表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/7

第1話


「――助けてください」


 突然、少女のきれいな声が聞こえた気がした。

 ガクトは思わず振り返る。ここは海の中だ。声なんてするはずがない。


「世界の自由は殺されました。あなたの助けが必要です」


 まだ頭が寝ぼけているのか、またしても声が聞こえた。

 もうひと泳ぎして、目を覚まそう。

 ガクトは頭を振り、手足を使って水を掻き始める。

 広大な海の中で、水の流れを全身に感じる。

 どこまでも続く、澄んだボニンブルーの世界。縛るものはなにもない。

 ガクトは悠々と泳ぎながら思う。

 今この瞬間、俺は自由だ。自由が殺された? 意味がわからない。

 人間と違って一時間は潜っていられるし、手足の水掻きを使って意のままに前進、旋回、浮上、潜航ができる。このまま自分の意思でどこへでも行けるような気がしてくる。

 一匹の(ぶた)イルカがやってきた。くりくりした可愛らしい黒目と、文字通りの豚鼻がトレードマークの、遊び好きな哺乳類だ。

 横に並んできた豚イルカに、ガクトは微笑みかけた。きっと遊び相手が欲しいのだろう。

 ガクトは泳ぐスピードを少しずつ速めていく。感覚が研ぎ澄まされ、水中を切り裂いて進む(もり)になったような気分になる。

 豚イルカは追随してきた。

 ガクトはスピードを更に速める。

 豚イルカの闘争心に火がついたのか、尾ひれを力強く動かし、ガクトよりも前へと進み出た。


 速いな!


 ガクトも更に強く両足を動かす。だが、泳ぐスピードで豚イルカに離されていく。

 ガクトはマーフォークの父親と人間の母親を持つハーフだ。故にマーフォークと人間、両方の特徴を持っている。姿は人間そっくりだが肌の色は青く、手足の指の間には水掻きが備わるため泳ぎは速いが、さすがに身体の形状からして、豚イルカには敵わない。


 ――さすがに、ここまでが限界だよな。


 あっさりと負けを認め、ガクトは豚イルカに手を振った。

 豚イルカは楽しさを感じたのか、円を描く華麗なターンを見せたあと、しばしの間ガクトの方を見つめ、泳ぎ去っていった。

 肩で息をする。さきほどまで感じていた解放感はいつの間にか消え失せていた。

 海面に浮上し、大きく息を吸う。

 抜けるような青空に輝く陽光が眩しい。

 東の水平線の先には、青緑色の巨大な【ブロック】が霞んで見える。宇宙銀河の中心に存在する箱状をした【ブロック】が水平線の位置に見えるということは、つまるところ早朝であることを意味する。

 ガクトは身を捻って西側を向く。少し離れたところに戻るべき陸地が見えた。


「おーい、志守(しかみ)!」


 砂浜に立つ男――人間の友人が呼んでいる。

 ガクトは、戸籍上の種族はマーフォークという扱いになっているが、厳密にはマーフォークと人間のハーフであるため、ここ父島(ちちじま)では日本名の【志守岳人(しかみがくと)】で通っている。


「魚、獲れたか?」

「ああ、(てらす)。まぁまぁってとこ!」


 ガクトは立ち泳ぎで砂浜へ戻りつつ、背負っていた網袋を掲げて見せた。照とは、友人の名である。


「――サンキュ! さっそく(いち)まで売りに行こうぜ! ――あ、でもお前朝飯まだだよな? どうする? 何匹か焼いて食うか?」


 ガクトの網袋を覗いた照が言った。

 それなりに値の付きそうな大きさの魚と、食べられはするが値はさほど付かない小さな魚が数匹、網袋の中で跳ね回っている。


「そうだな! 腹ペコだよ」


 ガクトがそう言ったときだ。

 突如として、強烈な頭痛に見舞われた。


「――っ⁉」

「ガクト? どうした?」


 照が心配そうにガクトの顔を覗き込む。


「急に、頭痛が……」

「マジか! 海で【クラクラ海月(くらげ)】にでも刺されたか? 頭痛とか目眩がするっていう……?」

「いや……豚イルカと遊んだくらいでなにも……」


 話している間にも、頭痛はどんどん酷くなっていく。


「――ちょっとヤバイかも」


 ガクトは思わず砂浜の上で仰向けに倒れ込む。


「お、おい! 大丈夫か⁉ ――待ってろ! 今、人を呼んでくるからな?」


 言って、血相を変えた照は村の方へと駆け出していった。

 ――何なんだ? この割れそうな頭痛は。

 頭を押さえて唸るガクトは、自分の全身が謎の白い光に包まれるのを見た。


「――えっ⁉」


 未知の現象に、ガクトは自分の頭がおかしくなったのかと思ったが、幻覚には思えなかった。

 次いで、意識が薄れ始める。目を開けていられない。

 ――俺は、どうなっちまったんだ? 

 どういうわけか、意識が薄れるにつれ、頭痛は消えていく。

 わけのわからないまま、ガクトの意識は白い光に完全に包まれ、途切れた。



「――お、おはようございます。き、気分はどうですか?」



 海の中で聞こえた、少女のきれいな声。それが再び聞こえて、ガクトは目を覚ました。

 まず見えたのは白い天井。次いで、自分の顔を覗き込む小さな(、、、)女の子。


「うわッ⁉」

「きゃっ⁉」


 初めて見る小人に仰天し、ガクトは寝ていたベッドから転落。

 小人も小さく悲鳴を上げた。

 ガクトは目の前が一瞬ブラックアウトしたが、夢を見ているわけではないらしい。白くて堅い床は艶々のコーティングが施してあり、照明を反射して淡く光っている。

 ここは保健室に見受けられた。ガクトが通う父島の学校にあるものとそっくりだ。

 さておき、注視すべきはベッドの上。真っ白なシーツの上にぺたんと女の子座りをしてこちらを見つめている小人(、、)だ。


「だ、大丈夫ですか⁉」


 あたふたしながら、小人は背中に生えた蝶のような羽を羽ばたかせ、ガクトの方へと飛んできた。『ぴゅるるるる』という謎の音が発せられる。

 まるでゲームのSEみたいな音だ、とガクトは思った。


「あ、ああ。大丈夫……」

「よかった! な、なかなか目を覚まさないので、し、心配しました」

「君は、小人……?」


 震え声が漏れた。女の子は十センチほどの背丈しかないが、とても人形には思えない。ぱっちりとした目は瞬いているし、会話もした。

 ガクトのいた地球では、小人は空想上の生き物とされていた。それが今、目の前で微笑んでいる。

 水色の長髪は淡い輝きを放っていて、まさに人形のように整った顔はとても可愛らしい。


「も、申し遅れました。私はアリーフェ・ディーネといいまして、こ、この【ミープティングレイス学園】の、が、学園長を務めている者です」


 アリーフェと名乗った妖精は空中でぺこりとお辞儀。危険な存在ではなさそうだ。

だが、見ず知らずのガクトを前に緊張しているのか、やけに(ども)っている。


「――俺の見た目、そんなに恐い?」

「い、いえ! その、私、自分よりも身体の大きな方々と話すと、ど、どうしても緊張してしまって。……不快な思いをさせてしまったのでしたら、謝罪します!」


 慌てふためくアリーフェ。彼女の頭から小さな汗がピピピピっと散っているように見えた。


「いや、不快とかそういうのじゃないんだ。俺、マーフォークと人間のハーフなんだけど、危険な生き物じゃないよ?」

「そ、そうですよね! お心遣い感謝します。ちょっと、深呼吸しますね」


 アリーフェは胸に手を当て、深く息を吸って吐く。

 よく見ると、細身の体型の割に、胸はふくよかだ。


「――失礼しました。改めまして、【ミープティングレイス学園】の学園長を務めるアリーフェです」

「ミープ? ……学園?」


 ガクトは窓の外を見遣る。開け放たれたカーテン。窓の外にはどの学校にもあるようなグラウンドが見える。アリーフェも『学園』という単語を口にしていたということは、ここはどこかの学び舎らしい。

