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第2話


 歌姫の申し出を受けた学園長と生徒会メンバーは、


「やはりここは、全員で狩りに出る必要がありそうだね!」


 という寺之城の意見に満場一致し、男子生徒たちに呼び掛けて一日のスケジュールを急遽狩りへと変更した。

 本来であれば、午前中は自習で、午後は体育を兼ねた戦闘訓練だった。生徒たちは特に変わり映えのないスケジュールに飽きが来ていたらしく、狩りに出ると聞いて歓声を上げるほどに喜んでいた。

 数百人の生徒たちが東の平原エリアと西の岩山エリアの二手に分かれて出撃。ジャンケンで負けてお留守番になった少数の守備隊を学園に残し、およそ一ヵ月ぶりとなる大規模ハンティングの始まりである。

 ガクトは剣が勝手に倒れたことを言えないまま、選ばれし救世主として生徒会メンバーと行動を共にすることになった。


「おねだりしちゃったのはわたしだから、ちゃんと貢献させてもらうわ!」


 と、サポート役を買って出た歌姫も一緒だ。

 場所は東の平原。背丈が腰の辺りまである、稲のような黄色い草が見渡す限り広がる。


「ガクトは歌姫とリクの側から離れないで。アンタには、あたし達の切り札だって自覚を持ってもらう必要があるの。もし今ドラゴンが襲ってきたら、ガクトだけは生き延びなくちゃダメ」


 パワードスーツを装着したジュリアが、先頭を歩きつつ重たいことを言う。

 ジュリアのパワードスーツは、彼女がいた地球のイタリア製で、逆脚型(ぎゃくきゃくがた)と呼ばれる、関節が逆に曲がって見える脚部を持つ、飛行型パワードスーツの一種だという。

 剥き出しの人間の身体に巨大な金属の手足が装備された形が基本形態である。

 背面に双発のメインブースター、脚部の複数個所に補助ブースターを装備し、急旋回、急加速といった高い機動性を誇る。全高3メートル、総重量数百キロ。それを小柄なジュリアは自分の手足のように軽々と操っている。


「――ところで寺之城くん、その顔どうしたの? ジャガイモみたいにでこぼこしてるよ?」

「言われてみれば。いつもジュリアにボコられてるイメージだから大して気にならなかった」


 目を丸くする歌姫の(げん)で気付いたらしく、リクがフードから覗く小さな口に手を当てて吹き出した。


「例によって、そこの怪力まな板メカ娘にやられたのさ。いい加減に、イイ加減を覚えてもらいたいものだよ。いい加減だけにね」

「……ねぇ、クソめがね。あんた今、まな板って言ったかしら?」


 先頭を歩くジュリアが、また目元に影の差した笑顔を寺之城に向ける。寺之城のギャグには誰も反応していない。


「言ってない」

「いや、言ったよ」

「言ったわ」


 寺之城がすぐさま否定するも、リクと歌姫がそれを許さない。


「……あたしね、素手で(まき)(たて)真っ二つに引きちぎれるんだけど、人間でもできるかどうか、アンタの身体で試してもいい?」

「いや、そうするとたぶん僕は右と左に分裂することになるよね? 二つに分かれたらいろいろと立ちいかなくなると思うんだ」

「そっか。じゃあ、どうやって処刑してほしい?」

「そもそも、処刑をするのは前提なのかい?」

「当り前じゃない。あたしのカンに触ることを言ったんだもの」

「そんなオーバーな。ちょっとまな板って言っただけじゃないか」

「やっぱり、言ったのね?」

「あッ!」


 ドカ! ゴス! メキメキャ! ゴキゴキゴキャ! ブチブチ! ブシャァアアア!

 人体が破壊されていく音をバックに、ガクトはリクと歌姫から狩りのレクチャーを受ける。


「一流のハンターはああやって、獲物に悲鳴を上げさせることなく確実に仕留めるの。誰でもすぐにはできないけど、ヤってるうちにコツが掴めてくるから、実践あるのみだね」


 リクがジュリアと寺之城の方を指差すが、ガクトは恐ろしくて見る気がしない。寺之城のオシャレな眼鏡が壊れていないか心配になってくる。


「リクは凄腕のガンマンなんだよ? この星に来る前は、森で狩りをして生計を立ててたんだって!」


 歌姫は目を輝かせながら言う。


「凄いな、プロのハンターじゃないか! 俺も海で魚を獲ったことはあるけど、地上での経験はからっきしだから、勉強させてもらうよ」

「きみはマーフォークのハーフなんだもんね。私は逆に泳ぐのは苦手なんだ。――その、ここが過敏症で、冷たい水がダメなんだよね」


 と、リクはスカートの上から覗く、猫を思わせる細い尻尾を示す。


「かわいい! リクの尻尾、いつもサラサラだよねー」


 歌姫が当然のように手を伸ばし、リクの尻尾を掴む。


「ひゃっ⁉ もう、歌姫! くすぐったいってば!」


 フーッ! と、まるで猫が威嚇するかのように、小さな口から小さな牙を覗かせるリク。


「ふさふさ!」


 楽しそうに尻尾を撫でる歌姫から逃れたリクは、フードの影からちらりと綺麗な小顔を覗かせた。尻尾は本当に敏感でいろいろと感じてしまったのか、頬を真っ赤に染めている。


「――い、言っとくけど、あなたが同じことしたら風穴開けるからね!」

「お、俺はそんなことしないよ!」


 ガクトは慌てて否定。女の子を怒らせてはならない。


「さておいて、それぞれ得意なことがあっていいね! 弱点もあるけど、そこを補い合えれば死角なしだよ!」

「さておくな!」


 機を伺ってまた触ろうと身構える歌姫に、リクは腰に下げたホルスターに手を掛ける。

 迷彩カラーを取り入れた軍服的なデザインの制服に、リクが所持するリボルバー式の拳銃はよく似合っている。

 学園で支給される制服は、男子が長袖白シャツに青いネクタイ、その上にカーキのブレザーを羽織り、下にカーキとグレーの迷彩柄スラックス、ネクタイと同色の青い靴下と黒の革靴を着用。

 女子もカーキのブレザーの下に、白シャツと青ネクタイ。それから動き易さを追求したショートスカート、 これもカーキとグレーの迷彩柄)に青いハイソックス、黒い革靴といった組み合わせである。


「得意なこと、か……」


 戯れるリクと歌姫を見ながら、ガクトは一人でつぶやく。

 リクは銃に手を近づけて脅しはするが、実際に触れることはしない。万が一の暴発に配慮した、プロの所作とでも呼ぶべき身ごなしだ。

 ガクトは泳ぎが好きで、得意でもあるが、かといって達人と呼べるほどのテクニックはない。

 上には上がいる。比べたらキリがない。自分がどんどん惨めになっていくだけ。

だから自分は、大人しくしておいたほうがいい。大人しくするべきなんだ。

 それが、ガクトの持論だ。


「ガクトくん、浮かない顔……緊張でもしてるの?」


 ガクトが我に返ると、歌姫がその美しい小顔を傾げて彼を覗き込んでいた。


「そりゃあ、いくら救世主といっても、これからモンスターと戦うんだから、緊張くらいするでしょ。ガクトはまだこの島に来たばかりで不慣れなんだし」


 と、リクがフォローしてくれる。

 ガクトはますます、自分が剣を抜いたわけではないことを言い出せなくなってきた。

 志守岳人は救世主であるという認識が、もはや学園のみんなに定着してしまっている。

 どうしよう。このまま救世主の体で通していかないとダメかな?

 そう考えて思わず身震いしてしまうガクト。


「武者震いってやつ? その剣で、でっかい獲物をハントしてくれるのを期待してるよ!」


 プレッシャーを掛けているつもりは一切無いことはガクトにもわかったが、歌姫の(げん)は時折心臓に悪い。

 学園の生徒たちは様々な武器を使うらしく、剣を背負うために、皮と紐とで作られた剣ホルダーなるものが用意されており、ガクトはそれを借用して【竜斬剣(スレイヤー)】を背負っている。

 ガクトは(もり)以外の武器をろくに扱った試しがない。しかも【竜斬剣(スレイヤー)】は長年メンテナンスされていないためにコンディションが悪い。

 これでは、放っておいても救世主ではないことがバレるのではないか?

