田舎娘と赤色の恋
じたばた、じたばた。
晴れ渡る空の下、踏み固められた地面の脇に、一人の少女がいた。
年は幼く、一桁か二桁かといった所。清潔なワンピースに袖を通し、重くてどかせず道端に放置されたのだろう岩の上に座って、道をぼうっと眺めながら足を揺らしていた。
さも退屈そうに、じたばたと。
「う~ん……」
上を見上げれば、青々と透き通る天井に飾りつけの白が映える快晴が広がっている。眩しい日光を防ぐために掲げた掌以外に、美しい景色を遮るものは何もない。
そこは、そんな遮る建物すらないくらい若くて、小さな村だった。
少女は面白みもない景色にも飽きたのか、小さな体を起こして伸ばす。
「――う~~~~んっ」
時々、好奇心に突き動かされた村人が楽し気に横切ってどこかへ行くが、それは少女にとってはどうでもいいらしい。彼らを目で追うこともなく、腕を組んで唸って、ちょっと面倒なことになったかも、と呟いていると、
「ん?」
がさり、と何かが草むらの向こうに隠れたのを聞いた。
少しだけ待っていると今度は、ひょこりと頭を半分出し、こちらをじっと見つめた。
(ふぅん……)
どうやらこっそりこっちを窺っているつもりの様だ。
だったら、と少女はまず適当に石ころを拾い始める。
見物人の疑問を無視して手に入れたのは、彼女の掌よりも小さくて、形が丸まったものばかりを三つ。そして片手に集め、それを「よっ」と上に放り投げた。
石は顔よりも高く飛び、放物線はいつまでも描き続ける――つまりは『お手玉』だ。
「「うわあ!」」
歓声と共に小さな頭が茂みを突き破った。
何の変哲もない石が少女の巧みな手さばきによって月のように宙を舞う様。
辺鄙な場所に住む彼らにとってこの曲芸は初めての光景だったのだろう。まるで魔法を目にしたかのような目付きで食い入るように見つめていた。
そして、その一つが一際高く――――飛んだ。
今までで一番高く。
大人の背丈よりも。
屋根よりも。
いっそ空に届くんじゃないかと思うくらいに、小さな月は昇っていき、
「「え?」」
からん、ころり。
やがて石は落下して地面を転がった、さっきまで少女がいた岩の上を跳ねてから。
「あれ?」「どこいったの?」「なんで?」
予想外の展開に、茂みに潜んでいた子供達は慌てた様子で現れる。目にした怪現象について口々に呟きながら、消えた不思議な少女の行方を追ってきょろきょろと周囲を見回した。
すると、耳元から、
「ばあ」
「「っ――うわああああああああああああああああああ」」
振り返ると、目の前には消えた少女の笑顔があった。
突然真後ろから現れた彼女に、ある子は腰を抜かし、ある子は木々に逃げ隠れ、ある子は「置いてかないで」と泣き出してしまう。
「あはははは。取って食べたりなんてしないよ」
高く投げた石に気を取られている内に、遠回りして逆に茂みの裏に隠れていたのだ。
大丈夫大丈夫、と陽気に笑う少女の顔を子供達は恐る恐るつついて、代わりに「うりうり」と鼻をつままれて、叩き返して、やっと生身の人間だという事を納得する子供達。
改めて、
「はじめまして。私はクー、ちょっとこの村に通りかかったんだ」
「ヴィル」
「ラム」
「ニック」
クーと名乗った少女は、一人ずつ名前を指差し確認をしていく。
それから真後ろに振り返って、
「それから、あそこにいる元気がない子は?」
「「リグ!」」
子供達が揃って、茂みに向かって叫んだ。
そこでは、みすぼらしい納屋の陰から見守っていた男の子――リグが、浮かない顔を驚きに変えながら転んで、自分に元気よく手を振っている見ず知らずの少女に困惑していた。
◆
リグは、ヴィル達とよく遊ぶ村の子供の一人らしい。
「だれかに話そうと思ったんだけど、へんな人と話してたから……」
「変な人?」
首を傾げると、クーに四人の視線が集まった。
「私って変?」
揃って頷く三人に「うっ」と口ごもるリグ。
なるほど、とクーも続いて首肯して。
「ふぁ、ふぁにするふぉ!」
あはは、こやつめ。
代表して頬っぺたをみょんみょんとつねられたリグは全身で猛抗議するが、朗らかに笑うクーには痛くも痒くもなく一方的に遊ばれるだけ。
「それで何を聞こうと思ったんだ、リグは」
解放してやると、リグは少しの間だけ周りの仲間に迷いの眼差しを送っていたが、やがておずおずと話し始めた。
「お姉ちゃんの様子がおかしいんだ」
