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第4話

 ガクトは水の中で意識を取り戻した。そこは見知った海だ。


(俺はどうしてこんなところに⁉)


 ガクトの脳裏には、ミープティングレイス学園のグラウンドの光景が鮮明に残っている。


(俺が見たのは、夢?)


 自問して、首を横に振った。

 夢などではない。

 自分は確かに、ここではない別の世界にいた。そこでアリーフェたちに出会い、ジュリアを抱っこしてやった。

 頭痛が襲ってくる。ダメだ、すべてを思い出すことはできない。

 ガクトの真横を豚イルカが通過し、前方でループを描いて泳ぎ去った。

 (なに)か、決して忘れてはいけない出来事があった。

 今すぐに戻らなくては! あの場所に!

 漠然とした焦りが、ガクトを襲う。

 そのとき、聞き覚えのある声が聞こえた。



「――助けてください」



 周囲には誰もいない。しかし、確かな声。



「世界の自由は殺されました。あなたの助けが必要です」



(そうだ、この声! アリーフェだ!)


 ガクトは勢いよく海面へと浮上する。


「聞こえるぞ! アリーフェ!」


 抜けるような青空から輝く陽光が注ぐ。

 強烈な頭痛が襲ってくる。


「ッ! ――そうだ。俺を連れて行ってくれ! 早く!」


 ガクトは視界を白い光に覆われ、意識を失った。



   ■



 頭痛が解消すると同時に訪れた浮遊感。僅かに身体が落下する感覚。

 次の瞬間、ガクトは顔いっぱいに何か柔らかいものがぶつかる感触を覚えた。


「――きゃう!」

「え?」


 ガクトが手を『むにゅり』とついて顔を持ち上げ、見下ろすと、そこに見知った顔があった。

 赤毛のショートカットはさらさらで、きめ細かな白い肌がとても綺麗な少女だ。

 目鼻立ちの整った小顔で、赤い瞳がじっとガクトを見つめている。


「ご、ごめん! 怪我はない? ええと……」


 少女の名がすぐに出てこない。


「う、うん。君は?」


 驚愕のあまり瞬きを忘れて、少女はガクトを見つめ続ける。


「俺も、大丈夫……」

「いつまで歌姫の上に覆いかぶさってんのよ! この変態!」


 真横から別の少女の声がして振り向くと、赤毛の少女以外にも三人の少女がおり、三人ともが腕を組んで、ジト目をガクトに注いでいた。


「思い出した、歌姫だ! 無事でよかった!」

「――その、悪気はない、っていうのはわかるから、降りてくれるとありがたいかも……」


 歌姫と呼ばれた少女は頬を赤らめ、気まずそうに目を逸らした。

 ガクトは自分の状況をよく観察する。そして自分の両手が、歌姫のふくよかな胸に置かれていることに気付く。


「っな⁉ いや、これはその! 多分こっちに来たときの衝撃というか――」

「「その手をどけなさあああああああああああああい‼」」


 歌姫以外の女子三人が絶妙なコンビネーションでガクトの脇腹に三連キックをお見舞いした。


「いたたた!」


 蹴られた衝撃で空中に舞い上がったガクトは、初めて寺之城の気持ちがわかると同時に、寺之城って誰だっけ? と若干の頭痛に見舞われて脇腹も頭も痛い状態に陥った。

 ここはどこかの学校にある音楽室らしく、壁一面に有孔(ゆうこう)ボードが設けられ、無数の穴が吸音効果を発揮して音漏れを防いでいる。


「みんな待って! わたしは大丈夫だからさ! それにこの子、突然天井に現れたから、たぶんあれだよ、学園長の召喚魔法!」


 壁に激突して(しお)れたように倒れるガクトを、歌姫は庇うようにして立つ。


「歌姫はもっと警戒しなくちゃダメだよ。異性に甘すぎ」

「そうだよ! 男なんて裏でなに考えてるかわからないんだから!」

「召喚されたことに(かこ)つけて、触りたいだけ触ろうとするタイプかもしれないよ? 寺之城みたいなやつ!」


 三人の少女たちは言いながら、歌姫の両側から身を乗り出してガクトを睨む。

 寺之城というのは彼女たちのクラスメイトかなにかだと、ガクトにはわかった。それもたぶん男子生徒だ。


「でも、誤解でこねくり回されたらいくらなんでも可哀想でしょ? 寺之城くんはちょっとアレだけどさ、この子は違うと思う」


 と、歌姫。女子から見た寺之城の評価は散々のようだ。

 こねくり回すという言葉は普段聞かないガクトだが、この言葉を聞いた途端、微かな頭痛と共になぜか恐怖感が沸き起こった。きっと、こねくり回すという言葉に何らかの凄惨な光景が記憶として紐づいているからだろう。


「歌姫がそういうなら、その青い奴は生かしておく。でも、アンタは自分がアイドルだって自覚を持たなくちゃダメだからね?」


 三人の少女の内、緑色の髪をポニーテールに結わえたエルフの子が釘を刺した。

 やってしまったことは重罪だが、ガクトは自分がここで生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされているとは思っていなかった。


「以後気をつけます!」


 と、歌姫は引き締まった長い脚を揃え、敬礼をしてみせた。

 彼女らは全員、カーキ色のブレザーを腰に巻き付け、白シャツを第二ボタンまで外し着崩したスタイルで、カーキとグレーの迷彩柄スカートは動き易さ重視で短めだ。上下とも、対ドラゴン戦闘用の特殊繊維でできており、耐熱・耐衝撃性能があるという。この、まるで軍隊を思わせるスペックの制服を、ガクトは既に知っていた。


「――そういえば、今何時(なんじ)?」


 敬礼をしたままの歌姫が言い、エルフの子が腕時計を見遣る。すると、彼女の尖った耳がピンと上方へ立った。


「いけない! 朝礼の時間をめっちゃオーバーしてる!」

「うそーん!」


 艶やかな黒髪の長髪を揺らして、人間と思しき少女が涙目になる。


「これは仕方がないね。もう終わっちゃってるだろうから、みんなはこのまま教室に行っててよ。午前中の予定は勉強だったはずだし、わたしの方から学園長に謝っておくからさ!」


 快活な声で歌姫が言った。


「いや、うちらも行くよ。こういうのはみんなで行くもんでしょ」


 と、クールな雰囲気を放つボーイッシュな銀髪少女。


「今回は大丈夫。ほら、この子を連れて行かなきゃじゃん? 学園長、自分が召喚した子が目の前に現れないと、どこに行ったのかわからなくて慌てちゃうしさ。君、名前は?」

「ガクト。志守岳人(しかみがくと)


 ガクトは歌姫に助け起こされながら名乗った。


「なんだか、日本人みたいな響きだね! ――って、あれ? でも、ガクトって名前、なんだか記憶に新しいような……」


 歌姫が首を傾げた。


「たしかに、どこかで聞いたような……」

「ていうか、前どこかで会ったことない?」

「あたしもなんだか記憶が……デジャヴ?」


 緑髪のエルフと、黒髪と銀髪の人間の少女も歌姫に続いて首を傾げ、全員同時に額を押さえて唸る。


「「「「ううッ! 頭が!」」」」


 記憶に違和感があるのはガクトだけではないらしい。

 それにしても息ぴったりで、仲のいいバンドだなぁ、とガクトは思ったが、和んでいられる場合ではないと、彼の直感が告げた。

 この世界で、なにか恐ろしいことが起ころうとしている、と。


「――歌姫、今すぐ生徒会室まで案内してくれないか? 俺を召喚した人に早く会ってみたいんだ」


 歌姫たちの頭痛が治まるのを待ち、適当に取り繕った理由を添えてガクトはお願いした。これといって何をどうすればいいのかまでは思い出せないが、一先ず学園長とやらに会う必要があると思ったのだ。


「おお、そう言うってことは、君はこの世界に望んで来てくれたタイプの子だね? おっけい! ついてきて!」

「「「歌姫に変なことしたら八つ裂きだからねー」」」


 可愛い笑顔で恐いことを言う他の三人に見送られ、ガクトは歌姫に続いて音楽室を()、石造りの廊下を進む。

 四階建ての校舎は正方形をしており、中央に広がるグラウンドを取り囲んでいる。校舎の角にあたる部分にはそれぞれ八階建て相当の高さを持つ塔が聳えており、中世の城塞を思わせる。

 やはり見知った光景だった。


「生徒会室は、北側に位置する【ダイヤの塔】の最上階にあるんだっけ?」


 ガクトは記憶の中にあった情報を試しに聞いてみた。


「そうだよ? どうしてわかったの? アリーフェからなにか事前に教えてもらった?」

「……まぁ、そんなところかな?」


 だが、ガクトはまだ、この世界を知っていると断言することはできないでいる。『なぜか知っている』という域を出ないのだ。


「それじゃ、ここに来たらまず剣を抜くって話は聞いた?」

「うん」

「なら話はスムーズに進むかもね! 中にはさ、急に連れて来られちゃって動揺したり、恐がったり、怒ったりした子もいたから……」


 歌姫は何か思うところがあるのか、その明るい表情を僅かに曇らせる。

 ガクトはここでふと、前方から誰かに見られている気がした。視線を感じたというよりかは、なんとなく、女の子がこちらを見ているようなイメージが瞼の裏に浮かび上がったのだ。

 マーフォークが持つ触覚があるからこその、独特な感知能力である。立ち止まって意識を集中すればもっと詳しい情報を察知することも可能だ。

 ガクトは人間より若干視力の弱い目を細めて廊下の先を見つめる。

 すると、廊下の突き当りに位置する部屋のドアが少しだけ開いており、中からグレーの髪を左右でカールさせた少女が、恐る恐るといった様子で顔を半分だけ出してガクトたちの方を窺っているのがわかった。


「――あそこで誰かが俺たちを見てるけど、君のファンかな?」


 ふと気になったガクトはそう尋ねる。


「っ! 明玖(みんく)! おはよ!」


 歌姫は曇りを消し去り、普段通りの明るい表情で、恐らくは今こちらを見ている少女の名前を呼んだ。

 だが、明玖と呼ばれた少女はびくりと肩を震わせ、


「ぉ、ぉはょ」


 小さく応じてさっと身を隠し、ドアを閉めてしまった。


「もしかして、恐がらせちゃったか? 俺ってほら、変わった肌の色してるから……」


 ガクトは肌の色が鮮やかな青色をしているので、過去何度も奇異の目で見られた経験がある。この島の生徒たちは様々な種族が集まっているからすんなりと受け入れてくれたものの、本来であれば今の明玖のように、警戒されてしまうことが多いのだ。


