1話 雨木涼介の第一歩
暗闇の中、幾度となく自己否定に明け暮れた。今考えても暇だったんだと思う。
親の悲しむ目を何度も無視した。それでも変わろうと思えないのは仕方のないことだ。
そんな残念な俺にもやりたいことが見つかったのはいつだっただろうか。無理だ無理だと何度も否定したが死ぬことだって出来ない。ならば死ぬ前の足掻きで挑戦してみようと思った。
哀しきかな、こんな二年もの時を経てようやく動き出すのは、そんな勢い任せの動機だったのだ。
高校卒業をして三年目の春、成人式で影のように扱われた俺はようやっと大学生になる。志望は教育、将来の夢なんて言ってられる年齢ではないんだけど、まあなりたいものとしては、学校の教師だ。
入学式は体育館で行われた。校門を跨いで桜並木を右手に直進すると大きな列が出来ていて、みんなカチカチのスーツ姿で「似合わないな」と素直に思った。
そりゃそうだ、ほとんどが二年年下な訳で、高校生なら最上級生と最下級生に値する年齢差だ。
巷じゃ名の知れたFラン大学で、名前を書けば合格できるなんて揶揄する者もいるが、その通りだと思った。みんな根暗そうな、オタクそうな、さぞ日陰者だっただろう新入生で溢れ返っていた。
俺も俺で、引きこもってたにしては生まれつき身長が高く、自分を変えようだなんて茶色に染めた髪はその成果にはならず無残に色落ちし残っていた。
それはそれは浮く。Fラン大学ならもう少しヤンチャしてそうな奴らが居てもいいものだと思うが、結果として全体のほんの数割程度しかそんな奴らはいなかった。
そりゃそうだろう、Fラン大学とは言え教育学部だ。ヤンチャ系は高校卒業と同時に就職するか、行っても他のFラン大学にでも行くのだろう。教育系の資格を取ったところで彼らはそれを使えないのだから。
そんなことを考えながら俺は一人大学構内にたった一つだけ設置されている喫煙所で、父親を隣にしてタバコを吹かしていた。
父親は嬉しそうにしていた。数年と引きこもってた息子が変わったと思っているのだろうが、申し訳ない。俺は何も変われていないよ。
「じゃあ父さんは先帰るからな」
「あいよ」
軽い返事をして父の背中を目で追った。この後は生徒のみのサークル紹介やら授業案内、施設紹介とか色々と説明を受ける時間になる。
面倒臭いなぁ。
このまま帰ってやろうかな。
そんな子供みたいな反発心を胸の奥にしまい、もう少しだけ踏ん張ろうと体育館へと足を戻した。
「あ、あのぉ…」
喫煙所を出て少し歩いたところで、俺を呼んでいるかのような女の声に、ふと振り返る。
俺を?まさか。間違っていたら校舎でも見回すフリをしよう。
「あ、あの、体育館ってどちらですか…?」
女子にしては少し短いような茶色の髪をなびかせて、初々しくスーツを着ている女は、間違いなく俺の目を見て喋っていた。
「ここを真っ直ぐ行って左。あの校舎の裏」
「ああ!やっぱり反対でした!すいません!」
慌ただしく女は駆けて行ってしまった。
同じくスーツを着た新入生である俺に聞く内容じゃないような気もしたが、そうか、俺が年上に見えて在校生か先生だと勘違いしたんだな。
まあ新入生だとしても一度行ってる場所だから難なく教えることは出来たが、タバコを吸う生徒以外は体育館で待機しているはずだから、間違えるのも無理はない。
俺もそろそろ急がないとな。
翌日、高校生では考えることも億劫になるだろう90分の専門科目の授業が開始された。
俺は必修と取りたい資格の最低限を選択し、無理なく通おうと計画表を提出していた。
しかし、朝早いのはやっぱり厄介だな…。
俺を送り出す母の嬉しそうな目を見ると、どうしても逆らえなくなってしまう。
俺にだって罪悪感の感情くらい芽生えるのだ。
先生の個人的な意図がなければ自由にどこの席にでも座れるため、俺は一番後ろの角の席に決めた。
高校ではクジ引きでの座席決めのため、後ろから誰かに見られる感覚が本当に嫌だった。
ボッチ感丸出しではあったが、自分の中では心から落ち着けた。別に友達を作りに来たわけではない、俺は資格を取りに来たんだと、自分に言い聞かせた。
授業も、聞いているだけなら苦ではなかった。先生の念仏みたいな声に眠気を誘われることも少なくはないが、寝てしまっても別段怒られることもない。
単位さえ取れればいいのだ。
周りはグループがチラホラと出来ているが、やはり俺に話し掛けてくる奴はいなかった。
そりゃそうだ、一人浮いたように明るい茶髪、中休みには必ずタバコを吸いに行き、どう見ても年上を思わせる顔付き、好き好んで話し掛けられるわけがない。
「あー!やっぱりそうだ!」
ほらな、今もこうして俺を挟んで女子がグループを結成して話し始める真っ只中だ。俺を挟むな。
と、思っていたのだが。
一人携帯に集中して、ボッチを極めた俺の机を叩いてくる女がいたのだ。
「あの!昨日体育館の場所教えてくれた人ですよね!」
昨日と言う言葉に引っかかり目を上げると、昨日慌ただしくしていた女がいた。私服になると随分と印象が違って見えた。やっぱり若いな。
「教育学部で一緒だったんですね!昨日はありがとうございました!」
「別に、いいよ、そういうの。聞かれて、知ってたから教えただけだし。誰だって同じことをする」
「ま、まあ…そうですよね…。私、慌ただしくて、昨日も入学式の時間、間違えてて、あなたのことも先輩だと思ってました…へへ」
やっぱり。慌ただしいのは知ってるし、時間のことは聞いていない。俺にはコミュ力がないんだ。女子とまともに会話なんて何年振りだと思ってるんだ。
「そうだ!友達になりませんか?あ、同い年なら、敬語もやめるね!へへへ、大人っぽいからつい敬語で話しちゃってたよ。私は風見唯!」
同い年ではないんだけどな、グイグイ来るな。まあボッチ回避できるならそれに越したことはないんだが、ちょっと負担というか、人との会話は疲れる。
「俺は雨木涼介。まあ、同級生ではあるけど実際同い年ではないよ。俺、今年で21だから。でも敬語なんてなくていいよ、同級生だし」
それに、敬語を使われるような人間でもない。これは心の中だけで言っていることだが。
年齢に関しても黙っててもよかったが、なんとなく後々面倒臭そうだったから暴露しておこう。
「わわぁー!やっぱり年上だったんだ!大人っぽいもんね、雰囲気とか!雨木くん、よろしくね!」
そのまま風見は自然と携帯を差し出し、アドレス交換をした。今まで、家族と、地元の今でも話す奴以外の連絡先しかなかった俺の携帯には、驚くことに二個下の女の子の連絡先が追加された。
交換するなり「あ!授業始まっちゃう!」と可愛らしい筆箱が置いてある席に戻るなり、風見は俺に振り向いて小さく手を振った。
まったく、俺じゃなければ勘違いをするぞ。と、照れながらも小さく手を上げて返事をした。