 ふと自分の姿を見れば、いつ着替えたのか、ミープティングレイス学園のものと思しき学生服を身に着けている。上着はカーキ色を基調としたシングルのブレザータイプで、白シャツに青のネクタイ。下はカーキとグレーの迷彩カラーが施されたトラウザーズ。靴下はネクタイと同色の青。ベッドの下には黒の革靴がピカピカの状態で揃えられている。

 アリーフェの服装も、ガクトのものと同じ色合いをしたブレザー、スカート、ローファーといった組み合わせだ。ただし、サイズは妖精用なので異様に小さい。


「俺、砂浜で気を失ったんだけど、なんでここに?」

「――順を追ってご説明します」


 ベッドの淵に座りなおしたガクトの前に、アリーフェは『ぴゅるるるる』と飛んできた。


「ここは、あなたがいた惑星ではありません。別の【ブロック宇宙】にある惑星です」

「なるほど。――え?」


 ガクトは思わず聞き返した。アリーフェは日本語を話しているので、言葉の意味はわかる。だがその言葉が示している意味がわからない。

 別のブロック宇宙?


「それってつまり、ここは地球とは別の、――異世界ってこと?」

「はい。簡単に言えば」


 ガクトは言葉が出てこない。驚愕と不安、高揚と衝撃が織り交ざった複雑な心境だった。

 異世界。日本のアニメや小説でもよく取り上げられるようなファンタジー世界が、まさか実在したとは。

 本来であれば、すんなりと信じられるわけがない。しかし目の前で話している小さな女の子が、すでにファンタジーの中から飛び出してきたかのような外見なのだ。


「あなたは、私が魔法でこの世界にお連れしたんです。困っていることがあって、助けてほしくて……」

「海の中で、君の声が聞こえた気がしたけど……」

「まさに私の声です。地球の言葉で言うなら、テレパシーですね」

「助けてほしいっていうのは?」


 ガクトの問いに、アリーフェは神妙な面持ちになる。


「この世界は、悪のドラゴンに支配されています。私は、――私たちは、そのドラゴンを倒すことができる者を探しているんです。あなたを呼んだのはそういう理由で……」

「そ、そうなんだ……」


 あまりにもアニメやゲームでよくある設定に酷似しているので、ガクトは返答に困る。


「――信じられませんか?」


 困ったように、アリーフェが小首を傾げる。


「いや、その、実感が沸かないっていうか、まさか自分がそんな大役のために呼ばれるなんて、思ってもみなかったっていうか……」


 なぜ勇者でもなんでもない自分が呼ばれたのか、ガクトはたずねた。


「私が別のブロック宇宙へ向けて放つテレパシーは、体質的に聞き取れる人とそうでない人がいます。私がここへ呼べるのは、聞き取れた人だけなんです」

「俺は聞き取れたから、ここへ呼ばれた?」


 こくりと頷くアリーフェ。


「あの、言い難いんだけど、ドラゴンを倒すとか、そういう(あぶ)なそうなことはちょっと……」


 どう考えても、呼ぶ相手を間違っている。


「ドラゴンを倒せる者を探してるって言ったけど、俺はただの、――特に取柄もないマーフォークだ。……人里離れた田舎暮らしで、泳ぐのだけは得意だけど、別に他のマーフォークより秀でているわけじゃないし……」

「完璧な人なんていません。みんな得手不得手があります。あなたはあなたの得意なことを活かしてくれればいいんです」

「泳ぎでドラゴンに勝てとでも?」


 アリーフェは思いつめたような表情を浮かべる。


「実は、この島には伝説があるんです。それは、太古の昔に実在したドラゴンスレイヤーの伝説です」

「ここ、島なの?」


 ガクトが気になったのはそこだった。


「はい。この惑星に唯一存在する島で、今は1000人ほどの生徒たちが共同生活を送っています」


 異世界といえば、魔法が主流の文明が発展を遂げ、広大な大地、豊かな自然に囲まれた王国。空を見上げればそこには島が浮かび、飛空艇の交通網が構築され、個性溢れるエルフや獣人といった生き物たちが仲良く暮らす――そんなイメージだった。


「――海の上に、島が一つだけ?」

「とてつもなく大昔であれば、他にも大陸があったようなのですが、ドラゴンスレイヤーが悪事を働くドラゴンを狩り始めたときに、怒ったドラゴンの首領がドラゴンスレイヤーへの報復として氷を溶かし、この島を残してすべての大陸が沈められてしまったと言われています」

「ド、ドラゴンの首領って、そんなことまでできるの?」


 異世界のスケールは島が一つだけと、想像より遥かに小さかったが、ドラゴンの力のスケールは逆に大き過ぎた。


「この惑星どころか、この宇宙全体を支配しているのがドラゴンの首領――名前はベルリオーズといいます。その気になれば、惑星一つ吹き飛ばすこともできると思います」


 ベルリオーズ。名前だけで既に強さが伝わってくるかのような迫力がある。

 ガクトの脳裏で、危険を知らせる警鐘が鳴り始めた。

 海を泳いでいると、『これ以上はダメだ』という、自分の限界や、海という自然界に潜む危険を見抜くセンス――いわゆる直感が磨かれる。

 ガクトが故郷の地球にいたときのことだ。出会う生き物に片っ端から噛み付く、全身が真っ赤な色をした凶暴なサメ――カミカミシャークと遭遇してしまったときも、その直感は大いに彼を助けた。

 カミカミシャークに気付かれる前に、ガクトは岩陰に身を潜めてやり過ごした。ガクトは最初、所持していた銛でやっつけてやろうと考えたが、ここで彼の中の直感が警鐘を鳴らし、戦わずに隠れることを促した。

 すると、なんということか。カミカミシャークは突如大爆発を引き起こして木っ端みじんになった。

 原因は爆弾だった。生態系への配慮を怠ったごく一部の人間が、危険な水棲動物対策のために、時限爆弾入りのエサを撒いており、臭いなどを巧妙に隠されたそのエサをカミカミシャークはまさに名前の通りカミカミしてしまっていたのである。

 もしガクトがカミカミシャークをやっつけるために近づいていたら、一緒に木っ端みじんになっていただろう。

 そうして磨かれた直感がガクトに告げるのである。

『早いうちに退散しろ』と。


「それ、もうみんなで逃げたほうがよくない? 惑星を吹っ飛ばせるくらい強い相手なら、どう頑張っても勝てっこないよね?」

「ご尤もです。ここにいるみんなが、一度は同じことを口にしましたから……」

「なら、尚更逃げるべきだよ。君はこの島の住人だよね? 故郷を捨てるのが辛いっていうのもわかるけどさ――」

「できないんです」

「え?」


 ガクトの思考が、一瞬フリーズする。


「推測ですが、ベルリオーズは自分が支配する世界から他の生き物が逃げていくのを快く思っておらず、何らかの結界魔法を展開しているのだと思います。つまり、この世界に私たち全員を閉じ込める魔法です」

