最終話 ①
ガクトは目を覚ます。
そこは、故郷の海の中。
ガクトは、泣いていた。恐ろしい白昼夢を見たのだ。
否。
(夢なんかじゃない!)
ガクトには確信があった。理屈はわからないが、感じるのだ。
ベルリオーズ。その邪悪で強大な気配を。
いや、感じたことを覚えていると言ったほうが正確だ。
アリーフェ、リク、ジュリア、歌姫、明玖、寺之城。仲間たちの微笑む顔が、目を閉じるとそこにある。
みんなはどうなった? 辛い運命を辿ってしまったのだろうか?
学園の屋上で見た凄惨な光景が蘇ってくる。
無残に踏みにじられた仲間たちの思いが、今も心の中に残っている。
決して忘れてはならない。忘れたくない。
自分はまた、大切な人を守ることができなかった。
何が足りなかったのか。
どうするべきだったのか。
答えの出ない思いが溢れて来る。
悔しい。
今も尚流れ、海へと溶け消える涙の理由を知り、ガクトはぐっと歯を噛み締めた。
そこへ、一匹の豚イルカが現れた。
(――君は、俺を愚か者だと思うかい?)
心の中で話しかける。
豚イルカは遊び相手が欲しいのか、ガクトの周りを大きく回り始める。
やはり、前にも、同じようなことがあった。ガクトはこの豚イルカと泳ぎで勝負し、あっさりと負けたのだ。
『諦めるな!』
と、歌姫の言葉が蘇る。
(――ごめんな。今は遊んでやれない)
豚イルカに心で謝り、ガクトは水を強く蹴って浮上する。
(勝てないとわかっいても、戦わなくちゃいけない。……そんな残酷な世界、間違ってる)
『まだ終わりじゃない!』
心の中で、歌姫が言う。
(そうだ。まだ終わりじゃない)
海面に出たガクトは耳を澄ました。
そこへ聞こえてくる、少女が助けを求める声。
(残酷な世界から、今度こそ、みんなを救い出すんだ!)
ガクトは助けを求める少女の名を呼ぶ。
「アリーフェ! 聞こえるか?」
「――あなたは、私のことをご存じなのですか?」
アリーフェは驚いたかのような息遣いのあとで、そう尋ねた。
「今初めて話すけど、知ってる! 詳しいことはそっちに行ってから言うよ! だから早く召喚してくれ!」
「――わかりました」
アリーフェの声は以前よりも落ち着いていて、大人びて聞こえる。吃ることなくスラスラと話せるようになっているのだ。彼女も心のどこかで、ガクトたちと過ごした時間を記憶しているのかもしれない。
「あ! ごめん、ちょっと待ってもらってもいいか? 三十分もあれば準備できると思う!」
ここでガクトは、向こうの世界が食料難に陥ることを思い出し、召喚を一度キャンセルした。
「準備が必要なのですね?」
「まぁ、そんなところだ!」
アリーフェの了承を得たガクトは大きく息を吸い、再び海へと潜った。
■
二十分後、ガクトは布袋を魚で一杯にして、一度岸に上がった。
「――ごめん、照。待たせちまったな」
「今朝は随分と張り切ったな! これまでで一番の大漁じゃないか!」
人間の友人の照が近寄ってきて、魚でパンパンに膨れた布袋を凝視する。
「突然なんだけど、ひとつ、頼まれてくれないか?」
「どうした? そんな深刻そうな顔して」
きょとんとした様子で首を傾げる照の肩を、ガクトは片手でしっかりと掴む。
「俺、これから遠い場所へ行ってくる。どうしても、やらなくちゃいけないことがあるんだ。だから、……帰りが遅くなるって、俺の親に伝えてくれないか?」
「…………」
沈黙。
ガクトは、さすがに笑われてしまうだろうと思って覚悟したが、照の返答は予期せぬものだった。
「――本気で、言ってるんだな?」
ガクトが物心ついたときから付き合いのある照は、ガクトの滅多に見せない差し迫った気配を察して、半ば信じている様子なのだ。
頷くガクト。
「それって、絶対にお前が行かなくちゃダメなのか?」
「――ああ」
【竜斬剣】のことは伏せたが、ガクトは真意で首肯した。
「今、オレがお前の言うことを真剣に聞いてるのが信じられないって顔をしたな?」
と、悪戯っぽく笑う照にガクトは苦笑を漏らす。
「正直、驚いてる。こっちから話しておいてアレだけど」
「まぁ、普通なら軽くスルーしちまうところだけどさ、オレ、なんていうか、お前がそんなことを言う夢を見たような気がしたんだよな。オレはその夢の中で、お前を笑っちまった。そうしたらお前、ひどく落ち込んだ顔をしたんだ……」
と、照は自分の片手でガクトの肩を掴み返した。
「オレたちが小学生のときさ、お前が周りの連中に駆けっこでどうしても勝てなくて、必死になって練習したのにそれでもダメで、目標に近づくことができないって、大泣きしたことあっただろ?」
照が言っているのは、彼とガクトが同じ小学校に通っていた頃の話である。照はガクトの特訓に付き合ったのだった。
「そんなこともあったな。まぁ、俺が遠い場所でやろうとしてることも、なかなか達成できないことでな……」
「――俺さ、夢の中で、ガクトがあのときみたいに泣いちまうのを見た。ただの夢なんだけどさ、どういうわけか、それがこれから先で起きるような気がしたんだよな。天啓ってやつ?」
疲れてるのかな? と、照は己を笑う。
照が徐に腰を下ろしたので、ガクトもそれに倣う。
二人で砂浜にあぐらをかき、眼前に広がる大海原を見つめる。
「だから、まぁその、……信じようと思ったんだ。お前がこれから何をやろうとしてるのかわからねぇけど、――なにかとてつもなく凄いことな気がしてるぜ?」
「ごめんな、全部を話せるほどの時間はもうなくて……」
「いいんだ。ただ、行く前にこれだけ言わせてくれ」
照が視線を海からガクトへと移した。
ガクトもそれを感じ、照と目を合わせる。
友は、言う。
「大事なのは、目標の達成に向かおうとする意志だと思ってる。志さ。お前の名前にもあるじゃないか。その志を持って進めば、いつか必ずたどり着ける。向かっているわけだからな。そう思わないか?」
ガクトは彼の言葉を受け、悔しさと悲しみに蝕まれた自分の心が軽くなっていく感覚を覚えた。まるで胸が詰まるような息苦しさが解れ、溶けて消えるかの如く。
ガクトの心に、友の言葉は光となって届いた。
「――そうだよな。そう思うよ」
視界が滲んだ。照の温厚な表情が霞む。
「じ、じゃあ俺、ちょっと行ってくるわ! ありがとな、信じてくれて」
腕で自分の目元を拭ったガクトは、照から顔を逸らして立ち上がる。
「アリーフェ、待たせてごめん! 頼む!」
ガクトがそう言うと、どこからともなく現れた白い光の粒子が彼の全身を包み込んでいく。
「こっちのことは任せとけ。だからさ、ガクト」
友の声も、ガクトの心を温かく包む。
「――お前は、自分を諦めるな」
「――ああ!」
大切な仲間たちを今度こそ守るため、ガクトは旅立った。
■
光の粒子に包まれたガクトは一瞬意識を失ったが、唐突な浮遊感に見舞われて覚醒した。
「――え?」
ガクトが姿を現したのは、見覚えのあるコンピューター室。その天井スレスレの位置だった。
ガクトは床と対面する向きで、眼下にはこちらを凝視する明玖の姿。
落下。
「うわぁあああ⁉」
「――ッ!」
明玖は咄嗟に両腕を広げ、悲鳴を上げ落下したガクトを受け止める。しかし、さすがに華奢な明玖一人では衝撃を抑えきれず、ガクトを胸に抱くような形で背中から転倒。
ガクトが携えていた布袋が開き、生きのいい魚たちが散乱。
「あぅ!」
背中を強かに打ち付けた明玖が呻き、ガクトは目を見開いた。
ぺち。魚が一匹動いた。
「ご、ごめん、明玖! 怪我はないか⁉」
言いながら、ガクトは何かクッションのような感触がするモノの上に両手を置き、身を起こした。
「ぅううう!」
途端、明玖は急激に赤面すると共に、これまで見せたことのない怒りと憎悪の色を浮かべ、ガクトを睨みつけた。
「え? ……ッ⁉」
唐突な落下と明玖との衝突で冷静さを欠いていたガクトだが、ここで両手の感触に危機感を覚え、視界の下方に見切れている明玖の胸――もとい、己の手の位置からすべてを察した。
「はぅあッ⁉」
驚愕のあまり小さく悲鳴をあげたガクトは、両手をなだらかな小山からずらそうとして、あろうことか誤って十本の指を同時に動かしてしまう。
モミモミ。
「――ぅうぁあああああああああ‼」
キッ! と歯を食い縛った明玖が叫び声を上げながら、飛び退こうと腰を上げたガクトの腹に蹴りを放った。
(明玖! 普段は大人しいけど、やるときはやるんだな!)