「ううん、違うの。あの子はずっとあんな感じでね。とってもデリケートなタイプなんだよ。気を悪くしないであげて?」

「なるほどな。気を悪くなんかしないさ」


 ガクトたちはそのまま通路を直進。今明玖が顔を出していた部屋を通り過ぎて、先を右へ曲がり、生徒会室へと向かおうとする。

 明玖が顔を出していた部屋は、ドアの上に『コンピューター室』という表示があった。

 ガクトが歌姫と並んでその表示を見た際、ドアのすりガラスの向こうに、背が低い明玖のものと思しき影があることに気付いた。どうやら、まだドアの向こうにいるらしい。


「――わおお!」


 そこで歌姫が急遽(きびす)を返し、コンピューター室のドアを勢いよく開け放った。


「ひゃう⁉」


 ドアの向こうで俯いていた明玖は小さな悲鳴を上げ、数歩後退(ずさ)った。

 毛先がふわりとカールしたグレーの髪は肩の上辺りまで伸ばされ、脳天にはアホ毛が一本。陽の光とは無縁そうな色白の肌。

 明玖は怯えた様子で灰色掛かった瞳を潤ませ、両手で制服の胸の辺りを掴んでいる。


「えへへ。びっくりさせちゃった?」


 歌姫は恥ずかしそうに笑って、頬をぽりぽりと掻く。


「――っ」


 明玖は首を横に振るが、怯えた表情は変わらない。


「ならよかった。どこか具合でも悪いのかと思って心配したんだよね!」


 と、歌姫。


「おはよう。俺、ガクトって言うんだ。――その、こういう成りしてるけど、毒とか持ってないからさ」


 ガクトは明玖に近寄ることはせず、ドアのところで軽く手を上げる。

 明玖は再び首を横に振って、


「――まして」

「ん? どうしたの?」

「――は、はじめ、まして。い、家内明玖(いえのうちみんく)、です……」


 歌姫に促され、明玖(みんく)はきゅっと目を瞑り、絞り出すようにして言った。


「初めまして! よろしく!」


 ガクトも応じ、明玖は目を瞑ったままコクコクと頷いた。


「――あ、あの……」


 明玖は何か言いたげに、ちらちらとガクトの方へ視線を投げかけている。


「なになに? お話ならぜひ聞かせて?」


 歌姫は両手を腰の後ろに回し、軽やかなステップで明玖の前まで歩み寄る。


「――な、な……」


 (ども)りのクセが酷いのか、明玖は最初の言葉を何度も繰り返してしまう。


「ゆっくりでいいよ? 大丈夫」


 歌姫はそっと明玖の方に手を置く。

 肩に置かれた歌姫の手に触れ、こくりと頷いた明玖は深く息を吸い込み、吐いた。

 そうして揺らぐ瞳をガクトへ向け、こう言った。



「――な、なにか、覚えて、いますか?」



「え?」


 唐突な質問。今の(、、)ガクトには、それが意味するものが何なのかわからなかった。


「……ええと、ごめん。俺、君とどこかで会ったか?」


 ガクトがここへ来る前にいた故郷の島は、さほど人口は多くない。だからほとんどの人とは顔見知りのはずだが、目の前の少女とは顔を合わせた覚えがなかった。


「――い、いえ。変なこと、聞いて、ご、ごめんなさい。ひ、人違いだと、思う」

「他人の空似ってやつ? あるある! わたしも特に最近は多い気がするんだよねー。なんか、前にも同じ人と話したことがあったような気がするっていうかさ――」


 共感を示す歌姫に、明玖が突如抱きついた。


「明玖、どうしたの?」

「……っ」


 明玖は物言わず、歌姫の腕の中で首を横に振る。明玖の中で何らかの感情が溢れているのだろうとガクトは推察するが、彼女がそれを言葉にしない限り知ることは叶わない。


「――大丈夫だから。今朝はおしゃべり頑張ったね。昨日届けたごはん、ちゃんと食べれた?」


 背中をさする歌姫の質問に、明玖はこくりと頷く。


「今日は、あとでなにしよっか? またゲームする?」

「――ぷ、プログラム、か、書く」

「おお、そうかそっちの日か! それじゃ、今日は集中モードだね?」


 こくり。


「おっけい! それじゃ、夜にごはん持っていく! なにかあったらすぐラインしていいからね? 設備班が電波塔修理してくれたらしいから、携帯持ってる人は使用再開できるってさ!」


 こくり。

 歌姫はガクトに視線を寄越した。

 ガクトが頷くと、歌姫は明玖の顔を覗き込み、


「それじゃ、わたしたち行くね?」

「――ま、また、あとで」

「うん! またあとで!」


 歌姫は何度も振り返っては手を振り、廊下で待つガクトのところへ戻ると、ドアをそっと閉めた。


「あの子、一人で大丈夫なのか? 誰か(そば)にいてあげたほうが……?」

「明玖は一人で過ごすのが大事な子なの。特に、好きなことに没頭したいときはね」


 ガクトの提案に、歌姫は小さく首を振った。

 創作活動は孤独を伴うものだと、ガクトは何かの文面で読んだ覚えがあった。明玖もそういった類の人なのかもしれない。

 歌姫と共に改めて生徒会室を目指すガクトだが、その脳裏には明玖が言った言葉が渦巻いていた。


『なにか、覚えて、いますか?』



   ■



「――音楽室に出たのですか⁉ すみません、私としたことが……」


 生徒会室。歌姫が生徒会のメンバーにガクトを紹介したところで、アリーフェが謝罪した。

 夢なのか現実なのか定かではないが、アリーフェの召喚魔法で空に呼び出されたこともあった気がするガクトである。


「学園長。ここは早急に、彼にも例の剣が抜けるか試してもらうべきでは?」


 島の生徒たちが置かれている状況を粗方ガクトに説明したあとで、ジャガイモのようにデコボコな顔をした寺之城が提案した。

 今朝、寺之城がわざと警報を鳴らして学園の生徒たちを混乱に陥れたうえ、シフォンケーキをつまみ食いしたことで女子たちの怒りが爆発。こねくり回されたらしい。

 なぜかガクトには、寺之城の顔が元は綺麗に整った美形であることがわかっていた。


「――もしかして、ドラゴンスレイヤーの剣だったりする?」


 ガクトはそんな気がして、尋ねてみた。


「あら? 歌姫さん、彼に剣のことを?」

「ううん。そのことはまだ話してないよ?」


 みんなが目を丸くしたことに目を丸くするガクト。

 どうやら、ガクトのそんな気(、、、、)は当たっている様子だ。


「ガクト君。さては、僕と同じような超能力を持っているのかい? 相手の過去の出来事や考えを読むことができる感じの能力なんだが……?」

「ま、まぁ……」


 寺之城に問われ、なぜ剣の話を知っているのか自分でも説明できないガクトは一先ず頷いた。


「あんたみたいな気持ち悪い超能力者が他にいるとは思いたくないわ。彼はそんな(よこしま)な気配なんて無いし」


 そう言ったのはジュリアだ。ガクトは彼女と目を合わせた途端、またもや頭痛に襲われた。

 ガクトの両腕に、ジュリアを抱き上げたときの小さな重みが蘇ってくる。

 やはり妙だ。今、自分になにが起きているんだ?

 ガクトの中で、この島へやってきた当初から生じている違和感が、いよいよ無視できない巨大なものになってきた。

 なにかと、ここにある物や出来事に見覚えがあるのだ。

 痛む頭を押さえて考えるガクトだが、肝心の答えが見つからない。


「大丈夫? 顔色悪いけど、もしかして君も頭痛?」


 今度はリクが尋ねた。窓から差し込む陽光で、フードを外した彼女の黄色い長髪が輝いて見える。さきほど朝の狩りから戻ったらしく、生徒会室の壁に寄り掛かり、足元には獲物の入った布袋を置いている。


「大丈夫。リクも痛むのか?」


 ガクトが自分の頭を指差して問うと、リクは首を縦に振った。


「私だけじゃなくて、学園の生徒ほぼ全員が何度も頭痛を経験してるの」

「この島の磁場とか、食べ物とか、そういった環境に伴うものだと考えているが、はっきりとした原因は誰にもわかっていないのが現状だね」


 リクの言に寺之城が補足した。


「なんか恐いよね。変な病気に集団で掛かってなければいいけど」

「その心配は不要ですよ、歌姫さん。この島は人間にも、エルフにも、獣人にも、マーフォークにも害の無い環境ですので。そうでなければ、かつてこの島にいた人間たちは、ドラゴンの攻撃ではなく病気で命を落としていたでしょう」


 不安を口にする歌姫に、アリーフェが言った。


「……そのドラゴンは、今もこの島を監視してたりするのか?」


 ガクトが聞いた。これも彼の脳裏に僅かに残る記憶の断片のような映像から得た情報だった。


「はっきりとはわかりませんが、稀に小型のドラゴンがどこからともなく現れて、遠くから私たちを睨んでいたりするので、監視の意味合いがある可能性はあります」

「ドラゴンは、この島で暮らすみんなの敵よ。あたしたちはそのドラゴンの親玉を倒す必要があるの。そうしないと、元の世界には永遠に帰れない」


 アリーフェに続いてジュリアが言った。


「そのための大前提として、まず剣を扱える者が必要だというわけか……」


 と、ガクトは次に起こることを考えてみると、これも根拠は無いが、学園にいる一千人の生徒の誰もが抜けなかった剣を、自分が抜くことになる気がした。


「他の生徒たちはこれからお昼までお勉強の時間ですから、私たちだけで体育館に行きましょう。剣はそこに隠してあるのです。剣を扱える者がいないにも拘わらず、あまり目につく場所に置くと、万が一ドラゴンに見られでもしたら事ですので」


 アリーフェ曰く、普段は地下にある体育館のステージ上に剣を安置しているのだそうだ。

ガクトの脳裏に、今度は件の体育館の光景が微かに蘇った。



   ■



 アリーフェたちと共に実際の体育館を訪れたガクトは、自分の脳裏に浮かんだ光景が正しいことを知った。

 通気と照明用のダクトから鏡を使って陽の光を取り入れているその広大な空間は、地下であるにも(かかわ)らず地上に建つ体育館と遜色(そんしょく)ない明るさを実現している。

 眼前には見知ったステージと見知った剣――【竜斬剣(スレイヤー)】の刀身には所々小さな傷が見受けられた。鍛え直すほどではないが、ある程度研ぎ直さなければ本来の切れ味を発揮できなさそうな印象を受ける。柄に施された四つの宝玉は、エメラルド色と白銀色をした二つが光を放っているが、残りの二つは輝きを失っていた。

 一同が見守る中、ガクトはステージに上がって剣に手を伸ばす。

 まるでデジャヴの如く、ガクトは過去にも同じことをしたような感覚に見舞われた。


「――おっと!」


 そして、まるで身体が覚えているかのように、反射的に大きく一歩を踏み出し、自ら倒れ始めた剣の柄を、剣が倒れる前に掴まえた。


「おお! 抜いたのかねガクト君!」

「おお! すごいじゃんガクトくん!」

「マジ⁉」

「うそでしょ⁉」


 寺之城、歌姫、リク、ジュリアがそれぞれ驚愕と歓喜の声を上げる。


「つ、ついに、ついに待ち望んだ瞬間が来ました! 神様! 感謝します!」


 アリーフェが天井を振り仰ぎ、両手を胸の前で握り合わせて祈りの言葉を言った。

 ガクトは確信する。理屈は不明だが、自分は先々で起こる出来事がわかる。

 ガクトの次の予想では、このあと誰かが食糧難に言及し、みんなで狩りに行くことになるはずだった。

 きゅるるるる。と、誰かのお腹が鳴った。


「――なんだか、びっくりしたというかちょっと安心したというか、その、……お腹すいちゃった。なんて思ってるの、わたしだけ?」


 頬を赤らめた歌姫が言い、ガクトの予想通りになった。



   ■



 再び召喚魔法を発動するには、ほぼ丸一日もの間、一箇所に留まって精神力と体力を回復させる必要があるらしく、生徒会室に残ったアリーフェを除くメンバーは、全校生徒に急遽予定変更のアナウンスを校内放送で流し、学園総出での狩りに繰り出した。

 そして、太陽に似た恒星が空の一番高い位置に移動したお昼ごろ、ガクト、歌姫、寺之城、ジュリア、リクの五人は北の森へとやってきた。この光景にはガクトも見覚えがなく、どうやらすべての物事に既視感があるわけではないことが明らかになった。

 五人の後方には数名の女子生徒と五十名ほどの男子生徒たち――それも体育会系の肉体派が続く。北の森は島の中でもかなり危険なエリアで、赴く際は戦闘力の高い精鋭を募る方針が決められていたからである。

 それ故に、各々が手作りの槍や斧などを携え、凶暴なモンスターの襲撃を警戒しつつ進んでいる。


「ところで、どうして歌姫のバンドメンバーも一緒なんだ?」


 同行している数名の女子生徒とは、今朝ガクトが音楽室で出会った歌姫のバンド――【RED】のメンバーたちなのである。各々が両手に担当の楽器を持ち、ドラムについてはメンバー同士で分けて背負っている。どう見てもモンスターを狩る装備ではない。


「わたし達の役目は、音楽でみんなをサポートすることなの」


 と、歌姫は説明する。


「わたしは歌唱魔法が使えるから、歌うことで、みんなの基本的なステータスを強化できる。力とか、素早さとかね。ゲームのバフ掛けみたいなものかな」

「歌姫の歌は、防御力も高めてくれるからすごいよね。こういう危ない場所ではほんとに重宝するよ」


 腰に二丁のリボルバーを携えるリクが言った。


「歌姫たちに強化してもらったあたし達なら、大抵のモンスターは秒殺よ。新参のガクトにもそれを見せてあげるわ」


 数十キロはあるというパワードスーツを片手で軽々と持ち運ぶジュリアが得意げに話す。今はコンパクトにまとまっているが、ボタン一つで変形するタイプのパワードスーツらしい。


「ついでにジュリア君の胸も大きくなれば、我々男子生徒にとって一番のモチベ強化になるんだがね?」

「ガクト。あたしね、見た目は小学生だけど一応軍人として鍛えてるから、パワードスーツ無しでも薪を引き千切ったりできるの。そういう腕力のあたしがどれだけ強い格闘ができるか、今から寺之城で実践して見せるわね?」

「あの、ジュリア君? それってつまり、せっかく元通りになった僕の顔がまたジャガイモみたいに――」



 ドカ! ゴス! メキメキャ! ゴキゴキゴキャ! ブチブチ! ブシャァアアア!