「……ということは、そのベルリオーズとかいうドラゴンの首領をやっつけないと、俺は元の世界へ帰れないってこと?」

「申し上げにくいですが、そうです。あなたも、私も、他の生徒たちも全員」


 ガクトは言葉を失った。直感が警鐘を鳴らそうと鳴らすまいと、もう既に後戻りできない状況だったのだ。


「とても身勝手なことを言っているのはわかっています。ですがこのままでは、生徒たちはこの島で生涯を全うするか、あるいは、ドラゴンに食べられてしまうでしょう。ですから、無理を承知でお願いします。どうか、力を貸してください!」


 ふわふわ浮かびながら、アリーフェは深々と頭を下げる。


「そ、そんなこと言われても……」


 急に連れて来られて、急に助けを求められても困るわけだが、ドラゴンを倒さなければ帰れないとまで言われてしまっては二の句が継げない。


「――その、ドラゴンスレイヤーだっけ? ドラゴンを殺す者って意味だよね? 伝説に残るくらい凄い人なら、本人か、その人の子孫とかに頼めばいいんじゃないの?」


 さきほどアリーフェが言っていた、ドラゴンスレイヤーの伝説。

 ガクトはその伝説に突破口を探そうとするが、


「彼は――ドラゴンスレイヤーは、太古の昔、ベルリオーズに一騎打ちを挑み、破れてしまったのです。なので、彼の血を引く子孫はいません」


 アリーフェは目を伏せつつ言った。

 ドラゴンスレイヤーなのに、逆にスレイされていたとは。

 沈黙が流れる。

 この世界に留まるしかないとして、自分には一体なにができるのか。

 そう考えるガクトは、容易く頷くことはできないでいた。


「――でも、伝説には続きがあります!」


 先に口を開いたのはアリーフェだ。彼女もまた、見ず知らずの相手を、一度来たら戻れない世界に連れてきてしまった罪悪感を抱えながら、しかし生き残るためには説得して協力を取り付けなければならない使命感に駆られ、必死なのだろう。


「ドラゴンスレイヤーは、ドラゴンの硬い皮膚を容易く切り裂く剣を愛用していました。ドラゴンに対抗できる唯一の武器です。実は、その剣が今も残っているんです。『この剣を扱う資格を持つ者だけが抜くことができる』という言い伝えとともに……」

「それが、この島に残された唯一の対抗手段なの? たった一本の剣が?」

「そうです。ベルリオーズはその剣を我が物とするために、今も在り処を探っています。剣がこの学園に隠されていると知れれば、きっと奪いに来るでしょう」


 ブロック宇宙を支配するドラゴンの身体は硬い皮膚で覆われていて、防御力が高いのは容易に想像できる。恐らくは翼もあって、空どころか宇宙を自在に飛行できるだろう。

 そんなドラゴンの皮膚を簡単に切り裂ける剣があるとしても、飛ぶことができるドラゴンを一体どうやって切りつければいいのか、ガクトには疑問だった。


「――この世界を支配してるってことは、ベルリオーズは空を飛ぶくらい簡単にできるんでしょ? 空を飛ばれたら、剣で戦いようがないよね?」


 ガクトの問いに、アリーフェは困ったように微笑む。


「そ、そこのところは、なんとか頑張るんですよ」

「もしかして、ドラゴンスレイヤーが負けたのも、空を飛ぶベルリオーズに攻撃が届かなかったとか、そんなひどいオチじゃないよね?」


 はっとして目を見開くアリーフェ。


「し、仔細はわからないのですが、ベルリオーズと戦って瀕死の重傷を負ったドラゴンスレイヤーは、息を引き取る前に、『今度生まれ変わったら鳥人間になりたい』と話したそうです。まさか、彼は空を飛べなかった⁉ ドラゴンを殺す者なのに⁉」

「いや、そんなショック受けたような顔されても……」


 この妖精さんはちょっと天然なところがある、とガクトは思った。


「ますます困りました……現状、この島に空を飛んで戦える人は一人しかいません」

「え、いるの⁉ なら、その人にお願いして戦ってもらえば――」


 アリーフェは首を横に振る。


彼女(、、)は、剣に受け入れられませんでした。剣を抜くことができなかったんです」

「その人は、選ばれし者ではなかったということ?」

「今のところ、この島にいる全員が、剣を抜けませんでした……」


 視線を伏せるアリーフェ。


「ええと、それじゃあ今度は、新参者の俺が剣を抜けるかどうか、試す番ってこと?」

「――はい。ぜひともお願いします」


 と、アリーフェはもう一度頭を下げる。


「そんなに(かしこ)まらないでいいよ。さっきも言ったけど、俺はただのマーフォークと人間のハーフ。たぶん、君の期待には応えられない」

「……剣を抜くことに、挑戦してはくれないということですか?」

「いや、それはやるよ。やってみるから!」


 アリーフェが今にも泣きだしそうな顔をしていたために、一先ず頷くガクト。


「ありがとうございます!」


 途端、アリーフェの顔がぱぁっと明るくなる。嬉しさに見開かれた目から一筋の涙が零れた。

 何かの番組の壮大なドッキリだとは思えないし、アリーフェが嘘を言っているとも思えない。

 同時に、自分がとてつもなくシリアスな状況下に置かれているという緊張感がじわじわと沸き起こってきた。


「お体の具合に問題が無いようでしたら、一緒に来てください。ちょうど朝礼の時間なので、みんなに紹介します」


 促されるまま、ガクトはアリーフェに続いて校内を歩く。

 そういえば、誰が俺に学生服を着せたのだろうか? と、ガクトは疑問に思ったが、考える方向によってはあられもない想像が広がりそうなので、アリーフェが魔法で服を着せてくれたということにする。

 校舎は400メートルトラックよりも一回り広いグラウンドを、まるで城郭のように四角く囲む形で建っており、四つある角の部分には尖った屋根を持つ塔が聳えている。

 アリーフェ曰く、元々は城だった建物を魔法で改装し、学校として利用しているらしい。言われてみれば、部屋自体はガクトも見覚えがある現代風な内装になっているが、廊下や校舎の外側は基本的に石造りだ。


「学園の名前、ミープティングレイスだっけ? どんな意味があるんだ?」


 緊張感に苛まれたガクトは口数が減り、アリーフェとの会話に沈黙が増えてきたので、そう質問してみた。


「ミープティングレイスは、この惑星の名前なんです。かつて存在した古代文明の言葉で、集結地点という意味があります」


 アリーフェ曰く、この学園はアリーフェが始めたもので、当初は名前すら無かったらしい。


「――なので、惑星の名前を取って、【ミープティングレイス学園】となりました。今この島で暮らす生徒たちがつけてくれたんです。最近では『ミー学』といって略したパターンも広まってるんですよ?」


 アリーフェは嬉しそうにガクトを振り向く。

 彼女は、とても長寿な妖精の一族で、古代文明の唯一の生き残り。

 そのアリーフェがドラゴン打倒のために少しずつ年若い者を呼び集め、今のような規模まで大きくなったということらしい。

 この学園の生徒は全員ガクトと同じように、アリーフェの召喚魔法によって連れて来られた。そしてアリーフェの話を聞き、元の世界に戻るには悪のドラゴンを倒さなければならないという事実を受け入れ、できることを模索しつつ共同生活を送っているという。