明玖の蹴りを受けて後方に吹っ飛びながら、ガクトは思った。そして背中からテーブルにぶつかって倒れる。
パリン!
そのとき、ガクトがぶつかったテーブルから何かが落ちたのか、ガラスが割れるような音がした。
「――ああっ!」
と、明玖が青褪めた顔で駆け寄ってきた。
「急にごめん――」
謝罪を述べるガクトのすぐ横で、明玖は屈み込む。
どうやら、ガクトがぶつかったテーブルは明玖が普段使用している場所らしく、彼女のものと思しきラップトップや小物類が置かれてあった。
そんな中、明玖は背中を丸めて屈みこんだまま、肩を小さく振るわせ始める。
「ど、どうしたんだ? 俺、何か壊しちゃったか?」
恐る恐る、ガクトは立ち上がって明玖を覗き込む。
「――お守りが、……おばあちゃんから、もらった、お、お守りが……」
一重の目に薄っすらと涙を浮かべた明玖が、この世の終わりとでも言いたげな青い顔でガクトを見上げた。
ガクトは言葉を失い、明玖が両手で拾い上げたもの――容器が粉々に砕けて失われた、砂時計の黒い支柱を見た。
「うそ、だろ……」
心の狼狽が、ガクトの口を衝いて出た。
次の瞬間、二人を強烈な頭痛が襲った。
そして、各々がこれまでに経験してきた過去の記憶がすべて蘇り、今の自分へと同化していくのを感じた。
トラウマを克服し、勇気を出してフードを外したリク。
戦争という過酷な状況を体験し、仲間と共にあり続けることを望んだジュリア。
みんなを助けたい一心で努力しながら、自分の闇と向き合い続けた歌姫。
自分を変えていくため、恐怖を乗り越えた明玖。
繰り返してきた過去が、現在に追いついたのだ。
「……ガクト、くん……?」
「明玖……」
二人は同時に言う。
「思い出したか?」
「思い出した?」
同時に、首を縦に振った。
「――いろいろと、繋がったな」
「うん。で、でも、もう後戻りできなく、なった……」
明玖はガラスの破片に気をつけながら立ち上がり、砂時計の黒い支柱をテーブルに置いた。
ガクトはもう一度黒い支柱を見つめ、事の重大さを再確認する。
明玖が言っていたお守り――砂時計。
まだ推測ではあるが、この砂時計には本当に【時間を巻き戻す】能力があり、今破損したことで、これまで巻き戻ってきたすべての記憶が、この砂時計の影響下にあった人物の中に蘇ったと見える。
「充分さ、明玖」
ガクトは言う。
「ここから反撃して、勝てばいいんだ」
■
ガクトは明玖を伴い、生徒会室を訪れた。
そこには案の定、ガクトや明玖と同じように、過去の記憶をすべて持った生徒会メンバーが勢揃いしていた。
「おお! ガクト君も召喚されていたか!」
寺之城が眉を開いた。
「あとは、歌姫だけね」
と、ジュリア。
今の生徒会室に歌姫の姿はない。
「皆さん、同じように記憶を呼び起こしているようですね。呼び起こすという表現が的確かはわかりませんが……」
「大体合ってるんじゃない? 記憶が呼び起こされた理由はわからないけど」
アリーフェに続けてリクが言った。
「家内君の持ってる砂時計が、時間を巻き戻す装置みたいなものだったと記憶しているんだが、本当かね?」
寺之城が聞いた。
「その砂時計なんだけど、ちょっといろいろあって、さっき壊れちゃったんだ。みんなの記憶が呼び起こされたのは、たぶん砂時計が壊れたからだと思う……」
ガクトはおずおずと説明する。明玖は震えながら彼の影に隠れた。
「――マジ?」
「なんと……」
「つまり、次に失敗したら、それでおしまいということですよね?」
リク、寺之城、アリーフェが生気を失くしたような声音で言った。
「ご、ごめんなさい。わ、私のせいで……」
「あれは事故だ。君が悪いんじゃないよ。今重要なのは、これからどうするか話し合うことだ」
消え入りそうな声の明玖にガクトが言うと、ジュリアが明玖に寄り添った。
「ありがとう明玖。ここまで来てくれて」
と、ジュリアは明玖を抱きしめ、続ける。
「みんな、落ち込んでいられる場合じゃないわ。こういうときこそ、気をしっかり持つのよ」
「――確かに、ガクト君とジュリア君の言うとおりだ。この危機的状況を打破するには、みんなで知恵を出し合わねば!」
寺之城が眼鏡をずり上げ、壁に設置された黒板にチョークでこう書きだした。
【ドラゴンぶっ倒し会議‼】
「名前、もうちょっとなんかあるでしょ……」
リクが黒板を見て苦笑した。
「シンプルで良いではないか! はい、意見のある者!」
寺之城が皆に意見を促す。
ガクトはここで、先ほどから考えていたことを切り出す。
「時間が巻き戻る前、――つまり前回の話なんだけど、明玖は魔道プログラムの読み書きができるって話してたよな? あれは今でも可能なのか? ――可能なのかって質問はつまり、プログラムの読み書きを覚えているのか、覚えていないのかを教えてほしいって意味」
「プログラムの知識は頭の中に残ってるから、可能」
明玖が頷いた。
「なら、僕たちで地下ダンジョンを攻略してみないか? それで、どうにか地下基地に到達して、明玖に施設のプログラムを見てもらうんだ」
「なるほど! それで施設のロックが解除できれば、最深部へ行くことも不可能じゃない!」
と、寺之城が黒板に追記する。
【地下ダンジョン&基地をぶち破れ‼】
「いや、書き方よ」
リクがまた苦笑したので、寺之城もまた口を尖らせる。
「インパクトがあって良いではないか。ガクト君、続けてくれ」
「ここから先は神頼みだけど、もし施設の最深部に、ドラゴンに対抗するための何らかの手段が残されていれば……」
「反撃のチャンス到来ってわけね」
ガクトに代わってジュリアが言った。
「やりましょう。地下基地最深部への到達こそ、わたしたちに残された最後の希望ですから」
アリーフェが賛同する。
「あんまり大所帯で行っても効率は上がらないだろうから、地下へはここにいるメンバーだけで行きましょう。ここにいない歌姫にはバンドの方を頑張ってもらうとして」
「あれ? もしかして、僕も戦力に入ってるのかね? あんまり戦闘力無いよ?」
ジュリアの言に、寺之城は自分自身を指差す。
「当たり前じゃないの。地下には危険なモンスターが入り込んでるのよ? あんたがいなかったら、誰がモンスターの囮になるのよ?」
【みんなで一狩りいこうぜ! 寺之城、お前囮な】
「いや、だから書き方」
リクがやれやれと肩を竦める。
「みんな僕を不死身と思ってるかもしれないけどそんなことないんだよ?」
「どうせだから、この後の朝礼でみんなにも共有して、何かあったときにいつでも動けるように待機してもらいましょうか。前回もその前も、急にドラゴンが襲ってきたわけだし」
寺之城をスルーして、ジュリアが言った。
「そうだな。朝礼でみんなに話せば、歌姫にも情報が伝わるだろうし」
ガクトは言いながら、ふと心の片隅に、竜斬剣についての不安を抱いた。
前回までの記憶では、剣の宝玉は三つしか輝きを取り戻しておらず、魔導兵器である二足歩行ロボットに剣を差し込んだ際、立体映像でこう表示されたのだ。
『お前の剣は、真の姿ではない』
あの言葉が意味するものは、剣の状態ではなかろうか? とガクトは思う。
何らかの方法で、四つ目の宝玉が輝きを取り戻したなら、ロボットはなんと答えるだろうか。
「この分ですと、きっと他の皆さんも過去の記憶をお持ちのはずです。体育館で、全校を挙げての作戦会議を開きましょう」
アリーフェが言い、各人が体育館に移動を始める中、ガクトは一人考える。
宝玉の輝きを取り戻すためには、重大な問題が一つ。それは、輝きを取り戻す方法が判然としていないこと。
マーフォークの血を引くガクトは、物事を感覚で捉える能力に秀でている。その感覚は、輝きを取り戻す方法について、ガクトに断片的な情報をイメージとして告げる。ガクトはそれを脳内で文字に起こしてみた。
『自分の心 相手の心 心拍数 感情 高揚』
果たしてこの断片的なイメージが何を意味するのかまではわからないが、ガクトにはこれが、宝玉の輝きを取り戻す大事な手掛かりに思えた。確証がないことが弱みではあるが。
「――ガクト? だ、大丈夫?」
明玖が、ガクトの服の裾を引っ張った。