 そんな気もしてきた。

 だが、あれやこれやと悩んではいられない事態が起きた。それは、数分歩いた三人が緩やかな丘を越えたときだった。

 ガクトの触覚が、何か巨大な生き物の気配を捉えたのだ。


「二人とも。前方から何か近づいてきてる」


 ガクトの声で、リクと歌姫は眉宇を引き締めて正面を睨むが、


「――え? なにも見えないけど?」

「わたしより目も耳もいいリクにわからないなら、わたしには感知できない……」


 と、ガクトを振り返る。


「待ってくれ。今詳しい位置を探るから」


 ガクトは言って目を閉じ、全神経を額の少し上――そこから生える二本の触覚に集中。

 一度自分の目で見た周りの景色を、頭の中で再度イメージして瞼の裏に思い浮かべる。いつも海で狩りをするときにやっているように。


 今まで何が見えていた? だだっ広い草原だ。

 何がいた? リクと歌姫。ふたり以外、前方に生き物の姿は見えなかった。

 草の高さは? 俺の腰の辺りまで。

 地面の感触は? 乾燥した土だ。硬さはそうでもない。スコップがあれば穴掘りは簡単だ。


 そこまでイメージしたとき、触覚を持つマーフォーク特有の現象が起こる。それは人間とマーフォークのハーフであるガクトも受け継いでいる。

 事前に見た視覚情報に、新たな情報がイメージとして浮き上がってくる。

 これはマーフォークが持つ、一種の感知能力。

一度目にした景色の中で、視野には入らず、肉眼で確認できていない隠れた事実。それを感知して、頭の中にイメージとして浮かび上がらせることができるのだ。

 そうしてガクトのイメージに追加された新しい情報。それは、


「――地面の中だ! 地面の中を進んで、こっちに近づいてる!」

「マジ⁉ だったら私でも気づけない」

「そういうことか!」


 リクと歌姫が驚愕の声を上げる。


「ここまでの距離は十メートルくらい。更に近づいてる! デカいぞ!」


 ここでガクトは目を開ける。すでに三人が立つ地面に、正体不明の震動が伝わってきていた。


「この震動――ガクトの言う通り、地面の中!」


 リクが叫ぶ。


「二人とも、横に飛べ!」

「おっけい!」


 驚くほど早い身のこなしで、歌姫が右へ側中を切る。

 ガクトはリクと同時に左へ飛び退いた。地面に倒れる直前、腕をリクの肩に回し、彼女を衝撃から守る。

 次の瞬間、獰猛な獣が低く唸るような声と共に、地面の中から巨大なワームが飛び出してきた。太さは自動車を丸呑みにできそうなほど。長さも見える部分だけで十メートル近くある。

 巨大な芋虫とでもいうべきワームは、うねる筒状の胴体の先端に、大きな口を備えている。


「耳塞いで!」


 地面に横たわった状態のリクがホルスターからリボルバーを引き抜き、即座に発砲。

 身体の芯まで響き渡る火薬の炸裂音と共に、大口径の弾丸がワームに命中。


「わお! すごい迫力!」


 歌姫はバンドをやって爆音に慣れているのか、耳を塞ぐことなく楽し気に地面を転がって起き上がる。

 ワームが重苦しい呻き声を上げ、頭部を右へ左へ振り回す。効果が無いわけではないが、倒すにはまだ足りない。


「あれは体力がかなり高いやつだね。肉を焼いて食べると美味しいんだけど――」


 と、ガクトの腕の中でリクが振り向く。お互いの顔がかなり近いことに気付いた彼女は、はっとして起き上がる。


「――ご、ごめん。庇ってくれてありがとう」


 フードを被っているのではっきりしないが、リクの顔は真っ赤に見える。

 人間がたまに見せる赤面は、恥じらいなどの感情で胸がいっぱいになったときに見せるものだが、獣人のリクの赤面にはどんな意味があるのだろうか。

 ガクトはそんなことを思うが、今は顔色を気にしていられる状況ではない。


「二人とも怪我はないか?」


 背負った剣がゴツゴツと背中に当たって痛む中、ガクトは二人に声を掛ける。


「へいき! おかげさまでね!」

「わ、私も大丈夫……」


 歌姫もリクも、無傷の様子で頷いた。


「よし。とりあえず距離を取ろう!」


 暴れまわるワームから目を逸らさず、ガクトは二人を促す。


「あのワーム、焼き肉のホルモンみたいな食感で好きなんだよね!」


 のたうつワームを見ながら、歌姫が言う。

 焼き肉はガクトがいた地球でも名の知れた食べ物で、ガクト自身も島で何回か口にしたことがある。ガクトの思い浮かべる焼き肉と、歌姫の言う焼き肉が同じかはわからないが、美味しいのだということは理解した。

 そこで、ワームから距離を取ったガクトたちの背後に、二匹目のワームが飛び出してきた。


「うわぁっ⁉」

「「きゃああああ⁉」」


 ガクトの意識は完全に眼前のワームに注がれており、さきほどのように目を閉じて集中した状態にはなかったため、背後に迫る気配を感知できなかった。


「ごめん! 意識が乱れて気付けなかった!」


 ガクトの言葉を皮切りに、大急ぎで逃げ出す三人。

 マーフォークは泳ぐことに秀でているが、地上を走ることは苦手だ。

 元々身体能力が格段に高い獣人のリクは凄まじい勢いでガクトと歌姫を引き離す。

 歌姫もバンドのボーカルとして走り込みのトレーニングをしているらしく、あっという間にガクトの前に出る。

 そんな三人の後ろを、銃弾を喰らったワームと、仲間を攻撃されたワームとが怒りを露わに追いかける構図となった。


「あいつら、すごい声で唸ってるぞ! 怒らせちまったか⁉」

「仕方ないよ! ワームは地上にいる弱そうな生き物を丸のみにする性質があるの! だからあそこで何もしなければ、みんな今頃ワームの胃袋で溶かされてる!」


 と、前方からリクの声。彼女は既にガクトたちの二十メートル先を走っている。


「ガクトくん、しっかり!」


 歌姫が少し速度を落とし、ガクトの手を掴む。


「――ご、ごめん!」


 ガクトはまたしても顔が熱くなるのを感じた。これは恐怖ではない、別の感情だ。


「二人とも、私が合図したら横に避けて! 今!」

「ちょッ⁉ 合図のタイミング早い!」


 と、ガクトは言いながら歌姫を引き寄せ、彼女と地面の間に自分の身体が入り込む形で横へ飛んだ。

 間髪を入れず、前方で振り返っていたリクがリボルバーを連射。走りながら特殊な弾丸を装填したらしく、全弾がワームに命中したとたん、爆竹が爆発したかのような炸裂音が響いた。

 二匹のワームは再び唸って怯むが、しかしまだ倒れない。


「――やっぱ、これだけじゃ足りないか!」


 悔しそうにリクがつぶやく。

 歌姫と共に立ち上がったガクトは背負っていた剣を手に取る。こうなれば、やれるだけやってみるしかない。男の自分が、女の子を守らなくては!


「二人は先に行ってくれ! ここは俺が!」

「そんな! ダメだよガクトくん!」

「君を置いていくわけにはいかない!」


 今までは余裕の様子が残っていた歌姫とリクが、焦りの表情を浮かべる。

意を決したガクトは、アニメや漫画の見よう見まねで、両手で掴んだ剣を縦向きに構える。

 そこへ、


「――騒がしいと思ったら、こんなことになってたのね!」


 ジェット戦闘機のような轟音と共に、丘の向こうからジュリアが飛んできた。彼女の声が、パワードスーツに備わる拡声器を通して大きく響く。

 逆脚型のパワードスーツの要所に備わるブースターが青白い光を放ち、謎のエネルギーで以って機体を見事に滞空(たいくう)させている。

 ジュリアの機械の右腕には、前衛的で鋭利なデザインをした三角形の【レールガン】なるものが装備され、一見何も装備していないように見える左腕には、機械の手のひらから飛び出した、格納式のレーザーブレードが展開されている。


「遅いよジュリア! 寺之城くんのこと殺してないよね?」

「骨をゴキゴキいわせて、身体をこねくり回しただけよ」

「なんだ、なら平気だね!」


 女子三名の間ではにこやかな会話が成立している。

 こねくり回すという言葉の意味がよく理解できないガクトだが、両手で丸いお団子を作っているところを想像してしまった。

 そうして寺之城の安否を不安に思い始めたガクトの前で、ジュリアは機体を意のままに操る。

 二十メートルほどの高さまで一瞬で飛び上がったジュリアは、下方のワーム目掛けてチャージしたレールガンを発射。目の眩む二つの閃光がワーム二匹を貫いた。

 ワームの唸り声が止む。


「――ほんと、ジュリアが来るとあっという間だね」


 ガクトの隣でつぶやくリク。

 ワームは急所を超高温のビームに撃ち抜かれ、生命活動を停止して地面に転倒した。


「無事でなによりだわ」


 と、ブースターの甲高い音を響かせて、ジュリアは地上に着陸。


「おーい! 大丈夫かね⁉」


 一同が振り返ると、丘の向こうから寺之城が遅れて現れたところだった。

 身体の原型を保っている寺之城を見て、ほっと胸を撫でおろすガクト。


「寺之城くんこそ平気か?」

大和(やまと)でいいぞ、ガクトくん。大和だ」


 ガクトが声を掛けると、寺之城はサムズアップして白い歯を煌めかせた。


「大和たちは、いつもこんな感じで狩りをしてるのか?」

「こんな感じとは?」

「その、大和がジュリアにボコられるというか……」


 寺之城は高らかに笑う。


「――ハッハッハ! もしや、心配してくれているのかね?」

「そ、そりゃあ、あれだけゴキゴキやられてたら身が持たないだろ……」

「――ハーッハッハッハ!」


 寺之城は勢い余って身体が反り返るほど盛大に笑った。


「意外にも、ジュリア君や他の女子たちは加減を(わきま)えてくれているのだよ」


 そう語る寺之城の目が、尊いものでも見るかのように細められる。


「この世界にあるのは楽しいことだけじゃない。ドラゴンによる支配や、モンスターの脅威に内心怯えている生徒が大勢いる。そういう場で、みんなが暗い顔をしていたら、心が病んでしまうだろう?」

