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6.デザートはパンケーキ

 中央貴族のアルティは、祝勝会の翌日にはワディフェン邸を発った。

 彼は本当にトラプターのことが心配で来ただけで、本来は忙しい人間のようだった。

 

 トラプターは翌日は二日酔いで具合が悪そうだった。しかしそれも一日だけのことで、次の日は調子を取り戻したようだった。

 

「明日は領地の視察に行こうと思います。ご一緒しませんか?」

「はい、ご一緒させてください!」


 夕食の食事の席で誘われ、ルクシーヌはすぐ受けた。

 領地を把握することも辺境領主にとって重要なことだ。また、外縁領地に近い町は地形を把握しておくことも重要だった。魔物の軍勢は、外縁領地で止めるのが前提となる。だが、最悪の状況はいつだってありうるのだ。




「町の中を歩くので、できれば目立ちすぎない服装をご用意ください」


 そうトラプターにそう言われ、ルクシーヌは自分の部屋にこもり、明日着て行く服を考えていた。

 が、ルクシーヌはつい先日まで美しさを磨くことに傾倒していた貴族令嬢だ。まして縁談に臨むために用意した服は、どれも上質なものばかりだった。

 

 その中から、なるべく大人しめな服を選んだ。

 白のワンピース。近くで見れば作りのよさがわかるものだが、遠目にはそれほど目立つ格好ではない。更に、金髪を目立たなくするために白いつば広の帽子もかぶった。

 平民とまではいかなくても、商家の娘と言っても無理のない装いだった。

 

 翌日、そのワンピースと帽子を着た上でワディフェン邸の門で待つトラプターのもとに赴いた。


「ルクシーヌ嬢、お待ちしていました……おお!」

「どうされたのですか、トラプター様?」

「いえ、いつもの装いと違って、何と言いますか……素材の良さが出ていると言うか……」

「素材?」

「へ、変なことを言って申し訳ありません! とにかく、ルクシーヌ嬢は、今日も素敵です!」

「……ありがとうございます」


 トラプターの様子に少し不可解なものを感じたが、ルクシーヌはあまり気にしなかった。

 

 ワンピースに帽子と言うシンプルな服装だけに、彼女の可憐さはさらに際立っていた。

 帽子の陰から除く涼やかな金髪。吸い込まれそうに美しい金色の瞳。白いワンピースに包まれたほっそりとした身体のライン。涼やかな湖畔に咲く一輪の花ような姿だった。

 


 ルクシーヌは自分の美しさというものを、あまり自覚していなかった。

 社交界にデビューした時、華やかな王都の夜会では、自分の美しさなど大したことはないと思い知らされた。

 そして最初の婚約後、貴族の青年ノーマ・ルーディエットだけに、美しさを磨き上げた。ただ一人の男性にどうみられるかばかりを気にしていたせいで、周囲からどう見られるかと言うことに対して、関心が薄かった。

 

 そして、婚約解消になって、ルクシーヌは自分の美しさが意味を失ったと思ってしまった。

 

 ルクシーヌは実のところ、この王国全体でも上位に属するほどの美貌を持っている。しかしそのことを自覚しておらず、自分の容姿が周囲にどれほどの影響を与えるのか、いまいちわかっていなかった。




 馬車で小一時間ほど進むと、ワディフェン領で一番大きな町、デスクトに着いた。

 町は石畳で舗装され、人通りも多く、活気が感じられた。ルクシーヌはあまり町の暮らし向きに詳しくはない。辺境の町にしては栄えているという印象を持った。

 

 町の中をトラプターに連れられて歩く。


「トラプター様こんにちはー!」

「トラプター様! このあいだも魔物を追い返したって聞いたぜ! いつもありがとうな!」

「あらこんな別嬪さんを連れて! トラプター様、ついにご結婚なさるのかい!?」

「わあ、綺麗なおねーさんだー。こんにちはー!」


 行く先々で、町の人々から次々と声をかけられる。トラプターは随分と町の平民たちに親しまれているようだった。ルクシーヌの方にまで声がかけられた。彼女はこうしたことに慣れていなかったが、ぎこちなく応対した。