「ああ、ごめん。ちょっと考え事してたんだ」
ガクトは一度思考を頭の片隅に置き、明玖と共にみんなの後に続く。
『校内魔法放送です。今日の朝礼では大事なお話があります。どうしても外せない用事が無い限り、極力体育館に集まってください』
廊下を浮遊して進むアリーフェは目を閉じ、片手を喉に、もう片方の手を胸に当て、校内各所に設置されたスピーカーから自分の声を流した。曰く、マイクを使わず魔法で自分の声を流すのが、校内魔法放送らしい。
「アリーフェの魔法で、竜斬剣の傷を修復させることはできないのか?」
「残念ながら、できません」
ガクトの質問に、アリーフェは首を振った。
「過去に何度か試したことがあるのですが、なぜかあの剣は魔法を受け付けないんです。選ばれし者しか、剣に干渉することはできないのだと思います」
「竜斬剣の宝玉が魔法で四つとも光っていてくれれば、不安が一つ解消するんだけど……」
そう溢したガクトだったが――。
「――まぁ、そうだよなぁ」
体育館。そのステージの上で、ガクトは四度目となる抜剣を行い、宝玉が三つしか輝いていないことを確認した。
だが、一つ発見があった。
それは、剣の状態が一回目のときよりも格段に良くなっていることだった。
まだ所々に痛みが見受けられるが、大きな刃こぼれは消えており、実戦に使用できる程度には綺麗な状態なのだ。
記憶を振り返ってみると、二度目、三度目と回数を重ねるうち、剣の状態が少しずつ回復していたように思えてくる。
「――理由はわからないけど、剣の状態が前よりもよくなってる!」
と、ガクトは剣を掲げて全校生徒に伝えた。
その生徒たちだが、ガクトが剣を抜き放ったのを見ても、今回は誰も歓声を上げず、拍手が響くのみ。
やはり、多くの生徒が記憶を呼び起こしているのだろう。
そして、ガクトが剣を抜いたところで、事態は好転しないことを知っているのだ。
ガクトは生徒たちの視線から逃れるように歌姫の姿を探したが、彼女の赤い髪色は見つけられなかった。
「宝玉が三つしか光っていないように見えるけど、それって何か悪い意味があったりするの?」
「確か、ガクトって名前だったよな? なんでか知らないけど、君の名前がわかるんだ。本当にその剣でドラゴンをやっつけられそうか?」
などといった声がちらほらと上がった。
ガクトはどう答えるべきかわからず、声が出せない。
自分でも、この剣を『真の姿』にする方法がわからないのだ。
「私たち生徒会が皆さんにお話ししたいのは、まさにドラゴン討伐についてです」
声が震えることはもうなくなったアリーフェが、答え倦ねるガクトの前に滞空し、ステージの中央で蝶のような羽を広げた。
「――ですがそのために、一度全員で状況を整理しましょう。正確な回数は不明ですが、私たちは何度も同じ時間を過ごしています。時間が巻き戻っていたからです。それは、ドラゴンに襲われる度、特殊な魔法が働いて引き起こされていたものと推測しています」
アリーフェは続ける。
「皆さんが既視感を覚える度に感じていた頭痛は、その魔法の副作用的なものと考えています」
「今朝、一際ひどい頭痛がして、それっきり収まってるんだけど、学園長が何か対策の魔法を掛けてくれたの?」
女子生徒の声。
「いいえ。一つ問題が起きたんです。それは、時間を巻き戻していた魔法が切れてしまったことです。今朝ひどい頭痛がしたのは、魔法が切れたことで、これまで経験した記憶がすべて呼び起こされたからだと思います」
このアリーフェの話を聞いて、生徒たちはざわつき始める。
「それって、もうやり直しができないってこと?」
「時間を巻き戻す魔法をもう一度唱えておけばいいんじゃないの? 学園長の魔法でしょ?」
「私にもわからない、未知の魔法なんです。ですから、私たちにはもう後がありません。なんとしてもドラゴンへの対抗手段を整えて、全員で力を合わせて戦わなくてはなりません」
アリーフェの声に、生徒たちは真剣な眼差しで聴き入る。
「私はとても身勝手な理由で、皆さんをここへ召喚してしまいました。なにもお返しを差しあげられなくて、胸が裂ける思いです。最初は拒絶した人も多かった……」
言葉に詰まるアリーフェの隣に、ガクトは立った。すると、寺之城、ジュリア、リクも、アリーフェの周りに寄り添うように集まる。
「もし、自分がアリーフェの立場だったらどう思うかを考えてちょうだい。目が覚めたら、家族や友達がみんな殺されて、この島にはもう自分しか残っていない。独りぼっちだ。でも自分は、召喚魔法を使って助けを呼ぶことができる」
「大切な人を奪った悪のドラゴンはまだのうのうと生きていて、犠牲になった仲間の無念を自分が晴らしてやりたい気持ちもある。君ならどうするかね? すべて諦めて、孤独な死を選ぶかね? 僕は御免だ!」
示し合わせるでもなく、ジュリアと寺之城が発言した。
「――皆さんは私のお願いを受け入れて、今まで力を貸してくれました。こんなこと、言えた立場でないことはわかっています。ですが皆さん、最後にもう一度だけ、協力して頂けませんか?」
目に涙を浮かべ、アリーフェは言った。
沈黙が生じる。次の瞬間には、大勢の反対の声が上がるかと思われた。
だが。
「今更謝られても、誰にもどうしようもねぇだろ。――戦うさ」
「学園長の気持ち、わたしわかってるよ? だから大丈夫。いつも通り協力する!」
一人、また一人と。
「俺、元の世界で居場所無かったんだけどさ、こっちでは結構楽しくやれてるぜ? 会長が呼んでくれたおかげだ。だから俺も手伝う!」
「ゲームの中だけだと思ってた世界が、今こうして俺の前で現実になってる。こんな貴重な体験はなかなかできない。これを壊そうって輩がいるなら、戦うしかないだろ」
生徒たちが立ち上がっていく。
「――俺も、どうにかしてこの剣を完全な状態にする! どうか、信じてくれ!」
と、ガクトは言って、竜斬剣を振り上げた。かつては自分に向けられる奇異の眼差しを恐れていたが、今の彼には微塵の恐れもなかった。
生徒たちの大歓声が体育館を揺らした。
■
その後すぐ、全員で武装して校舎内で待機するよう指示が出され、生徒たちは解散となった。
去り際の生徒たちがエールを送ってきたので、一人壇上に残って手を振っていたガクトが舞台袖に捌けると、リクが待っていた。
「――カッコよかったぞ」
頬を赤らめて、リク。
「ありがとう。なんだか無性に、アリーフェの肩を持ちたくなってさ。剣を完全体にするって言っちゃったから、是が非でも方法を見つけないと……」
頭を掻くガクト。
「そうだね。これからみんなで探しに行こう。地下基地にはまだ、望みが残ってるから」
ちらり、と、リクが上目でガクトを見、視線を足元に落とす。
「私さ、いろいろ思い出したんだけど……」
ガクトはリクのほんのりと赤い表情を見て、何かの感情の高ぶりを感じた。
改めて面と向かい合うと、如何にリクの顔立ちが良いかわかる。
少し吊り目の一重瞼はクールな印象を漂わせ、落ち着いた物腰と相まって女優のような美しさを見る者に抱かせる。
「岩山エリアでのこと、ガクトは覚えてる?」
岩山エリア。
忘れるはずがない。
「――ああ。覚えてる」
リクは少し目を見開き、
「そ、そっか……」
両手を後ろに回し、片方の靴先をトンと床につけ、それを見つめたまま、こう言った。
「私さ、結局あれからまだ、誰からも告られてないんだ……」
そして顔を上げ、じっとガクトの目を見つめる。
「…………」
リクが岩山エリアでガクトに言ったこと。
『――もし私が誰からも告られなかったら、ガクトが告ってくれる?』
ガクトは首から頬にかけて紅潮が這い上がっていくのを感じた。
「ち、ちょっと待った! こ、これから地下へ乗り込もうって言うんだ。そういう大事な話は、ちゃんと時間が取れるときに――」
「いま聞かせて」
リクは目を逸らさない。
彼女の気持ちもわかる。
口には出さないが、リクも、みんなも、心のどこかではこう思っているはずなのだ。
『これが最後になるかもしれない』と。
だが、ガクトは違う。
「いいか、リク」