「……ああ。確かにそうだな」


 ガクトは首肯する。


「だから、こうしてオーバーな振る舞いをして場を和ませることは大切なのだよ。示し合わせたわけではないが、ジュリアくんたちもその辺、察してくれているのさ」


 首を左右に捻り、肩を回す寺之城。彼が身体のパーツを動かす度、ゴキゴキと妙な音が鳴る。


「――遅いわよ、くそメガネ。男があたしに後れを取ってどうするの!」

「いやいや、空を飛ぶ相手に勝てるわけがなかろう!」


 女子同士で会話していたジュリアが寺之城を振り返り、彼は肩を竦めた。


「口答えしない! さっさと回収班に連絡して、次行くわよ!」


 言って、ジュリアはブースターを噴射。青空へと飛び上がる。

 獲物を狩ったら、別動隊として待機している回収班に連絡して持ち帰ってもらう手筈になっているのだ。そうすれば、狩る側は身軽なまま狩りを続行できる。


「――まぁ、君が見て思ったとおり、こんな感じでやってるよ」

「学生が千人も集まって、よく乱れずに行動できるな。俺がいた地球だと、種族によって差別されたりとか、経済的な格差があったりとかしたから……」


 どちらかと言えば人見知りするタイプのガクトだが、寺之城が相手だと、不思議と緊張感や苦手意識といったものが薄れていき、自分の胸の内をすんなり話すことができた。


「乱れることは往々にしてあるさ」


 と、寺之城は言う。


「今朝君がここへ来たみたいにして、毎日少しずつ仲間が増えていって、とても僕たち生徒会メンバーだけでは面倒を見切れない規模になった。けど諦めずに工夫して、――そうだね、あれはいつだったか忘れたが、腹を割って話し合う場を設けたりもした。そうして、どうにか団結することができたんだ」


 寺之城が上空を進むジュリアを目で示す。


「もう君も知っている通り、彼女はキレると超恐い。ああいうタイプの人がいるだけでも、統制力は格段に上がる」


 ガクトはここで、ジュリアが飛行しつつも、速度を抑えて徒歩の自分たちに合わせてくれているのだと気付いた。

 ガクトと寺之城の両隣を歩くリクと歌姫も、静かにガクトたちの話に耳を傾けている。


「ここはだね、一人一人が影響を及ぼし合って、一つの大きな力を作る。そうして生きていく場所さ。だからガクト君、君も何か相談があれば言ってくれると嬉しい。逆に僕が君に相談したときは聞いてくれ」


 寺之城がガクトの肩に手を乗せる。

 これはマーフォークの間でも通じる、友好の証を表す行為だ。

 だから、ガクトも寺之城の肩に手を置いた。


「実はさ――」


 寺之城の言葉で勇気を出すことができたガクトは、剣のことを打ち明ける意を決する。


「俺、今朝体育館で剣を抜いたんだけど、あれは正確には抜いたんじゃなくて、剣が勝手に倒れたんだ」


 ガクトが一思いに言うと、寺之城はくすくすと小さく笑った。 


「もしかして、時折浮かない顔をしていたのはそれかい?」

「え? ま、まぁな。だってほら、本当は救世主じゃないのに救世主の扱いをされて、申し訳ないって思ってたから……」


 それは悪いことをしたね、と寺之城は苦笑する。


「――でも、君がこの島で一番、救世主に近い存在なことに変わりはないよ」

「え、なんで?」

「君が剣に近づいたとき、少しだけど、剣が震動して反応を示していたからさ。アリーフェ学園長は以前こう言っていた。『剣は素質のある者に対して、目で見てわかる何らかの反応を示す』ってね」


 寺之城の話がすべて事実なら、剣が震動したことによってバランスが崩れ、台座から倒れたと推測できる。


「今朝、例のケーキの件で体育館にいなかった僕がどうしてわかるかと言えば、それは僕が、他人の過去を見る力を持っているからさ。君の目を通して、君の記憶が映像として頭の中に浮かんでくるんだ。いわゆる、超能力者ってやつだね」


 初耳の情報に、ガクトは思わず三人の顔を見回す。


「そっか、寺之城くんのユニークな能力、まだガクトくんには言ってなかったんだね!」

「聞こえは嫌らしいけど、自分で制御はできないんだったよね?」


 どうやら、歌姫とリクは既に知っているようだ。


「過去が見える相手もランダムだし、相手のいつの記憶が見えるのかもランダムで決まる。だから君の今朝の記憶を見られたのはただの偶然。好きなときに見ようと思っても、見えるような代物じゃないんだ」


 それはさておいて、と寺之城は付け加える。


「これで君は申し訳なさに悩む必要はなくなったわけだから、僕が無断で君の記憶を覗いてしまったこと、結果オーライってことで許してくれないかね?」

「まぁ、それでも俺には荷が重すぎるけどな」


 ガクトは苦笑を漏らす。結局、剣が唯一反応を示した救世主として、みんなからの期待を背負わなければならないのだ。


「――ガクトくん、みんながよいしょし過ぎて、余計に不安になった?」


 歌姫が寺之城の向こうからガクトの顔を覗き込む。


「……いや。みんなは一年もの間、ここで頑張ってきたわけだし、この状況を打破できる救世主が現れたとしたら、俺だって同じように騒いだと思う……」


 ガクトは己に言い聞かせるつもりで、みんなに話す。


「だから、みんなの期待に応えられるように努力したい。今は剣もろくに扱えないけど、でも、ここに呼ばれちゃったからには、やるしかないと思うから……」

「――よく言ったわ、ガクト」


 頭上でジュリアが言った。パワードスーツに収音機能が備わっているのか、会話を聞いていたようだ。


「他のみんなと一緒にあたしが訓練してあげるから、安心していいわよ? 嫌でも強くなれるわ!」

「ジュリアは軍隊の学校にでも通ってたの? なんか、すごいの装備してるし」


 と、ガクトは尋ねてみた。ジュリアのいた地球では【デーモン】という種族と戦争をしていたという。つまり、彼女自身が軍に所属し、件の敵と戦っていたのではないかと思ったのだ。

「学生じゃなくて、軍人よ。訓練教官を務めてたの。あたしくらいの年齢の人はみんな軍に招集されて、成績のいい人はすぐに昇格して、指揮を任される側になった。それくらい切迫してたから――」


 ガクトにはジュリアの表情が、僅かに曇ったように見えた。


「――まぁ、あたしの話は関係ないわ。もうひと狩り行くわよ!」


 ジュリアはガクトたちから顔を背け、ブースターを噴射して飛んで行ってしまう。


「……ジュリアの過去については、あんまり聞かないであげたほうがいいかもしれないね。大変だったみたいなんだよ。戦争だし……」


 と、歌姫。

 戦争。

 その言葉が、ガクトの心に圧し掛かる。


「ジュリアが見てきたであろう戦争が、この島でも起ころうとしているんだ。人類対ドラゴンの戦争がね……」

「私たちのほとんどが、少なくとも衣食住が整った、戦争の無い平和な世界から集まってる。だから、この島に起ころうとしていることを本当の意味でわかっていて、本当の意味での心構えができてるのは、たぶんジュリアと学園長くらいなんだと思う」


 寺之城とリクの言に、ガクトは頷く。


「――俺たちもジュリアを見習って、何が起きても、せめて着いていく気概は持たなくちゃならないんだな……」

「難しい状況だけど、あまり思いつめてもいいことないから、一緒に頑張れることをやろうよ。わたしは魔法が使えるから、それでみんなを元気にする!」


 歌姫が笑顔を見せるたびに、周囲の空気が和らぐ。


「貫倶錬くんの魔法は歌唱魔法といってね、歌声を聞いた人に、様々な補助効果をもたらすことができるんだよ。ゲームでいうところのバフ掛けだね」

「バフバフしちゃうよーっ!」


 寺之城が説明すると、歌姫はリクに抱き着く。


「――わ⁉ ちょっと歌姫! くすぐったいったら! 尻尾はダメぇええええ!」


 クールな印象のリクが甲高い声を上げる。

 俺にできること――。

 ガクトは戯れる仲間たちを見つめ、物言わず考える。

 ――まずは、自分にもっと自信を持てるようにならなくちゃダメだ。



   ■



 数分後。ガクトたちは草原の真ん中で不自然に盛り上がった小山――そこに開いた大穴の前に立っていた。人三人が優に並んで歩ける広さがあるこの穴は、何かが飛び出して来そうな、不穏な気配が漂っている。


「――で、ここに入るのかね?」


 寺之城が眉を寄せ、いかにも嫌そうな顔をする。


「滅多に出ないシュガーキャットがこの穴に逃げ込んだの。今朝あんたが美味しそぉぉぉに食べてたシフォンケーキに使う砂糖が取れるモンスターよ!」


 と、ジュリアがジト目を寺之城に向ける。

 シュガーキャットとは、ジュリアの言う通り希少なモンスターで、体長はおよそ一メートル。小柄なチーターと見た目は似ているが、毛は白銀のような色をしており、光を受けると輝いて見える。温厚な性格で、人を襲うことは無いらしい。