 そうやって歩いていくうちに、だんだんと、これがいつまで続くのかは気になった。

 

「トラプター様。私たちはどこに向かっているのでしょうか?」

「どこ……ですか? 特に目的地はありません。町を散策して、見て回るのが視察です」

「そうですか……視察のやり方も、領地によってずいぶん違いがあるのですね」


 少し考え込むルクシーヌの姿に、トラプターは足を止めて問いかけた。


「ルクシーヌ嬢のご実家、インファート家の領地ではどういった視察をしていたのでしょうか?」

「馬車で町の主要な道をめぐり、町長や地元の名士に挨拶をしておりました。このように町を歩く機会はありませんでした」


 ルクシーヌは子供の頃を思い出した。

 幼い時分から戦闘技術の研鑽に励んでいた彼女は、訓練以外で外出することは少なかった。だから、町へ視察に行くときはワクワクしたものだった。

 そんな気持ちはすっかり忘れていた。視察を義務と考えるようになったのは、いつからだっただろうか。

 

「ああ、そうだったのですか! それでは驚かれたでしょう。僕は子供のころから視察と言えばこのような感じで、他の領地でもそうだと思っていました。事前に説明しておくべきでした。ご不快に思われたのなら、申し訳ありません」

「いえ、不快なんてとんでもありません。こういうのもいいものですね。このまま、視察を続けたいと思います」

「は、はい!」


 こうして、町を巡り歩いた。

 ルクシーヌにとって新鮮な体験だった。彼女は辺境貴族の令嬢であり、その戦いの勝敗は領民の生活を左右する。その重みを忘れたことはない。

 しかし、彼女にとって領民とは、馬車の窓越し眺める、すこし距離のある存在だった。

 

 ここでは、声をかけ、手を触れられる距離にある。それが当たり前のこととして定着している。そのことが新鮮に感じられ、楽しくも思えた。

 戦闘時はともかく、普段はどこか頼りなさを感じれるトラプターだったが、領民たちからはむしろそういうところが好まれているようだった。

 そんな穏やかなやりとりを眺めるのは、悪くない気分だった。

 

 昼を過ぎたころ、食堂に入った。

 

「ここの店主は僕が視察に来ると、いつも貸し切りにしてくれるんです。僕もここの料理が気に入っていて、いつも寄っています」


 店主と店員がそろって壁を背に並んでいる。すこしも動こうとせず、とても緊張しているように見えた。

 「いつもはこんなに固くなっていないんですよ」と、トラプターがこっそり耳打ちしてくれた。やはり貴族令嬢がこういう店に来るのは珍しいのだろう。


 ルクシーヌにとって、こうしたところで食事を摂るのは初めての経験だった。物珍しくて、きょろきょろと店内を見回してしまう。

 簡素でつくりは荒いが、頑丈そうな木製のテーブル。古ぼけてくすんだ壁の漆喰。肉や油の匂いの中に、雑多な匂いが感じられる。普段は、様々な人たちが来ていることが感じらた。


 貴族が使い一流の料理店のような、洗練された高級さはない。綺麗とも言えない。しかし、人々の暮らす息吹がそこかしこに感じられる店内。慣れない場所なのに、なぜだか親しみを感じられた。午前中にずっと、町を歩いていたせいかもしれない。

 

 トラプターと席に着くと、すぐに料理が運ばれてきた。

 固そうなパンと、とにかく量の多い肉料理。木のボウルに入ったサラダ。シンプルで、量が多く、労働者が好みそうなメニューだった。

 肉の油と香辛料の匂いが強く匂ってきた。貴族が普段食べる洗練された香りとは全然違う、しかし、食欲をそそる匂いだった。

 