リクの顎に手をやろうとして、しかしその手を彼女の肩に置いた。
「――俺はこれが最後になるなんて思わない。必ず、君とゆっくり話せる時間を手に入れる。だから、それまで待っててくれ。今はとにかく、剣や地下基地攻略のために意識を集中させてほしいんだ」
「……なんだか君がそう言うと、ちょっとだけ落ち着くね。本当になんとかしてくれる気がして……」
「ああ。なんとかするさ」
ガクトが首肯すると、リクは小さく笑う。
「何でなんだろうね? 君が自分を変えていける人だからかな?」
「それを言うなら、リクだって自分を変えたじゃないか」
「君が、いてくれたからだよ?」
「リクなら変われるって、俺に信じさせたのはリクだ」
言って、ガクトが笑うと、リクも笑った。
「譲らないね?」
「ああ、今はな。お互い、譲らずに戦おう」
と、ガクトは片方の拳を差し出した。
「――わかった。その時間が来るのを待ってる」
リクもそれに倣い、両者は拳同士を付き合わせた。
■
生徒会室に再集結した一同の話合いで、地下施設へは、ガクト、アリーフェ、寺之城、リク、明玖の五人で行くことに決まった。
ジュリアはパワードスーツを装備して学園の屋上に待機し、守備隊の指揮を取って戦闘に備えることで合意した。
しかし、歌姫が未だに姿を見せていなかったので、心配になったガクトは出発前に、歌姫がいると思われる音楽室に顔を出す提案をした。
そうして音楽室を訪れたものの、そこにいたのは歌姫を除いた【RED】のメンバーだった。
「歌姫なら、トレーニングルームにいると思う。今朝、急に一人にして欲しいってうちらに言い残して、ウェアに着替えて出ていったから」
緑髪をポニーテールに結わえたエルフの子に言われ、ガクトたちは校舎の東側の一階にあるトレーニングルームを訪れた。保健室の二つ隣の部屋だ。
そこに、歌姫は汗だくでいた。
「――っ‼」
ガクトでは到底上げられそうにない大きさの重りをつけ、歌姫は歯を食い縛ってベンチプレスに励んでいたところだった。
「歌姫?」
「ふぇ⁉」
ドアを開けて中を覗いたガクトの声で、歌姫は集中が途切れたのか、突如バーベルを胸に落としそうになる。
「歌姫!」
ガクトは咄嗟に駆け寄り、彼女に手を貸す。バーベルは想像以上の重さがあった。
「――ふんっ!」
ガクトが持ち上げられずに唸っているところで歌姫が持ち直し、凄まじい力で押し上げ、フックに掛けた。
「……ありがとう」
激しい運動をしていたからか、かなり赤い顔で歌姫は言い、腹筋を使って上体を起こし、立ち上がる。
「ていうか、その、近寄らないで? わたし、いっぱい汗かいちゃったから……」
「大丈夫か? 朝礼でも見かけなかったから、心配したよ。なにかあったのか?」
ガクトは首を横に振り、そう聞いた。
「……ごめん!」
歌姫は両の手を握りしめ、顔を伏せた。
「いや、どこか具合が悪いとかそういうんじゃないならいいんだ。ちょっと連絡が――」
「そうじゃなくて……」
取り繕うガクトを遮って、歌姫は言う。
「わたし、全部、思い出したの。わたしの歌で、みんなを助けてあげられなかったこと……」
彼女の握りしめた拳が、震え始める。
ガクトは歌姫が放つ気配を感覚で捉え、察する。
「――いや。歌姫は俺たちを精一杯助けてくれたよ。今まで何度も」
「ちがう! わたしの目の前で、ガクトくんは――」
「食われたんだろ? それは俺の落ち度で、君のじゃない。俺も思い出したんだよ、全部」
「ガクトくんも?」
歌姫は驚いた様子で顔を上げる。その顔は涙で濡れていた。
「ああ。他のみんなも、過去の記憶を思い出してる。今朝はそのことで体育館に集まってたんだ。これからどうするか話すために」
と、ガクトが頷くと、歌姫はガクトの胸に取り縋った。
「ごめん。……わたし、毎回、だめだめで、……こんなんじゃボーカル失格だって思って……」
「だから、朝から頑張ってたのか?」
ガクトは、自分の胸に顔を埋めて肩を震わせる歌姫の背中をそっと撫でる。
「こんなことしても、なにも変わらないってわかってる。でも悔しくて、悲しくて、……何かに夢中になっていないと、おかしくなりそうだった……」
「ごめんな。辛い思いさせて」
ガクトの言葉に、頭を振る歌姫。
「なんでガクトくんが謝るの? あのときわたしの歌唱魔法がもっと強ければ、君の身体能力とか、たくさん強化できたの。それが足りなかったのがいけないの」
「歌姫が負担を背負わなくちゃならない状況を作った俺にも非がある。自分ばっかり責めないでくれ」
歌姫の背中を撫でながら、ガクトは決意を新たにする。
「もう二度と、歌姫に同じ思いはさせない。俺がどうにか剣を元の状態に戻すから、信じて待っていてくれ」
「それなら、わたしはどうしたらいい?」
しゃくり上げた歌姫が顔を上向け、ガクトの目を見つめる。
ガクトは彼女の頬を伝う涙を指先でそっと拭いながら、
「君は無理しないで、君にしかできないことを頑張ってほしい。俺は今からみんなと地下ダンジョンを攻略して、地下基地に行ってくる。座右の銘は?」
すると歌姫は泣き笑いを溢し、
「――諦めない!」
いつものように張りのある声で言った。
「――そうだよ、歌姫」
と、リクが音楽室に入ってきた。他の面々は気を遣ってか、廊下で待ってくれているらしい。
「諦めない。それが大事。私、あなたの歌すごく好きなんだ。それが聴けなくなるのは絶対に嫌だから、戦ってくる」
「リク……」
ガクトがそっと離れると、歌姫は振り返ってリクと向き合った。
「歌姫も、ここで自分の戦いを頑張ってよ。最強のコンディションで、最強の歌声、みんなに聴かせて?」
「――そうだね! 任せておいて!」
歌姫は目元を腕で拭い、凛とした表情を見せた。
「ガクトくん」
そうして歌姫はガクトに向き直り、拳を突き出す。
「――報われようね!」
「ああ!」
彼女の拳に自分のそれを突き合わせ、ガクトはその場を去る。
「先に行って? すぐ追いつく」
「――わかった」
リクを伴おうとしたガクトだが、まだ話があるのか、彼女はここに残るらしかった。
『報われようね』
歌姫が今言った言葉を、ガクトは噛み締める。
(そうだ、報われたい。絶対に、この島の全員で報われるんだ)
「なんだか、お熱い仲じゃないかね? ガクト君」
と、廊下を進むガクトと肩を並べ、寺之城が言った。
「ちょっと、いろいろあってな……。ぜんぶ終わったら、大和に相談させてくれ」
記憶が蘇ったガクトの脳裏に浮かぶのは、リクと歌姫の姿だけではない。
「変態紳士と名高い僕で良ければ」
「……やっぱりアリーフェに相談する」
■
ガクトが去った音楽室に、二人の少女が残る。
「――歌姫もさ、あいつとそういう仲なんだね……?」
「歌姫、も?」
交錯し合う二人の視線は、お互いに一瞬、僅かに揺らいだ。
「わかるでしょ? 今私が言ったことの意味」
「――うん」
部屋の壁に掛けられた時計の音が、やけに大きく聞こえる。
「ドラゴンなんて気にしてる場合じゃないね」
「とっととやっつけて、わたし達の戦いを始めないと、だね!」
言って、二人は不敵に笑い合う。
「負けないから」
「わたしも」
それは、乙女同士の聖戦。
その幕開け。
■
学園島中心部にある火山の火口の淵は、高さ二十メートルほどの小さな山を形成し、それが円を描く形で学園を取り囲んでいる。
地下ダンジョンの最寄りの入り口は、件の山々の円を西へ外れた場所にあった。
それは、乾燥した大地の斜面にぽっかりと開いた洞窟で、アリーフェの魔法でカモフラージュされており、彼女がその魔法を解くまでは大きな岩があるようにしか見えなかった。
剣を背負うガクトがライトを片手に先導し、すぐ後ろからリク、アリーフェ、明玖、寺之城の順でダンジョン入りする。
いつもは生徒会室に籠って魔力を蓄えているアリーフェが同行しているのは、
「みんなで地下に入る度に落盤事故が起きたから、今回はアリーフェの魔法で守ってもらいながら進もう」
というガクトの案が採用されたからだ。
しかし、頼りのアリーフェは感知魔法だけは苦手らしく、感知能力が強みのガクトとリクが先頭を歩いてサポートする。