「傷つけないように捕まえて、たくさん涙を流してもらうのよ!」

「そういうジュリア君の【圧】に怯えて逃げてしまったんじゃないのかね? 僕だったら優しく手招きして捕まえられたろうに」

「ああ?」

「わかった謝るから。きっとブースターの音に驚いただけだから。頼むからレールガンを向けるのだけはやめてくれないかね? え、なに? こねこねの時間? なにそれ?」


 シュガーキャットは涙もろい。ちょっと気の毒ではあるが、わざと檻に入れたり、脅かしたりすると恐怖のあまり涙を流す。

 また、なぜか感動系の映画やアニメを見せてもたまに泣くことがあるらしい。


「――なるほどな。シュガーキャットの涙を沸騰させたら、砂糖が残るのか」


 穴から数メートル離れたところでジュリアが寺之城をこねくり回している間に、ガクトはリクと歌姫からシュガーキャットを始め、この島に生息するモンスターについて説明を受けた。

 銀色に輝く猫の涙から甘くて栄養満点の白い粉が取れるという情報は、アリーフェがもたらしたものらしい。


「さっきジュリアが仕留めたワームはタンパク質が豊富なお肉が取れて、保存も利くから重宝してるんだよねー」

「そうだ、尊い犠牲に感謝のお祈りしなくちゃ」


 歌姫からワームというフレーズを聞いたリクは、さきほどワームが現れた方角を向くと、両手を胸の前で握りしめた状態でお辞儀をした。

 狩りを生業とするリクの種族は、そうすることで獲物へ感謝の祈りを捧げているのである。


「――慣れって恐いよね……」


 目を吊り上げたままのジュリアの後から、ずれた眼鏡を直しつつの寺之城がそうつぶやきながら帰ってきたところで、ガクトたちは穴へと入った。


「ちなみにこの穴、あれだよね?」

「うん。この島で穴っていったら、十中八九あれだね」


 歌姫とリクが神妙な様子で話す。ガクトを除いた全員が、どこからともなく手持ちライトを取り出して明かりを点けた。

 穴は下り斜面になっており、歪にうねりながら島の中央へ向かって続いているという。地面も凹凸が目立ち、注意しないと足を取られそうだ。


「この穴に何かあるの?」


 ガクトの質問には寺之城が、


「ここはダンジョンの入り口なのだよ。こんな感じの穴とか横穴が島中に開いていてね。迷路みたいに入り組みながらも、島の中心に向かっているんだ」


 と、ジュリアの肩を掴んで前を歩かせながら答えた。


「なんであたしを盾にすんのよ⁉」


 穴の中にパワードスーツで入るのはサイズ的に無理なため、現在ジュリアは制服姿である。

 寺之城は場の空気を和ませるためにやっていると話していたが、今回の場合は火に油を注いでいるだけではなかろうか、と思うガクト。


「大和、男が女を盾にするのはどうかと思うぞ?」

「僕はインドア・陰キャ・インテリと、三つのインが揃ったトリプル・イン男だからね。戦闘には向かなくてだね」

「何を言ってるのかよくわからないけど、とりあえず俺と一緒に先導するべきだろ」


 言いながら先頭を歩くガクト。


「――わかってるさ。冗談だよジュリア君」

「冗談でもなんでもいいからさっさと前歩く!」

「ふんぐッ⁉」


 と、ジュリアに尻を蹴られる寺之城を追い抜いて、


「――私が先導するから、あなたは私のライトを持って自分の足元を照らして?」


 リクがガクトの横に出た。見れば、フードから覗く彼女の顔――その黄色い瞳が淡く光っている。


「先がよく見えなくて危ないから、俺の後ろに――」

「私は暗いところでも目が利くから平気」

「いや、さすがに何が出るかわからないし、俺が前を歩くよ」

「さっきワームから庇ってくれた借りを返す。私たちの種族は、誰かに借りを作ったら必ず返すのがならわしだから」


 言って、リクはホルスターから愛用のリボルバーを引き抜く。


「ダンジョンには、北の森にいる危ないモンスターも入り込んでる。気を引き締めて」

「わ、わかった」


 ガクトは首を縦に振り、言われたとおり足元を照らす。ジュリアのパワードスーツもない今、一番頼れるのは拳銃使いのリクだろう。


「あなたの感知能力と、私の聴覚でシュガーキャットを見つけよう。たぶん、そう奥へは入ってないはずだから……」

「宜しくな、リク。俺、足を引っ張らないように頑張るよ」

「――うん。宜しく」


 ライトを左手に持ち、右手で剣を構えるガクトを見て、リクは軽く微笑んだ。

 今朝は素っ気なかったリクと、ガクトは少しだけ仲良くなれた気がした。

「みんな、少しの間止まってくれないか? 俺の感知能力で先を探ってみる」

 全員が歩みを止めるのを確認したガクトは深呼吸し、額の上部――触覚へと意識を集中。

 前後には斜面上に続くダンジョン。

 歪に伸びる管をイメージすると、その上部に何か異様な気配を感じた。

 言葉では言い表せない、重さ、震え、限界といった状態が()い交ぜになったイメージが広がり、大きくなっていく。

 そのときだった。


「――ッ⁉」


 ガクトは、自分たちに迫る危険を捉えた。

 彼は天井を振り仰ぐ。その危険は、今や直上にまで迫っていた。


「みんな下がれ! 落盤だ!」


 ガクトが叫んだ瞬間、天井に無数の亀裂が走り、瞬く間に岩の塊が落下してきた。


「なんと⁉」

「うそでしょ⁉」


 寺之城が大慌てでジュリアを抱きかかえ、元来た道を駆け戻り、


「わぁっとっと!」


 歌姫もそれに続く。

 だが。


「――きゃっ⁉」


 リクは小さく悲鳴を上げる。

 ガクトが振り向くと、リクが踏み込んだ地面が陥没し、彼女の重心が崩れ、倒れていく瞬間だった。


「――リクッ!」


 ガクトはライトをかなぐり捨て、リクの手を掴むべく飛び込む。

 ―――――――、

 ―――――――――、

 ―――――――――――。


「っ⁉」


 気付けばガクトは、剣を片手にリクの身体を抱きかかえ、元来た方向へと身を投げ出して倒れていた。

 足元には巨大な岩塊が落下しており、道を完全に塞いでいる。


「け、怪我はないか? リク」


 ガクトが腕の中のリクを見遣ると、顔中を真っ赤にしたリクと至近距離で目が合った。

 リクは今まで被っていたフードが完全に捲れており、まるで女優のように整った美貌が露わになっていた。さらりと伸びた黄色い髪から、猫のそれを思わせる耳が覗き、ピクリと動いている。


「っ!」

「ご、ごめん! 近くて!」


 慌ててリクを抱き寄せた腕を放すガクト。


「…………」


 リクは目を見開いたまま、ガクトを見つめ続けている。


「ん? リク? リク!」


 よもや重い傷を負ってしまったのかと、ガクトはリクの名を呼ぶ。


「――とう」

「え?」

「ありがとう……」 


 と、目が乾いたのか、リクはぱちぱちと瞬いた。

 ガクトも目をぱちぱちさせ、


「ど、どういたしまして……大丈夫か?」

「うん」

「立てる?」

「うん」


 ガクトは尚も自分を見つめてくるリクを不思議に思いつつ、手を差し伸べる。

 リクがガクトの手を掴み、彼は軽々と彼女を立たせた。

 今のリクは、さきほどのピリピリした様子とは打って変わって、今にも壊れてしまいそうなほどに繊細な人形のような雰囲気を漂わせている。


「――二人とも大丈夫⁉」

「生きているかね⁉」


 歌姫と、その後からジュリアを背負った寺之城が戻ってきた。

 ここでリクは我に返ったかのようにはっとして、ガクトから視線を逸らし、俯いた。


「ごめん。私、二度も助けられちゃったね。まだまだ一流のハンターにはなれてないな……」


 と、リクは両の拳を握り締める。


「足を取られたら、凄腕のハンターだって同じことになるよ。今はリクの命が助かった。それでいいじゃないか」


 ガクトは言って、リクの顎にそっと手を添える。この、相手の顎をやさしく支える行為は、マーフォークの間で【慰めの仕草】という意味がある。


「僕だって全然一人前の男じゃない。これからお互いに成長していこう」

「…………」


 間近で見るリクの美貌に、ガクトは思わず本音を言う。


「――ていうか、リクって女優さんみたいに綺麗なんだな! 耳も猫みたいで可愛いし」

「なっ⁉」


 リクは両手を頭の上に乗せ、フードが捲れていることに気付いて更に赤面。せかせかと頭の後ろから引っ張り寄せたフードを思いきり被り直した。



   ■



 狩りは夕方まで続いた。

 それなりの成果を上げたガクトたちが辿り着いたのは、島の南側に広がる街エリア。

 狩りが一通り終わったら、街エリアに集結する段取りになっていたのだ。


「――でね、ガクトくんったら、落盤のあとでリクの顎をこう、くぃって!」


 歌姫は出迎えてくれた他の生徒に、何やら狩りの様子を早口で話している。

 街の中心を通る道は中央通りと呼ばれ、大勢の生徒たちで賑わっていた。

 西洋を思わせる石造りの街の至る所に街灯が灯り、都会と相違ない明るさがある。

 街は全体に魔導エネルギーなるものが流れており、それが地球でいうところの電力と同じ働きをしていて、その魔導エネルギーを動力とする魔導機械がそれなりに快適なインフラを整えているのだ。

