支度
次の日、目を覚ました私は知らない部屋に数秒ほど思考がフリーズしたが、すぐに昨日の事を思い出した。
家から追い出され、成り行きで冒険者ギルドに登録したんだった。
部屋に備え付けの洗濯機で洗った昨日の服に再び袖を通し、防具を装着する。
不思議な事に、ゲームよろしく装備するだけでステータスに補正がかかるのだ。
この補正も馬鹿にならない、とネットでは評判だった。
なんでも値が1でも上回る限り、力比べなどで負ける確率は格段に減るらしい。
長ったらしい説明を理解できるほどの頭はないが、それらしい理屈を並べていたのできっとそうなのだろう。
「……なんか、変な感じ」
身支度を整える傍ら、体に違和感を覚える。
昨日、スキルを習得したように、なんとなく体の何かが違うのだ。
妙に軽く、筋肉痛を感じない。
部屋を出て、カローラに相談してみると、すぐに理由が分かった。
「それはおそらく経験値が一定の値まで上昇したからでしょう。魔物を倒し、休息を取ればレベルが上がり、肉体は次の段階に進むでしょうね」
異世界マナテリアからもたらされた概念の中でも、センセーショナルに取り上げられたのがレベルとステータスだ。
ゲームのように生き物にはステータスという数値が決められていて、その指針となるものがレベルと考えられている。
異世界マナテリアにとって、物理を数式で求めるように、生き物の才能や素質をステータスで求めるのだ。
「ああ、ところでユアサ様、先日お伺いしたスキルについてお調べした結果なのですが、冒険者ギルドの資料を一通り探してみましたが有益な情報は見つけられませんでした」
「もしかして、一晩中……?」
「レベルが上がると、四日ほど睡眠を取らなくても問題ありません。どうかお構いなく」
徹夜までして調べてもらった事に申し訳なさを覚える私に、カローラは静かに微笑んだ。
その顔には隈がなく、レベルの上がった元冒険者がいかに強靭な肉体と精神力を持っていたのかを思い知る。
「こちらでも他のギルドの資料を取り寄せて調べてみますが、まずはユアサ様自身がスキルについて実際に使って理解した方が恐らく早いでしょう。差し支えなければ、本日の午後からダンジョン探索に向かってみては如何ですか?」
「そうさせていただきます。どこか良いダンジョンはありますか?」
カローラはファイルを開き、一枚の紙を取り出した。
「実はメンバーの集まっていないパーティーが募集をかけています。引き受けている依頼も討伐系で、浅い層のみですので、ユアサ様でも問題なく受け入れられると思うのですがどうでしょうか」
一人でダンジョンに行くよりも、複数で行動した方が生存確率は高そうだ。
経験者の指示に従えば、ひとまず最善に近い選択肢である可能性は高い。
カローラの提案に私は頷いた。
ダンジョン探索の鉄則として、予定している日数より少し多めに食料や道具を持ち込むのだという。
魔物との戦闘を避けている間に道に迷って餓死する駆け出しが多く、日持ちする保存食を携帯するだけで防げるからだ。
こと、日本では保存食に関して多くの商品が展開されているほどであり、水分だけでなく栄養素のバランスまで考慮する手間を省けるのだという。
支度金として前金を貰った私は、中古ではあるがくたびれたリュックを買い、その中にカローラから渡されたメモの通りに支度を整えた。
食料、水、救急箱、解体用のナイフ、ロープ。
これらを纏めて『冒険者セット』と呼ぶらしい。
冒険者ギルドの周囲に展開された商業施設の窓ガラスに、自分の顔が映る。
冴えない黒髪に覇気のない顔ではあるが、妙にくたびれた装備が似合っていた。
冒険者に見えなくもない。
「このダンジョン探索が上手く行ったら、その金で母さんに謝ろうかな」
ポツリと呟く。
ダンジョン探索で死んだとしても、一度は蘇生してもらえる。
その上で続けるかどうかをギルドに問われるのだ。
死ぬ事は怖い。
痛いのも嫌だ。
だが、また家に引き篭もるのも対して変わらない。
それなら、まだ進んでいる方がマシかもしれない。
成り行き任せではあるけれど、出来る限りの努力はしよう。
だって、それしか出来ないのだから。