こうした地下ダンジョンの洞窟は学園島に複数あるが、地上と地下とを行き来するために古代人たちによって急ピッチで掘られたらしく、いずれもまともな整備が成されていない。壁も床も天井も凹凸が目立つので、注意して歩かなければ足を挫いてしまうだろう。
「どうですか? なにか感じますか?」
ふわふわと漂うように移動するアリーフェはガクトの耳元まで上昇し、囁くように言った。
「――いや、今のところなにも感じない。この洞窟は大丈夫なパターンかもな」
ガクトはそこで、眼前数十メートル先に光を見た。
「あれは……?」
「地下基地の明かりです」
と、アリーフェ。
「ダンジョンは本来、ドラゴンのようなよそ者が侵入したとき、遠回りをさせたり、迷わせるために造られたものですが、学園からほど近いこの洞窟のように、わかりやすく一本道になっているものもあって、そうした道を進めば、最短距離で地下施設の【外側】に入ることができるんです」
「学園は元々、古代人が外敵から立て籠もるために造った城塞だったのだろう? 城塞の地下、――それこそ体育館の辺りに穴を掘って地下まで繋げれば、学園長がカモフラージュ魔法で誤魔化したりする必要もなかったと思うのだが……?」
寺之城が疑問を口にする。
「私には、地下基地のすべての構造はわかりません。目隠しで基地へ連れて来られ、そのままコールドスリープに入らされてしまったので、……でも、眠るまでの間、同胞たちの会話は聞こえたんです。その内容の中には、城塞の地下に何かを隠すというものもありました」
「アリーフェは島の地下に何かが確実にあるとわかっていたから、今まで意思を揺らがせることなく私たちを導いてくれたんだね」
ガクトのすぐ後ろを進むリクが言って、アリーフェの頭を白い指先で撫でる。
「――く、くすぐったいです」
頬を赤らめるアリーフェはどこか心地良さげだ。
「な、なにが地下にあるのかも、わ、私の魔導コンピューターを、き、基地のコンピューターに繋ぐことができれば、た、たぶんわかると思う」
おっかなびっくりといった様子で進む明玖が言った。
「頼もしいです、明玖さん」
アリーフェは明玖に微笑む。
「皆さんに得手不得手があって、それぞれの人にしかできないことがあるのと同じように、私にもきっと、何かできることがあるから、――やるべきことがあるから、こうして生かされたのだと思います」
と、リクの手のひらに両脚を揃えて座ったアリーフェは、眼前から差す光を見つめる。
「眠りにつく前に、何か指示みたいなものは受けなかったのかね?」
寺之城の問いに、アリーフェは首を横に振る。
「指示はありました。『お前だけでも生きてくれ』と」
その言葉は、古代人たちの切迫を物語っていた。
「私は数少ない妖精族の中でも特に魔法が強力でした。だから、何かを託したかったのだと思います。……私は、それに応えると誓った。生きろと言われたからには、精一杯足掻いて、生きると決めたのです」
アリーフェの決意は、同族を殺された【復讐】といった、【血】と【闇】を思わせるものではなく、彼女の純粋な優しさが織り成す一筋の光のように、ガクトには感じられた。
そのときだ。
「――ガクト」
リクが、緊迫した声を出した。
同時に、ガクトも触覚で妙な気配を捉えていた。
「ああ、俺も感じる!」
「落盤ですか⁉」
アリーフェはリクの手から飛び立ち、天井を睨む。
「いや、前方に何かいる。光の中だ」
「つまり、基地の中ってことか。誰かが先を越したのか?」
ガクトの言で、寺之城が目を凝らす。
「普通に考えたら、迷い込んだモンスターでしょ。いくらアリーフェが視覚的にカモフラージュしても、鼻のいいモンスターには効果が薄い。見破られて、侵入されたのかも」
リクが言いながら左右の腰に手をやる。今回は二丁のリボルバーを始めから使うようだった。
一同が見つめる先で、黒い影が光の中を過った。
ここから基地内部までの距離は三十メートルといったところだ。
「見えたか? リク」
「ばっちり。薄暗い中でも目が利くからね!」
「な、なにが見えたのかね?」
怯えた様子の明玖の背後に立って、震え声を出す寺之城。
「今のはたぶん、ポイズンウルフ。北の森にいる、黒紫色をした肉食のやつ。気を付けて? 引っ搔かれたり噛まれたりしたら毒にやられる」
「大和、頼む。例のやつを」
ここでガクトは、秘策とばかりに寺之城を振り向いた。
寺之城は徐に己の背後を振り返る。
「いや、大和っていったらあなただけでしょ」
リクの冷静なツッコミに寺之城は眼鏡を光らせつつ唸る。
「ぐぬぬぬぬ! やっぱり僕はこういう役回りばっかりなんだなぐぬぬぬ!」
彼が唸りつつ制服のポケットから取り出したのは、ビニールに包まれた生肉。
「ガクト君。僕がもし食われたら、学園の四階の教室Bのロッカー3番に入っているエロ雑誌を燃やしてくれ。ロッカーのカギはダイヤル式でね、今番号を」
「とっとと行く!」
「わっとっとっとぉぉおぉおおおおおキィェエァアアアアアアアアアアアッ‼」
リクに背中を蹴られて前につんのめり、転ぶまいと何度も足を前に踏み出す寺之城は洞窟が下り斜面になっていることも相まって加速していき、悲鳴が奇声へと変わった。
「こうなりゃ、ヤケだわさぁああああああああああああ‼」
そう叫ぶ寺之城だったが、ついに洞窟の凹凸に足を取られて顔面から盛大に転倒。手に持っていたビニール入りの生肉を前方の光へと放ってしまった。
しかしそれが功を奏し、光の中で死角に潜んでいたポイズンウルフが姿を現し、生肉へと食らい付いた。
「はいッ! たいきゃぁあああああああああああく‼」
そこから四つん這いになって猛烈な速度で引き返す寺之城とすれ違う形で、リクが駆け出す。
ガクト、アリーフェ、明玖がそれに続く。
リクが光の中へ至り、すぐさま発砲。生肉に気を取られていたポイズンウルフを的確に仕留めた。
そこへガクトたちが追いつき、基地へと足を踏み入れた。
ここまでの洞窟とは打って変わり、コンクリートのように硬い素材で平らに整備された通路が左右に走り、白光する照明が通路に沿って続き、明るい空間を形成していた。
広さも申し分なく、乗用車一台が優に通れる幅と高さを有している。
内部を観察するのも束の間。ガクトとリクは、今度は今自分たちが通ってきた洞窟の向こうに気配を感知した。寺之城が這い進んで逃げていった方向である。
「――寺之城! その場に伏せて!」
目の良いリクは次の敵を既に捉えたらしく、通路を蹴って洞窟の奥へと駆け戻る。
再び銃声。重なるようにして、犬の悲鳴に似た、獣の断末魔が聞こえた。
「リク! 大和! 無事か⁉」
光の下にいるガクトは薄暗い洞窟の様子がわからず、二人の名を呼ばわる。
「ああ! こっちは無事だよガクト君! そっちはどうかね? 他にモンスターはいないか?」
「ちょっ! 抱きつくな! 風穴開けるわよ⁉」
寺之城とリクの元気な声が返ってきた。
「――二人とも平気そうだな」
と、ガクトが胸を撫でおろしたときだ。過去に感じたものと同じ危機的気配を、ガクトは感知した。
「――まずい! 二人とも逃げろ! 落盤が起きる!」
「大変!」
ガクトが叫び、アリーフェが防御魔法を発動させようとした瞬間、基地と洞窟の境にあたる
部分の天井が重苦しい音を立て崩壊。
ガクトは咄嗟にアリーフェを掴み、明玖の身体を抱き寄せ、その場から身を投げ出した。
「――大丈夫か?」
明玖とアリーフェを身を挺して庇ったガクトは自分が下敷きになることで、二人を衝撃から
守っていた。
「――ッ⁉」
黙したまま頷く明玖は頬を赤らめ、ガクトを見つめる。
「あ、ありがとうございます。でも、洞窟が……」
アリーフェの視線を辿って、ガクトはさきほど自分たちが立っていた場所が無数の岩で完全
に潰され、洞窟へ引き返すことはできないほどに穴が塞がってしまっていることを知った。
「おい! ガクト君! アリーフェ学園長! 家内君!」
「返事して!」
岩の向こうから、寺之城とリクの声がする。
「こっちは無事だ! そっちは⁉」
「無傷だとも! いや、リク君に蹴られた腹は痛むが!」
ガクトの声に寺之城が答えた。
どうやら、全員事なきを得たようだった。