 中央通りの両サイドには、調理班と呼ばれる生徒たちが調理を施した食材が次々と並べられていく。

 これらはすべて、今日の狩りで入手したものだ。


「今回はそこそこ多めに獲れたな! これなら保存用にいくらか回せるだろう」

「ああ! 特に草原に行った組がたくさん仕入れてくれたっぽいぜ!」

「おい、ガクトって言ったよな? 草原の先の海まで行って魚を獲ったんだって?」

「え、この大量の魚って、もしかしてガクトくん一人で獲ったの?」


 と、生徒たちが口々に言いながらガクトの周りに集まる。

 ダンジョンから抜け出したガクトたちはシュガーキャットを捕まえられなかった失敗を取り

戻すべく、気合を入れて草原を超え、海まで行っていたのだ。

 ガクトはそこで、もはや趣味と言っても過言ではない漁を披露し、食べられそうな魚を片っ

端から獲ってみせたのだった。


「マーフォークって凄いね。私、魚は大好きだけど、自分では獲れないから羨ましいな」


 と、リクが笑顔で言う。今回の狩りでかなり打ち解けてくれたようだ。


「逆に俺はリクの走力が羨ましいよ。あんなに早く走れるなら、四足獣にも負けないんじゃないか?」

「まぁ、本気出せば着いていけるかな?」


 恥ずかしそうに笑うリク。

 彼女は両手を前に伸ばし、尻尾を逆立てて猫のような伸びをし、


「――なんか疲れたな。ちょっと隅っこのほうで休憩しない?」


 と、ガクトの方を見てきた。


「そうだな。そういえば、昼間から立ちっぱなしだった……」


 ガクトも疲れを意識した途端に怠さを覚え、リクに続いて中央通りの隅へと移動する。


「二人ともお疲れさん! 先のことを考えて少なめだけど、これが今日の晩飯!」


 途中、調理班らしい男子生徒から小振りなトレーを渡された。

 トレーの上には鮮やかな緑色をした葉物野菜と、たった今焼いたばかりの厚切りの肉が盛られていた。肉の香ばしい香りが湯気と共に上がっている。


「ガクトはこの島で初めての食事じゃない?」


 ガクトと同じようにトレーを受け取っていたリクが聞いてきた。


「そうなるな。すごくいい匂いだ」

「じゃあさっそく食べよ!」


 ガクトはリクと共に、トレーに載せられていたフォークを取ると、空腹なこともあって勢いよくぱくつく。

 葉物野菜はシャキシャキ感あふれる歯ごたえで瑞々(みずみず)しく、生で食べても味わい深い。続けて口にした肉は、その厚みとは裏腹に柔らかく、簡単に嚙み切ることができるうえ、口いっぱいに肉汁が広がる。噛めば噛むほど、味付けに使われた調味料の香りと脂の甘味が感じられ、なんとも言えない幸福感に包まれた。


