駆け出し配信者
二十分前、私は両親に家を追い出された。
年金の滞納を親に咎められ、ついに『働け』と頬を叩かれてしまったのだ。
二十歳を過ぎてもニートである事に怒り心頭の様子だった。
これまで一度も働いた事がない私が、数分で仕事を得られるはずもない。
投げつけられた私の財布には、百円玉が一枚とマイナンバーが入っている。
流石に百円玉一枚では、履歴書とボールペンを買うのは難しい。
曇天の下をどうしたものかと悩みながら歩く。
水商売で稼げるほどのトーク力も顔面偏差値もない。
そもそも、他人とそこまで深く関わりたくない。
────……キー……キィキィ……────
甲高い鳴き声が微かに聞こえて、思わず足を止める。
辺りを見回して、すぐに鳴き声の主を見つけた。
排水溝の網の下、轟々と流れる水の中で、一匹のドブ鼠が木の板にしがみついて、溺れまいとしている。
いつもなら見捨てる所だったが、その日はふと思い立って鼠を助けてやる事に決めた。
ただの気まぐれで、深い理由はない。
木の枝をなるべく揺らさないように掴んで引っ張れば、鼠はこれ幸いと言わんばかりに網の隙間に体を捩じ込み、外に這い出した。
しばらく駆けた鼠は、そっと私を振り返る。
まるで付いてこいと言わんばかりの振る舞いに誘われて、鼠の姿を追いかけた。
細い裏路地を抜け、いくつかの道を曲がり、ついに鼠は小さく「キィ」と鳴いた。
「ここ、冒険者ギルドじゃん」
耳の長い美男美女や小人、和装の麗人だけでなく令嬢たちが歓談を交わしながら入っていく建物。
看板には交差した剣と杖、盾を掲げている。
今、最も話題を攫う組織『冒険者ギルド』だ。
異世界マナテリアとの交流により発足した組織で、ダンジョンから採取できる素材などをメインに取り仕切っている。
組合員は冒険者と言われ、動画配信者に次いで幼稚園児たちから憧れの眼差しを向けられている職業だ。
一昔前は誰にでもなれる野蛮な無法者と言われていたが、ダンジョン攻略が人気になってからは世間の評価もガラリと変わった。
私のように引きこもって現実に背を向けるような人間とは対極に位置するような存在だ。
努力して成功している彼らを見ているだけで、かなりの居心地の悪さを覚える。
鼠は『キィキィ』と鳴く。
早く行けと急かしているようだ。
どん、と背中に何かがぶつかる。
「邪魔だ」
低い声に振り返れば、二メートルを越す長身の男が鋭い目で私を見下ろしていた。
長い金髪を後ろに撫で付け、誇らしげに晒した長く尖った耳を見つけて、私は思わず息を呑む。
魔法に長けた種族ハイエルフだ。
家で引きこもっている間、世界は数年で異世界とファンタジーに満ちていた。
その事をテレビやネット掲示板で知ってはいたが、こうして目の当たりにすると圧倒される。
気後れする私に構う事なく、金髪のハイエルフは黒いローブをひるがえして冒険者ギルドに入っていく。
「……はあ、びっくりした」
「キィキィ」
「分かった、分かったよ」
ぴょんぴょん跳ねて急かす鼠に追い立てられ、私も冒険者ギルドに足を踏み入れる。
周囲になるべく目を向けず、登録カウンターにあったチラシを手に取って中身を読む。
どうやら所定の手続きをするだけで、冒険者になれるらしい。
人手不足だという噂は聞いていたが、まさか誰でも無料で格安の装備限定とはいえレンタルできるとは思わなかった。
金がなければ冒険者になって稼げ、というネット掲示板の書き込みはあながち間違いではないらしい。
怪我をしても治してくれるし、死んでも蘇生してくれると福利厚生をアピールするが、どことなくブラック臭がする。
まあ、他に行く宛もないし、ここで今日の食事代を稼ぐか。
チラシを眺めていると、満面の笑みを浮かべたギルドの受付嬢がそっと距離を縮めてきた。
「新規登録の方でしょうか? お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「……あ、えっと、湯浅奏です……」
「ユアサ様ですね。是非ともこの受付嬢カローラに新規登録のサポートをさせてください!」
こうして、私は受付嬢カローラの手厚い歓迎によって、駆け出し冒険者としての活動を始めたのだった。