「寺之城くん、相変わらず懲りないなー。かまってちゃん(、、、、、、、)なんだから」

「中身は変態だけど、あれだけ痛めつけられてもすぐに復活するタフネスだけはすごいと思う」


 と、寺之城がサンドバックと化したのを眺める歌姫とリク。

 例え冗談でも、女の子にデリカシーの無い発言はぜったいにダメだ、と思うガクトだが、これも既に何回も思ったことがある気がした。

 と、そのときだった。

 ガクトの触覚がぴくりと動くのと同時に、リクの頭の両端に生えた猫耳がぴくりと動いた。

 ガクトとリクは互いに視線を送り合い、叫ぶ。


「「なにか来る!」」


 瞬間、遠くから地響きが伝わってきて、一同の空気が引き締められた。


「――総員、戦闘隊形!」


 ジュリアが寺之城の破壊を中止。後方を歩く男子生徒たちに指示を出す。


「「(おう)ッ‼」」


 男子生徒たちが一斉に応じ、ガクトたちの前方へと躍り出ると、扇形に広がって防衛陣を組んだ。

 まるで恐竜が歩くかのような衝撃が、地を走って足へと伝わってくる。

 黒い色をした鳥の群れが、前方の空に飛び立っていくのが木々の間から見えた。


「正面ね。鳥が逃げていくわ!」


 ジュリアは言いながら、装備できる状態に変形させたパワードスーツに手足を嵌めこむ。

 すると、パワードスーツの脚部や背面に備わるブースターが青白い光を噴射。ジュリアを瞬く間に木々の上へ飛び上がらせた。


「――馬鹿デカイのが来るわ! 前方五十メートル!」


 と、上空でジュリアが叫び、続けて彼女が右腕に装備するレールガンの発射音が轟き始めた。

 一秒ほどのチャージタイムを挟み、レールガンから放たれる青白い閃光が連続して巨大な獲物へと向かう。

 並みのモンスターであれば一発で仕留めるレールガンだが、今回のモンスターは頑丈らしく、すぐには倒れないようだ。


「みんな、アップテンポな曲で行くよ!」


 歌姫の声で、バンドメンバーたちは小さな輪を作り、互いに背中を預ける形で楽器を構える。

 その中心で、歌姫は背負っていたマイクスタンドを立て、深呼吸で精神を統一。


「――凛として戦え!」

「永遠に挑戦!」

「どんな闇にも射す光!」

「体中暴れる血の色は?」

「「RED‼」」


 目を見開いた歌姫の掛け声に他のメンバーたちが応じ、ギターとドラムが弾き鳴らされ、ガールズバンド【RED】の生演奏がスタート。

 疾走感あふれるメロディに、歌姫がその力強い美声を乗せていく。


「――ガクトくんはこっちに来て! わたしが守る!」


 歌の合間、歌姫に手招きされ、思わず見惚れていたガクトは言われるがまま従う。

 眉宇を引き締め、微塵の恐れも感じさせずに声を張り上げる歌姫は、普段の明るいオーラに加え、戦地で剣を振るう戦士のように勇ましいオーラを放っていた。

 ガクトは全身に力が溢れ、恐怖心が勇気に変わっていく感覚を覚えた。


「元気出るでしょ? 歌姫たちの歌」


 と、リクはガクトに不敵な笑みを見せ、人間離れした跳躍力で木の上へ飛び上がっていった。

 そして、ジュリアのレールガンのチャージを補うように、リクの銃声がこだまし始めた。


「いいぞ! RED!」

「俺たちの歌姫!」


 前方で弧を描いて立つ男子生徒たちからも歓声が上がる。

 しかし、ここで事態が動いた。

 突如として、前方から凄まじい突風が巻き起こり、周囲の木々を根こそぎ薙ぎ払ったのだ。

 ガクトを始め、その場にいた全員が強風で横倒しになるが、恐らくは歌姫の歌唱魔法による加護だろう。根元から倒れた木の下敷きになったり、突風に(さら)われたりする生徒は一人もいなかった。


「――みんな立って! まだまだこれから!」


 倒れた者の中で真っ先に立ち上がった歌姫は、マイクスタンドを両手で掴み上げ、再び声を張り上げる。

 遅れを取るな! と他のメンバーたちも態勢を立て直し、演奏を再開。

 リクを抱えて退避していたジュリアが飛来し、一旦リクを地上に降ろす。


「――野郎ども! 出番よ! 目の前の獲物をしっかり見なさい!」


 というジュリアの声に、男たちが武器を手に立ち上がる。


「「応ォオオオオオオオオオオオ‼」」


 彼らが(とき)の声を上げて突撃する先に、その巨大な獲物は立ちはだかっていた。

 丸太を十本束ねてもまだ足りないほどに太い四本の足が、体育館ほどもあろうかという巨躯を支えている。

 灰色の肉体は多くが岩のように凸凹した甲羅で覆われ、その甲羅には苔の如く無数に生えた木が連なる。

 亀を思わせる顔からは象の如き長い鼻が伸び、口から覗く牙は三日月のように反り返っている。言うなれば、森を背負った象亀(ぞうがめ)であった。

 既に複数発のレールガンを喰らって青紫色の血を甲羅の各所から垂れ流しているが、まだ倒れる気配は無い。


「あいつは凶暴な肉食で、動くものに反応する! あたしが引きつけるから、あんたたちは足を狙いなさい! 踏みつぶされたら殺すわよ!」


 上空からジュリアの(げき)が飛ぶ。

 男子生徒は手に持った槍を投げつけ、象亀が足を踏み下ろしたところへ斧で斬りかかる。


「俺だって戦える! 手伝わせてくれ!」


 歌唱魔法で勇気づけられたガクトが申し出るが、


「あんたはうちらの光!」

「こんなところで怪我されちゃ困る!」

「その剣はドラゴンとやり合うときに取っておきな!」


 と、バンドメンバーたちに止められた。


「「うわぁあああああああああ‼」」


 象亀の足に斬りかかっていた男子たちの悲鳴。

 象亀が足を踏み出し、それに吹き飛ばされたのだ。

 象亀の一歩は思ったよりも歩幅が大きく、まだ二十メートルはあったガクトたちとの距離が瞬く()、半分まで減った。

 ガクトはこのとき、触覚を使った感知で、歌姫に上方から危機が迫っていることを察知する。


「――やば!」

「みんな下がるよ! 歌姫も!」


 他のバンドメンバーが演奏を続けながら後退するが、大音声のシャウトを披露した歌姫は、


「――ッ!」


 苦し気に片目を(すが)め、すぐには動けない様子だ。


「歌姫! あんたまさか!」


 先に後退していたバンドメンバーのエルフの少女が、歌姫の方へ戻ろうとするも、再度持ち上げられた象亀の足が既に歌姫の頭上に迫っている。

 そこへ、ガクトが間に合った。


「うぉおおおおおおおおおおおお!」


 恐怖に打ち勝つべく雄叫びを上げるガクトは、肩で息をする歌姫の身体を抱きかかえる。

 そして、間一髪のところで象亀の足を回避。真横へ身を投げ出したガクトは歌姫を庇うようにして倒れ込んだ。


「ナイスよ! ガクト!」


 上空からジュリアの声。彼女はレールガンでの攻撃を続けながら、


「――リク! 亀の傷口を狙って! あんたの得意な一点集中射撃で!」


 と、地上で精神を統一するかの如く静かに目を閉じていたリクに言った。

 するとリクは、いつかどこかで聞いた覚えのある呪文を唱え始めた。



「我は目で狙い定める。目で狙わぬ者、友の顔を忘却せり」



 目を閉じたまま呪文を発するリクの頭上に、象亀の足が迫る。



「我は気で撃つ。気で撃たぬ者、友の顔を忘却せり」




 だがリクはそれを見ることなく、軽快なバックステップで躱した。




「我は心で向き合う。心で向き合わぬ者、友の顔を忘却せり」




 リクは尚も目を閉じたまま象亀の足を伝い、その甲羅へと駆けあがっていく。





「我は友の顔を忘れぬ者。友を想い戦う者なり!」


 そうして勢いよく跳躍し、象亀の巨体の上空へ至った瞬間、カッと目を見開いた。


 次の瞬間、リクが愛用する二丁のリボルバーが火を噴き、聞こえはほぼ一発と言って過言ではないほどに高速連射された弾丸が、ジュリアのレールガンによって穿たれた象亀の傷口へ寸分のズレなく命中した。


 計十二発が、縦一列に積み重なるように象亀の傷口に食い込み、一発目は二発目に押され、二発目は三発目に押される要領で奥へと突き進んだ。

 大地そのものが呻いたかのような巨大な雄叫びが響き渡り、象亀がその歩みを止め、四つの足を(くずお)れさせた。

 強敵が倒れると同時に巻き起こされた地震と衝撃波に耐え、生徒たちは歓声を上げる。


「やったぞぉおおおおおおおおお!」

「象亀を初めて倒したぁああああ!」

「ジュリア隊長万歳! リクちゃん万歳!」

「――怪我はないか?」


 歌姫の下敷きになる形で倒れていたガクトは、自分の胸に(うつぶ)せる歌姫を見遣った。


「ご、ごめん! わたし……」


 トマトのように顔を赤らめた歌姫は慌てた様子で起き上がる。


「歌姫! 大丈夫⁉」

「うん……」


 すぐあとから駆け付けたエルフの少女に、歌姫は力無く頷く。


「――歌姫、また?」

「あはは、そうみたい」

「どうかしたのか?」


 なにやら含みのある彼女らのやり取りを見たガクトが尋ねた。

 歌姫は躊躇いがちに、エルフの少女とガクトを交互に見遣り、


「わたしね、普通に歌うぶんには平気なんだけど、思いっきり叫んだりすると、ときどき酸欠になって動けなくなるの」


 と、視線を落とした。


 悪いのは、持久力が足りない自分なのだと、歌姫は続ける。


「スタミナ不足でさ。頑張って鍛えてるんだけど、なかなか伸びなくて……」

「動けなくなるまで、頑張ってくれたんだな」


 ガクトは言って、俯く歌姫の顎を右手で優しく持ち上げる。


「っ⁉」


 彼の唐突な行動に、驚愕したかのように目を見開く歌姫。

相手の顎を片手でやさしく支える行為は、マーフォークの間で【慰めの仕草】という意味がある。ガクトは前にも別の人物に同じことをしたような気がした。


「あんなにパワフルに歌い続けたらスタミナも切れるよ。ありがとうな! 俺たちを支えてくれて」

「「歌姫に気安く触るなぁああああ‼」」


 そこで他のバンドメンバーたちの三連パンチがガクトの身体に炸裂。ガクトは人形のように軽々と吹き飛んだ。

 落下した場所のすぐ真横で、白目を剥いた寺之城が忘れ去られていた。

 寺之城もいろいろ大変なんだな、と悟ったガクトはそのまま意識を失った。



   ■



 目を覚ましたガクトは歌姫に背負われ、他のバンドメンバーたちに周りを固められ、そうして監視される中、学園への帰路に就いた。

 今回の狩りに同行してくれた五十数名の男女は揃って南の街エリアへと向かった。今日は久しぶりの大規模ハンティングが行われたため、街で大漁祝いが開かれるらしい。


「――ごめん! もう、ホントに! マーフォークって、独特な風習があるんだね」


 ガクトが【顎クイ】について弁明すると、歌姫はバンドを代表して何度も頭を下げ、象亀から庇ってくれたお礼に自分が背負って帰ると主張。


「自分で歩けるから」


 と言って断るガクトを、


贖罪(しょくざい)だよ、贖罪」


 と、問答無用で背負ったのだった。

 ちなみに意識を失いっぱなしの寺之城はパワードスーツを装備したジュリアが摘まみ上げ、そのまま学校まで飛んでいった。


「ゴミはゴミ箱ぉー」


 ジュリアが笑顔でそんなことを口ずさんでいたが、そのゴミとやらは決して寺之城のことではないのだと、ガクトは己の心にポジティブなフィルターをかけた。


「――その、俺も配慮が足らなくてごめん。種族の違いって、予想外のところで出たりするんだな」

「わたしたち人間の(あいだ)ではね、顎クイは、……恋愛的な意味合いが強いんだよね……」


 歌姫はバツが悪そうな感じで笑う。


「そ、そうなのか……」


 自分がやってしまったことの意味を理解し、ガクトは頬を赤らめる。


「へぇ、マーフォークって赤くなるとわかりやすいね!」


 バンドメンバーの銀髪少女がくすりと笑った。


「近くで見ると、とってもきめ細かい肌してるんだね」


 今度は黒髪の少女が感嘆の声を上げた。


「エルフの私よりも、肌が艶やか、だと⁉ ……これが海の幸……海水を肌に塗ってみるか?」


 エルフの少女は何やらつぶやいている。

 自分への注目が重なり、恥ずかしさが増したガクトはみんなの意識を逸らすべく、


「そ、そういえば、君たちは同じ星から来たのか? バンドを組んで長いの?」


 と、質問を投げかけた。


「ううん、みんなバラバラ。この島で会って、話してるうちに、お互い楽器ができるのを知って、こういう状況下だし、何かみんなのためになることをやろうってことで結成したの」


