5.初めての共闘
見回りから数日が過ぎた。
トラプターは領主としての仕事が溜まっていたらしく、その処理に忙しく追われているようだった。
その間、ルクシーヌは暇があれば戦闘訓練をしていた。
そんなある日、来客があった。
「よく来てくれたね、アルティ」
「ひさしぶりだな、トラプター」
にこやかにやり取りするトラプターをルクシーヌは眺めていた。
訪問してきたのは、ブロンドの髪。中央の都市で流行の洒落たスーツを見事に着こなした、スマートな美青年だった。
その青年の顔に、ルクシーヌは見覚えがあった。
「お前がすごい美人と縁談になったと聞いてやってきたんだ。さあ、紹介してくれよ」
「あ、あはは。彼女が僕の縁談相手、ルクシーヌ・インファート嬢だ」
紹介を促され、ルクシーヌは貴族の作法に則った優雅な礼をした。
「都市の夜会でお会いしたことがありましたわね。光属性・近接特化・撃滅型令嬢ルクシーヌ・インファートです。あらためて、よろしくお願いいたします」
「覚えていていただけとは光栄です。私はアルティ・エストラージ男爵。このトラプターの遠縁の親戚です。よろしくお願いします」
アルティ・エストラージもまた貴族の礼を返した。
彼は辺境貴族ではなく、中央貴族だった。そのため、ルクシーヌと違って属性や型名には言及しなかった。
挨拶を終え、三人は庭のテラスの席に着いた。
「さあトラプター、白状してもらうぞ。こんな美人をどうやって捕まえたんだ?」
「いやあ、それが何も特別なことをしていないんだよ。僕も不思議に思っていたくらいだよ」
「お前は罠の魔法を使うじゃないか。恋に役立つ魔法を使ったのか? 俺とお前の仲だろう? 隠さないで教えてくれよ」
「そんな魔法は知らないよ! もしあるのなら欲しいくらいだよ!」
「なんだお前、こんな美人との縁談中なのに、他の女まで捕まえたいのか?」
「ち、違うよ! 使うのは現状維持のためと言うかなんというか……とにかく! そんな罠魔法はないよ!」
ルクシーヌは紅茶を口にしながら、二人の仲の良いやりとりを眺めていた。
二人は親しい間柄のようだった。
ふと、自分にはそんな相手がいただろうかと考える。
ルクシーヌは社交界に出るまではひたすら強さを求めて鍛錬の日々を送っていた。
社交界にデビューしてからは、貴族の青年・ノーマとの恋路に全力で、あまり友達を増やそうとは考えなかった。
社交界で知り合いが増えたが、あそこは貴族令嬢の戦いの場だ。心を許せるような間柄の友達はできなかった。そもそも、彼女は恋に全力で挑んでいたので、交友関係にはあまり興味がなかった。
父や兄は優しかったけれど、トラプターとアルティのような親しい間柄の親戚はいなかった。
そして今、愛のない結婚をするためにここにいる。
自分の人生について、ちょっと考えてしまうルクシーヌだった。
「いやあ、それにしても……こんなところで本当に、『光あふれる花園の妖精』と出会えるとは思わなかったよ」
しばし思索にふけっていたルクシーヌを、アルティの言葉が現実に引き戻す。
「『光あふれる花園の妖精』? アルティ、それはなんのことだい?」
「ああ、お前は知らなかったか。社交界では一時期有名だったんだぞ。きらめく金の髪と輝く金の瞳、軽やかに舞う姿はまさに妖精。その美しさから、ルクシーヌ・インファート嬢は『光あふれる花園の妖精』と讃えられていたんだ」
「『光あふれる花園の妖精』……ああ、確かにピッタリの呼び名だ」
説明するアルティに対し、うっとりとルクシーヌを見つめるトラプター。
ルクシーヌは居心地が悪そうに眼をそらす。
「いやですわ、エストラージ様。わたしは妖精などと呼ばれるような者ではありません。それに、社交界にはしばらく行くつもりはありません。そんな呼び名は、いずれ消えてしまうことでしょう」