一同が分断されてしまった問題を除いて。
「どうしよう⁉ ガクト、ここからじゃそっちに行けそうもない!」
リクが言った。
「こっちは俺たちでなんとかやってみるから、二人は一度地上に戻って、みんなに警戒態勢を
続けるように伝えてくれ!」
「私からも、お願いします!」
ガクトにアリーフェが言い加えた。
「わ、わかった!」
「頼んだぞ!」
リクと寺之城が引き返していく気配を感知したガクトは、不安げなアリーフェと明玖を振り
返る。
「俺たちも動こう。まずは明玖がアクセスできそうなコンピューターを探すんだ」
この状況に動じないガクトを見て励まされたか、アリーフェと明玖は共に頷いた。
■
基地の外側は、学園の校舎のように四角い構造をしており、階段を発見したガクトたちがそれを降りてみると、地下6階まであることがわかった。
偏に四角い構造といっても、一辺の通路の長さは数百メートルの長さがあり、学園の敷地内には収まらない規模の広大さを有している。
途中、何度かポイズンウルフに出くわしたが、アリーフェの防御魔法でサポートを受けたガクトが剣で退けた。過去、ジュリアと共にやった特訓の成果だった。
各階の通路には、一定の間隔で左右にドアがあり、ガクトたちが近づくとそれを感知して自動で開くものと、そうでないものがあった。
アリーフェ曰く、自動で開くドアは基地の外側で管理されている部屋のものらしく、より機密性の高い基地の内側へ続くドアは開かないとのことだった。
各部屋はそれぞれ用途が分けられており、居住スペースのような部屋があれば、食堂、資材室のような部屋もあった。
「――それにしても、大昔に造られた施設とは思えないくらいに綺麗だな」
落盤から一時間ほど施設内を探索したガクトは感想を述べた。
自動換気システムや特殊な保存機構が備わっているらしく、どの部屋も多少の錆や腐食こそあるものの、全体的に修復が可能なレベルで環境が保たれていたのだ。
「ど、どこかに、機械室というか、き、基地を機械的に、管理する部屋が、あるはず……」
という明玖の考えのもと捜索を続けること10分。
「ここか?」
自動で開いたドアの中を剣を構えて覗き込んだガクトは、内部に複数のモニターと、コンピューターと思しき機械を見出した。
「うん! こ、こういう部屋を待ってた!」
目を輝かせた明玖がさっそく調べに掛かる。
複数あるモニターは作業用テーブルの上に置かれたもの以外にも、壁面に張り付くような形で備わるものもあった。モニターが載せられた平らなテーブルの上には、キーボードと似たような役割を果たすのだろう、無数の四角いマスが描かれていた。
「――こ、これはたぶん、スイッチみたいに、押し込むんじゃなくて、た、タッチパネルに似た仕組みで、動作するやつ……」
無数の四角いマスを見た明玖がつぶやいた。マスには何やら文字のようなものも描かれている。
明玖は数ある端末から一つを選び、その横面に穴を見つけ、試しに自分のコンピューターの接続コードを差し込んでみる。
「ここのシステムの魔導エネルギーの規格が、明玖が持ってきたコンピューターのものと違ってたら、どうなるんだ?」
ガクトの問いに、明玖はつっかえながら、
「私の、コンピューターか、このシステムが、こ、壊れる。あ、あるいは、両方、壊れる」
「マジか……」
ガクトは万が一のことを考え、躊躇の念に駆られてしまう。
「やってみるしかありません。どのみち、ここのシステムを動かすことができなければ、私たちに先はないのですから」
眉宇を引き締め、アリーフェが言った。
明玖は頷き、恐る恐る、自分のコンピューターを起動する。モニターの背面に備わる魔導球が淡い光を放ち、画面が点灯した。
ガクトはごくりと喉を鳴らし、アリーフェは両手を握り合わせて祈るように目を閉じる。
「……どうだ?」
「――だ、大丈夫みたい!」
ガクトの問いに明るんだ表情で答えた明玖は、凄まじい早さでキーボードをタップし、地下基地のシステムへ侵入を試みる。
「基地のシステムのセキュリティが、強固すぎなければいいのですが……」
アリーフェの心配に、明玖は首を横に振る。
「だ、大丈夫。少し時間をもらえれば、ドアを開けるくらい、簡単」
明玖の宣言通り、それからものの数分で、ガクトたちが今居る部屋を出た先にあるドアが開かれた。地下基地の内側へと至るドアだ。
「基地内のドアロックを、ぜんぶ、解除した。電波も送受信、できるようにしたから、地上と連絡、できると思う」
「おお! やったな、明玖!」
「さすがです!」
「――どう、いたし、まして……」
肩を縮こまらせ、恥ずかしそうに俯く明玖。
「俺とアリーフェで中を見てみるから、君は引き続き、システムの解析を頼む。何かわかったら電話してくれ」
言って、ガクトは学生服のポケットから携帯を取り出して見せる。
学園の生徒たちの中には携帯を所持していた者が複数名おり、それを各部隊のリーダーや大役を担う者にそれぞれ持たせてあるのだ。
「わ、わかった。き、気を付けて」
「明玖さんも」
手を振るかのように片手を少し持ち上げた明玖に、アリーフェも片手を上げた。
ガクトは剣を正面に構え、開かれたドアの先を見遣る。
数メートル続く通路の先に、もう一つ開かれたドアがあり、その先はなにやら広々とした空間が見える。
「――ここは、なんだ?」
アリーフェを伴って広い空間に出たガクトは、その高い天井を見上げる。
ドーム状を成すその空間は、学園の地下体育館に匹敵する広さを持ち、中央には何らかの機械が取り付けられた小さな椅子が設置されていた。
椅子の上部から縦方向に伸びる広がる機械群はまるで生い茂る木のようで、無数の配線やパイプらしきものがツタの如く絡まり合い、異様な気配を漂わせている。
「……魔力増幅炉だと思います」
状況を見たアリーフェが言った。
「魔力増幅炉?」
「はい。私のような妖精族がその力をより強く振るえるよう、古代人によって開発されたものです。私がその実験体になりましたから……」
ガクトの問いに、アリーフェは過去を想うかのように目を細めた。
「あの小さな椅子が、妖精族専用の証です。古代人たちはロボット以外の兵器としてこうしたものも開発し、総力をあげてドラゴンと戦おうとしていました」
「――でも、竜斬剣を扱える人がいなかったから、不完全な状態の戦力しかなくて、抵抗しようにもできなかったってことか……?」
「そういうことだと思います。これがここにあるということは、……きっと彼らは、剣を扱う素質のある者が現れる未来を信じて、この私を残したのだと思います。最も強い魔力を持つ私がこの機械で力を増幅させて、ガクトさんを援護すれば……」
ガクトは、アリーフェの瞳に光が灯ったような気がした。僅かな希望が心に兆したか。
「てことは、俺がこの剣の宝玉をぜんぶ光らせることができれば……」
徐に剣の宝玉を見つめるガクト。
と、ここでガクトの電話が鳴った。明玖からだ。
「明玖、どうしたんだ?」
「い、今、地下基地のデータベースにアクセスして、か、過去の記録から、設計図を見つけて、それを見てるんだけど、ガクトくんたちが、進んでいった先に、地下基地の、中心部が、あるみたい」
「この先だな? わかった。行ってみる!」
一旦電話を切ったガクトはアリーフェに言う。
「この先に中心部があるらしい。そこへ行けば、剣のことも何かわかるかもしれない!」
■
学園の屋上で空を睨むジュリアは、洞窟から戻ってきた寺之城とリクから話を聞き、二人にも防衛隊に加わるよう指示をしたところだった。
「アリーフェも明玖も、ガクトが一緒なら問題ないわ。あたしが鍛えた男だもの!」
と、ジュリアは心配そうな寺之城とリクを元気づけようとするが、
(ガクト……)
心の中では、彼が打開策を見出すことを祈るばかりである。
ジュリアは同時に、ガクトに言えなかったことを思う。体育館ではリクに、音楽室では歌姫に先を越され、気付けば別行動になってしまったのだ。
ジュリアはふと、パワードスーツに備わる通信装置を意識する。
ガクトは携帯電話を所持している。
(今はそれどころじゃない!)