「君の魔法でここへ連れてきたのなら、送り返すこともできるんじゃないの?」


 ガクトの質問に、アリーフェは申し訳なさそうに首を振った。


「それが無理なんです。私も何度も試してはいるのですが、どうしても失敗に終わってしまって……」

「だから、ドラゴンによる妨害の説があるわけか……」


 ドラゴンを倒さない限り、元の世界には戻れない。

 どうしようもない状況は、受け入れざるを得ない。

 否が応でも協力せざるを得ない状況ということだ。

 ガクトが通されたのは、グラウンドの地下に設けられた体育館。グラウンドの隅には通気兼照明用のダクトが掘られており、そのダクトから鏡を使って、陽の光をある程度地下の体育館に取り入れているらしかった。体育館の天井に取り付けられたライトと相まってかなり明るい。

 館内には総勢一千人の全校生徒が揃って床に座っており、学園長アリーフェに連れられてきたガクトへ一斉に視線を投げかけてきた。

 新参の自分へ向けられる多くの視線に、ガクトは居心地の悪さを覚えると共に、幼少の頃の苦い記憶を思い出す。

 ガクトがいた地球においてマーフォークは、その数の少なさから人間社会において奇異の眼差しで見られることが少なくなかった。

 特に幼い子供同士の交流では、その未熟さ故、デリカシーに欠けた発言もあった。

 そうした過去の記憶が、トラウマと言うほどの傷ではないが、しかしガクトの心に確かに残っていた。

 だから、どうしても脳裏を過る。


 受け入れられなかったら、どうしよう?


「おい見ろよ、きっと新しい仲間だぜ。あれ絶対水属性の種族だろ。泳ぐの上手そう」

「頭の触覚、なんだかかわいい」


 だが、漏れ聞こえてくる会話の内容は、意外にもポジティブだ。


「肌の色きれい! 水色なんて初めて見た!」

「けっこうイケメンじゃない?」


 恥ずかしさが増してきて、ガクトは思わず顔を下向ける。


「――お、おはようございます、みみ皆さん! が、学園が始まってから、き、今日でちょうど一年が経ちました!」


 さきほどまでは落ち着いて話すことができていたアリーフェだが、自分よりも身体が大きい種族をたくさん前にすると、やはり吃ってしまうらしい。一年経っても慣れないのは、アリーフェの性分によるものだろう。


「毎日言ってますが、可愛いですよ学園長!」

「今日は天気もいいし、午前の勉強はやめて狩りに行きませんか?」


 生徒たちもそんなアリーフェを前にして、冗談を飛ばしながらも傾聴の姿勢を崩さない。


「この記念すべき日に、新しい仲間が来てくれましたので紹介します!」


 どうぞ、とアリーフェが耳打ちした。


「ええと、初めまして。地球っていう星から来ました。マーフォークっていう、泳ぎが得意な種族です。でも俺は人間とのハーフで、名前は志守岳人と言います」


 ガクトが簡単に自己紹介すると、生徒たちが騒めき始めた。

 会話のいくつかを、ガクトは触覚と聴覚を使って聞き取ってみる。


「――聞いたか? 地球から来たってよ」

「お前も地球出身だよな? マーフォークって種族いたか?」

「わたしの知る限り、いなかったと思う……」


 他にも地球から来た生徒がいるようだが、マーフォークを見たことがないらしい。

 ざっと見渡しても、生徒の中にマーフォークの姿は見られない。エルフや獣人らしき影はあるが、多くは人間だ。


「あの、ついさっき来たばかりで、まだこの島のこと、ほとんど何も知らない状況なので、いろいろ教えてください。よろしくお願いします」


 ガクトがお辞儀をすると、生徒たちの中から質問が飛ぶ。


「マーフォークって、水の中の生き物でしょ? 地上にいて大丈夫なの?」

「マーフォークもアニメとか見たりする?」

「何歳ですか?」

「彼氏いますか?」

「し、質問タイムはあとにしてくださーい!」


 アリーフェが小さな身体で声を張り上げる。


「いつものように、い、今から彼に剣を抜いてもらいたいと思います!」


 アリーフェがそう言って指示した方向にガクトは顔を向ける。

 見れば、壇上の中央に置かれた台座に、一振りの剣が突き立てられていた。

ガクトはさほど武具に詳しくはないが、地元で漁に使う武器を手入れした経験があるので、それなりに物の状態はわかる。

 精巧に作られた十字架のような形をした剣は、しかしよく見ると刃こぼれが目立ち、束の部分に施された装飾の宝玉も輝きを失い、物寂しさが漂っている。


「これが、伝説の剣?」

「はい。その名も【竜斬剣(スレイヤー)】といい、かつてドラゴンスレイヤーが愛用していたものです!」


 ガクトには、とても伝説の剣と呼べるほどの代物には見えなかった。誰も抜くことができないのであれば、手入れもできていないのだろう。

 アリーフェを始め、学園の生徒たちの視線が痛いほどに感じられる。


「さぁ、どうぞ!」


 アリーフェに小声で促され、ガクトはおずおずと台座の前へ進み出た。

 すると、あろうことか、ガクトの目の前で剣がバランスを崩して傾ぎ、そのまま真横へ倒れ始めた。


「あぁあッ!」


 慌てて手を差し出すガクトだが間に合わず、けたたましい金属音が体育館中に響き渡った。


「うそ……」

「抜いた……?」

「選ばれし者……?」


 ちらほらとつぶやき声が聞こえ、



「「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」」



 歓声が爆発した。


「えっ⁉ いや、今のは――」


 狼狽えるガクトの声は生徒たちの大歓声に虚しく掻き消された。


「やった! ついに来た! 救世主だ!」

「このときを待ってたぜ!」

「諦めないで生きててよかったぁあ!」


 この島の生徒は全員、剣を抜くことができなかった。故に仕方なく、いつか剣を抜くことのできる者が現れるのを信じ、みんなで協力して一年もの期間を生きてきたのだ。


「――私を含め、みんながこの瞬間を待っていました」


 潤んだ目で、アリーフェが言う。近場に居た彼女も、剣が独りでに倒れたことに気付いていないようだ。

 念願が叶ったということは、ドラゴンに対抗できる戦力が現れたということ。

 そしてそれは、みんなが元の世界に帰れる可能性が出てきたことを意味する。


「いえ、この剣は僕が抜いたんじゃなくて――」


 ガクトがアリーフェに、剣が勝手に倒れたことを説明しようとしたときだった。



「うるさぁああああああああああああああああああぃ‼」



 突如として、一千人の生徒たちの歓声を上回る黄色い声が轟いた。

 静まった生徒たちが一斉に振り返る先で、一人の小柄な少女が立ち上がっていた。


「剣を抜けたからって安心しちゃダメよ! そこの青い奴がどれだけの実力を持っているのかわからないのに、有頂天になるのは危険だわ!」


 黄色い声の主は、背丈百二十センチくらいの小さな少女だった。声の幼さからして、人間の年齢でいえば六歳くらいだろうか。頭の後ろで一つに結わえた茶色の髪はさらさらだ。


「ジュリアさんの言う通りです。ガクトさんにはこのあと、生徒会室でいろいろと話を聞かせてもらうつもりです」


 小さな少女の名はジュリアというらしい。


「では、この場はいつも通りに進めてもいいですね? 寺之城(てらのじょう)のアホがいないから、あたしが進行します」

「あら、寺之城くんはいないのですか? 体調不良かもしれないので、あとで誰か、彼を見に行ってあげてください」


 と、アリーフェはジュリアに頷き、ジュリアは一同に向き直る。


「各班のリーダーは連絡事項があればここで共有して頂戴」


 すると、座っていた生徒たちの中から順番に生徒が立ち上がり、状況を報告し始めた。完全に説明するタイミングを見失うガクト。


「食料班です。先週に続いて、昨日も狩りの収穫がイマイチでした。今の食料の備蓄量は二割くらいなので、近日中に総出で狩りに出て、大物を獲る必要があるかと思います」

「設備班です。この前、ジュリア隊長が寺之城(てらのじょう)さんを投げつけてぶっこわした電波塔ですけど、昨日どうにか復旧したので、いつも通り携帯電話使用できます」

「女子会からです。昨日の夜、食堂の冷蔵庫に入れておいた特製ケーキを盗み食いした犯人を捜してます。白状するなら楽に殺してあげます。悪いことは言わないのであとで私のところへ来てください。殺します」