そう言うと、盛り上がっていた男二人はたちまち消沈した。
社交界に出なくなった理由が、婚約解消されたという事情を、二人とも知っていたのである。
「ああ、そうでしたね。この名を出すべきではありませんでした。ご不快になられたのなら申し訳ない」
「いえ、お気になさらず。すべては過去の事です」
謝罪するアルティに、落ち着いた雰囲気で受け答えするルクシーヌ。
しかしその内心はあまり穏やかではない。
光あふれる花園の妖精は、ルクシーヌがノーマのために美しさを磨いて得た名前だ。ノーマにも妖精と褒めたたえられた。
その名を聞くと、失恋の痛みが蘇る。
そして「妖精」という呼び名がひっかかった。
こうした呼び名は、清純な乙女につくものだ。清純と言えば聞こえはいいが、要は「色気がない」ということだ。
ルクシーヌは妖精と呼ばれるたびに、慎ましくて起伏のなだらかな自分の胸元を意識してしまう。実際、「胸がないから妖精って呼び名がピッタリね!」なんて感じの陰口を、何度か小耳にはさんだことがあった。
ちょっとした引っ掛かりはあったものの、その後は穏やかに歓談が続いた。アルティは話し上手で、中央の街での流行や風聞などを面白おかしく話してくれた。
楽しい時間を過ごしていると、トラプターの執事がやって来て、トラプターに何か耳打ちした。
「すまない、アルティ。用事ができた。ルクシーヌ嬢、手伝ってもらえるだろうか?」
トラプターの呼びかけに、ルクシーヌは何が起きたのかすぐに思い至った。
おそらく、魔物の群れがやってきたのだ。
「ええ、すぐにでも」
立ち上がり、ドレスの飾り紐に手をかける。その動きに、トラプターはびくりと震えた。
実家にいたころの癖でドレスを脱いでしまうところだった。
さすがにトラプターばかりか、その親戚のいる場ではまずいだろう。ルクシーヌは自重した。
「アルティ様、すみません。これで失礼いたします」
「アルティ、すまない。またあとでね」
アルティをその場に残し、二人は準備を始めるのだった。
ルクシーヌは戦闘用のボディースーツに身を包み、外縁領地の荒れ地に立っていた。
探索魔法に特化した、無属性・支援特化・偵察型貴族で組まれた組織がある。彼らは『辺境観測士』と呼ばれ、魔物の大きな動向を辺境貴族たちに使えるのを仕事としている。
その報告によると、予想される魔物の数はおよそ五千とのことだった。
数そのものは、彼女の実力なら対応可能な数だった。しかし、地形が問題だ。魔物の侵攻ルートは開けた土地が続いていた。近接特化・撃滅型の彼女には不向きな状況だった。彼女の能力では、この数の軍勢を止めきれない。
「ルクシーヌ嬢、聞こえますか?」
「はい、聞こえています」
「では合図まで待機してください」
通信魔法でトラプターの声が届く。トラプターは罠設置魔法・駆逐型だ。定石通り、後方から支援となる。先日の見回りで行った丘の上から、トラプターは戦況を見て指示を出してくれることになっている。
やがて、遠くからもうもう土煙が上がるのが見えた。
魔物の姿も視認できた。情報通りだ。土と岩で構成された、黒い靄をまとった歪な人型。『残滓』と呼ばれる魔物だった。
「断絶の魔王」が倒れたとき。魔王の膨大な魔力は、広大な土地を汚染した。その魔力には魔王の意思が残っていた。魔力は土や岩を取り込んで人の形をとり、わずかながら意思らしきものまで持った魔法生物と化した。
そして、魔王の意思を引き継ぐかのように、軍団規模の勢力で、人類の生活圏を襲うようになった。
その魔物たちは「魔王の残滓」、略して『残滓』と呼ばれる。