 歌姫が答えた。


「そういえば、もうすぐ結成一周年?」

「だね。うちら、かなり初期からいるメンバーだし」

「そろそろ新曲の一つでも作りたいよねー」


 他の三人に雑談の花が咲き、安堵するガクト。


「――ガクトくんは、なにか楽器できる?」


 不意に、歌姫が聞いてきた。


「お、俺? いや、特には……」

「じゃあ、興味がある楽器とかは? といっても、学園の音楽室にある楽器は限られてるけど……」


 ガクトは返答に悩む。

 自分には、これといった取り柄がない。マーフォークと人間との間に生まれた、どっちつかずのハーフだ。泳ぎは純血のマーフォークに負けるし、走る能力は長距離も短距離も人間に及ばない。

 マーフォークの特徴は、今回のように使ってみたい楽器を選ぶ際など、細かなところでも影響が出てくる。手指の間に備わる大きな水掻きは、弦楽器や鍵盤楽器を弾くのに邪魔なのだ。

 訓練すれば弾けないことはないが、人間よりも苦労が多い。


「……俺は、強いて言うならドラム、かな……?」

「おお! ドラムか! 男の子って、ギターとかボーカルに憧れる人がわりかし多いイメージだったから意外!」

「ドラムのスティックならこの手でも扱えるかなって。単純な理由だよ」


 歌姫の前に回していた手の片方を、ガクトは徐に自分の顔の前まで引き戻した。


「――わたしはガクトくんの手、羨ましいと思ってるよ」


 ガクトが晴れない顔で自らの手を見つめているのを、横目で見た歌姫が言った。


「そうかなぁ?」

「そうだよ。だって、包容力あるじゃん」

「包容? ――まぁ、人間より少しだけ大きい手だからな。これが純血のマーフォークだと、もう一回り大きいんだ」

「え、そうなの? 超包容力じゃん!」

「なんだよそれ」


 おかしくなって、ガクトは吹き出した。


「いいなー。わたしもみんなを包容して守ってあげたいんだけど、歌意外に取柄が無いのだよ、ガクトくん」

「素敵でかっこいい歌があるじゃないか。そう落ち込むこともないと思うぞ? 俺、歌姫の歌好きだし」

「なら、君も落ち込むことないでしょ? 包容力のある手で剣を掴めば、きっと離さない」


 ガクトは歌姫の気遣いを感じ、またも恥ずかしくなった。顔が熱い。


「そ、そうだよな。歌姫の言う通りだ」

「よろしい。――ところで、ガクトくんはわたしの歌のどんなところが好きなの?」


 ガクトは歌姫に背負われてからというもの、心拍が早まりっぱなしである。その理由は定かではないが、もしかすると、こうした唐突な質問の連続だからかもしれない。


「――歌姫の歌には、なんというか、信念みたいなものを感じるんだ」


 と、 ガクトは少しの間だけ言葉をまとめ、答える。


「信念って、すごく立派で、大事なものじゃないか。そういうのを心に持ってるマーフォークってあんまり見かけなくてさ。だから、純粋に尊敬してるんだ」

「……そっか。信念か」


 歌姫がつぶやいた。まるで意外な答えであったかのように、その声音には驚きの色があった。


「実際、なにか理由があって歌を歌ってるのか? 理由っていうのは、ええと、目標とか……」


 ガクトは歌姫が声を絞り出すようにして歌う姿を思い出す。芯のこもった勇ましさを(はら)む歌姫の表情――その赤い瞳に、ガクトは揺るぎない決意のようなものを見ていた。


「わたしってさ、何かを一生懸命頑張ってる人を見ると応援せずにはいられないし、一人で苦しんでる人を見ると助けずにはいられないんだ。お節介って言われちゃうこともあるけどさ、でも、それがやりたいことなんだよね……」


 言葉を吟味するかのように、歌姫は間を置いた。


「――それでね、両方同時に叶えるには歌が相性いいかなって思ったの。元から歌うのが大好きだったのもあるし。だから、――そう。目標は、もっと元気(パワー)のある歌を届けること!」


 持ち前のよく響く明るい声で、彼女はこう付け加えた。


「それから、諦めないこと! 他のみんなにも同じように、諦めないって、思ってもらうこと!」


 いつの間にか、他の三人のメンバーも談笑を止め、歌姫の言葉に聞き入っている。


「そうなんだな。――なんだか、とてもいい話が聞けたよ」


 と、ガクトは言い、歌姫の言葉を胸に刻む。

 たとえ取り柄が一つとして無くとも、落胆することはない。まだ、【諦めない】という選択肢が残っているのだから。


「――って、目標多すぎか!」


 そう言って、歌姫はけらけらと笑った。

 ガクトから彼女の表情は見えなかったが、きっと女神のように美しく、それでいて可愛いに違いないと思った。



   ■



「はい、歌姫タクシーが学園の昇降口にとうちゃーく!」

「なんか、ごめん。途中で降ろしてくれて良かったんだけど……」


 頭を掻くガクトの肩に、歌姫が手を置いた。


「いいってこと! いい筋トレになったしね。命を助けてもらったんだから、今後もお礼はさせてもらうつもり!」

「立場が逆だったかもしれないし、当然のことをしただけだよ」


 と、あまり恩に着られても困るガクトである。


「お二人さん、お楽しみのところ悪いけど、うちら、残留組の夕飯作る当番だから行くね!」

「志守岳人。お前はどうやら健全なやつのようだから、歌姫の傍にいることを認めてやる」

「でも調子に乗らないこと! いいわね?」


 などと、謎の笑みを浮かべながら言って、他の三人のバンドメンバーは調理室へと向かった。


「そういえば歌姫たちは、街エリアのお祝いには参加しないのか?」

「前回大がかりな狩りをやったときに参加して、ライブまでやらせてもらっちゃったからねー。順番的に、今度はわたしたちが残るのが筋なんだよ」


 そう言う歌姫だが、突如として自分の額を手で押さえた。


「……歌姫? 大丈夫か?」

「いや、ちょっと頭痛が……あれ?」


 彼女がふらついたところを、ガクトが支える。


「俺を背負わせちゃったのがマズかったか」

「ううん。ちがう。これは、たまにあるやつ……」

「アリーフェのところに行こう」


 ガクトは歌姫を促そうとするが、


「平気。ちょっと、変な記憶が頭の中に浮かんだだけ。わたしたち、前回狩りに参加したって言ったじゃない? それがいつの記憶だったかわからなくなっちゃってさ」

「そんなに前なのか? 前回の狩りって」


 首を横に振る歌姫。


「半年くらい前だったと思う。おかしいのはね、今思えばわたしたち、そのとき残留組だったの。だけど、わたしも他の子たちも、何の違和感もなしに、今回が残留組だって思ってたから、変だなって……」


 記憶の混濁(こんだく)。それは、ガクトにも起きていることだった。

 アリーフェも言及していた、学園島を訪れた多くの生徒が頭痛を経験していることと、何か繋がりがあるのだろうか?


「俺もここへ来てから、既視感みたいなものを覚えるときがあって、そのときに決まって頭が痛くなるんだ」

「わたしたちと一緒だね。もー、嫌になっちゃうわ」


 ため息を溢す歌姫。

 現状、はっきりとした原因は不明のままだ。


「――ありがとう、支えてくれて。もう大丈夫だから」


 言って、歌姫はガクトを振り返った。


「あとでご飯を届けに、明玖(みんく)のところへ行かなくちゃなんだけど、君も来る?」

「――そうだな。俺に何か手伝えることがあれば協力させてくれ」


 ガクトは首肯した。まだ、歌姫が心配でもあるのだ。


(それに……)


 ガクトは思いを巡らす。

 歌姫はきっと、明玖にも【諦めない】を届けたいのだろう。今朝会ったばかりだが、そんなガクトの目にも、明玖は一人で何かに悩んでいるように見受けられた。


(なら、その手助けはできないだろうか?)


 と、ガクトは考えたのだった。



   ■



 ガクトは歌姫たちの料理を手伝おうとしたが、人手は足りているようだったので、ジュリアに運ばれていった寺之城の様子を見るべく保健室を訪れた。

 するとそこには、朝から精神力と体力を回復するべく生徒会室に残っていたアリーフェと、寺之城を破壊した張本人のジュリアがおり、白目を剥いた寺之城が横たわるベッドの傍で彼を介抱していた。


「あら、ガクトさん。街でのお祝いには行かないのですか?」


 アリーフェの問いに、ガクトは肩を竦める。


「寺之城が心配でさ。それに、まだ来たばかりで顔なじみがいないしな」

「ガクトって優しいのね。こいつがこうなるのはいつものことだから、気にしなくて大丈夫よ?」


 ジュリアが笑顔で言った。ガクトはこういうときのジュリアの笑顔が何とも言い難い恐さを孕んでいる気がしてならない。


「――なんというか、懲りないやつだよな、大和って。ジュリアを怒らせるようなことを言うからこうなるのに、それを頻繁にやるんだから」


 そう言ったところで、ガクトは自分が寺之城と会ったのは今朝が初めてであることを思い出した。

 それにも拘わらず、まるで寺之城と付き合いがある程度続いているかのような物言いをした自分に違和感を覚えるガクト。


「くそメガネって、ガクトと同じ惑星出身だったりするの?」


 同じ違和感を持ったか、ジュリアが聞いた。


「いや、違う。でも、どういうわけか初めて会った気がしないんだ……」


 寺之城だけではない。ジュリアとも、アリーフェとも、もっとたくさん会話をした気がしてならない。


「アリーフェとも、この部屋で一度会った気がするし、ジュリアとも、どこか違う場所で会ってる気が……」


 次の瞬間、ガクト、アリーフェ、ジュリアの三人が同時に頭痛に襲われた。


「またか!」

「もう、うざったいわね……」

「私は、久々です。この痛み……」


 ここでアリーフェが、まず手近な位置にいたジュリアの額に片手を当てる。するとその片手からぼんやりとした白光(はっこう)が放たれた。


「――ありがとう、アリーフェ。さすがね」


 どうやら回復魔法を掛けてもらったらしいジュリアが安堵した様子で言った。


「ガクトさんも、さぁ」


『ぴゅるるる』という謎の飛行音と共にやってきたアリーフェに、ガクトは自分の触覚を手で掻き上げ、額を差し出した。

 アリーフェの手から放たれる淡い白光は温かみを帯びていて、ガクトの額に触れたとたん、瞬く間に頭痛が引いていき、ものの数秒で何ともなくなった。


「ありがとう。妖精族って、魔力が強いんだっけ?」

「そうみたいです。私はこの惑星以外の世界を知らないのですが、ここへ来た生徒さんたちが口を揃えて褒めてくれるんです」


 最後に自分の額に片手を当てながら、アリーフェが答えた。


「――僕にも魔力があったなら、ジュリアくんにやられた傷も自分で治せるんだがね」


 と、意識を取り戻した寺之城が覇気の無い声を出した。


「あらもう復活? もっとこねくり回してやるんだったわ」


 眉を寄せて残念そうに言うジュリアだが、心配して保健室へ運び込んだのは彼女だ。

 弄って、弄られる。寺之城とジュリアは、そういう間柄なのかもしれない。


「ところで学園長、もう回復はできたのかね?」


 寺之城が聞いた。


「あなたが運ばれてきたので、瞑想は一旦中断してます。でも心配はいりません。瞑想は分割して行っても効果があるんです。あとで再開すれば、魔力がその分蓄積して、回復につながりますので」