 殺すと予告されて薄情する者はいないのでは? と思うガクト。


「なんだと⁉ 女子会はただでさえ貴重な砂糖を大量に使ってそんなもん作っていやがったのか⁉」

「ずるいぞ!」


 男子陣から抗議の声が上がる。


「頑張ってるみんなに一つずつ配る予定だった、小さなシフォンケーキよ。それが一気に一〇個くらい減っていたの」


 と、女子会の少女は説明。

 みんなのおやつをつまみ食いする大罪を犯した奴は誰だ、とみんなが顔を見合わせたときだ。

 突如、どこからか警報が聞こえてきた。

 ゥウウウウウウウウウウ! と、長く響き渡る警報に生徒たちは大慌て。


「見張り台に連絡して状況確認!」


 ジュリアが数名の生徒に指示を出し、


「みみみ、みなさん落ち着いて! 訓練通り持ち場に向かってください!」


 アリーフェがあたふた飛び回る。


「敵襲か⁉」

「ドラゴンの奴らが来やがったのか!」


 生徒たちは口々に騒ぎ立てながら大急ぎで地上へと向かう。

 聞こえてきたドラゴンという言葉。

 どうやら、ただごとではない何かが起きているようだ。

 ぽつん、と取り残されたガクトは握りしめていた剣を見つめる。

 生徒たちは皆この剣に大きな期待を寄せている様子だったが、こんなにボロボロの状態では、とてもドラゴンを倒せるとは思えない。


「いろいろ急展開でごめんなさい!」


 ぴゅるるるる、とアリーフェが飛んできた。


「この警報って、ドラゴンが来たことを知らせるものだったりする?」

「その通りです! 一緒に来てください!」

「まじかよ……」


 アリーフェが小さな手で、狼狽えるガクトの制服を摘まんで引っ張る。


「まさか、こんなボロい剣で俺に戦えって言うのか⁉」

「その通りです! ほんとにすみませんけどお願いします!」

「俺はただのマーフォークなんだってば! 空なんて飛べないよ!」

「そこは他の生徒たちがなんとかしてくれます! あなたは、ドラゴンが地上に降りたところを狙って斬りつけてください!」

「そんな行き当たりばったりで闇雲に戦っても、勝てる気がしないって!」


 ガクトは剣を持つ己の手が震えていることに気付いた。無理だとわかっていても受け入れざるを得ない現実に、恐怖しているのだ。


「あなたが戦わなければ、この島はおしまいです! 勇気を出してください!」


 アリーフェの言う通り、今はとにかく行動するしかない。

 一先ず地上へ行って、状況を確認する必要がある。


「――ああもう! わかったよ! 行けばいいんでしょ?」


 ガクトはアリーフェに続いて地上へと向かう。

 階段を昇り切った先に延びる石畳の廊下を走り、昔は城門として機能していたと見受けられるアーチを潜って学園の外へ。

 そこは、周囲を山に囲まれた盆地だった。

 太陽に似た恒星が放つ白い日差しの下で、切り立つ岩山が輪を描くようにして連なり、その中央の窪んだ土地に、四角形の校舎が建っているのだ。

 アーチを出てすぐ、岩山に向かって何本もの道が分かれて伸びており、生徒たちはそれらの道のスタート地点で一塊になっていた。

 警報は鳴り止んでおり、快晴の青空にドラゴンの姿はない。


「――あら? これはいったい……?」


 ガクトのとなりで羽をぱたぱたさせながら、アリーフェが首を傾げる。

 一同が立ち尽くして見つめる先に一本の鉄塔が建っており、そのてっぺんに人影があった。



「ッハーッハッハッハッハ!」



 その人影は、舞台俳優が歌うようなテノール調の声で高らかに笑う。


「素晴らしい! 素晴らしいぞみんな! 僕が警報を鳴らしてから、たった一三〇秒でここまで来るとは! 半年前よりも一〇秒短縮されている!」


 雲が日差しを遮り、人影のシルエットが露わになる。

 引き締まった身体つきの高身長で、金縁の丸い眼鏡を掛けた人間の男子生徒だ。黒い短髪と色白の肌に、爽やかな笑顔。文句なしのイケメンに分類される。

 彼は鉄塔のてっぺん――屋根付きの足場に立っており、そこにずらりと取り付けられたスピーカーに細工して、警報を鳴らしたらしい。いくつものスピーカーが東西南北に向けられているので、広範囲に響き渡るようになっている。


「寺之城! お前またやりやがったな⁉」

「朝礼すっぽかして何やってるのよ⁉」

「笑えねぇ冗談はよせよ! ドラゴンが来たと思って危うく漏らすところだぞ! 半分で止まったからいいけど!」

「――いや半分漏らしてんじゃねーか!」


 生徒たちから数々の野次が飛ぶ。


「なぁに、抜き打ちでみんなの対応力を試しただけさ! たまにはいいものだろう?」


 と、胸を張る寺之城は野次などどこ吹く風といった様子である。


「寺之城くん! あなたのやったことを間違っているとは言いません。でも、いくらなんでもタイミングが悪すぎます! 救世主がようやく来てくれたので、いろいろと説明をしようとしていたところなんです」


 アリーフェの言に、それまで爽やかな笑顔を浮かべていた寺之城の表情が真顔になる。


「救世主? が、学園長。それは本当かね?」

「本当です。1000人の生徒が抜けなかった剣を、彼が抜いたんです!」


 アリーフェがガクトを手で示す。

 寺之城の眼鏡が光り、ガクトの方を向いた。


「――君が、選ばれし勇者か?」

「……いや、僕は――」


 剣が勝手に倒れただけで、自分が抜いたわけではないことを説明するべきなのはわかっている。しかし、ガクトは再び大勢の視線を感じ、委縮してうまく言葉を紡げない。

「いきなり見知らぬ場所に連れて来られて恐いんだろう? わかるさ。僕も初めは恐かった。特にそこのロリ貧乳(ひんにゅう)怪力(かいりき)メカ(むすめ)とか、何度も僕を殺そうとしてきたからね」


 と、寺之城はジュリアの方を指差す。


「その辺にしておかないと、またあんたを殺そうとするわよ?」


 額に血管を浮かび上がらせたジュリアが引き攣った笑みを浮かべた。確かに恐い。


「でも大丈夫。ここにいる連中はみんないい奴だし、一週間もすれば慣れるさ。状況は芳しくないが、みんなで乗り切って行こうじゃないか!」


 寺之城が親指を立てて、白い歯を煌めかせる。


「あの、俺が剣を抜いたって話だけど、実は――」

「こうして遥か彼方の、どこだかわからん辺境の惑星で出会ったのは何かの縁だ。申し遅れたが、僕は寺之城大和(てらのじょうやまと)。――そうだ、この出会いに乾杯しよう! これを受け取ってくれ!」