「――おいしい?」


 気付くと、リクが隣からガクトを覗き込んでいた。


「うん。うまいよこれ! ワームの肉かな?」


 普段は海で獲った魚が主食なガクトにとって、肉の味は貴重だった。


「当たり。分厚いけど、不思議と噛みやすいんだよ」


 言って、もきゅもきゅと頬張るリク。そのほっぺたが丸く膨れて、ガクトはドキリとする。

 可愛い。


「――よう、寺之城、こいつを見てくれ! この色とりどりのキノコ! 俺たち岩山チームが採ってきたんだ!」


 ガクトたちの見つめる先で、西の岩山エリアに出向いていた生徒たちが博識の寺之城に獲物を見せている。


「んん⁉ 君、これは毒キノコだぞ……」

「えっ⁉」

「もう! だから茶色いキノコにしておけって言うたやないかい! 何時間歩いたと思ってんねん! どないすんやこれ!」

「だ、だって、カラフルな方が栄養ありそうって話になったじゃん!」


 寺之城に毒キノコだと告げられて揉めだす生徒たち。


「まぁまぁ、今回は運よく肉がたくさん手に入ったし、肉の日ってことで良いではないか!」

「それもそうね。野菜だけじゃ身体が緑色になっちゃうわ」


 宥める寺之城にジュリアが相槌を打ち、みんなの共感を促す。


「まぁ、そういうことでいいか」

「毒キノコはドラゴンにくれてやればええわけやしな」


 すると、見事に一触即発の雰囲気が緩和される。


「――みんなのことをそれとなくまとめる。さすが生徒会だね」


 生徒と賑やかにやり取りする寺之城たちを見て、リクが言った。


「あれ? リクは生徒会のメンバーじゃないのか?」


 朝からずっと一緒だったので、てっきり生徒会の一員と思っていたガクト。


「私は生徒会の護衛役。便利屋みたいなものかな。寺之城みたいに器用じゃないし、ジュリアみたいにリーダーシップとか取れないから、自分がやれることで貢献してる感じ」


 リクが早朝から単身で狩りに出ていたのは、生徒会から頼まれてのことだったという。


「なるほど。みんな向き不向きがあるから、向いてることで頑張ってるんだな」

「まぁ、そんなとこ。自分に何ができて、何ができないのかをはっきりさせてから、それを受け入れて、できることを続けてる」


 リクの(げん)に、ガクトは(もう)(ひら)かれたような気がした。


「受け入れる、か」


 何ができて、何ができないか。それを判別したうえで、否定や劣等感といったネガティブに囚われるのではなく、受け入れる。

 それは、これまでのガクトにはない考え方だった。

 周りと比較して、自分に自信が持てないから、自信を持てるようにならなければならない。

 自信が持てないのは、周りと比べて一番と呼べるような、秀でた能力がないからだ。

 そう思っていた。

 だがそれは、言い換えれば己を否定しているのと同じ。

 一番に秀でた能力がない自分はダメだと、否定してしまっているのと同じなのだ。


「――ありがとう、リク。今の俺に必要なものがわかったよ」


 ガクトはリクに礼を言い、給仕班の生徒が持つトレーからグラスを二つ受け取る。

 思い返してみれば、この島で暮らす生徒たちはみんな、自分の状況を受け入れたうえで行動している。協力し合っている。


「――そうみたいだね。今のガクト、なんだか表情が明るいもん」


 ガクトからグラスを受け取ったリクが、フードの下で微笑む。


「俺ってもしかして、顔に出やすい?」

「うん。かなり」


 くすりと笑うリク。ガクトは思わず苦笑い。

 キン。と、二人はグラスを合わせる。


「――君がよければ話してくれない? なにがわかったのか」


 炭酸ジュースに似た舌触りの飲み物を一口飲み、リクが聞いた。

 周りと比べて自分を否定し、追い込むのではなく、むしろ今の自分を受け入れて、できることから始めればいい。

 その考え方に、ガクトは気付いた。気付くことができた。

 それをガクトは、ときにグラスを口に運びつつ、リクに話した。


「その考え方って、甘えでも停滞でもなくて、大きな前進につながるよね。だって、できることを続けるわけだから」


 リクが言う。


「この島のみんなも口には出さないけど、いろいろ悩んで、似たような考えに行きついてるんじゃないかな? でなきゃ、こうやってみんなで行動できないと思う」


 彼女が見つめる先で、中央通りで支給される食べ物と飲み物を味わいながら、談笑に興じる生徒たち。

 誰かが(こしら)えたのか、あるいは元々この島に存在していたのか、街の家々の屋上から花火が打ち上げられた。

 狩りを祝う宴だ。

 受け入れ、そのうえでできることを見出し、前進する。

 今この街に溢れる光や喜びは、そうしたみんなの思いが集まって成り立ったものだ。

 いつの間にか建物の屋上に移動していた歌姫がバンドメンバーを従え、緩やかなバラードを歌い始める。


「――あの曲、知ってる?」


 と、歌姫たちの方を眺め、耳を傾けるリク。


「いや、初めて聴く」

「そっか、君と歌姫は出身の星が違うもんね。――どう? いい曲じゃない?」


 優しく語り掛けるような、癒しを内包した彼女の歌声が、しばしの間、中央通りに集う生徒たちの心に安らぎをもたらす。


「――うん。好きだな。曲名はなんていうの?」

「レット・イット・ビーって曲。歌姫がいた地球ですごく有名なんだって。あの子、好きでよく歌うの」


 心地いいメロディーに包まれ、ガクトとリクは歌姫たちへ向けてグラスを掲げた。


「英語だよね? これ」

「そうだよ。君の星にも、英語って言語あったんだ?」

「あったよ。話を聞いてると、地球がいくつもあるっぽいね」

「そうみたい。大和(やまと)はパラレルワールドとかって言ってた」


 パラレルワールド。ある一つの世界から分岐した、同一次元上に存在するとされる世界。並行宇宙、並行世界とも呼ばれるらしいが、ガクトにはよくわからない。


「要するに、似たような異世界ってことかな?」

「そんな感じの解釈でいいと思う。世の中には七人のそっくりさんがいるって言うし、世界にも同じことが言えるのかも」

「その七人のそっくりさんも初耳だな」

「あ、これは大和が言ってたやつ。なんか知らないけど記憶に残ったの」


 思わず笑うガクト。


「――こうして違う世界の人が集まると、いろんなことが知れて楽しいな」

「私も同じこと思ってた」


 音楽が鳴り止み、大通り中から歓声と拍手が沸き起こる。

 ガクトとリクも拍手を捧げ、給仕の生徒から二杯目のグラスを受け取る。


「カップルさん、飲み過ぎ注意だそ?」


 と、給仕の女子生徒はウインクを残して去る。

 カップルと言われ、顔を見合わせた二人は思わず赤面し、視線を明後日の方へ向けた。


「か、カップルだってさ……」


 ガクトは火照った顔を覚ましたい心理から、グラスの中身を一気に煽る。


「ご、誤解、だよね……」


 リクもゴクゴクと、半分ほど飲んだ。

 火照りは覚めるどころか、飲み物を飲んだ途端、焼けるように全身へと広がる。

 加えて、視界がぼんやりとして、身体もふらつき始めた。


「あれ、思ったより疲れてるっぽいな……」


 と、ガクトは背後の建物の壁に身を預ける。


「私も。なんだか眠くなってきた……」


 リクも壁にもたれかかる。

 ガクトがふと見遣ると、他の生徒たちも手に手にグラスを持ち、心地よさげに飲んでいる。

 中には瓶ごと口に運ぶ者もいるくらい、この飲み物は人気のようだ。

 ぽふ、と、ガクトの肩に軽い衝撃。見れば、眠りに落ちたリクがもたれかかっていた。


「――これからも宜しく、リク」


 ガクトはリクを支えてずるずると座り込み、薄れゆく意識の中、新しい決意を固めた。



   ■



「酒くばったやつぅううううううううううッ! あたしのところへ来なさぁあああああああああああい!」

「―ッハーッハッハッハッ! 健全なジュースとアルコールのジュースを差し替えたのは僕さ! 君も熟睡だったようだね! みんなおはよう! 昨日は楽しめたかね?」

「みんな、朝から悪いんだけど、ちょっと血がでるかもしれないから苦手な子は目を閉じてね?」


 ドカ! ゴス! メキメキャ! ゴキゴキゴキャ! ブチブチ! ブシャァアアア!

 寺之城がジュリアにこねくり回される音が早朝の街に反響する。

 小鳥が数羽、建物の屋根から飛び立ち、心地の良いさえずりを響かせた。

 爽やかな朝だったが、ガクトは頭がズキズキと傷んだ。初めて味わう頭の痛みに、なにか身体に良くないものを食べてしまったかと慌てたが、隣で目を覚ましたリク曰く、酒を飲んだあとに起こる二日酔いという症状らしい。


「リクは平気なの?」

「私の星では十六歳でみんな成人になるの。だからお酒も飲んでいいし、今までもたまに飲んでたから慣れてる」


 答えて、リクは大きく伸びをした。


「他の連中も、大規模な狩りのあとはこういうことを何回か催してるから、慣れたもんだよ」


 ガクトは続々と目を覚ます生徒たちを見遣る。

 この島の気温は過ごしやすい温度で安定しているので、今回のように外で眠っても風邪を引くリスクは小さいようだ。


「十六歳――マーフォークの成人年齢と一緒だな……」


 マーフォークは十六歳で成人となるが、ガクトは人間とのハーフであり、暮らしも人間社会に準じているため、便宜上は一応、二十歳で成人という扱いだ。


「ガクトは何歳?」

「十七」

「私の一つ上なんだ。お酒は初めて?」

「うん。……俺は人間とのハーフだから、お酒は二十歳からって教わってるんだよな……」

「ここではマーフォークってことでいいじゃない」


 リクの提案を聞いて、ガクトは自分がマーフォークであると強く意識することに対し、抵抗を感じていることに気付いた。

 原因は、かつて地球の学校で味わった、容姿の違いから生じる奇異の視線だった。

 その視線は初対面で特に多く、額の上から生えた触覚、青い肌、手足の水掻きといったマーフォーク独特の特徴を、恐れや嫌悪の色を秘めた目で見られることが少なくなかったのだ。

 しかし、この島の生徒たちから注がれた視線はネガティブなものではなかった。

 初めから、ガクトという存在を受け入れてくれた。

 そんな生徒たちだからこそ、自分たちで決めた最低限のルールだけで、こうして共同生活を送ることができているのかもしれない。

 一人一人が、優れた人間性を備えた選ばれし者なのではなかろうか? と、ガクトは思った。


「――まぁ、ここには親父もお袋もいないし、そういうことにしとくか」


 得も言われぬ背徳感に苦笑を漏らすガクト。


「そういえば、ガクトは聞いてる? 今日、学園島で初めての学園祭が開かれるの」


 と、リク。

 ガクトは記憶を辿る。思えば昨日の朝、生徒会室で歌姫が【学園祭ライブ】という単語を口にしていた。


「詳しくは聞いてないけど、お祭りをやるってことだろ?」


 ガクトは故郷の学校を想起する。彼が通っていた学校でも、年に二回、生徒たちの交流を兼ねた祭りが開かれていた。


「そうそう。学校の教室とか、グラウンドとかを使って、クラスごとに出し物をやるんだよ」


 クラスといっても、先生がいるわけではないので分け方は割と適当らしい。生徒たちの年齢は十六歳から十八歳で、クラスごとに各年齢の生徒ができるだけ均等になるよう組み分けされているという話だ。勉強は基本的に最年長の生徒たちが分担して教えているらしい。


「俺がいた島でも似たような感じのイベントがあったから、なんとなくイメージできるよ。楽しそうだけど、ドラゴンに目をつけられたりしないか?」


 ガクトはそう懸念するが、リク曰く、ドラゴンに対する反抗的な行動さえしなければ、現状は襲われることはないらしい。


「――この一年くらい、ずっと勉強、訓練、狩りの繰り返しだったから、たまの息抜きってことでみんな張り切って準備してるんだよね」

「それは羽を伸ばしたくもなるな。俺にも何か手伝えないか?」

「ガクトは現状、生徒会に在籍してるんだよね?」

「一応、そういうことみたい」

「生徒会は生徒会で一つのコミュニティとしてまとまって活動してるから、あとでアリーフェに聞いてみるといいよ」

「リクはどのクラスの出し物に参加してるんだ?」

「……私は特に。なんていうか、私って集団で行動したりする種族じゃなくて、基本的に一人か二人で狩りをして生活してたから、なんだかその名残で一匹オオカミやらせてもらってるの」


 そう言うと、リクは徐に立ち上がる。


「そろそろ行かなくちゃ」

「どこへ?」

「狩りだよ。昨日もみんなでたくさん狩りしたけど、長く持って一ヶ月とかだから、今の内から地道に仕入れとかないと先がキツくなっちゃうんだ」


 フードの中で、リクは困ったように笑う。


「だから、生徒会の護衛役兼、便利屋の私が頑張るの。これが今の私の仕事」

「なら、俺はリクを手伝うよ」

「え?」


 目を丸くするリク。

 ガクトも立ち上がる。


「一人より二人いた方が(はかど)るだろ?」

「そ、それは、そうだけど……」


 リクは落ち着かない様子だ。猫を思わせる彼女の尻尾が揺れる。


「でも悪いよ。これからみんなで学校に戻って、最後の確認して学園祭スタートだよ? 私と狩りに行ったら、たぶん参加できなくなっちゃう……」

「リクは学園祭にも参加しないのか?」


 ガクトは尋ねる。リクも生徒会のメンバーと一緒になって見て回ったり、取りまとめをするものと思っていたのだ。


「私はいいんだ。そういうのはちょっと……」


 と、視線を逸らすリク。何か、彼女なりの理由があるらしい。

 果たして踏み込んでよいものか、ガクトにはわからない。だがこのとき、ガクトにはリクがどこか寂しがっているように見えてならなかった。


「俺はリクが心配だから、ついていく。リクは一人で狩りをするのに慣れてるんだろうけど、万が一ってこともあるだろ? 昨日の洞窟みたいに」


 ガクトが言うと、リクは何故か頬を赤く染める。顔が赤くなりやすい種族なのか。とガクト

は考えた。


「た、確かに、それもそうだけど……」

「いいから、俺にも手伝わせてくれよ。狩りのノウハウも勉強したいし」


 ガクトがお願いすると、リクの表情はいくらか明るくなった。


「わかった。そういうことなら、一緒に行こ!」



   ■



 リクと共に再度狩りに出ることを寺之城たちに伝えたガクトは、リクと連れ立って島の西側――岩山エリアにやってきた。三時間ほど歩いたのでかなり疲れたガクトをよそに、リクはぴんぴんしている。