 どうやらアリーフェはその瞑想とやらを継続的に行うことで魔力を蓄え、結果として精神力と体力を回復させるに至るらしい。


「あ、ここにいたんだ」


 と、そこへ、倒した象亀の(もと)に数名の生徒を従えて残っていたリクが帰ってきた。

 象亀の甲羅に含まれる成分から銃の弾薬を作ることができるとのことで、彼女は腕っぷしの強い男子たちと共にあの狩場に残り、素材の回収をしていたのである。


「リク、どうだった?」

「男子がいてくれたおかげで結構取れたよ。これで武器が追加で作れる。現状は剣も槍も、学園の生徒全員分は無いけど、たぶん今回の追加生産で足りるんじゃないかな?」


 ジュリアの問いに、リクは尻尾を振りながら答える。顔には出さないが、どこか嬉しそうだ。


「ちなみにだが、例の魔道兵器(、、、、)の弾薬もこと足りそうかね?」


 寺之城の問いに、リクは唸る。


「いや、さすがにあれ(、、)の弾を補えるだけの量は無い。地下基地をもっと奥まで探索して、貯蔵庫でも見つけない限りは、あれ(、、)戦うのは無理だと思う」

「――あれ(、、)って、何のこと?」


 ガクトは気になって尋ねた。


「両腕がガトリング砲になっている、人型ロボットさ。半年くらい前に地下基地で数体見つけてね。そのうちの一体をどうにか引きずり出して、屋上に配備したんだが、肝心なガトリング砲の弾が少なくてね」

「地上へ出してみたはいいけど、まともに起動させる方法もわかってないじゃない。いくら弾を生産できたとしても、あのロボットが動かないなら意味無いわ」


 寺之城の説明にジュリアが加わった。


「僕たちは、古代人たちがドラゴンと戦うためにロボットを製造したと考えているんだ。だから、ロボットだけ作って弾を作らないわけがない。地下基地の未踏の領域に、武器庫みたいな場所が必ずあると考えている」

「なるほどな。だから地下を攻略する必要があるわけか」


 寺之城の説明を受け、ガクトは納得した。


「この際、ガクトさんにもお見せしましょう。剣に受け入れられた初めての人です。あのロボットもなにか反応を示すかもしれません。剣もロボットも、古代人が対ドラゴン用に地下に隠していたものですから」


 そう思い至ったアリーフェに促され、一同は四角形を描く校舎の屋上へとやってきた。

 日が傾き始めていたが、まだ明るさは十分残っており、件の魔道兵器は、北に位置する【ダイヤの塔】の脇に置かれていた。

 黒とグレーの中間色のような色合いのボディーは、武骨でたくましい大男を思わせる、まさにロボットと呼ぶにふさわしい外観をしている。

 人間で言うところの頭部と胸部は無く、そこに搭乗者が剥き出しになる操縦席が鎮座。

 全高4メートル、重量は1トンほどで、操縦席の目の前に備わるT字型の操舵装置(そうだそうち)で機体を操作するものと思われる。また、寺之城曰く、操縦席の両サイドに設けられた、戦闘機の操縦桿(そうじゅうかん)に似た形状のグリップを握った状態で腕を動かすと、連動して機体の腕も動くと予想しているらしい。

 そうしてガトリング砲の腕を動かし、標的に大口径の弾丸を発射するというのだ。

 現状はロボットの背面にある箱型の大きな弾薬ベイに格納された弾丸以外に予備はなく、撃ち尽くせばそれでおしまいの状況にあるという。


「ジュリアくんの超未来的なパワードスーツには性能の面で劣るかもしれんが、恐らく火力だけで見ればこの魔導兵器も負けていないと個人的に思っている。なんというか、ロマンがある形状をしているからな!」


 眼鏡をずり上げた寺之城が得意げに言う。


「あたしのはレールガンがプライマリーウェポンだけど、この子のは実弾で連射が効くタイプだと思うから、むしろドラゴンの群れなんかが襲って来たらあたしのより適役かもね」


 軍人で兵器にある程度詳しいジュリアも太鼓判を押す兵器である。ガクトはどうにか動かせないかと、持参した竜斬剣(スレイヤー)を徐に手に取り、試しにロボットに向けて翳してみた。


「……さすがに、こんなことじゃ動くわけないよな。電源というか、エネルギー源みたいなものは何かわかってるのか?」


 ロボットは予想通り何も反応を示さず、ガクトは苦笑交じりに寺之城に尋ねた。


「それも不明でね。掃除機みたいに、お尻からコンセントか何かが見えていれば話は早いんだが……」


 肩を落とす寺之城。


「ガクト。ものは試しで、操縦席に座ってみたら?」


 というリクの提案で、剣を背負ったガクトは鎮座するロボットに手足を掛け、操縦席によじ登る。ロボットは屈伸の要領で両脚を折り曲げ、人間がしゃがむような姿勢をしているので、本来よりも低い位置にある操縦席に登るのは容易だった。


「なんだか、ロボットアニメの主人公になった気がする……」


 と、皆の視線を浴びて頬を赤らめるガクトは、操縦席に何か起動の手がかりが無いか見回してみる。

 彼はここで、Tの字型をした操舵装置の中心に、横向きに細長い溝のようなものが掘られていることに気付いた。


「――なんだかわからないけど、剣が刺さりそうな溝がある」

「そうなの? 私は座ったことないから初耳」

「そんな溝、あったかしら?」


 リクとジュリアが声を上げる。


「僕ということが、失念していた! 操舵装置のところに用途不明の穴があったんだ!」


 思い出したように手と手を打ち鳴らす寺之城。


「ガクトさん、その溝に、剣を刺してみることはできますか?」

「え、でも、壊れないかな?」


 アリーフェの問いに、ガクトは不安に駆られる。

 ジュリアのパワードスーツを除けば、ドラゴンと戦えそうな兵器はこのロボットだけなのだ。


「どうせこのままじゃ動かないんだし、やってみてくれない? もし壊れたら寺之城のせいにするから」

「あの、ジュリアくん? さすがにこんなときまで僕を悪者にする必要ないんじゃないかね?」


 可愛らしい笑顔で言うジュリアを振り返り、恐怖で震え始める寺之城。


「それじゃあ、ほんとにやってみるぞ?」


 もう一度お伺いを立てたガクトはごくりと喉を鳴らし、背負っていた剣を手に持ち替え、操縦席から立ち上がる。そうして逆さまに構えた剣を、細い溝に少しずつ差し込んでいく。

 まず拳一つ分ほど差し入れるが、特に奥でつっかえる感触はなく、更に差し入れる。


「――あれ、意外と深いな……」


 ガクトは言いながら更に差し込み、結局刃全体がすっぽりと納まってしまった。


「マジか! 全部入ったぞ」


 と、ガクトが驚愕の声を溢したときだ。


『キュィイイイイイイイン』という電子的な機械音が発せられ、T字型の操舵装置が動作。驚いて操縦席に腰を落としたガクトの胴体に近づいてきた。恐らくは、搭乗者の体格に合わせて位置を自動で調整したのだろう。


「うそ⁉ ほんとに動いた⁉」

「やってみるもんだね!」

 と、歓喜するジュリアとリク。


「やった! やったぞガクトくん! 会長! ロボットを起動させるには、剣を溝に差し込まなくてはいけなかったんだ!」

「剣が鍵になっていたわけですね!」


 寺之城が中腰になり、ふわふわ浮かぶアリーフェとハイタッチしている。


「あ、歩けたりするかな?」

「試してみて?」


 リクに言われ、操舵装置を掴むガクト。すると、操舵装置に差し込まれた剣の柄から突如として立体映像が出現した。緑色に光る文字の立体映像で、しかも日本語だ。


「うわ! 文字が出てきたぞ!」


 ガクトは言って、その文字を読む。



『汝、剣に選ばれし者か?』



 と、文字はガクトに聞いていた。


「選ばれし者かって聞かれてるんだけど……?」

「試しに答えてみなさいよ」


 ジュリアに言われ、ガクトは頷く。


「――そうだ。俺が選ばれし者だ」



『ホントにぃ?』



「……ホントだよ。なんで疑うんだよ」

 予想外の質問に、機械の故障を疑うガクト。



『我々は剣に選ばれし者の命にのみ従う』



「俺がその選ばれし者なんだって。ほら、ちゃんと剣も差し込んである」

 ガクトが差し込んだ剣の柄を軽く叩くが、



『お前の剣は、真の姿ではない』



 と表示された。


「――ダメだ。どうしてかはわからないけど、ロボットに拒絶される。剣が真の姿ではないとかって理由みたいだ……」


 ガクトの言で、一同は肩を落とす。


「大昔の機械みたいだから、ロボットに組み込まれたコンピューターシステムにもガタが出るわよね」

「剣を差し込むなんてロマン展開があるんだから、いけると思ったんだがな……」


 リクと寺之城が言うと、


「あたしが愛の鞭で叩いてみましょうか?」


 ジュリアが拳の骨をバキバキと鳴らしながらロボットに近づいたので、


「「「待って落ち着いて!」」」


 リク、寺之城、アリーフェが三人がかりで止める。

 コンピューターシステムという言葉を聞いたガクトは、ふと明玖のことを思い出した。

 彼女はプログラムを書くことができるようなニュアンスのことを話していたのだ。


「そういえば、この学園のコンピューター室に、明玖っていう、プログラムに詳しそうな子がいるよな? その子に見てもらうのはどうだ?」


 すると、一同が一斉に動きを止め、ガクトを振り返った。


「あんた、明玖と面識あったの?」

「初耳。仲良しなの?」


 ジュリアとリクが愁眉(しゅうび)を開くような表情をした。


「それは喜ばしいというか、とてもありがたい申し出だよ。確かに家内君は魔道プログラムに詳しいと聞いた記憶がある」

「そうですね。ガクトさんがここへ来たことに、運命のようなものを感じます」


 寺之城とアリーフェも、どことなく表情が晴れやかになった印象を受ける。


「ええと、うん。と言っても、みんなと同じで、今日会ったばっかりだけど……?」


 みんなの様子が突然変わったので、少し狼狽え気味のガクト。


「それでも、あの子と面と向かって会話できる人はこの島で数えられる程度しかいないんです。ガクトさんはこのお話を聞いてぱっとしないと思いますが、とても尊いことなんです!」


 と、アリーフェは目に涙まで浮かべている。


「というのもね、明玖はちょっと、その、……対人恐怖症というのかしら? 人と接するのがかなり苦手なタイプの子なのよ」

「社交不安症とも言うね」


 ジュリアの説明に寺之城が補足する。


「そうそう。でね、これはあたしが悪いんだけどさ、……あたしは戦争が続く世界からこっちに来たものだから、その、あの子に対して、結構キツい言い方しちゃったのよ」


 ガクトには、話すジュリアの顔にうっすらと影が差すように感じられた。


「そういうことを言って引きこもっていられるのは、戦争を知らない温室育ちだけだって、言っちゃったの。酷いわよね……」


 ジュリアは続ける。


「――あたしが酷いことを言ってしまったせいで、あの子はコンピューター室に引きこもってしまうようになった……」

「待つんだジュリア君。君の発言には確かに棘があった。しかし、彼女はそれ以前から人と接することを頑なに拒絶するようなタイプの人間だったぞ」


 と、ジュリアの発言に寺之城が被せた。


「――どうしてかはわからないけど、ジュリアの話、前にも聞いた気がする」


 ガクトが言った。

 そうだ。ジュリアは学園の生徒たちの中でもかなり重い経験を積んでいる。

再び、微かな頭痛がガクトを襲った。

 なぜそれをガクトが知っているのか、それだけが判然とせずわからず仕舞いだ。


「ごめん。そうだったかしら?」


 ジュリアは少し戸惑ったような声音で言った。


「いや、いいんだ。咎めているわけではなくて、むしろ君の大変さに胸を痛める思いなんだ」


 ガクトは偽りなく、心に生じた感情を言葉にして伝える。


「――物事の辛さは人それぞれなんていうけどさ、世の中には平等なんてものはなくて、格差があるんだ。だから、ジュリアの辛さは僕が味わったことの無い、とても重たいものだし、辛いはずだ」


 ガクトにとって戦争とは、学校の授業で資料を眺めるか、テレビ画面の向こう側の映像を眺めて知る程度の、遠いものでしかない。それを間近で()、体験した立場とはわけが違う。