 ガクトが意を決して説明しようとした途端、寺之城は見張り台から何か小さなものをガクトに放ってよこした。


「う、うぉっと⁉」


 両手ですくうようにキャッチしたガクトは、それの正体を確認。

 てのひらサイズのシフォンケーキだ。


「ケーキといった甘いおやつは、この島では滅多に食べられない貴重品だが、君は勇者だ! 貴重な僕の蓄えを分けるにふさわしい!」


 言って、寺之城もどこからともなく取り出したシフォンケーキを掲げ、


「――乾杯!」


 ぱく。

 なんとも美味しそうな満面の笑みでもぐもぐし始めた。

 ついさっき体育館で交わされた連絡事項の内容を覚えているガクトは、シフォンケーキを食べることができない。

 1000人の生徒たち――その中から、筆舌に尽くしがたい殺気が立ち昇り始めたからだ。

 まず目についたのはジュリアだ。顔を俯かせ、握りしめた拳をギリギリと震わせている。

 次に、女子会を取りまとめているらしい女子の面々も、表情に影を落として俯き、ぶつぶつと何かを呟いている。

 ゆらゆら、めらめらと、女子たちが放つその()は周囲の空気を染め上げる。心なしか大地までもが恐怖に慄いて揺れているかのように感じられた。


「――んんん! うまい! ケーキを食べたのは地球にいたとき以来だから、一年ぶりということになるな!」

「――あのぉ、寺之城くん?」


 女子たちの殺気にあてられてワナワナ震えるアリーフェが、真っ青な顔で問う。


「そのシフォンケーキ、どこで入手したんですか?」

「これはですね、食堂の冷蔵庫の中で、パレットにずらりと並べて置かれていたものです。誰のものかはわかりませんが、きっとみんなに配ろうとしてくれていたのでしょう。でもあまりにも数が多いように見えたから、配るのが大変だろうと考え、自分と生徒会メンバーの分を拝借したんです」


 あくまで寺之城は親切心からその行為に及んだらしい。

 きっと彼は嘘がつけないタイプで、悪いやつではないのかもしれない。ただ、さすがにつまみ食いは看過(かんか)されないだろう、とガクトは思った。


「ジュリア隊長」

「なにかしら?」

寺之城(あいつ)を八つ裂きにしようと思うんだけど」

「いいわね。あたしも同じことを考えていたところよ」

「そっかぁ! 奇遇だね!」

「そうね。うふふふ」

「あははは」

「「あはははははは!」」


 女子たちが乾いた笑い声を響かせ始め、男子たちは恐怖のあまり全身をバイブレーションさせながら、ぞろぞろと校舎の入り口へ退いていく。


「――あれ? なんだか、変な空気になっていないかね?」


 さすがの寺之城も女子たちが満面の笑顔を浮かべながら見張り台を包囲するのを見て、異変を察知したようだ。



「てめぇはあたしらを、怒らせたんだよぉおおおおおおおおおおおおおおおおッ‼」



 ジュリアがそう叫びながら鉄塔の支柱に抱きつき、あろうことか、尋常ではない力でその支柱を持ち上げ引き抜いた。


「「オラオラオラオラオラァアアアアアア‼」」


 そして他の女子たちの力も加わって、鉄塔を寺之城ごと放り投げた。


「「あぁあああっ! 苦労して建てた音響台がぁああああああ‼」」


 設備班の男子たちが泣き叫ぶ。鉄塔は音響台の用途で建てられていたらしい。

 女の子を怒らせてはいけない。と、ガクトは胸に刻むのだった。



   ■



 惑星【ミープティングレイス】は大半が海洋に囲まれた、地球と酷似した環境の惑星である。

 その広大な海洋にぽつんと浮かぶ島を、住人たちは【学園島】と呼ぶ。

 学園島の中心には、遥か昔に火山活動を停止した死火山が聳えており、その火口跡の窪みに、【ミープティングレイス】学園が聳える。

 学園から火口の外へと伸びる複数の道は、輪を成して火口の淵を形成する小さな岩山を下った先にある街エリアや自然エリアへと続いており、生徒たちは学園での生活の息抜きに街エリアへと繰り出したり、あるいは食料を調達するために自然エリアへ出向き、そこに生息する食用可能なモンスターを狩ったりして生活を続けている。

 中央の山から見て、島の南側は街エリア。東側は平原エリア。西側は岩山エリア。北側は森エリアとなっており、島の総面積は地球でいうところの伊豆大島と同等である。


「――北側の森には、絶対に一人では近づかないこと。あの森には危険なモンスターがたくさんいるの」


 寺之城が起こした今朝の騒動が一段落し、ガクトは生徒会室へと招かれ、ジュリアから島の説明を受けていた。

 学園島の気候は安定していて、一年中二十五度前後を上下しているとのことだ。雨が多いことを除けば、かなり過ごしやすい島らしい。


「特に夜になるとヤバイわ。中には、この山の麓まで這い出してくる輩もいるから」


 ジュリアの話を聞くガクトが、通称・銃眼(じゅうがん)と呼ばれる、ガラスの無い四角窓から北の大地を見下ろすと、学園を取り囲む山の先に、森が北の海の方までびっしり広がっているのが確認できた。

 生徒会室は、学園の校舎に四つある塔のうち、北側に建つ【ダイヤの塔】の最上階にある。

 石造りの部屋には絨毯が敷き詰められ、壁には様々な情報を記した紙が貼りつけられた掲示板の他、木製の本棚や戸棚があり、生徒会活動に必要な備品が揃っている。

 部屋の中央には、背の低い丸テーブルを挟んで長椅子が二つ向かい合わせに置かれ、部屋の窓際には学園長用の荘厳な木製デスクが構えられ、その上にちょこんと、アリーフェサイズのミニデスクが置かれている。

 アリーフェは特注のミニデスクの横にどかんと置かれた湯呑みにストローを入れ、中のお茶を両手で掴んだストローから『ちゅー』と吸った途端、あまりの熱さにむせ返っている。


「基本的には、この学園で決められたルールに従ってもらいたい。でないと、今の僕みたいなことになるからね!」


 と、顔がジャガイモのように歪に変形した寺之城が、学園長デスクの古びたソファにぐったりと身を埋めつつ言った。女子たちの壮絶な粛清を受け、肉塊になる寸前まで痛めつけられたのだ。

 モンスターがどれだけ危険なのかは知らないが、少なくともこの学園の女子陣より危険度は低いのではないかと内心思うガクトである。

 ちなみに、女子たちの怪力によって今朝倒壊させられた鉄塔もとい音響台は、設備班の男子たちがしくしくと泣きながら再建作業を行っている。


「例の、悪いドラゴン――ベルリオーズだっけ? そいつはどこにいるんだ?」

「この島にはいない。空に薄っすら見えるブロックがあるでしょう? そこにいると考えられてるわ」


 ガクトの質問に、コーヒーを口にしたジュリアが答えた。彼女の見た目は幼女だが、年はガクトと同じ十七歳らしく、落ち着いた物腰で長椅子に腰かけている。


「ブロック宇宙って?」


 そもそも、ガクトにはその言葉自体がよくわからなかった。


「とてつもなく大きなブロックが中心になって、一つの宇宙が構築された世界のことをそう呼ぶんだ。君がいた世界には無かったのかい? 空にデカデカと浮かんで見えなかった?」

