ハルさんとシッシーと夕焼け空
家紋武範様の「夕焼け企画」に参加させていただきました。
ハルさんとシッシーと夕焼け空
お日様がだんだんと山の端に近づいてきました。
ゴーンゴーンとなるお寺の鐘の音。
カアーカアーと鳴きながら、ねぐらにもどるカラスたち。秋の夕暮れはせっかちです。早くしないと暗くなるぞと言わんばかりに、空の色も刻々と変わってきます。
夕食に使うレモンをとりに庭に出たハルさんでしたが、
ふと、何かを思い出したように、茜色に染まった西の空を見つめました。
「どうした、どうしたい? ハルさん」
じっと立ちすくむハルさんを、シッシーが不思議そうに見上げています。
ひとり暮らしのハルさんをいつも訪ねて来てくれる、イノシシの友だち、シッシーです。
「ちょっと、思い出したことがあってね。あたしがまだ、うんとちっちゃいときだったかなあ。ちょうどこんなきれいな夕焼けのときでね……」
ハルさんは、ぽつりぽつりと話し始めました。
それは、まだハルさんが三つの頃のお話です。
ハルさんのお母さんはお勤めをしていて、そのころまだ元気だったおばあちゃんが、ハルさんのお世話をしてくれていました。いつもは早く帰ってくれるお母さんが、なぜかその日はなかなか帰って来てくれません。待ちくたびれたハルさんは、おばあちゃんが止めるのも聞かずに、外でずっとまだかまだかとお母さんの帰りを待っていました。
西の空がオレンジ色に染まって来ました。風もだんだん冷たくなってきます。
「おかあちゃん……」
ハルさんが思わずそうつぶやいたとき。
「だいじょうぶよ。ハルちゃん」
いったい、いつ、どこからやって来たのでしょう。
ハルさんの横には、オレンジ色の着物をきた女の子が立っていました。ハルさんより少し年上でしょうか。長い髪を三つ編みにして、切りそろえた前髪と大きな瞳。このへんでは見かけたことのない女の子でした。
「おかあちゃんが帰ってくるまで、いっしょにお歌を歌おうか」
びっくりしているハルさんに、女の子はにっこり笑いかけると、ハルさんの小さな手をぎゅっと握りました。
♪ゆうやけこやけの 赤とんぼ 負われて見たのは いつの日か♪
女の子の声は澄みきってとてもきれいでした。
つないだ手はほっこりと温かく、ハルさんも安心して、大きな声で歌うことができました。
♪からす なぜなくの からすはやまに♪
女の子は次々にいろんな歌をうたってくれました。知っている歌は、ハルさんもいっしょに元気よく歌いました。ひとしきり歌ったあとで、
「ハルちゃんは、お歌が上手ねえ」
女の子はハルさんをほめてくれました。
くすぐったい気持ちでハルさんが上を向くと、空はオレンジ色から、すみれ色へと変わろうとしています。一羽のカラスが、女の子のそばに舞い降りてきたのと、ハルさんのお母さんの姿がみえてきたのは、ほぼ同時でした。
「おかあちゃん!」
ハルさんはいちもくさんにお母さんのところに走っていきました。そしてふりかえったとき、そこにはもう女の子の姿はなかったのです。
「夕焼けをみるたび、あの女の子のことが思い出されてね」
六十年以上もたっても、ハルさんには、あの時の女の子のきれいな歌声と手のぬくもりが忘れられないでいるのでした。
「そりゃ、人間じゃねえな」
ハルさんの長い思い出話に、じっと耳をかたむけていたシッシーが、ぼそりとつぶやきました。
「たしかに。その方は夕焼け姫だよ」
「まあ、天狗さま!」
おごそかな声に、ハルさんとシッシーがふりかえると、そこには天狗様が立っておられました。
「夕焼け姫は、ひとりぼっちの子どもに寄り添ってくれる優しい神様でな。声がきれいで歌が上手なのだよ。美しい夕焼けの間だけにしか姿をみせないのだけど、ついつい長くいすぎて、カラスたちが迎えにいかなきゃならなくなることもたびたびで。だけどそのお迎え役をカラスたちは喜んでいたのだよ」
「うへへ、そんな神様においら会ってみたいな」
天狗さまは静かに首を横に振りました。
「このごろでは、ほとんどお見かけしないな。ハルさんみたいにひとりぼっちで親を待つ子など、今はほとんどいないじゃろう?」
そういえば……ハルさんは思うのでした。
ハルさんの孫も、知り合いの孫も、幼いころは親が迎えに行くまで保育園に預けられ、小学生になってからは学童保育に通っています。みんないっしょにいるから、心細い気持ちを味わうことはないのかもしれません。
「いっしょに歌を歌ってくれる子どももいなくなってしまったし、何より夕焼けを見上げてくれる子どももいなくなってしまったと、寂しそうじゃった。時代が変われば、身を隠してしまう神様もおられるようじゃなあ……」
残念そうにため息をつく天狗様とハルさんの前に、とつぜんオレンジ色の獣が走り込んできました。
ハルさんのハンテンをかぶったシッシーです。
「夕焼けシシ、参上。おいらだってハルさんに寄り添ってるぜ」
「もうシッシーったらなにやってんの。まったく」
天狗様と顔を見合わせ笑いながら、ハルさんの耳には、茜色の空の向こうから、夕焼け姫のはしゃいだ笑い声が聞こえてきたような気がしたのでした。