれたときも、寝ずに様子を見に来てくれた姜兄ぃが……!!」


 けれど私の脳に巣食う悪魔は、ここで言葉を止めるなと囁き続けるのだ。

 蛉斬の希望を根こそぎ摘み取るための邪言を、私は更に畳み掛ける。


「蛉斬さんが蛇に噛まれて寝込んだとき、姜さんはこんなことを言ったんじゃないですか? 『無事に治りそうで、ホンマによかったわぁ。僕、遠くから一人で南部に来てもうたからね、れいちゃんだけが心の支えなんや。こんな物騒な仕事、早う終わらせてご家族とゆっくりできるように段取りするでな。今だけ辛いやろけど、僕と一緒に頑張ってくれへんか』って感じのことを、ね」


 姜さんの口調、私はネタで何度もマネして仲間たちに披露しているので、結構な仕上がりだと自負している。


「な、なんでお前が、そのときのことまで知ってるんだ……? あ、あの夜は他に誰もいなかったはずだ……!」


 はい、大当たり確変入りました!

 いやもうこれはね、姜さんのことばっかり考えている私なら、想定の範囲内なんですよ。

 彼が、そのシチューションでどういう言葉を相手に与えるかくらい、ある程度は予想できないと姜さんマニアを名乗れませんので。

 流れるように繰り出される私の口上。

 驚いているのはシャチ姐も同じで、不安と怪訝さを隠さない顔でこっちを見ている。

 私はそれに自信たっぷりな表情で頷きを一つだけ返した。

 そう、シャチ姐も気付いている通り。

 私が今、蛉斬に言っていることは、すべてデタラメの作りものなのだ!

 彼の家族が街で襲われるなんて噂も知らない!

 彼と姜さんの間でどんなやりとりが交わされたのかも、私は一つたりとてわからない!

 けれど、まったく無明不可知の世界からでも、私は私にだけ都合の良すぎる「仮初めの真実」を、無理矢理手繰り寄せてやる!

 今、私が吐いた、呪いの言葉。


「あなたの家族は襲われる。姜さんはそれを知ってて隠している。あなたを海の仕事に縛り付けたいから。いちいち陸に戻って欲しくないから」


 その内容が真実だろうと嘘八百だろうと、どうだっていい!

 蛉斬というたった一人の大男が、私の妄言を「真実」と思い込んでくれればいいのだからね!!

 なんなら、東海の人たちに家族を殺された蛉斬は、ますます怒り狂って海賊退治に熱を入れるだろうということを「姜さんも想定している」と告げてやろうか。

 いや、そこまでは言い過ぎだな。

 私が演技過剰になることで、蛉斬が却って冷静になってしまうかもしれない。

 あまり余計なことは言い足さないでおこう。

 不安げに話を聞いていた蛉斬の部下たちが、口々にまとまらない話を出す。


「た、確かに海賊討伐を良く思っていない外国の連中が、真っ先に狙うなら蛉斬さまのご家族だ」

除葛じょかつ軍師は、南部に家族を連れて来てねえからな。そうか、荒事をやりたいだけやるためには、家族は邪魔だったんだ……」

「じゃ、じゃあよ、お、俺たちの女房やガキだって、狙われるかもしれねえじゃねえか!」

「東海のやつら、締め付けがきつくなったのに我慢できなくて、ひと暴れ起こすつもりかもしれねえな……」


 どよどよ、ざわざわ、と恐怖や不安は渦になり、船上の誰をも飲み込む。

 一度、蔓延してしまった悪い空気を払拭するというのはとても難しい。

 本来なら明るく力強く「そんなことはねえ!」と叫ばなければならない蛉斬が、自分の中の懊悩と折り合いを付けられないでいるのだから。

 くぐった修羅場の数では人語に落ちないシャチ姐が、空気を読んで助け船を出してくれた。


「麗さん。アナタもワタシと同じように、蛉斬将軍が仁義の好漢であると感じたからこそ、不幸に見舞われて欲しくないと思い、この話をあえて教えたのでありますね」


 打ち合わせもしてないライブ感バリバリの流れなのに、グッジョブすぎる。

 いやあ、味方でよかったわぁ、としみじみ。


「そうです。姜さんが苦楽を共にした仲間、同じ戦場を駆けた将兵であっても、必要とあらば使い捨てる人だということを、私は痛いくらいに知っています。私の恩人である司午家しごけの若旦那も、姜さんの作戦であわや、命を落とすところでしたから……」