だが、ジュリアは邪念を振り払うかのように深呼吸し、寺之城たちに学園の状況を説明する。
「――歌姫たちは屋上でライブの準備中。他の生徒はほぼ全員武装させて、いつでも動けるように教室で待機させてあるわ」
「問題なのは、飛び道具が圧倒的に足りない点か。中には弓を持っている生徒もいるが、ドラゴンに通じそうなのはリク君の銃と、君のレールガンくらいだ……」
ジュリアの説明を聞いて、腕組みをした寺之城が唸った。
この一年ほどで人数が増え、それに応じて武器も量産されたが、その多くは地上での狩りを目的として作られており、飛び道具といっても弓やボウガンがせいぜいだった。
「採取できる金属の量に限りがあるから、作れる武器も限定されるんだよね。どこかに大量の金属と火薬があれば話は違ってくるんだけど……」
「それこそ、大砲とか作れればなぁ……」
「――逆に考えるのよ。まだあたしとリクがいるんだから。弓や槍でだって、戦いようはある。アリーフェと歌姫たちの魔法サポートもあれば、そう簡単には負けないわ」
肩を落とすリクと寺之城をジュリアが励ましたときだ。
突然、避難警報が鳴り響いた。次いで、校舎全体が揺れ始める。
「え、地震? 珍しいわね……」
「ここ、死火山でしょ?」
狼狽えるジュリアとリクに、寺之城が言う。
「死火山といっても、地震が起こらないわけではない。中には活動を再開する火山もあると聞いたことがある。ここは一旦姿勢を低くしてやり過ごそう」
揺れがかなり大きく、パワードスーツを装備してずっしりと立つジュリア以外の二人はその場にしゃがみ込んだ。
「ドラゴンが来て、魔法か何かで攻撃してきてるのかしら?」
「まさか、そんなことまで可能なのか⁉ ほんと魔法ってなんでもありだな……」
徐に空を見上げて話すジュリアと寺之城を、
「――見て! グラウンドが!」
リクが校舎で四角く囲われたグラウンドを指差して呼ばわった。
そうして、屋上や窓という窓から学園の生徒たちが見つめる先で、誰一人として想像だにしなかったことが起きた。
グラウンドと、地下の体育館そのものが真横へとスライド移動していき、ぽっかりと開いた大穴の下から、平らに整備された広場がせり上がってきたのだ。
生徒たちはその広場の中心に、仁王立つ巨人の姿を見た。
■
地下基地の中心部は、魔力増幅炉のドームを奥へと進み、再び数メートル続く通路を進んだところにあった。
明玖の見事なサポートで、まだ解除されていなかった両開きの巨大なドアが開き、ガクトたちの眼前に、その広大な空間が広がった。
爆発的に開けた視界に、ガクトもアリーフェも圧倒され、言葉を失う。
地下基地中心部は、地下体育館のおよそ10倍の幅、奥行き、そして2倍以上の高さを有する、地下世界といっても過言ではないほどのスペースを誇っていた。
だが、ガクトたちが言葉を失った理由は広さ以外にある。
地下世界の中央に、巨人がいたのだ。
主君に仕える家臣の如く片膝を地につき、頭を垂れるような構えで、その巨人は物言わず大きな存在感を放っている。
「な、なんだ⁉ これ……」
「わ、私にもわかりません。まさか、こんなものが隠されていたなんて……」
ガクトがそう溢し、アリーフェが首を横に振る。
青色を基調としたボディーで、全体的に丸みを帯びたシルエットを成す巨人は人間そっくりの姿形をしており、厚みのあるたくましい胴部に、脚部は太ももから足先にかけて太さが増し、腕も同様に、二の腕から前腕にかけて太くなっている。
手も足も、まるで格闘の打撃力を上げるべく施されたような形状で、この巨人の用途を物語っているかのようだ。
実際の背丈はどれほどなのか見当もつかないが、少なくとも学園の四階建ての校舎よりは高いと思われる。
「これらが、古代人がドラゴンと戦うために開発した兵器か?」
ガクトの言う『これら』とは、巨人の存在感の影に隠れてしまっていたが、その巨人を取り囲むようにして佇む、百体ほどの小型二足歩行ロボットのことだ。
「――だと思います。コクピットがどこにあるのかわかりませんが、恐らくはこの巨人も、人が乗ることで動くロボットでしょう……」
アリーフェが顔を上向けたまま答えた。
この広大な地下世界でガクトたちを待ち受けていたのは、大小のロボット軍団だったのだ。
「――明玖、今からこっちへ来れるか? 君に直接見てもらいたいものを見つけたんだ」
ガクトは電話で明玖を呼ぶが、尚も視線は巨人――もとい巨大ロボットに向けたままだ。
「小型のロボットは、屋上にいたのと同じやつだよな? 前回、俺がそいつに剣を差し込んだら、拒絶された。この大型のやつに、剣を差し込む溝があるのかわからないけど、もしかすると、剣を完全な状態に戻してからでないと、ダメかもしれない……」
じわりと沸き起こる不安を口にするガクト。
剣を完全な状態にするための手段が、この期に及んでまだ判然としないのだ。
「――な、なにがあったの? ひぇっ⁉」
後方から駆けてきた明玖が眼前に聳える巨体を見上げて腰を抜かした。
「明玖さん、お願いです。あの巨大ロボットを起動させるために力を貸してください」
アリーフェのお願いに、明玖はどうにか冷静さを保ちつつ、
「ま、魔導エネルギーが主体で動くなら、や、やれるかも……」
明玖の言を受け、ガクトとアリーフェは巨大ロボットの胸の中心に着目する。
そこに、光こそ失っているものの、一つの大きな球体が埋め込まれている。
「あれ、魔導球だと思うんだけど、どう思う?」
「私もそう思います。光を失っているのは、動力が失われているからかと……」
ガクトの問いにアリーフェは小さく頷いた。
「と、とりあえず、私のコンピューターから、こ、このロボットのコンピューターに、侵入してみる」
明玖はその場にぺたんと座り、再びキーボードを操作する。
「そんなこともできるのか?」
コンピューター関連の知識に乏しいガクトは目を丸くする。
「い、今、接続可能な回線を、探してる。これは、学校の回線だから違う、これは、ガクトくんの電話、これも違う、――あった! 見たことのない名前だから、たぶん、これ!」
と、明玖がコンピューターの画面を見せる。そこには英文字でこう表示されていた。
【タイタン・ウェイカー】
「タイタンっていう名前からして、この巨大ロボットのことだとは思うけど、何か知ってるか?」
「私もわかりません。目覚める巨人とか、起き上がる巨人とか、そういう意味合いかとは思いますが……」
首を傾げる二人を他所に、明玖が調査を続ける。
「――た、たぶんだけど、この大きなロボット――タイタン・ウェイカーが、この地下システムの中枢を担ってる。つまり、し、司令塔。このロボットを、起動することができれば、基地のすべてのシステムを、操作できると、思う」
両手を動かし続けながら、明玖が言った。
「司令塔か。……確かに、一番大きいし、見た目も強そうだ……」
ガクトはタイタン・ウェイカーを見上げる。
古代人たちが建造し、残した最後の切り札。
悪のドラゴン――ベルリオーズを倒すため。
大切な人を守るため。
紡がれた意志の結晶が、今目の前に聳えている。
『大事なのは、目標の達成に向かおうとする意志だと思ってる。志さ――』
故郷の友の言葉が蘇る。
ガクトたちは、何度も希望を打ち砕かれ、踏み躙られてきた。
それでも、諦めずに前を向き、恐怖と戦いながら、目標を見出して進んできた。
目標を達成する未来へ向かおうとする意志を、懸命に貫いてきた。