「ビ※クサンダーマウンテンみたいな岩山がたくさんあるな……」


 ガクトはアミューズメントパークにあるような外観をした大自然に圧倒された。

 リク(いわ)く、赤茶けた山や砂地が合わさって構成される岩山エリアでは、鳥やモグラエビといった小さな生物から、ロックエレファントなどの動物を狩猟でき、またどういうわけか、湿気の多い場所や森林といった環境でないにも(かか)わらず、岩陰を覗くとキノコが生えているらしい。


「モグラエビとロックエレファントって、どんな姿をしてるんだ?」


 ガクトは聞き慣れない生き物について尋ねた。


「モグラエビは、尻尾の先にドリルがついたエビ。水辺でなくても生きられるの。地面に穴を掘っておしりからぐいぐい潜って隠れたりするやつだね。ロックエレファントは、皮膚が岩で覆われてる象だよ。防御力がトップクラスで高いから狩るのに苦労するけど、肉がかなり美味しい」


 と、説明したところでリクは人差し指を立てる。


「あと、たまに見かけるキノコだけど、カラフルなのは採っちゃだめだからね?」


 昨日、岩山に行った生徒たちが毒キノコを誤って採ってきたのは記憶に新しい。

 岩肌には、ガクトがいた地球で言うところのアンテロープキャニオンのような、鮮やかな縞模様が見られ、幻想的な印象を受ける。


「綺麗だよね。ここ」


 ガクトと共に岩山を眺めるリクがぽつりと言った。


「どうしたらこういう縞模様ができるんだろうな……」

「――ん? ガクト、顔色悪いけど大丈夫? 縞模様見て気分悪くなったとか?」


 さきほどから声に覇気がないガクトの顔を、リクが心配そうに覗き込む。


「いや、ちょっと足が疲れて……」

「そうか、大分歩いたもんね。その辺で一休みしようか」


 リクが凹凸の少なめな岩を探し出し、そこに二人で腰掛けようとしたときだった。

 背後から、獰猛な犬の唸り声が聞こえてきた。低く震えるその声は周囲の岩山に反響し、何重にも響いて聞こえる。


「な、なんだ?」

「たぶん、あいつだ。ロックウルフ……」


 リクは周囲を見渡しながら言う。


「気をつけて。四本足で走る狼みたいなやつなんだけど、皮膚が岩でできてるから、たぶんガクトの剣じゃ斬れないと思う」


 ロックウルフ。その体表をロックエレファントと同様に岩石で覆った狼である。

 体表の岩の影響でかなりの重量があり、普通の狼より身体が大きくパワーも強い。唯一の弱みは足が遅いことだが、それでも時速四〇キロに達するので、マーフォークのガクトは逃げきれない。


「斬れないだって⁉ 北の森以外にも、危険なモンスターが出るのか⁉」

「まだマシな方だよ。北の森に出るやつはもっと大勢で戦わないと勝てない」


 慌てたガクトが感知能力を発動させる前に、聴覚に優れるリクがとある岩山の頂に目を遣る。

 ほぼ同時。その頂きに一匹のロックウルフが現れた。

 噛み締めた口からは鋭い牙が覗き、頭と首以外――人間でいうところの胴体と手足を武骨な岩で覆った、生まれて初めて見る姿。


「見るからに凶暴そうだな。縄張りを荒らされたと勘違いして怒ってるのか?」


 狼狽えるガクトの前に、リクが立ち塞がる。


「ガクト、ここは私に任せて」


 彼女は頭を覆うフードを取り払い、目を閉じると、肩の力を抜く。

 そして、呪文のようなものをつぶやく。

 その言葉には、奥深い信念のようなものが込められていた。



「我は目で狙い定める。目で狙わぬ者、友の顔を忘却(ぼうきゃく)せり。

 我は気で撃つ。気で撃たぬ者、友の顔を忘却せり。

 我は心で向き合う。心で向き合わぬ者、友の顔を忘却せり。

 我は友の顔を忘れぬ者。友を想い戦う者なり!」



 次の瞬間、ロックウルウが岩山から跳躍。脇目も振らずリクへ飛び掛かってきた。

 リクは目を見開くと眉宇を引き締め、腰のホルスターから素早くリボルバーを抜き放ち、一切迷いのない動作で狙い定めトリガーを引いた。

 一発。

 ただ一度の銃声がこだまし、中空にあったロックウルフの眉間に穴が穿たれた。

 ロックウルフは地面へと墜落。砂埃を巻き上げ、リクの足元で静止した。

 素早く動く獲物の急所を的確に撃ち抜く、達人の技だった。

 正確で早い射撃能力に言葉を失い見惚れるガクトの前で、リクは再度上方へと目を向ける。

 彼女が見つめる先――複数の岩山の頂に次々とロックウルフが現れていた。

 刹那、ロックウルフの群れが一斉に向かってきた。

 リクは腰の左右に下げたホルスターから二丁目のリボルバーを引き抜き、襲い来るロックウルフを次々に撃ち抜いていく。

 彼女の銃の総弾数は六発。計十二発の弾が一発も外れることなく十二匹の眉間を捉えた。

 全弾を発射したリクは銃のシリンダーをスイングアウト。鮮やか且つ素早い手捌きで腰に巻き付けた弾帯から銃弾をリロード。

 リクが二丁の銃を、腰の周りをなぞるように動かし、そこへ弾が吸い込まれるように装弾されていく様は魔法と見紛うほどに美しく超常的だ。

 ものの一秒で二丁同時にリロードしたリクは間髪を入れず発砲。向かってくる敵を瞬く間に殲滅した。

 彼女は両の銃を指でスピンさせ、微かな排煙を払いホルスターへと戻す。

 戦闘開始から終了まで、僅か十秒足らず。


「――マジか」


 リクのあまりの早技に、開いた口が塞がらないガクト。


「他の人がたくさんいるとあんまり集中できなくて、今みたいに本調子が出せないんだよね。傍にいるのがガクトだからできたのかも……」


 リクはガクトを見つめ、はにかむように笑った。ほんのりと頬が赤くなっている。

 そうか、本気が出せて喜んでるのか! とガクトは思った。


「凄かったよ! 映画を見てるみたいだった! さっきの呪文みたいなやつ、――友を想い戦う者だっけ? それもかっこよかったし!」

「え? ああ、あれは父親から教わった、ただの精神統一の呪文。私には想う友なんて……」


 リクは物憂げに視線を落とし、フードを被り直す。

 ガクトは、彼女が今のように憂色(ゆうしょく)(たた)えた表情で頭を覆い隠す様を何度も見てきた。


「……友はいないって? そんなことないよ。まずここに一人いる。それに、他の人たちだって、いい人ばかりじゃないか」


 ガクトにはリクが、何か暗い感情からフードを被っているような気がしてならない。

 彼女がフードを被り続けている理由。

 ガクトはそれを聞くべきか否か、迷っていた。

 ともすると、リクのデリケートな部分に踏み込むことになるからだ。


「ありがと。――確かに、そうだよね。島のみんなは、こんな私とも仲良くしてくれるし」

「それに、その、なんというか、リクに好意を抱いてくれる人もいるかもしれないぞ?」

「そ、そう、かな?」


 と、リクは上目でガクトを見る。


「きっといるよ! だから、ええと、フードを取ってみたらどうだ?」

「ああ、これね……」


 視線を伏せるリクに、ガクトは暗い影を見る。


「……リクは、どうしていつもフードを被り続けてるんだ?」


 意を決し、そう聞いた。

 リクは一度ガクトをちらりと見遣り、徐に話し出した。


「私さ、自分の容姿――あんまり他の人に見られたくないんだ……」

「――差し支えなかったら、その理由を聞いてもいいか? ……俺、リクが暗い顔してフード被ってるのを見てて、心配になったんだよ」

「私ってほら、猫科の獣人ってやつだから、人間に猫の特徴が合わさってるんだよね。おしりの上には尻尾が生えてるし、頭の両端には猫の耳がついてるじゃない?」


 リクはニヒルに笑う。


「――前にいた星で、私は社会勉強のために街に出たの。それまでは森の中で狩りをして生活してたんだけど、親から勉強して来いって言われてさ。そうして行き着いた街で、私は差別を受けた。人間ばかりの街で、みんな私を見て恐がったりしたんだ。狩りの獲物を売ろうとしても、誰も私からは買ってくれなかったし、宿にも泊めてもらえなかった」


 ガクトの脳裏に、自分を奇異の眼差しで見つめてくる人間の子供たちが浮かび上がる。

 彼の場合は、それだけだった。

 だがリクはもっと酷く、理不尽な経験に苛まれている。


「そのとき思ったんだ。この容姿がいけないんだって。だからフードを被った。尻尾までは隠せないけど、会話するときって相手の顔を見るでしょ? だから一番目が行く場所を隠せれば大丈夫だと思ったの。……で、そうしたら、あからさまな敵意を向けられることはなくなった」


 たった一人で見知らぬ街に出向き、そこで酷い目に遭ったら、自分ならどうしただろうか?