「あったよ。青緑色のやつ。俺がいた地球では、ブロックが何なのか、何のためにあるのか全然解明されてなかった。ただそこにあるのが当たり前のものでしかなかったな……」


 寺之城の問いで、ガクトは故郷を想う。自分がいなくなって、みんなに心配をかけてしまっているに違いない。


「僕は君の故郷が地球だという話が気になっている。というのも、実は僕も地球出身だからなんだ」


 衝撃の話だった。寺之城曰く、彼がいた地球には、マーフォークはおろか、人間以外に言葉を話す種族は存在しないというのだ。


「動物はたくさんいたのだが、エルフも獣人も、マーフォークもいない。だから初めてこっちに来たときは驚いたものさ。妖精のアリーフェ学園長を見て腰を抜かしたのを覚えている」

「だいたい、みんな似たようなリアクションをしてましたね。私のような妖精族(ようせいぞく)は特にめずらしいみたいで……」


 寺之城にアリーフェが相槌を打った。


「ちなみに、あたしも地球出身よ。でもあんたたちがいたっていう地球とはちょっと事情が違うわ。未知の生命体と戦争をしてたから……」


 と、ジュリアも故郷のことについて述べる。


「通称【デーモン】って言って、超能力を操る種族が地球を侵略してきたの。全身を黒い靄が覆ってて、正体がよくわからない不気味な連中よ。だからデーモンって名前がついた。そいつの死体を見て、初めて本当の姿を知ったけど、デーモンというよりかは、ドラゴンと人間を足して二で割ったような感じだった。竜人(りゅうじん)って言えばなんとなくわかるかしら?」

「ゲームで言う、リザードマンのようなイメージだと思っているよ」

「それ、あんたの地球で人気のゲームでしょう? あたしやガクトはわからないわよ」


 ガクトは、頭の部分が厳めしいドラゴンで、身体が筋骨隆々の人間を想像した。


「――それはさて置いてだね、ここからが興味深いのだが、ジュリア君がいた地球では、黒いブロックが見えていたと言うんだ」


 寺之城の(げん)で、ガクトはこの島から見えたブロックの色を思い出す。

 まず、一番大きくてはっきりと視認できたのが、ブラウンとライトブルーの迷彩柄ブロック。

遥か遠い空に薄っすらと霞んで見えたのが、赤と黄色の迷彩柄ブロックと、青と黒の迷彩柄ブロック。そして、黒いブロックの計四つだった。


「――もしかして、ジュリアがいたブロック宇宙の黒いブロックが、この島から見えてる?」


 ガクトの問いに、寺之城は頷く。


「そう仮定するとね、この島に残る伝説とリンクし始めるんだ」

「伝説っていうと、この剣か? この世界を支配する悪のドラゴンに傷をつけた唯一の武器だっていう……」


 ガクトは丸テーブルに置いた抜き身の剣――【竜斬剣(スレイヤー)】を(おもむろ)に見つめる。


「おお、学園長からそこまでは聞いているわけだね?」


 それは伝説の一部分だと、寺之城は言う。


「――伝説によるとだね、ドラゴンが支配するブロック宇宙は全部で六つ。そしてそれら六つのブロック宇宙が環状(かんじょう)に並んでいて、その環の中心に【中央世界】なるものが存在しているというんだ」

「あたしがいた地球を襲ったデーモンを、ドラゴンという種族に分類するとしたら、今あたしたちがいるブロック宇宙と、あたしが元いたブロック宇宙は、伝説にある六つのブロック宇宙のうちの二つという解釈もできるわけ。現に、この島から黒いブロックが見えるわけだし」


 寺之城の話に、ジュリアが補足した。


「聞いてのとおり、この島には、いくつものブロック宇宙から転移してきた人たちが集まっています。私自身、ここまでたくさんのブロック宇宙が存在しているとは知りませんでしたが、人が増えるにつれてブロック宇宙の情報も増え、私たちなりの仮説を立てたんです」


 アリーフェによれば、島に集まった生徒たちの情報を繋ぎ合わせ、ブロックを中心にして広がる宇宙を【ブロック宇宙】と呼び、そのブロック宇宙が複数存在しているのではないかという考えに至ったらしい。


「――ただ、どうして宇宙の中心に巨大なブロックが存在するのか、その正体や目的は一切不明なままだがね」


 知的な寺之城も、そこまでは推測できないらしい。


「今のあたしたちに重要なのは、このブロック宇宙を支配するベルリオーズを倒さないと、元の世界に帰れないってことよ。そしてそのベルリオーズは、今ガクトの前に置いてある剣を探してる。剣の存在を悟られたら、きっと襲ってくるわ」


 と、ジュリア。


「つまり、私たちがやらなければならないのは、ドラゴンがいつ襲ってきても対抗できるように、戦う準備を整えること。ガクトさんにすべてを押し付けるわけではありません。島にいる全員ができることをやって、全力でガクトさんをサポートします」


 アリーフェの言に、剣のことで口を挟もうとするガクトだが、彼女の話は続く。


「ガクトさんにはまだ話していませんでしたが、この島の地下には広大な地下ダンジョンがあります。私がまだ幼かった頃に栄えていた古代人たちの手で、ドラゴンから秘密を守る目的で作られたものです」


 かつてこの島に存在した古代人たちが、地下施設を築くことでドラゴンから守り抜いた秘密。それが何なのかはアリーフェにもわからないらしいが、どうやらガクトが持つ剣――【竜斬剣(スレイヤー)】が深く関わるもののようだ。


「僕たちは学園の精鋭を集めて、定期的に地下ダンジョンに潜って調査を続けているんだ。解読不能の暗号や開かずの扉も多く残っていて、まだすべてを解明したわけではないのだが、これまで解読できた情報から推測するに、恐らく竜斬剣(スレイヤー)を使ってドラゴンを倒すための重要な情報が隠されていると見ている」


 寺之城は、できることなら地下に寝泊まりしてでも調査を続けたいと言うが、問題があるらしく、


「――地下ダンジョンへの入り口は島の至る所にあるんだが、北の森に棲息するモンスターの一部がいつからか地下ダンジョンへ入り込んでいてね。そこで縄張りを形成しているものだから、調査に入るだけで危険を伴うのだよ。精鋭を集めて潜るのはそれが理由さ」


 解読不能な暗号に開かずの扉。そこに危険なモンスターまで入ってしまっては、秘密の解明も思うように進まない。


「他にも、食べていくために狩りをしたり、畑で野菜を育てたり、合間に勉強を挟んだり戦闘訓練したりで、いろいろとやること尽くしなのよね」


 と、ジュリアが付け加える。

 集団で生活する以上、大量の食糧が不可欠になるため、生命維持に必要なものを揃えるための時間も要求されるのだ。

 今朝はぶちのめす側とぶちのめされる側に分かれていたが、ジュリアと寺之城は意外と会話の呼吸が合っているかもな、とガクトは思った。


「この島には地球にあるような家電製品と用途が全く同じ道具が揃っていてね。街に繰り出せば必要なものは大抵手に入る。オーブンとか冷蔵庫とかね。狩った獲物はそこで調理したりするんだ」


 と、寺之城。

 かつて栄えた古代文明は魔法が主流で、今でもその魔法技術の一部が残っており、地球で言うところの電気のようなエネルギーが魔法導線を介して島中に行き渡っている。救いなのは、その魔導エネルギーを使って動作する、これまた地球で言うところの家電製品と同じような生活道具が今も機能しており、必要最低限の生活環境が整っている点だという。