ガクトたちの意志と、古代人たちの意志が、今この場所で、このタイタン・ウェイカーというロボットで、一つになる気がした。
「――アリーフェ。タイタン・ウェイカーを操れるのは、この島で俺だけなんだよな?」
「そうなってしまいます。ロボットが言うことを聞くのは、剣に選ばれた者だけですから」
アリーフェが答えた。確かに、前回、学校の屋上で小型のロボットにガクトが乗り込んだ時も、それを示唆する文字が表示されていた。
ガクトはごくりと喉を鳴らし、一瞬、自らに圧し掛かってくる重圧でその瞳を揺らがせたが、長く息を吸い、吐いて、覚悟を決めた。
自分がタイタン・ウェイカーに乗り込み、戦うのだ。
「わかった。俺、やるよ!」
まだ剣は完全な輝きを取り戻していないが、それでも試さなければならない。
「……起動できそうか? 明玖。起動さえできたら、例えば、外部からアクセスしてこのロボットの搭乗口を開けて、俺が乗り込むってこともできるんじゃないのか?」
「やってみないと、わからないけど、が、頑張る」
小さな身体で、明玖は力強く頷いた。
「――私も、全力を尽くします。ガクトさん、明玖さん。お互いに、健闘を祈りましょう」
アリーフェはそう言って微笑むと、来た道を戻っていく。
「アリーフェ、何をする気なんだ?」
「さきほどの魔力増幅炉を使って、学園魔法を発動します。そうすることで、皆さんを【魔法障壁】で守りながら、【幸運】を与えることができます。皆さんの運がよくなるんです」
「あ、あの増幅機械、使用者への負担、重そうだった!」
明玖がアリーフェに手を伸ばすが、
「大丈夫、明玖さん。妖精族は小さいですが、心身ともにタフですから!」
ぽん、と胸を叩いたアリーフェは、『ぴゅるるる』という飛行音をたてて魔力増幅炉へと向かった。
「アリーフェ……」
「――アリーフェ、任せたぞ」
ガクトが祈るように言うと、明玖も徐に作業に戻る。
「……ガクトくんは、恐い?」
不意に、明玖が聞いてきた。
明玖の目はコンピューターの画面に注がれたままだが、彼女の心の目が向けられているかのように、ガクトは感じた。
「――恐いさ。これから初めて乗るロボットで、世界を滅ぼす力を持った怪物と戦わなくちゃならないんだ。恐くないやつなんていないよ」
「で、でも。ガクトくんは、恐怖に勝った」
「……まぁ、なんとうか、みんなを助けたいと思ってさ」
ガクトは頭を掻きながら、この学園島で過ごした時間を思い起こす。
「――俺、学園島に来る前は、自分に自信が無かったんだ。取り柄だと思えるものがなくてさ。周りの人と比べて、劣等感ばかり感じてた。それって、自分で自分を否定し続けるってことだと思うんだよな」
「うん……」
作業を続けていた明玖のタイプ音が、止まる。
「でも、ここでみんなと出会って過ごすうちに、いろいろと気付かされてさ。大事なことを教えてもらったんだよ。それで俺は変わって来れたし、助けられた。だから今度は俺がみんなを助ける番なんだ」
「大事なことって、なに?」
「自分を否定するんじゃなくて、受け入れて、そこから新しく考えて動くことが大事だったんだ。取り柄がないことを受け入れて、それでおしまいじゃない。最初は悔しい感情もあったけど、何をやるべきかが見えてきて、なんだか少し、楽になれたんだ。そうしたら心に余裕ができて、狩りに挑戦したり、ジュリアの特訓に積極的に取り組んだりできるようになった」
「自分を、受け入れる……?」
「そうだ。そこからまた始めればいい。終わりを決めるのはいつだって自分なんだ。運命ってやつは、そう簡単に俺たちを終わらせたりしない。身を以って経験済みだろ?」
言って、ガクトは次第にこみ上げていた恥ずかしさで顔を赤らめる。
「――て、なに語ってんだろうな」
「とっても、素敵なお話だと思う」
ここで明玖は、煌めく瞳をガクトに向ける。
「語って、いいと思う」
彼女の右手がキーボードへと伸び、エンターキーを、押した。
すると、それは起こった。
二人を見下ろしていた巨大ロボットから、巨大な歯車が動き出すかのような振動音が放たれ、広大な空間全体が微振動を開始。それがまるで巨大ロボットの武者震いであるかの如く数秒の間続いたかと思うと、巨大ロボットの顔――その目に当たる部分が鮮やかなライトブルーに光り出し、二人を淡く照らした。
「――や、やったのか⁉ 明玖」
希望の如き光を放つロボットの目を見つめて、ガクトは言った。
「起動、できた!」
と、明玖が両手のひらをガクトに向ける。
「ん? なんだ?」
「ハイタッチ」
「はいたっち?」
マーフォークのガクトは一瞬何のことかわからなかったが、
「――ああ! 喜びを分かち合うやつか!」
と、明玖の小さな手に自分の手を重ね合わせた。
「私も、自分を否定してた。ずっと、変わりたいと思ってた。それが、歌姫に会って、ガクトくんに会って、少しずつ変わって来れた。でも、一つだけ、どうしても、変えられないことがあった……」
明玖は言う。
「それは、自分の思っていることを、堂々と話すこと。つっかえたりせず、相手にすらすら、言うこと」
「大丈夫さ、明玖。ちゃんと会話できてるし、聞き取りやすいぞ? 明玖の声」
首を振る明玖。
「ち、違うの。私は、嫌われるのが、否定されるのが、恐い。だから、いつも話をする前に、いろいろ、ネガティブな展開を予想しながら話すから、オドオドした感じになっちゃう」
彼女は、ガクトと手を合わせたまま顔を伏せる。
「――それじゃ、大事なことを、言わなくちゃいけないときも、ろくに、言えずに、終わっちゃう。それは、嫌われるよりも、イヤ」
「…………」
ガクトは、明玖がこれまでコンピューター室という壁の中で続けてきた孤独な闘いの難しさを、改めて感じた。
辛かろうことが、まるで自分のことのように理解できる。
ガクト自身、奇異の眼差しに苦しんだことがある。だから尚更、他人ごとには思えない。思ってはならない。
「……明玖は、とっても偉いよ。あのコンピューター室を出て、こんなに広い場所まで来られたんだ。その道を選べたのは、誰のおかげでもない。明玖自身のおかげだ」
明玖の肩が小さく震えた。そして、彼女は小さく頷いた。
「私、受け入れる。自分が恐がりなことも、ここまで来られたことも。だから、ここからもっと変わらせて!」
そう言って、明玖はぱっと、顔を上げた。
涙の雫が舞い散り、煌めく。
「私はもう吃らない。言いたいことを、言います」
明玖の白い指が、ガクトの青い指を押し広げ、水掻きの部分に触れた。
そして明玖は深く息を吸い込み、こう言った。
「――私はガクトくんのことが好きになりました。ガクトくんが良かったら、私と付き合ってくれませんか?」
「――――え」
「…………」
ガクトは明玖の視線を受け、しかしすぐに言葉を出せない。
これまでにない経験が今朝から立て続けに起こり、その度に気が気じゃなくなりそうになった。だが、どうしても今は、ないがしろにできない使命があるのだ。
「――ご、ごめん、明玖」
今度はガクトが視線を伏せる。
「今は、答えられない。どうしても、時間が必要だから。そのためには、まず先に、目の前に迫る障害を突破しなくちゃならない」
「…………そうだよね。わかった!」
明玖は言って、ガクトの手を掴む自分の手にきゅっと力を込める。
そのときだった。
ガクトの背中に、またあの熱が生じた。
背負っていた剣が発熱したのだ。