どうやらリグには、エリーという五つ離れた姉がいるらしい。
一度会ってみようというクーの提案に、早速五人は教会の近くにあるらしい姉弟の家に向かう事になった。
道すがら。のどかな村の日常の中を歩きながら、一番前に出て道案内しているヴィルが、拾った枝で地面を叩きながらこう尋ねる。
「クーはあそこで何してたんだ?」
「ただの暇つぶし」
「ひまつぶしぃ?」
訝しげに横顔を眺めるヴィル。
すると唯一の女の子が後ろから声をかけた。
「ねえ。さっきの、こう……石をずっと投げてたの、どうやったの?」
ラムは歩きながら何度目かの挑戦をしていたようだが、うまくいかなかったらしい。さっきまで宙を浮いていただろう石ころが地面を転がり、不満を露わに眉が八の字に曲がっている。
「お手玉のこと?」
「『オテダマ』?」
「そう、お手玉」
他の子も足を止めて見様見真似でやってみるが、うまくはいかない。
「練習あるのみだよ。最初は石の数を一つ二つから始めてコツをつかむんだ」
見てて、と言ってクーも適当な石を見繕って、再びそれをやって見せる。
ひょい、ひょい、ひょい。
先程みせたものよりもより複雑に、自在に。上下左右に飛び回る石ころ達。
数十秒ほど実演して、最後に全ての石ころを両手に収めてから「おしまい」とお辞儀すると小さな拍手が鳴り響いた。
「毎日退屈で。ずっとやってたらできるようになっちゃって」
そう言って大げさに肩をすくめるクー。
「じゃあクーは、はたらいてないの?」
「もちろん働いてるよ」
「うそだ。はたいてたら何でひまなのさ」
「そうそう。それにクーの手、すごくきれーだもん」
掌を見せびらかす子供達の手は毎日の労働のおかげで、擦れて皮が硬く、厚くなっていた。対してクーは、まるでクワの一つも持ったことがない様なそれ。
「私の仕事は畑を耕すことでも、パンを作ることでもないからね」
じゃあなんなのさ、と子供らが聞くと、クーは追及を逃れるようにステップを踏んで一足先に走り始めた。
目的の場所までは、汗もかかない程度の距離だった。
二頭立ての二台の馬車がとまった教会と、その向かいに立つ小さな木造の住居。
どちらも真新しい建物だ。
教会は妙に騒がしく、何やら村人が物珍しそうに集まっている。その隙にクーは家の陰にそそくさと近づいて隠れると、子供達も楽しそうにそれに倣った。
ガラスのない窓から、質素な内装が覗いて見える。手前にキッチンが備わった一部屋。奥には、暖炉と、丸いテーブルと、何脚かの椅子と、
「お姉ちゃんだ」
姉のエリーはテーブルに座って、ちらちらと外を眺めていた。
聞けば普段、エリーはこの時間は夕食の準備をしているはずだという。しかし食材を煮込む熱気も、食欲を誘うような香ばしい匂いもしない。
「最近ずっとこうなんだ……。ぼうっとしてて、なんだか眠れないっていってて。でも聞いても教えてくれないし」
「何かのビョーキか?」
「なんだかまるでアクマにとりつかれたみたい」
「ど、どど、どうしよう……!」
勝手に議論を繰り広げて当人を戦々恐々させる子供らを余所に、クーは彼の姉を観察した。エリーは両手にカップを持っているが口を付けている様子はなく、代わりに教会の方にご執心の様子。
赤い横顔とせわしない挙動を見て、
「ふぅん……なるほど」
「何か分かったの?」
もちろん、というとヴィルは一笑。気に入らないとばかりに、
「クーみたいなちんちくりんに何が分かるんだよ」
「分かるさ。少なくともみんなよりも年上だし、長く生きてる。でしょ?」
胸を張って背の高さを見せびらかすが、どんぐりの背比べだった。
「俺らとほとんど変わんないじゃんか」
「目に見えるものがすべてとは限らない」
「じゃあ当ててみろよ」
挑発的な言葉だが、クーは優し気な笑みでいう。
「安心して、リグ。お姉ちゃんは大丈夫だよ」
「本当?」
「ああ、本当さ。これは病は病でも、恋の病だからね。きっと想い人は彼女が見つめているあの教会にいる誰かだろうね。だからああやって、こっそり教会を見張ってるんだ」
自信満々にいうクーに、ヴィルはけらけらと笑う。
「何かおかしい?」
そう尋ねると、子供達は顔を見合わせて、少し申し訳なさそうに答えた。
なんでも教会で働いてる男は冴えない中年の神父だけ。あとは修道女が数人いるのみで、そんな男がいるわけがないとか。