「――ごめん、戦争を知らない僕がこうやって語ること自体がおこがましいよな……」

「いいのよ、ガクト。これはあたしがこの島に来てから学んだことなんだけど、――確かにあなたの言う通り、格差があるのは事実。でもその線引きはとても曖昧で複雑。人の幸や不幸は、他人の主観で判断できるものもあれば、そうではないものもあるの。痛みの感じ方は、その人の生まれ育った環境や考え方によってバラバラになるからよ」


 ガクトの問いに、ジュリアは包み込むような笑顔で言い、そうしたあとで、その可愛らしい面立ちに影を落とす。


「あたしがもっと大人だったら、明玖が引きこもることも無かったかもしれないのに……」


 そう言うジュリアを、リクが物言わず抱きしめる。

 普段は気丈に振舞うジュリアが、こんなにも心障した様相を(てい)している。


「――ジュリア君、君の明玖君への思いは理解しているつもりだ。そのうえで言う。君は自分を責めてはダメだ。そして同様に、明玖君を責めてはならない」


 と、寺之城が続ける。


「引きこもってしまっている彼女には彼女なりの、何らかのトラウマか、それに近しい苦しみがあるに違いない。僕たちに責めるべき落ち度があるとすれば、それは、明玖くんを蝕むものが何なのか、僕たちが把握してやれていないことだ」


 寺之城も視線を落とす。


「私たちは来るものを拒まず受け入れ、平等に接し、力を合わせて、みんなが納得できる未来を目指すのが目標です。それに害する因子があれば解消する。それは、この罪深い私の、最低限の務めなのですが……」


 アリーフェはその目から涙を溢した。

 ガクトは徐に、眼前に浮かぶ立体映像の文字を見つめる。


『お前の剣は、真の姿ではない』


 本当の姿は、誰にもわからない。


「――なら、みんなで明玖のところへ行こう。もしかすると、彼女を恐がらせてしまうかもしれない。でも、面と向かって話してみないことには何も始まらないんだ」


 この場にいる全員を取り巻く負の感情を取り払うには、まずはそれと向き合う必要があると、ガクトは思ったのだ。


「僕たちと明玖で、お互いに障壁を乗り越え合って、その先へ行こう。明玖にこのロボットを見てもらうんだ」


 ガクトの言に、全員が頷いた。



   ■



 その日の夕方、残留組が夕飯の支度を終えた頃合いに、ガクトたちは歌姫と合流した。


「――なるほどね。そういうことなら、わたしも一緒に行く。ちょうど、あの子にご飯を運ぼうとしてたところだし」


 明玖の心の負担を取り払うべく動こうというガクトたちの考えを聞いた歌姫は、自分も加わることを願い出た。

 そしてガクトたちは、夕暮れの赤い光が差し込む四階の角部屋に赴いた。目の前のコンピューター室は照明が消されているらしく、薄暗い。


「明玖。ちょっと早いけど、お夕飯持ってきたよー」


 歌姫は言いながら、コンピューター室のドアをノックする。

 少し待つと、ゆっくりとドアが開かれ、明玖が顔だけをひょっこりと覗かせた。


「やぁ、今朝ぶりだな。はい、これ」


 ガクトが両手に持っていたトレーを差し出すと、明玖はグレーのショートカットを小さく揺らして、


「わ、わざわざ、ごめん……」


 おずおずといった様子でトレーに手を伸ばすが、


「今日のご飯は【RED】特製、激辛カレーでござい!」

「げ、げき、から……っ!」


 歌姫から激辛という言葉を聞いてその手を引っ込め、困ったように眉を寄せる明玖。


「あ、ごめんごめん! 激辛は冗談。普通のカレーだよ。入ってもいい?」


 歌姫にお願いされ、ドアをもっと開こうとする明玖。だが、ここでガクトと歌姫の両サイドに立つ生徒会メンバーの姿に気付き、


「――っ⁉」


 びくりと肩を縮こまらせた。


「明玖さん、ちょっとお願い事があって来ました。中でお話させてくださいませんか?」


 と、アリーフェが明玖の前でふわふわ浮かぶ。


「…………」


 怯えた様子で、両の手で自分の胸元を掴む明玖。


「明玖さんの気持ち、私もわかります。私も、自分より身体の大きい人たちと話すのが恐かったからです」


 アリーフェは言いながら小さな細い手を伸ばし、明玖の手にそっと触れる。


「本当なら、もっと早くにこうするべきでした。一人にさせてしまってごめんなさい」

「…………」


 明玖は口を閉ざしたままだが、ゆっくりと手を開き、自分の胸にアリーフェを迎え入れた。


「私は皆さんと接するうちに、少しずつ会話することに慣れていきました。ほら、今は吃ることもないんです。時間は掛かってしまいましたが……」

「そ、それは、す、すごいこと……」


 絞り出すようにして、明玖は言葉を発した。


「ありがとうございます。褒めてくれて」


 アリーフェは明玖の胸に身を埋める。その背を指先で優しく撫でる明玖。


「――私も、変わり、たい……」


 明玖の口から、そんな言葉が紡がれた。

 変わりたい、と。


「できます! 明玖さんのように優しい人なら、ぜったいに変われます!」


 アリーフェが言う。


「まずは、このドアをもう少しだけ、開けるところから始めませんか?」


 すると明玖はこくりと頷き、ドアを横へとスライドさせた。


「明玖……」


 今度はジュリアが言った。

 明玖は返事こそないものの、ジュリアと合わせた目を決して逸らそうとしない。


「改めて言わせて? 酷いことを言ってごめんなさい。あんたは強い子よ。今ドアを開けて、それをあたしに見せてくれたもの」

「…………」


 明玖の目が、僅かに開かれた。それは驚きにも、喜びにも見て取れた。


「あたしも、部屋に入れてもらってもいい?」


 ジュリアの問いに、明玖はきゅっと目を瞑り、こくこくと頷いた。


「わ、私、ジュリアさんのこと、良い人だって、わかってる……」


 言って、抱きしめたままのアリーフェに視線を落とす明玖。彼女はアリーフェが頷くと、勇気を得たかのように顔を上げ、もう一度ジュリアを見た。


「――わ、私のほうこそ、ずっと、引きこもって、心配かけて、ごめんなさい」


 そして明玖は、深々と頭を下げた。

 そうして再び顔を上げた明玖に、ジュリアは物言わず抱きついた。


「ふぬむむむ!」


 明玖とジュリアの胸の間に挟まったアリーフェが若干苦し気な声を漏らした。


「俺たちはみんな、君の味方だよ。お願いがあって来たけど、無理にとは言わない。今は、君が苦しんでいるものを無くすほうが大事だ」


 と、ガクトは言った。


「なにが苦しいか、お部屋の中であたしたちに教えてくれる?」


 歌姫が明玖の顔を覗き込むと、明玖は首を縦に振り、全員を室内へ招き入れて照明を点けた。

 コンピューター室には縦長の白いテーブルが二列並び、椅子とコンピューターがそれぞれ1ペアずつ等間隔で置かれていた。ガクトが居た地球と違うのは、ここにあるコンピューターが電気で動くものではない点だ。どのコンピューターも、モニターの裏面に丸い窪みが設けてあり、そこに光り輝く水晶玉のようなものが埋め込まれており、それが魔力を供給して動く仕組みになっている。

 寺之城曰く、コンピューターの裏面に埋め込まれた宝玉を魔導球(まどうきゅう)と呼び、この魔導球を動力として動くコンピューターを魔導コンピューターという。

 明玖は部屋の隅にある魔導コンピューターを使用しているらしく、それにだけ電源がついていた。

 一同は明玖の魔導コンピューターの周りに椅子を運び、テーブルを挟んで両側に分かれて座った。


「――さてと。今この秘密基地にいるのは、わたしたちだけ。だから、今からここで話すこともわたしたちだけの秘密ってことで!」


 と、歌姫が明るく仕切り直した。


「明玖さん。あなたが何に苦しんでいるのか、私たちに教えてくれますか?」


 アリーフェの確認に明玖はこくりと頷き、大きく深呼吸した。


「わ、私、……き、記憶が、恐い……」

「記憶? 過去になにか嫌なことがあったということかい?」


 寺之城の問いに、明玖は首を小さく縦に動かした。


「な、何度も、同じ夢を見るの。それは、と、とても、リアルで、その夢を見る度、現実との区別がつけられなくなった……」

「その夢って、どんな夢なのか言える?」


 これまで会話を見守っていたリクが口を開いた。


「……み、み……」

「あ、ごめん明玖。無理なら言わなくて平気だから」


 リクが言うものの、明玖は首を横に振って、もう一度大きく深呼吸した。


「……み、みんなが、し、死ぬ、夢……」


 彼女はきゅっと目を瞑り、膝の上に置いた拳を握りしめて言った。


「それはまた……僕は毎日のようにジュリア君から半殺しにされているが、みんなとはな……」


 寺之城が狼狽えたような声を上げた。


「ゆ、夢の中で、みんなは、狩りに出たり、ライブしたり、いろいろなことを、やっていたけど、さ、最後には、必ず……」


 話しているうち、夢で見た光景を思い出してしまったか、肩を震わせ始める明玖。

 両隣に座っていた歌姫とジュリアが、明玖の肩に手を添える。


「無理しないでいいわ、明玖。今回は、ここまでにしましょうか」


 と、ジュリアは言うが、明玖は首を横に振った。


「は、話して、おきたい。みんなに、知っていてほしい」


 歌姫に背中を擦られながら、明玖は再度深呼吸し、続ける。


「――最後に必ず、ど、ドラゴンが来て、襲われる。……夢を見るうちに、まるで、同じことを、繰り返しているような、か、感覚になって、ここから出るのが、こ、恐くなったの……」


 ガクトは、明玖と今朝初めて会ったとき、彼女がこんな質問をしたのを思い出した。


『――な、なにか、覚えて、いますか?』

「――今朝、君が俺にした質問は、君が夢だと思っている出来事が現実かどうか、確かめようとしてのことだったのか?」


 ガクトが聞くと、明玖は首肯した。


「ふむ。繰り返す悪夢か。……学園長、どう思う?」


 腕組みをした寺之城は唸りながらアリーフェに振った。


「同じことが何度も繰り返すという話は聞いたことがありません。そういった類の魔法も、私は持ち得ませんし、……明玖さんが見る夢が現実であることを証明する手段がなにかあればいいのですが……」

「わたしたち、よく頭痛に襲われるじゃん? 明玖の言う悪夢となにか関係性って無いかな?」


 ガクトが言おうとしたことを、歌姫が話した。

 マーフォークの特徴を持つガクトは敏感なのか、この頭痛を顕著に感じていた。


「今思うと、頭痛がするタイミングっていうのが、既視感を覚えたときな気がするんだ」


 ガクトは歌姫の言に付け加える。


「前にも同じことがあったと思った瞬間に、頭痛が来る。これが意味するものと、明玖が見る悪夢が意味するもの。これらの共通点は――」

「まさか、タイムループか⁉」


 寺之城が、はっとした様子で言った。


「くそメガネ。あんたの超能力とやらで、ここにいる誰かの過去を見れないの? もし明玖が見た悪夢が実は現実に起きたことで、何らかのギミックが働いて時間が巻き戻っているなら、その瞬間をあんたが見られれば、証明できるじゃない」


 と、ジュリアに言われた寺之城は肩を竦める。


「無理だ。僕の能力は使い勝手が悪すぎでね。制御がまったく利かない。能力が発動する時間も、相手も、すべてがランダムなんだ。故に、自分が望んだタイミングで、望んだ人の過去を見ることはできない」


 すると、明玖がまたも震え出しながら、ブレザーのポケットから何かを取り出した。


「――お、おばあちゃんからもらった、お、お守り、なんだけど……」


 と、明玖は取り出したものをテーブルの上に置いた。

 それは黒い支柱に組み込まれた砂時計だった。硝子の容器内には金色をした粉体が収められており、室内灯の光を受けて淡く輝いている。


「きれいな砂時計ですね。これが、なにか関係あるのですか?」


 アリーフェがテーブルに降り立ち、砂時計を傍でまじまじと見つめる。


「わ、私が小さい頃、お、おばあちゃんが、こう話していたのを、覚えてる。これは、持っている人の命に、危険が迫ったとき、時間を戻す時計だって……」

「そ、そんなものが本当にあったのか!」


 寺之城が驚愕の声を上げた。

 だが、明玖は否定する。


「か、確証は、ない。この中の誰も、時間が巻き戻っていると、認識できていないから」

「確かに、まだ断言はできませんね。もし仮に時間が巻き戻っていたとしても、それがいつ発動して、どれくらいの過去まで戻ったのか、覚えている人が一人もいないのであれば……」