 と、ガクトは考える。


「――みんな私を見ても、何も言わずに獲物を買ってくれたり、宿に泊めてくれたりするようになった。そうしたら、私の中でフードを被り続けているのが当たり前になったんだよね。それで今に至るってわけ」


 困ったように、リクは吐き出すような笑みを溢す。


「フードを外すと、非難されてた頃の光景がときどき蘇って、また同じようになるんじゃないかって、恐くなるんだ。ここにいるみんなからも嫌われちゃうんじゃないかってさ……」

「リクほど辛い思いはしてないけど、俺も変な目で見られたことはあるよ。おでこの上から触覚生えてるし、肌の色は青いし……」

「ガクトの触覚は可愛いし、肌は綺麗だよ」

「リクの耳も尻尾も、すごく可愛いと思うけどな」


 ガクトは嘘偽りなく、思っていることを告げる。


「顔だって美人だし。かっこいいって思うくらい綺麗っていうか、男装したら絶対似合うくらいかっこいいっていうか」

「もぉ、かっこいいのか綺麗なのかどっちよ」


 リクの顔に、微かだが笑顔が戻る。


「両方! 俺だけじゃなくて、他のみんなも同じように思ってるさ。だからフードで隠すなんて勿体ないよ」

「ほんとに?」

「本当に」


 リクは再び上目でガクトを見つめる。


「な、なんか面と向かってそんなこと言われると照れるな……」


 言いながら、リクは手を持ち上げ、フードをゆっくりと外していく。


「――どう? ……恐く、ない?」

「リクを恐いなんて言うやつの目は節穴だよ。うん、やっぱり可愛い! いや、この場合、カッコかわいいだな!」


 リクは吹き出すように笑い、潤んだ目をガクトに向ける。


「ガクトのおかげで、ちょっと前向きになれたかも」

「そのうち告られたりしてな。覚悟しておいたほうがいいぞ?」

「さすがにそれはないよ」

「無いとは言い切れないだろ。ある」

「ない」

「ある!」

「――そ、それじゃ、もし私が誰からも告られなかったら、ガクトが告ってくれる?」

「ある――っえ?」


 想定外の質問に、ガクトの思考はフリーズした。


「告ってくれる?」


 ガクトをじっと見つめるリクの顔が次第に赤みを増していく。

 よくわからないが、獣人の女子は顔が赤くなり易いらしい。

 ジュリアも寺之城をこねくり回す前は、今のリクのように顔を赤らめていた。ということはつまり、現状のリクは怒っているということになる。

 返答次第では、ガクトがリクにこねくり回されるかもしれない。


「あ、ああ!」


 やってしまった! と、ガクトは血の気が引く思いに襲われた。

 恋愛経験など皆無だったガクトにとって、リクの問いに込められた意味が何を示すのか理解するのに時間を要してしまった。そこに『こねくり回されるかもしれない』という恐怖が割り込んできて、それを避けたい心理から反射的に頷いてしまったのだ。


「――っ。わかった」


 リクは満足げに顔をほころばせた。

 そんな彼女を前に、心の整理が追い付かないガクトだが、ここで新たなる想定外の事態が起きた。


「……ん⁉」


 ガクトは背中に謎の熱を感じ、背負っていた剣を手に取った。

 すると如何なる因果か、剣の柄に施された四つの宝玉のうち一つが、色鮮やかなエメラルドに光り輝いているではないか。


「え、うそ……! 剣が、光ってる⁉」


 リクもその瞳にエメラルドの光を反射させる。


「な、何かした?」


 ガクトの問いに、首を横に振るリク。

 しばしの間、二人して剣を凝視すると、剣の変化は発光しただけではないことに気付いた。

 素人目に見てもボロボロだった刃が、僅かだが復元されていた。刃先が波打つほどに多かった刃こぼれが減っているのだ。

 ガクトとリクは、ここで同時に空を振り仰いだ。

 上空に得体の知れない、何かの気配とも取れる違和感を覚えたからだ。


「なんだ? この感じ……?」

「わからないけど、すごく嫌な予感がする……」


 ガクトの触覚がピンと伸び、リクの猫耳と尻尾がぴくりと動く。

 人間ではない二人だったからこそ感じた気配。

 それは、何人(なんぴと)たりとも止めようのない夜の(とばり)が降りて来る感覚に似ていた。

 逃げることも隠れることもできない無力感。

 抗うことさえ許されない、すべてをただ認めざるを得ないという敗北感。

 そういった言うに言われぬ感覚が二人の全身を包み込んだとき。


 それはやってきた。


 ガクトとリクが見上げる遥か上空に、突如として出現した黒い穴。その穴から、ダークブラウンの巨大な生物が無数の(しもべ)を伴って飛来したのだ。


「なん、で……⁉」


 リクは動揺を露わにつぶやき、ガクトに一歩寄り添う。

 現れたのは、この島の生徒たちが打ち倒すべき大敵(ドラゴン)――ベルリオーズとその僕たちであった。

 科学的な道理を無視して()()でた黒雲が島の上空を瞬く間に覆い、雷鳴がドラゴンの来訪を祝するかのように轟き始めた。

 ベルリオーズはたくましい胴部と蛇のように長い首をくねらせ、圧倒的な威圧感を放ちながら地上へと迫る。頭部には鹿のように大きく伸びた二本の角があり、口部には鋭くて太い牙が覗く。水色の眼は冷徹の象徴とでも言うかのように淡く光り、土気色の全身は金属のように硬い鱗に覆われ、見る者の戦意を身一つで容易く打ち砕く。

 そのあまりの迫力とおぞましさに足が竦み、ただ茫然と見上げるしかないガクトたちの前に、ベルリオーズは降り立った。

 上空には僕のドラゴンたちが群れを成し、巨大な輪を描いて飛び続けている。


『ついに見つけたぞ、我が古敵(こてき)の憎き剣よ!』


 大地を震わすかのような低い唸り声が、ベルリオーズから放たれた。それはガクトたちの脳内に直接響いているかのようであり、またこの世界全体にこだましているかのようでもあった。

 雷鳴が一際大きく轟き、ベルリオーズの角に光の軌跡を繋いだ。

 落雷をものともしないベルリオーズの巨体が、ガクトとリクに大きな影を落とす。


『かつてこの島の愚か者どもは、オレ様から剣を隠した。故に滅びたにも拘わらず、その教訓を学ぶことなく、今に至るまで隠し続けていたとはな』


 噛み締めた口部から無数の牙を光らせ、ベルリオーズはその冷徹な瞳でガクトたちを睨み据えた。


「――どうしてこんな剣が欲しいんだ! お、お前には必要ないだろ!」


 眼前に立ちはだかる強大な敵に、ガクトはどうにか声を絞り出した。


『その剣に希望を抱いている貴様らから奪うことが必要なのだ。下等生物は希望を持たせると面倒だからな。オレ様の無敵の身体に唯一傷をつけた(ほまれ)の刃でもある。故にこうして宇宙の彼方から出向いてやったのだ』

「――私が合図したら、ガクトは逃げて」


 と、リクが耳打ちした。


「なにを言ってるんだよ! そんなことできるわけないだろ!」


 思わず声を荒げるガクトに、リクは首を振る。

「あなたは私たちの希望。ここで終わっちゃダメ。この空の異変にはみんなもきっと気付いてる。ジュリアがまず飛んでくるだろうから、彼女にあいつが現れたことを伝えて」


 言って、リクはベルリオーズへ鋭い眼差しを向け、ホルスターから二丁のリボルバーを抜き放つ。


『――ほう? 潔く渡す気はなさそうだな』


 ベルリオーズは口の片側を、まるで嘲笑するかのように吊り上げた。


「その通り。剣は渡さない」


 ガクトの前に、リクが立ち塞がる。


「ガクト。ありがとね。(きみ)のおかげで私、変われたと思う」


 振り向いたリクが、微笑んだ。

 これが今生の別れとでも言うような、儚さを(はら)んだ笑みだった。


「ダメだ、リク!」


 ガクトが彼女の肩を引こうと手を伸ばすが、リクはその瞬間に地を蹴り、電光石火のような加速でドラゴンへと肉薄。二丁のリボルバーを立て続けに発砲し挑み掛かった。


『下等生物が、このオレ様に歯向かうか!』


 と、微塵も動じないベルリオーズの巨体を目前にリクは跳躍。人外の跳躍力で一気にベルリオーズの頭部へと至る。


「――くらえッ‼」


 そして、リクは大敵の顔目掛け全弾を発射した。

 だが次の瞬間。



 リクの身体は片方の足を残して消えた。



 ガクトが何もできないまま見上げる先。

 彼女の片足が血しぶきを散らしながら落下する。

 リクが放った弾丸は、ベルリオーズに掠り傷一つ負わせることはなかった。

 ベルリオーズはその鋭い牙で、口腔内のもの(、、)を何度も噛み締め、千切り、砕いていく。

 ガクトの脳裏を、リクと過ごした僅かなひとときが過る。

 微笑むリクが、消えていく。


「――ぁああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!」


 ガクトは剣を振り被り、我を忘れ、前へ前へと、震える足を強引に動かした。

 そうして、彼の意識も途絶えた。


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