 しみじみと、嘘泣きを交えつつ漏らした私の吐露に、蛉斬が思い当たることのある顔を見せた。


戌族じゅつぞくが、後宮を襲ったというやつか。そうか、地獄吹雪の伝説が始まったのはあの戦で、お前たちは関係者だったんだな……」


 覇聖鳳はせおによる朱蜂宮しゅほうきゅう襲撃事件は、南部住人の彼らにもしっかり伝わっているらしい。

 ま、どれだけ尾ひれがついたものか知らないけれどね。

 お葬式のように元気をなくした蛉斬の部下の中から一人、悲痛な声を上げるものが現れる。


「た、大将! 一度戻ろうぜ? 俺たちは長く海で戦い過ぎた! こいつらが悪い海賊じゃねえなら、今は見逃してもいいんじゃねえか!?」

「そうだそうだ! 俺も、おっかあに会いてえよ……」

「帰ろう、南の川に! 俺たちみんな、あの白髪の軍師に怪しい術をかけられてたんだ! どうしてこんなに擦り切れるまで、慣れない海の上で戦わなきゃならねえんだ……!!」


 帰ろうコールはいつの間にか大合唱の様相を呈した。

 一度切れた緊張の糸は、そう簡単に張り直せない。

 彼らを叱責して、さらに戦いの任務を強いることは、蛉斬だけでなくどんな優秀な将帥でも不可能だろう。


「お、お袋……」


 すっかり自信を失ってしまった蛉斬は、翔霏に壊された槍をゆっくりとした動作で拾い上げ。


「ふんっ!」


 海の上へ、力いっぱい投げ、放り捨て、叫んだ。


「帰投だ! この海域に狼藉を働く海賊はいなかった! 相浜の港へ戻るぞ!! 漕ぎ手にもたっぷりメシと酒をくれてやれ!」

「おおおおおーーーう!」

「帰れる! 家に帰れるんだ! ガキの顔が見れるんだ!!」


 大将の号令に、部下たちの野太いが返った。

 姜さんと言う魔人が彼らにかけていた魔法が、私という小さな妖怪に解かされた瞬間である。

 撤退すると決めた彼らの行動は、まさに風のように素早く。


「地獄吹雪! 今日はこの辺で勘弁しといてやる! また会うこともあるだろうが、なまって俺を落胆させるなよ!」


 勝手な捨て台詞を吐いて、南の方向へと八席並んで去って行った。

 それを見送り、切ない顔を浮かべる鶴灯くん。


「そ、そうか。麗の、言ってた、ことは、あ、あてずっぽう、だったんだな」


 仕掛けたネタを理解してくれたようで、複雑な声色で私に確認した。


「そういうこと。いきなりおかしなこと言い出してびっくりしちゃったでしょ。ごめんね、混乱させて」

「いや、そ、それは、いいんだ。でも」


 深くものを想う顔を浮かべ、鶴灯くんは問う。


「こ、こんな、やり方で、よかった、のか」


 彼の言葉に、私を責める雰囲気や感情は見受けられなかったけれど。


「いいわけ、ないじゃん……」


 泣きたい気持ちで、私はそう答えるしかなかった。

 さい蛉斬は、本当に誰がどう見ても、好ましく「善い」人だった。

 そんな彼を、クソみたいなデマカセで騙し、不安にさせて傷付けた。

 信念を曲げてまで、蛉斬は仕事を途中で放棄して、私の口車に乗ってしまったのだ。

 私が、善良な彼を、悪意の口車に乗せてしまったのだ。

 雪の止んだ空、わずかに覗く雲間の月光を睨み、ひとりごつ。


「クッソ、私がこんなこと言わなきゃならないのも、全部が全部姜さんのせいだ。何百倍にして返してやっからな」


 小さな女は、小さな虚勢を張るしかできなかった。

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