その成り立ちはほとんどが想像に過ぎない。『残滓』のやってくる元は、辺境貴族ですらたどり着けな異世界の深淵だ。しかし、度重なる調査の結果、『残滓』には微弱ながら魔王と同質の魔力を持っていることが証明されている。『残滓』が魔王由来の魔物であることだけは、誰もが信じていた。
ルクシーヌはトラプターからの合図を待つ。
今回の作戦は実にシンプルなものだった。
トラプターが罠魔法で『残滓』の軍団を足止め、分断する。
ルクシーヌは中央を突っ切り、指揮官の魔物を倒す。
それだけだった。
五千の敵の中央を突っ切るなど、ルクシーヌの強さでも無理だ。『残滓』は一体だけなら一瞬で倒せる。しかしこの数では確実に足止めされ、包囲されることになる。そうなれば、彼女であっても無事切り抜けられるとは限らない。
だが、トラプターは大丈夫と保証した。彼の実力は知っている。ならば、信じて進むのみと、ルクシーヌは覚悟を決めていた。
「今です、始めてください!」
通信魔法で、トラプターの合図が来た
光のオーラを纏い、ルクシーヌは突撃した。
彼女の戦闘時の突撃は、馬の突撃速度を大きく凌駕する。
その速度のまま、前方にいた『残滓』を光のオーラをまとった拳で破壊して、更に前に進む。
周囲では様々な音がした。炎がはじける音、氷の凍る音、風の切り裂く音、土の壁が着き立つ音。トラプターの罠魔法が起動しているのだ。
その音を耳にしながら、彼女は駆け続ける。
そして、彼女はすぐ驚くことになる。突撃の速度がほとんど落ちないのだ。
時折、正面に立つ『残滓』が現れ、破壊する。しかしそれも、五千の軍勢を突っ切るにしてはあまりにも少ない。足を止めるほどではなかった。
父や兄と共に、今以上の規模の『残滓』と戦ったことがある。個は弱くても、数がそろえば脅威となる事を、骨身にしみて知っている。
だが、今、数の脅威は感じない。
進むうち、そのありえざる状況の理由が見えてきた。
ルクシーヌの進む先には、うまく進めず右往左往する『残滓』たちの姿がいくつも目に入っていたのだ。
トラプターの罠魔法は、いかに数をそろえたところで、五千の魔物を完全に止めるほどに強力ではない。
だから、彼は技量を尽くしたのだ。
砲台で前進を阻み、壁や泥の沼で進行方向を調整し、『残滓』たちはお互いの身体が邪魔になり進みが遅くなる。罠魔法で倒された『残滓』の死骸も障害物となる。
ルクシーヌの前に立つ『残滓』の数が少ないのも、その成果の一つだろう。トラプターはそんな調整が可能なほどに、『残滓』の軍勢をコントロールできているのだ。
『残滓』は個々の知能は低い。比較的、行動を読みやすい魔物だ。それでも、この規模の軍勢をここまで手玉にとれるとは、途方もない技量だった。
いったいどれほどの罠魔法を同時に起動しているのだろう。その数を想像するだけで、ルクシーヌは背筋が寒くなるのを感じた。
トラプターの能力は個人戦でも見事なものだった。しかしその真価は、大軍勢を相手にしたときに発揮されることを知った。
やがて場所が開けた。
そこには一体の巨大なモンスターがいた。トロルの上位種だ。これが指揮官のようだった。
『残滓』はそれほど強くはない魔物だ。だが、強力な魔物が指揮官になると、統率の取れたおそるべき軍勢となる。
ルクシーヌも指揮官と相対するのは初めてではない。しかし、ここまで消耗せず、万全の状態で対峙したのは初めてだった。
自らの軍勢を突き抜けてきたルクシーヌに対し、トロルは巨大な棍棒を振り下ろす。天を衝くような巨大な棍棒だった。その一撃は、まともに当たれば人間などたやすく粉々になるだろう。
彼女は避けない。ただ、こぶしを突き上げた。
光のオーラを纏った拳の一撃は、巨大な棍棒をたやすく砕いた。その破壊の余波により、棍棒を握っていた手首まで失われた。
トロルは苦痛の悲鳴を上げる。だが、トロルは強力な再生力を持つ魔物だ。時間を与えればすぐに回復するだろう。