「お、おばあちゃんは、私がいた世界で、ゆ、有名な魔導師で、【ガーディアン】って呼ばれる、世界を守る組織の、一員だった。そのおばあちゃんから、もらったお守りだから、何か特別な力が、あっても、おかしくは、ないんだけど……」


 明玖は言いながら、砂時計を手に取り、それをひっくり返してテーブルに置いた。

 そして起きた出来事に、一同は目を丸くした。

 砂時計の砂が、一粒たりとも落下しないのだ。


「――湿気かなにかで固まってる?」


 と、リクがつぶやくが、明玖は首を横に振る。


「砂が動くのは、時間が戻るときだけ。だから、誰も、砂が動くのを認識できない」

「この砂時計は上下左右がいずれも対称なので、中身の砂が移動したかどうか、形状で判断することはできませんね。硝子容器のどちらか一方に印をつけたとしても、時間が巻き戻ればその印は消えているはず。なのでやはり判断は難しいかと……」


 間近で砂時計を観察していたアリーフェが言った。


「唯一それらしい手掛かりがあるとすれば、さきほどガクトくんたちが言った、既視感から来る頭痛か……」


 明玖に異変が起きたのは、神妙な面持ちで寺之城がつぶやいたときだった。


「――っ」


 彼女は両手を膝の上で握りしめ、肩を震わせてすすり泣き始めたのだ。


「明玖? 大丈夫?」


 歌姫がすぐに気付き、明玖の肩を抱く。


「……も、もし、タイム、ループが、本当、だったら、砂時計を、持ち込んだ私が、みんなを、何度も、ひどい目に……」


 俯いた明玖は大粒の涙を膝に溢しながら言う。

 このときガクトは目を閉じ、むせび泣く明玖の声を聞き、彼女がずっと一人で罪悪感に苛まれ、それを抱えたまま誰にも言い出せずにいたことを感じた(、、、)

 明玖はこの部屋で両膝を抱きかかえ、悪夢を見ては恐怖し、砂時計を持つ自分の存在が、島の生徒たちをタイムループの袋小路に閉じ込めているのかもしれないと、己を責め続けてきたのだ。

 明玖がこの部屋で過ごす光景が、イメージとして断片的に脳内で浮かび、ガクトはそれらを繋ぎ合わせ、結論に至った。


「――ずっと一人で耐えてきたんだな。辛かったよな。……タイムループのことを持ち出したって、まず信じてもらえないって思ったのか?」

「…………」


 明玖は涙で溢れる目をガクトに向け、小さく頷いた。


「わかるよ。俺が明玖の立場だったら、きっと同じように考えて、どうしようもなくなって、神様にこれ以上悪夢を見せないよう、ただ祈るばっかりだったと思う」


 テーブルの対面で顔を伏せる明玖に、ガクトはそっと、語り掛ける。


「明玖。君はなにも悪くなんかない。むしろ、みんなを助けてくれてるよ」

「――え?」


 明玖が涙に濡れた顔を上げた。


「そうさね、家内(いえのうち)君」

「誰も明玖が悪いなんて思ってないわ」


 寺之城とジュリアが頷いた。


「タイムループが本当だったとしよう。どうして時間が戻る? ドラゴンに襲われたからだろ? ということは、本来であればその時点でゲームオーバーだった俺たちが、君がいてくれるおかげで、こうして何度もやり直しができていることになる」


 と、ガクト。


「わ、わ、私は、それでも、何回も、苦しい思いを、みんなに、させるのが、申し訳、なくて……」


 手の甲で目元を拭う明玖だが、まだ涙は止まらない。


「明玖。お礼を言わせてくれ。そして、約束させて欲しい」


 ガクトは明玖の目を真っ直ぐに見て話す。どうか、心のしがらみから脱してほしいという願いを抱きながら。

 明玖はしゃくり上げながらも顔を上げ、ガクトと目を合わせ続ける。


「――俺は、絶対に諦めない。これからどんなことが起こってもだ。君がいてくれることを無駄になんかしない。君が苦しんできたことを無駄になんかしない。これが約束!」


 ガクトの示した約束に、明玖の目が見開かれる。その目から、まるで孤独な闇の中で光を見たかのような、希望の(しずく)が溢れ出す。

 そして、彼女の隣でガクトを見つめる歌姫の目にも、同じ雫が宿り、彼女の頬を伝い落ちた。


「――約束するのはガクトくんだけじゃなくて、わたし達も、だよ?」


 明玖の肩を抱いて、歌姫が言った。


「あ、歌姫、私が言おうとした台詞取らないでよ」

「えへへ。早い者勝ちー」


 膨れるリクに、歌姫は目から零れた雫を拭い、小さく舌を出した。


「ガクトさんの言う通りです。私達の目標はドラゴンを倒すこと。それが成し遂げられるまで、私達は考え、行動し続けます」


 アリーフェがそう言って明玖の傍へと飛んでいき、彼女の頬を伝う涙を拭いた。


「――み、みん、な。ありがとう……」


 明玖はそう言い、初めて、ほころんだ顔を見せた。



   ■



 明玖が落ち着いたあと、ガクトたちは彼女を伴い、屋上へ再度赴くことにした。


「いろいろ大変だったところ済まないんだが、魔導プログラマーの(きみ)に見てもらいたいのは地下から引っ張り出したロボットでね――」


 一同の前を歩く寺之城が、隣の明玖に歩調を合わせながら説明している。そのあとからアリーフェ、ジュリア、リクが続き、最後にガクトと歌姫が少し距離をあけて並んで歩く。

 というのは、歌姫がガクトに話があると言ったからであった。


「いやぁ、さっきの明玖への熱い語らいは凄かったよガクトくん。わたしまでもらい泣きしちゃった」


 恥ずかしそうに笑い、歌姫は続ける。


「絶対に諦めないって、とってもカッコよかった。わたしの座右の銘も【諦めない】だからさ、すっごく共感しちゃったんだ」

「そ、そう改めて言われるとなんだか恥ずかしいな。あのときは俺もちょっと感情的になったというか、ほら、この触覚でいろいろと感じちゃってたというか……」

「ほほぅ? 何を感じちゃってたのかな?」


 頬を赤らめるガクトの顔を、歌姫が覗き込む。訝し気に目を細めているが、とても楽しそうに笑っている。


「え、――いや、ごめん! その、変な意味じゃなくて!」


 自分の失言にあたふたするガクトを見て、歌姫はお腹を抱えて笑う。


「あはは! ガクトくん面白い」

「わ、笑うなよ」

「――うん。わかった」


 ガクトが膨れ気味に言うと、歌姫は、すっと表情を切り替えた。


「どう? すごくない? ポーカーフェイス」


 眉宇の引き締められた彼女の顔は、まさにアイドルにふさわしいと言えるほどに整っており、凛とした眼差しは真面目なオーラを放っている。


「――な、なんか、かっこいいな」


 近い距離で垢抜けた面差しを披露され、思わず本音を溢すガクト。

 そんなガクトを見て、歌姫は再び満面の笑みを浮かべながらこう言った。


「わたしさ、ガクトくんに、やってみたい楽器を聞いたじゃない?」

「ん? うん」

「あの質問ね? この島で、バンドメンバー以外の子にしたことないんだー」


 歌姫の表情が、どこかひたむきさを感じさせる真摯なものへと変わった。


「――え?」


 その瞬間、ガクトは目の前の美少女に意識を奪われ、前方を歩く仲間たちの話し声が、聞こえなくなる。


「わたしがあの質問をしたの、ガクトくんだけ」


 歌姫のつぶらな瞳が、ガクトの視線を放さない。


「…………」

「……この意味わかる?」

「ええと……」


 戸惑うガクトを見て、歌姫は正面に向き直り、歩を進める。


「音楽やってるとさ、相手の演奏を聴いただけで、なんとなくその人の人柄がわかったりするんだ。……わたしは、君のことをもっと知りたいの」


 ドクン、と、ガクトの胸が高鳴る。

 上気したように頬を赤らめる歌姫の胸も、同じように高鳴っているのだろうか。


「明玖を楽にしてあげる。――わたしができなかったことを、君は簡単にやってのけた。ほんと、尊敬する」


 歌姫はガクトの前で振り返り、立ち止まる。

 ガクトも、合わせて立ち止まる。


「ありがとね。明玖を笑顔にしてくれて。わたしの中で、ハッピーエンドの曲が流れてる。なんだかさ、自分のことのように嬉しいんだ。あの子が来てから半年くらいなんだけど、その間、ずっと笑ってくれなかったから……」


 困ったように笑う歌姫。


「わたしも、報われたかったのかも。種類は違うけど、同じように苦しんでる明玖に、わたしは自分を重ねてた……」

「歌姫も、何か苦しんでることがあるのか?」

「ううん。わたしのは、――大したことじゃないよ。わたしが頑張ればいいだけだから」


 歌姫の顔に一瞬陰りが差したのを、ガクトは見逃さない。


「――君が良ければ、俺に教えてくれないか?」


 少しの間を置いてガクトが問うと、歌姫はちらりとガクトの両目を交互に見つめてから、視線を伏せる。


「わたしさ、歌いたいように、歌えないんだ。声が出せないの」


 そして、ニヒルに笑った。

 それは彼女が初めて見せた、彼女の闇だった。冷徹で自虐的な微笑が、明玖が決して楽観的な人間ではないことを物語っている。

 だからガクトは、『そんなことない。歌姫の歌はすごい』という考えを、今この場は凍らせた。


「だから、喉のことを考えて、気を使って、歌う時の声と普段の声を使い分けるようにして、それから、とにかく身体を鍛えて、体力をつけるようにした。……でも、ダメなんだ」


 下向けられた歌姫の視線は、まるで何も見ていないように、ガクトには感じられた。


「歌でみんなを助けたい。支えたいと思って始めたはずなのに、満足な歌が歌えないんじゃ、本末転倒。だからせめて、明玖を傍で支えて、力になれればと思ってた。贖罪の意味もあったの。それで、ガクトくんが明玖を助けてくれたのを見て、少しだけわたしも救われた気分になった」


 白い歯を覗かせて、歌姫は笑う。だがそれは、喜びの笑みではなく――。


「でもさ、それって結局、わたしは自分が一番大事だったってことだよね」


 嘲笑だった。


「ほんとはこんなキャラじゃないくせに、演技で明るく振舞って、周りに元気を配る自分を演じて、それで自分は頑張ってるってさ、自分を慰めたいだけの、身勝手な女なんだよ。わたしって」

「…………」


 ――そうだろうか。

 と、ガクトは思う。

 他人のために何ができるのかを真剣に考えて行動に移し、不足があれば努力で補おうとする貫倶錬歌姫(かんぐれんうたひめ)という人間が、果たして本当に自分のことを最優先に考える身勝手な女だろうか。


「――演技してるのは、今の君だろ」


 ガクトは、見抜く。

 歌姫は、身勝手なんかじゃない。


「君ほどに自分自身と向き合って、目を逸らさず真剣に悩んで、ひたむきに努力ができる人を、俺は知らない」

「――え?」


 まるで予想外の返答を聞いたかのように、歌姫は視線を持ち上げ、ガクトの目を見た。


「そうやって自分のことにたくさん悩めるのは、君が現実をしっかりと見ることができる真面目な人だからだ」


 ガクトも歌姫から目を逸らさずに言う。

 わざと自分を卑下し、醜く見せようとする歌姫の心に秘められたものがなにか。


「そういう人が、自分可愛さに他人を利用したりするわけがないだろ。さっきの明るい笑顔はどうしたんだよ。慣れない演技なんかやめて、いつもの君に戻れよ」

「――演技じゃなかったらどうする? こんなわたしでも、わかってくれるの? 受け入れられる?」

「当たり前だろ」


 ガクトは言い切る。


「俺は歌姫を信じてる。君のひたむきな人間性をだ。どうしても君が自分を悪く思ってしまうなら、これから変わっていけばいいじゃないか。なってみせてくれよ。君が誇れる君に。俺は好きだぜ? 歌ってる歌姫を見るの」


