予感に駆られる受付嬢
どこか陰鬱な雰囲気を纏った妙齢の女性を前にして、カローラは不思議と視線が惹きつけられた。
典型的な日本人の女性である。
街中を歩けば、恐らく似た女性を十人は見つけられるだろう。
だが、どこか影のある横顔から視線が離せない。
冒険者の間では、『引き寄せの法則』という願掛けが信じられている。
それは、ステータスという可視化された数値やスキル、魔法などでは再現できない、言葉にするのも難しい“何か”を持つ者が必ずいるというものだ。
「いやあ、実は年金の免除申請を面倒がっていたら、催促状が家に届くようになってしまって、ついに家を追い出されちゃったんです」
自らをニートだと公言する女性の名前は湯浅奏という。
冒険者を志す中には、犯罪的欲求をひけらかす者が多い。
捨てた恋人を見返す、社会に復讐する為、冒険者ギルドにとって動機はさほど重要ではなく、使える人材かどうかを重要視する。
最悪の事態が起こったとしても、冒険者ギルドが確保する人材を活用すれば、被害を無かったことにできるからだ。
「そうだったんですね。それはさぞ大変だったでしょう。ですが、どうかご安心ください。このカローラがサポートします!」
カローラの頭の冷静な部分では利点と売り込みを計算する。
だが、普段の営業以上の情熱を注いでいる自覚があった。
レンタル用の武器も、質の良いものをなるべく選んだ。
その中にあった不思議な魔剣。
鞘に巻かれた毛皮を眺めた時に脳裏を過ぎったのは、早朝に見かけた溺れるドブ鼠だ。
自分には関係ないと立ち去ってから、どうにも不可解な事ばかりが起きている。
冒険者の方から希望しない限りは斡旋すらしない訓練まで手配し、新兵の訓練実績のある元騎士団長グロリッサまで手配した。
グロリッサから訝しむ視線を感じたが、彼女もまた湯浅を見て息を呑む気配がした。
その気配にカローラは確信を得る。
ありふれた白シャツとくたびれたジーパンに黒のスニーカー。
その上から着用したジャイアントラットの皮の胸当てとジャケット、籠手に脛当てという最低限の防具。
ジャイアントラットの皮を張った盾を片手に持つ姿が妙に似合っていた。
『引き寄せの法則』は迷信でしかない。
ダンジョンでは、最後まで立っていた者が勝者となる。
いくら才能があり、スキルや魔法に恵まれていたとしても、心が折れてしまえば道は閉ざされる。
カローラは何人もの冒険者が折れる所を見た。
自らも折れた者であるからこそ、どうにもならない事があるのを知っている。
カローラは湯浅に見た“何か”の正体が掴めずにいた。
「では、訓練を始めよう」
グロリッサが大剣を構える。
異世界マナテリアでは珍しくもない大剣には、魔玉が嵌め込まれている。
魔力を凝縮し、魔法式を刻み込んだそれは、装着した物品に属性を付与する代物だ。
「さあ、好きに打ち込んでこい」
両足を開き、深く腰を落とした姿勢。
グレニア流剣術の基本構えと呼ばれる動作で、攻防に切り替えられる優秀な型である。
冒険者の間では、『癖がなく、師範には困らない』と人気のある剣術だ。
「あ、はい……」
それに対して、湯浅の構えは素人同然。
剣に触れた事もない人生だった事は誰の目から見ても明らかである。
稽古にもならないとカローラは考えていた。
事実、数回の剣戟で早くも湯浅の息は乱れている。
グロリッサは言葉にしなかったが、内心では呆れている事をカローラは悟る。
今日のダンジョン探索は控えさせた方がいいだろうと判断する。
「ふむ。では、次に私からの攻撃を避けてみろ。急所には当てないから安心しろ。なあに、万が一避け損なっても、そこにいる受付嬢カローラが神聖魔法で回復してくれるさ」
グロリッサの言葉にカローラは頷く。
かつて冒険者だった頃、神官としてパーティーメンバーの回復に努めていた。
ドワーフの祖たる神の御言葉を人々に伝え、害なす魔物を打ち倒す冒険者を支える事が使命だと信じて疑わなかった。
記憶の底に封じた赤い鱗の竜を思い出し、カローラは鳥肌の立った二の腕をそっと擦る。
過去に討伐依頼を受けた竜の魔物との戦いで受けた傷はとっくに癒えたが、植え付けられた恐怖と敗北感はカローラの冒険者としての道と神官としてのキャリアを閉ざした。
その時の自責の念が受付嬢としての再起に繋がったのか、カローラはまだ分からないでいる。
湯浅が見よう見まねで剣を構える。
素人マル出しの構えに思わず苦笑したカローラは、次の瞬間、目を見開く。
それは、さながら熟達した剣士のようであった。
グロリッサの剣を盾で受け流し、間合いを詰めて剣を振るう。
幾度も剣戟を交わし、勝利してきたグロリッサですら、反応が遅れるほどに洗練された足運びと剣の軌跡。
ガンッ、と金属のぶつかり合う甲高い音が響いた。
グロリッサとカローラは余りの衝撃に口を閉ざす事を忘れ、何が起きたのか理解するのに少し時間を要した。
素人を隠していた素振りもなく、またその気配があったとしてもグロリッサの意表を突くのは難しい。
グロリッサは剣術の師範として、これまでに何人も見てきたのだから。
二人が口を開くよりも早く、湯浅が釈然としない様子で呟いた。
「う〜ん、このスキル、使い勝手が悪いなあ」
その言葉にカローラは反射的に鑑定スキルを発動する。
冒険者同士であればトラブルとなるステータスの覗き見も、受付嬢であれば問題とならない。
一般的な人間のステータスは、似たような値が続く。
スキルはなく、魔法も習得していない場合が多い。
普遍的に分布する種族的な特徴とも言える。
魔力やスキルが多ければ、感知系のスキルや魔法に見つかりやすくなる。
湯浅のステータスもその例に漏れず、やや低めではあるが平均的な値ばかりだった。
だが、その中に見覚えのないスキルが追加されていた。
【ダイスロール】
効果:判定の結果を観測する。常時発動。
見覚えのないスキルの効果に目を通し、やはりカローラは首を傾げる。
魔剣や魔道具で獲得できるスキルにしては、やけに効果が不明瞭であるからだ。
強くなく、弱いと断言するには底知れない。
カローラは湯浅の握る短剣に目を向ける。
吟味した武器の中に紛れ込んでいた魔剣。
売り込みに必死な職人が作ったのかと考えたが、どこを見ても職人の署名やロゴらしきものはない。
ジャイアントラットの毛皮は、薄汚れて見えるくすんだ灰色という色合いから人気もなく、効果も程度が知れている。
職人の間では、金に困った奴しか使わないとまで言われているような素材だ。
着用しているだけで汚名を被る事もある。
売名目的で潜り込ませた代物にしては、あまりに矛盾した素材と効果だ。
カローラは堂々巡りの思考に匙を投げ、湯浅から話を直接聞く事に決めた。