「今朝ガクト君に渡したシフォンケーキも、そういった設備で作られたものなのだよ。――ふんぐッ⁉」

「食べ物の恨みは戦争のきっかけになるくらい恐いものだから、覚えておきなさいね?」


 寺之城の脛を蹴り飛ばしたジュリアが、目元に影が差した状態で笑う。


「――は、話が逸れたが、僕たちがやらなければならないことをまとめよう」


 寺之城はジュリアの前から逃げるように立ち上がって黒板の前に立つと、チョークを手にして書き込んでいく。


・ガクト君に学園を案内

・全員分の食料を確保

・地下ダンジョンの調査

・シフォンケーキをつまみ食いしたことの謝罪回り


「こんな感じで手分けして動こうと思います。学園長」

「最後のはあんた一人でやることよね?」


 笑顔を貼り付けたままのジュリアが言ったときだ。


「――ごめん学園長。これだけしか獲れなかった」


 生徒会室に、フードを被った女子生徒が現れた。160センチ弱の平均的な身長。引き締まった身体に学園の女子制服を纏い、その上にフード付きジャケットを羽織っている。


「あらリクさん、お帰りなさい。朝早くから、ありがとうございます」


『ぴゅるるるる』という独特な飛行音をさせてアリーフェがデスクから飛び立ち、フードを目深に被る人物の方へ。


「鳥が全部で五羽。小さく分けても20人分くらいにしかならない」


 リクと呼ばれた女の子は、少し低めのよく通る声で言い、肩に担いでいた布袋を床に置いた。

アリーフェが袋の淵から中を覗く。


「あんたにしては少ないわね。何かあったの?」


 というジュリアの問いに、リクは深刻そうな声で答える。


「――ドラゴンを見た」


 途端、一同の視線がリクへ集中する。


「ふむ……」

「一ヵ月ぶりですね……」


 寺之城とアリーフェが神妙な表情を浮かべた。

 ジュリアが問う。


「大きさは?」

「三メートルくらいの小型。いつもの巡回だと思う」


 リクは学園の食糧難を救おうと、早朝から単身で狩りに出かけ、その先でドラゴンを見たため、長らく身を隠していたのだという。

 竜斬剣(スレイヤー)を見かけたら、その小型ドラゴンが首領へと報告することになっているらしい。


「もしかして、剣の存在をドラゴンたちに気付かれたか?」


 寺之城が眉を寄せて腕を組む。


「剣には柄の部分に4つの宝玉が装飾されてあるのですが、現状、その宝玉はすべて光を失っていて、これは剣が本来の力を失くしていることを意味します」


 アリーフェが丸テーブルの剣の真上に飛んでいき、柄の部分を指差す。


「――何らかの方法で宝玉を光らせて、剣の力を復元する必要があるのですが、恐らくドラゴンが剣の存在を察知するのは、復元したタイミングだと考えています。こうして地下の体育館から地上に持ち出していますが、ドラゴンが来ていませんので」

「誰かが剣を抜いた瞬間に光るものと思ってたけど、まだ何らかの条件を満たす必要があるってことね。――ガクト、条件が何なのか知ってる?」


 ジュリアの問いに、ガクトは肩を竦める。


「悪いけど、俺はなにも。剣のことを知ったのも今朝が初めてだし」


 剣を抜いたのではなく、勝手に倒れたのだと説明するなら今だ、とガクトは口を開こうとするが、


「――ガクトって、そこの青い人? 新入り?」


 と、リクがフードの影から、きらりと黄色に煌めく瞳を向けてきた。


「あ、ああ。マーフォークのガクト。よろしく」

「私はリク。リク・アウストリア。――その触覚、かわいいね」

「え? あ、どうも……」


 サバサバした様子のリクは自己紹介もそこそこに、アリーフェに向き直る。


「学園長。念のため、みんなに警戒態勢を敷くように言ったほうがいいと思う」

「そのドラゴン、あたしがパワードスーツでひとっ飛びして倒しましょうか? あの子、音速で飛べるから、逃がすことはないわ」


 ジュリアが言った。飛行可能なパワードスーツなるものがあるらしい。

 アリーフェが言っていた、空を飛べる唯一の人物――それはジュリアのことだろう。


「ここは、あまり刺激しないでおきましょう。倒した報復に、群れが襲ってくる可能性もあります。ジュリア防衛隊長は戦闘班に通達して、見張りとパトロールの人数を増やしてください。いつもは二人一組ですが、今回は三人一組とします」

「了解よ、学園長」


 と、頷いたジュリアが生徒会室を出ようとしたときだった。


「――学園長! 今日の朝礼出られなくてごめん!」


 赤いショートカットの髪を靡かせて、また一人の少女が入ってきた。

 背は160センチ台で、程よく筋肉のついた身体はスポーツが得意そうな印象だ。


「学園祭ライブの準備に手こずっちゃって! あと、警報も鳴ったんだって⁉ 演奏が爆音すぎてそれにも気付かなくて……」

「おはようございます、貫倶錬(かんぐれん)さん。警報は寺之城くんが皆さんの反応速度を見るために鳴らしたもので、大事はありません。それに、あなた達の頑張りはみんなわかってますから、大丈夫ですよ」

「ほんっとごめん! 次は気を付けるから!」


 と、赤毛の少女は顔の前で合掌する。人間が謝るときにする仕草だ。


「おはよう、貫倶錬君。今朝は見ないと思ったら、そういうことか――」

「具合でも悪いのかと思って、あとであんたの部屋に行こうと思って――」


 寺之城とジュリアが同時にしゃべった。


「被せてこないでよ! 歌姫(うたひめ)が聞き取れないじゃない!」

「お、同じタイミングで話し出したのはそっちだろう」


 ジュリアが寺之城を睨みつけ、寺之城は威圧感に気圧されて仰け反る。


「大丈夫。音楽やってるし、聞き取りは得意だからね」


 赤毛の少女は白い歯を見せて微笑む。彼女の名前は貫倶錬歌姫(かんぐれんうたひめ)というらしい。人間より聴覚に優れるガクトも難なく聞き取れていた。

 ガクトが歌姫の美しい笑顔に思わず見惚れていると、その視線に気付いた彼女と目が合った。


「あれ? 見ない顔。もしかして、新しく来た子?」

「ええと、俺はマーフォークって種族の、ガクトって言うんだ」


 ガクトが名乗ると、歌姫は眉を広げて明るい表情を見せる。


「やっぱりそうなのね! 小さい頃に絵本で読んだイメージのままだわ! 青くて綺麗な肌!」


 どうやら、歌姫はマーフォークという種族を知っているらしい。

 肌の色を褒められた経験のないガクトは、どう反応していいかわからずたじろぐ。


「わたしの名前は歌姫。この学園でバンドのボーカルをやってるの。よろしくね!」


 眩しい笑顔で手を差し出す歌姫。これは人間がよくやる挨拶の作法で、握手というものだ。


「よ、よろしく」


 ガクトは顔が熱くなり、歌姫を直視できず手だけを差し出した。


「すごい! 指の間に水掻きもあるのね!」


 歌姫の温かい手が、ガクトの手を優しく包んだ。思わず俯くガクト。


「――どうしたの? どこか具合でも?」

「いや、なんでもない。こ、こちらこそよろしく……」


 たじたじのガクト。


「あ、そうだ……」


 ここで歌姫は、胸の前で両手をもじもじさせて、申し訳なさそうな困り眉になった。

 そして、ちらちらとアリーフェを見つめる。


「どうかしましたか?」


『ぴゅるるる』と、同じ目線の位置まで飛んできたアリーフェに、歌姫は上目で言う。


「じつは、一つ相談というか、お願いがあって……」

「私にできることはなんでも協力しますよ?」


 と、アリーフェ。

 恥ずかしそうに、歌姫は言った。


「――おなか、すいちゃって……あはは。ごはん、いっぱい食べたいなぁ、なんて……」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