 そうしてガクトは、歌姫の顎に触れ、そっと持ち上げた。


「マーフォークにとっての顎クイ。意味知ってるよな?」

「っ……⁉」


 見る見るうちに、歌姫の顔が赤く染まっていく。


「座右の銘は、諦めない、だろ? だったら諦めないで、一緒に頑張ろう」

「――そ、そうだよね。明玖にも約束したことだし……」


 半ば視線が定まらない様子で、徐に髪を触る歌姫。


「なんだか、変だね。今朝会ったばかりの君にこんなこと話すなんて……」


 という歌姫の言に、ガクトも己が発した言葉の数々を恥じらう気持ちが唐突に沸騰し始めた。


「いや、なんていうかその、俺も妙に馴れ馴れしくてごめん」

「なんでそんな赤くなってるの?」

「歌姫も真っ赤だぞ」


 二人して噴き出した。


「――ありがとう。明玖に続いて、わたしの話まで聞いてくれて。おかげで元気出たよ!」

「それはなによりだ。俺も諦めないって約束したからには、頑張って戦えるようにならなくちゃだ……」


 先に行ってしまった寺之城たちに続こうと、足を踏み出しかけたガクトは、しかし動こうとしない歌姫に道を塞がれた。


「もし、明玖が言うように時間がループしてるなら、わたしたちはこのあと、ドラゴンに襲われるんだよね?」


 頬を赤らめたまま、歌姫は上目でガクトを見つめる。


「ま、まぁ、そうなっちまうかもな……」


 ふとガクトの脳裏に、黒雲が天を覆いつくす光景が過り、例の頭痛が沸き起こり始めた。

 歌姫はしかし、平気な様子で続ける。


「それじゃあさ、そうなる前に、これだけ言わせて?」

「え?」



「――好き」



 歌姫の口から紡がれた言葉に、ガクトの頭痛が消し飛んだ。

 この場に佇む男女の心臓が、一際強く脈打つ。

 それは、二人だけの感情が始まる鐘のように、はっきりと聞こえた気がした。

 だが。

 窓の外に広がる空が、突如として湧き出でた黒雲で見えなくなった。

 ここで、すべてを引き裂くかの如き雷鳴が轟いて。



 ――それは、無慈悲にやってきた。



 空に生じた黒い穴から、ドラゴンの群れが現れ始めたのだ。


「ガクト……」


 歌姫は何もかもを打ち砕かれたかのように青褪めた顔で、ガクトの名を呼んだ。


「歌姫。君はみんなを連れて逃げろ」


 そう言い残し、ガクトは歌姫の横を走り去る。


「どこいくの⁉」

「剣のところへ行く! 言ったろ、諦めないって!」


 それを聞いた歌姫はぐっと口を引き結び、両の拳を握りしめてから、


「――ならわたしも諦めない!」


 力強い走力で一気にガクトへと追い付いてきた。

 互いに頷き合い、目指すは屋上である。



   ■



 すでにロボットの傍に到着していた寺之城たちも、驚愕と戸惑いの色をその顔に滲ませ、空を蹂躙するドラゴンたちを見上げていた。

 明玖は寺之城とリクに支えられていないと、ろくに立つこともままならない様子で震え、怯えている。

 ジュリアの姿が見当たらない。


「――ガクトさん、歌姫さん、大変です! 本当にドラゴンが!」

「みたいだね! わたしと学園長の魔法でみんなをサポートするよ! 本当はバンドのみんなと楽器を用意したいけど、間に合わないから独唱でいく!」


 狼狽えた様子のアリーフェに、歌姫は援護を求める。


「大和! ジュリアは⁉」

「ジュリアくんなら、今生徒会室に向かってる。そこにパワードスーツがあるんだ」


 寺之城の言を聞いたガクトはロボットによじ登り、操舵装置に差し込んでいた剣を引き抜いた。すると、剣の宝玉の三つ目が光っていることに気付いた。

 今まではダイヤモンドの白銀と、エメラルドの鮮やかな緑の二色しか光っていなかったところに、ルビーの燃えるような赤が加わっているのだ。


「光が、三つになった……?」

「ガクトくん! その光は剣の何らかの合図かもしれん! 試しにもう一度、ロボットに剣を

差し込んでみてくれ!」


 驚愕してつぶやくガクトを、寺之城が呼ばわった。

 すぐさま差し込むガクトだが、眼前に浮かび上がった立体文字はさきほどと同じものだ。


「ダメだ! 変化がない!」


 ガクトが言った次の瞬間、北に位置する【ダイヤの塔】が爆発。粉塵の中から、パワードスーツを装備したジュリアが現れ、超音速でガクトたちの上空へ飛来した。


「――アリーフェ、ごめんなさい! 生徒会室壊しちゃった!」

「構いません! あとで魔法で直しますから、今はドラゴンを!」

「了解!」


 言って、ジュリアはパワードスーツのブースターを大噴射させ、向かってくる小型のドラゴンを回避。隙が生じたところをレールガンで撃ち抜いていく。



 楽はしない

 偉ぶらない

 他人のせいになどしない

 涙を拭いて我が道を行く



 と、マイクが無いにも拘わらず、歌姫が校舎全体に響き渡るほどの声量で歌い出す。

 次いで、異変に気付いた他の生徒たちが動いたのだろう、警報が鳴り響き始めた。

 ガクトはロボットの操縦席から、眼下のグラウンドに残留組の生徒たちが武器を片手に飛び出してくるのを見た。


「――明玖! 俺は諦めないって君に約束した。頼む! このロボットを見てくれ! そうして、俺を戦わせてくれ!」


 ガクトは明玖を呼んだ。

 明玖はまだ恐怖の残る顔を上げ、しかし意を決したかのように大きく頷くと、片手に持っていたラップトップを開き、ロボットの膝の辺りにある差込口にラップトップのコードを繋いだ。

 そして震える手でありながらも、目を見張る高速タイプでロボットの中身を読み解いていく。


「……こ、この、ロボットは、今、ロックが掛かってる。たぶん、その剣の調子が悪いから、だと思う。け、けど、私が、割り込みで、プログラムを書き換えれば、ロックを解除できる、かもしれない!」


 と、視線はラップトップの画面に注いだまま、明玖は凄まじい早さでタイプを続ける。


「わかった! 頼めるか?」

「が、がんばる!」


 短く答え、瞬きすらせずに作業を進める明玖。


「大丈夫だからね、明玖。あなたは私が守るから!」


 リクがそう言って二丁のリボルバーを引き抜き、深呼吸のあとで、聞き覚えのある呪文を唱え始めた。

 そこへ上空からドラゴンが急降下。まっすぐにロボット目掛けて突っ込んできた。


「――我は友の顔を忘れぬ者。友を想い戦う者なり!」


 ドラゴンが牙を覗かせるのと、リクが最後の呪文を唱え終わるのとは同時だった。

 二発の銃声がほぼ同じタイミングで響き渡り、襲ってきたドラゴンは頭部を撃ち抜かれ、校舎下へと墜落していった。


「ありがとう、リク君! 君がいてくれれば家内君も安心だよ!」

「あんたにはこれ!」


 お礼を叫ぶ寺之城に、リクは自分のナイフを投げ渡す。


「ドラゴン相手にナイフなんて無茶な!」

「つべこべ言わない! 噛み付かれたらそれで目を狙って!」

「それ僕食べられてるよね⁉」


 言い争いながらも互いに背中合わせになるリクと寺之城を尻目に、ガクトは操縦席の両サイドに設けられたグリップを握り、脳内でイメージトレーニングをする。

 初めて扱うロボットなのだ。ぶっつけ本番とはいえ、申し訳程度にできることはやっておこうと考えたのだ。

 右腕のグリップを頭上へ掲げた。すると、関節部の機械音がして、ロボットの右腕も持ち上がる。連動機構は生きている。


「――成功か? 明玖」


 ガクトの確認に、明玖は唸る。


「あと、少し。武器の、セーフティーが、まだ、解けない!」


 そのときだった。

 学園の真上に開いた黒い渦から、全長30メートルを超えるダークブラウンの巨体が現れた。


「――おでましか!」


 寺之城が歯を食い縛る。

 現れたのは、【ミープティングレイス】を含めた宇宙全体を支配する悪のドラゴン――ベルリオーズだった。


「我が盾よ! 我が同胞を守りたまえ!」


 と、身体に魔力を貯め込んだアリーフェが祈る。


『これほど小さく、弱い下等生物が、くだらん玩具でこのオレ様に歯向かうのか?』


 ベルリオーズの、低く邪悪な声が響いた。


「玩具かどうか、確かめてみなさい!」


 ジュリアが言い、ドラゴンの首領目掛けレールガンを発射した。

 ベルリオーズはそれを避けようともせず真正面から喰らうが、しかし効果は薄く、その武骨な体表を浅く焼き焦がしただけであった。


「――うそ、でしょ⁉」


 驚愕するジュリアの顔に浮かぶは、絶望。


『やはり、くだらん玩具だな』


 次の瞬間、ベルリオーズはジュリアに対し、虚空に出現させた黒い球体を撃ち込んだ。


魔導弾(まどうだん)です! 避けて!」


 アリーフェが叫ぶが一瞬遅く、小型のドラゴンに襲い掛かられていたジュリアは対応が追い付かず、右腕に黒い球体を喰らってしまう。


「ぁああああああああああッ!」


 ジュリアの痛ましい悲鳴が響き渡り、彼女の右肩から先がなくなっていることをガクトたちは知る。


「ジュリア!」

「――くっそぉおおおおおおお!」


 焦りを露わにする寺之城が見つめる先で、ジュリアは左腕の先端から赤に光り輝くブレード

を展開し、ベルリオーズに斬りかかる。

 だが。


『愚か者めが!』


 嘲笑と共に開けられた口腔が容赦なく彼女を捉え、上半分(、、、)を食い千切った。


「ッ⁉」


 屋上でジュリアの戦闘を見守るしかない一同は、一気に戦意と言葉を失う。

 ジュリアが、食い殺された。


「うぁあああああああああああああああああああああッ‼」


 悲鳴を上げたのはリクだった。半狂乱に陥った彼女は、獣人の脚力で宙へと飛び上がる。


「ジュリアを、返せぇええええええええええええええええええ!」


 襲い来る小型のドラゴンを踏み台に、リクはベルリオーズへと至る。

 対するベルリオーズは再び大きな口を開いた。


「――そこだ!」


 ジュリアが放った弾丸は、しかし届くことはない。

 ベルリオーズが口腔から吐き出した赤黒い炎が、リボルバーの弾丸を微塵も残さず消し飛ばし、リク自身をも飲み込んだ。


「リクッ!」


 ガクトは思わず叫んでいた。

 彼女と岩山で過ごした光景が突如としてフラッシュバック。鈍い痛みが彼の頭を襲った。


「――ジュリア君、……リク君……」


 ガクリと膝をついた寺之城がつぶやく。


「諦めるな!」


 そこへ、歌姫の声がこだました。


「まだ終わりじゃない!」


 彼女の言葉で、ガクトは自分を持ち直した。


「明玖、どうだ?」


 作業に対してとてつもない集中力を見せていた明玖が、画面から目を逸らさないまま、こくりと頷く。


「だい、じょうぶ!」

「よし!」


 ガクトは両手のグリップでロボットの両腕を動かし、銃口をベルリオーズへと向けた。

 ロボットが動いたのを見た小型ドラゴンの群れが、一斉にガクト目掛けて飛来する。


「――ぅおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 ガクトはそれを二門のガトリング砲で迎え撃った。耳を劈き臓器を震わせる壮絶な超連射の銃撃が、襲い来るドラゴンの群れを片っ端から撃ち落としていく。

 しかし、それでもドラゴンたちの勢いは収まらない。多勢に無勢。ロボット一体だけでは火力不足だ。


「ちく、しょぉおお!」


 仲間たちには指一本触れさせまいと、雄叫びを上げるガクト。


『やかましい奴だ。剣ごと消し飛べ』


 嘲笑交じりに、ベルリオーズが再び黒炎を吐き出した。それも、さきほどリクに浴びせたものよりも強力で大きい。

 その無慈悲な炎は、ガクトへと突撃を続ける小型のドラゴンたちをも背後から呑みこみ、更なる火炎弾となってガクトの眼前へと迫る。


「ガクトくん‼」


 誰かが叫んだような気がした。

 世界が、ゆっくりと流れる。

 また、なのか?

 俺はまた、守れずに終わるのか?

 ガクトは明玖に振り向く。彼女は青褪めた顔でガクトを見上げていた。

 いけない。明玖に辛い思いをさせてはダメだ。

 立ち向かわなくては! 戦わなくては!

 グリップを握る手に力を込める。

 そんなガクトの耳に最後に届いたのは、冷酷な言葉だった。



『オレ様はお前を、千年に渡って語り継ぐだろう。身の程知らずの、哀れなマーフォークとな』



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