だからルクシーヌは止まらなかった。
トロルの頭上まで飛び上がると、高く振り上げた足を渾身の力で振り下ろした。
「たあっ!」
直上からの踵落としがさく裂し、光のオーラがほとばしった。もともと、光属性は魔物に対して有効だ。魔物であるトロルは、その力にまるで耐えきれなかった。
頭上からの踵落としは、トロルの頭を粉砕し、そのまま突き抜けた。ルクシーヌが地上に降りたとき、トロルは頭と、胴体のほとんどを失っていた。
高い再生力を持とうとも、ここまで身体を失っては生きてはいられない。トロルはあっけなく絶命した。
指揮官を失い、ただでさえトラプターの罠魔法に翻弄されていた『残滓』たちは更なる混乱に見舞われた。
もはや軍団としての統率はない。いかに数が多くても、烏合の衆と化した『残滓』など、ルクシーヌとトラプターの敵ではなかった。
残った『残滓』を掃討した頃には、夜も更けていた。
翌日の夜、『残滓』の軍勢を撃退したことを記念し、ささやかな祝勝会を催した。
「トラプター様の精妙にして大規模の罠魔法の数々! その技の冴え! 実にお見事でした!」
「ルクシーヌ嬢こそ、あの突破力は実に凄まじかったです! 僕の想定した時間の半分で軍勢を突き抜けてくださいました! それにトロルを一蹴した技の素晴らしさ! こちらこそ、感服しました!」
ルクシーヌとトラプターは互いにその技量を褒め合った。
「せっかく戦いが終わったっていうのに、今度はお互いを褒め殺すまで戦うつもりかい?」
同席したアルティは、そうぼやきながらも楽しそうに聞き役に回った。
褒め合いはいつまでも続くように思われたが、そう長い時間はかからなかった。トラプターが酔いつぶれてしまったのだ。彼はお酒に弱いようだった。互いを褒め合ううちに酒が進み、すぐに酔いが回ってしまったのである。
ルクシーヌとアルティが席に残された。
使用人がまわりにいるとはいえ、縁談中の娘が男と二人で食事するというのも、気まずいものを感じた。
ルクシーヌが退席しようとしたところで、アルティに呼び止められた。
「お待ちください! 実は、ルクシーヌ嬢に謝らなくてはならないことがあるのです」
「? なんのことでしょうか?」
「私はあなたのことを疑っていました。トラプターは優秀な男です。しかし華がない。だから、社交界で有名なルクシーヌ嬢が縁談を受けたと聞いて、驚きました。何かの陰謀にでも巻き込まれたのではないかと、心配になってやってきたのです」
「まあ、それは……」
「ええ、私の愚かな勘違いでした。申し訳ありませんでした」
言って、深々と頭を下げた。
辺境貴族と異なり、中央貴族は礼儀と格を重んじる。中央貴族であるアルティが頭を下げることの重さを、社交界で過ごしたルクシーヌは理解していた。
「あ、頭を上げてください! わたしは気にしません。確かに不安に思うのも無理はないでしょう。わたしは、その……彼とは戦闘スタイルの相性が合うと思って、縁談の相手に選んだのです」
そう言うと、アルティは頭を上げた。
「はい、それは今日のお話でよく分かりました。それにこうして話してみて、あなたのまっすぐなご気性がよくわかりました。どうかトラプターとの縁談を、真剣に考えてやってください」
そう言われてしまい、ルクシーヌは曖昧な笑みを浮かべた。
確かに婚約まで真剣に考えている。だがそれは、「愛のない結婚」のためだ。そのことを知ったら、目の前の男はどう思うことだろうか。
そのためにも早く結婚しなくてはならない。これだけ相性よく戦果を上げられたのだ。結婚さえしてしまえば、少々親戚からの評判が悪くとも、離縁されることだけはないはずだ。
ルクシーヌは結婚への意思をますます固めるのだった。