「ここまで来てこういうことを言うのもなんですが、お口に合わなかったら無理に召し上がらなくて大丈夫です。後で別な店にご案内します」

「いえ、トラプター様のお気に入りのお店。わたしもぜひご賞味させていただきます」


 普段から貴族向けの料理を食べているルクシーヌは、貴族令嬢にふさわしく洗練された味覚を持っている。

 だが、彼女はあくまで光属性・近接特化・撃滅型令嬢である。社交界に行っていた期間を除けば、鍛錬に励んでいる。食へのこだわりは、味よりも栄養。お腹が膨れてたんぱく質やカロリーを効率的に取ることを重視する。

 また、外縁領地の防衛は一週間にわたることもある。味気のない携行食にもそれなりに慣れていた。

 

 だからあまり抵抗は感じない。むしろ、平民向けの料理に対する興味が先に立った。

 

 そして、二人して食事を始めた。

 ルクシーヌは貴族の作法に則った、洗練された無駄のない動きで、大盛りの肉料理をどんどん食べていった。優雅ささえ感じられる所作で、あっという間に皿の料理が減っていくさまを、店主たちは半ば呆然と眺めていた。

 

 貴族の高級な料理と比べれば、肉の質は低く調理も上等ではない。でも肉のうまみを出すことだけは優れていて、食べ応えは十分すぎるほどだ。店主の丁寧な技が感じられた。

 

 トラプターもおいしそうにどんどん食べている。彼女ほど作法にこだわらず、しかし綺麗に残さず、なによりうまそうに食べていた。その様子を見て、トラプターは優れた肉体を持っているのだとルクシーヌは確信した。初めて会った時には体幹が優れていると気づいた。その後、罠魔法の設置のため、マメに外縁領地の見回りをしていると知った。

 

 ……ゆったりした服装で気づきにくいですけど、脱いだらいい身体をしているのでしょうね。

 

 ルクシーヌは貴族令嬢らしからぬ感想を抱いた。


 そうして二人して、あっという間に平らげてしまった。

 

「気に入っていただけたようでなによりです」

「ええ、なかなかの味でした。それに、何と言うか……楽しかったです」

「それはなによりです!」


 言葉にして初めて、ルクシーヌは楽しいと感じている自分を発見した。

 ルクシーヌにとって食事とは、歓談するか、純粋な栄養の補給だ。「おいしい」より「楽しい」という感想が来たのは初めてだった。これが平民の食事というものなのだろうか。


 あるいは、距離の問題かもしれない。貴族の食事は、長いテーブルで余裕のある距離で摂るものだ。この店では、トラプターとの距離が近い。だから彼の楽しむ感じが伝わってくるのかもしれないと、ルクシーヌは思った。

 

 そうしている感想を語り合ううちに、デザートが運ばれてきた。たっぷりのシロップがかけられた、大きなパンケーキだった。

 

「肉料理もいいですが、実はこのパンケーキを食べていただきたかったのです。これが絶品なんですよ!」


 トラプターの勧めに期待して、ルクシーヌはナイフで丁寧に切り分け、そのパンケーキを口にした。

 社交界で出てくる菓子のような、繊細で上品な甘みはない。材料は並の卵に並の小麦粉。味の深さもその質に相応のものだ。

 でも社交界の菓子にはない、とろけるような甘さと、まどむような暖かさがあった。


「ええ、これは……おいしいですね」


 口にすると、自然と顔がほころんだ。

 すると、トラプターは誇らしげに微笑んだ。

 その様がおかしくて、ルクシーヌはくすくすと口元をおさえて笑った。

 トラプターもその声につられたように、笑った。

 

 戦闘での相性の良さ。町での彼の姿。

 そのどれもが、ルクシーヌにとって好ましいものだった。

 

 それが、ルクシーヌの目指す「愛のない結婚」に対して、どのような意味を持つか。

 失恋の痛みから逃げ、恋愛について考えることをやめた彼女は、そのことについて、まだ真剣に考えてはいなかった。


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