「それは分からないよ。たまたま今教会に来ている誰かかもしれないし、本当に神父なのかも。そうだ。私達だけで考えるよりも、もっといい方法がある」
「何?」と子供達が聞くよりも早く、クーは行動に移した。
よっと窓枠に手をつくなり勝手に家に入り、堂々と詰め寄ったのだ。
「やあエリー。私はクー、話はリグから聞いたよ。今君は恋してるね? もし私でよければ力になろう。相談に乗るよ」
「えっ、あの、その……」
クーが手を取ろうとすると、エリーは突然の来訪者に驚いたのか、人知れずしていた覗き見がばれた事が恥ずかしかったのか。椅子を倒して立ち上がるなり、何も言わずにクーの横をすり抜けて家を飛び出していった。
その光景を、クーは淡々と説明する。
「図星だったね」
「いや、急に変なやつがきたから逃げたんだろ……」
◆
それから五人はしばらく辺りを探し回ったが、結局エリーは見つからなかった。
詳しい話を聞くと、エリーの症状は教会にさっきまであった馬車が来てから。
つまり、つい二日ほど前から続いているという。
それぞれキャリッジとワゴンと呼ばれる二種類は用が済んだのか今はもうなく、クー達はエリーの捜索を諦めて家の壁にもたれかかって到着を待つことにしていた。
誰ともなしに「なんだったんだろう」と呟くが、リグはまだ戻ってこない姉を心配しているのか口をつぐんだまま。クーは「さあてね」と朱に染まりつつある西の空を見上げる。
「でもあの馬車で来た誰かに関係あるのは間違いないさ」
「のってたのは男の人と、女の人と、それから女の子が二人だったとおもう。たぶん」
「新しく村にきた家族?」
「教会に来て、それからまた教会の前に馬車をとめてたんだ、多分聖職者か信者なんだろう。その乗ってた男がエリーの想い人ってことは?」
「でも神父よりもずっとおじいさんにみえたけど……」
「あるいは馬車が二台なら御者も二人いるはずだ」
「じゃあきっとその人よ」
気付けば、馬車だけでなく人影もすっかり消えていた。きっと村人は自分達の生活に戻ったんだろう。ただその噂話を聞くところによれば、どうやら何か教会で揉め事があったらしく、今もなお尾を引いて教会から慌ただしい声が聞こえ続けていた。
「教会について何か知らない? 特別な儀式があるとか」
「そういえば、今日は『大事なお祈り』があるからいっちゃダメだって」
「じゃあその人達はそのために来て、だけど馬車の準備をしたものの何かトラブルがあって出発できなかったのかもしれないね」
「トラブルって?」
「例えば……お祈りする本人がいないとか?」
おどけた口調に「そりゃ大問題だ」と子供達は笑った。
クーは立ち上がり、体を上へ伸ばす。
硬くなった体をほぐし、ん、と小さく声が漏れだす。
「もういくよ、そろそろ日が沈みそうだし」
それに、私達がここにいたらお姉さんも戻りづらいだろうし。
そう付け足すと、リグは軽くはにかんだ。
「……今日はありがとう、クー」
「気にしないで。それから、最後にもう一つだけお節介。今日は安心して休んでいいよ、とお姉さんに伝えておいて」
「どうして?」
「少なくとも今夜中に出ていくことはない。『大事なお祈り』なら慌てて夜にやるとも思えないし、明日の朝なら出発は早くても昼前になるだろうからね」
暗くなれば馬車は出ない。馬にも睡眠は必要で、普通ならわざわざ月明かりだけを頼りに暗い夜道を出歩く危険は冒さないからだ。どれだけ信仰心が深くても、神は平等に試練を与える。
だから、とクーは続けて、
「もしお姉さんが教会に来た人達に話があるなら、その明日の昼前までに行くといい。ただ、次またここに来るのは当分先かもしれないから、何か贈り物をするといいかもね」
「おくりもの?」
「そう。物はなんでもいいから。男は女の子からの贈り物に弱いんだ」
それにもし相手にその気があれば、きっといつまでも大切に持ち歩いて贈り物を見るたびにエリーの顔を思い出すだろうから。
翌日。
馬車は予言通り、昼前の出発に合わせて教会の前にとまっていた。準備は万端、仕事前の雑談とばかりに御者達が馬の調子を見ながら他愛もない話をしている。
そこへ唐突に、軋みと共に教会の扉が開かれた。
現れたのは年老いた黒衣の神父率いる若い一行だ。彼を先頭に修道女が両脇を挟み、それから、きっと特別な人なのだろう。まるで割れ物を取り扱うかのように、祭服を纏った幼い少女が三人に守られながら連れられている。
少女らはキャリッジの扉を開ける老神父に従って、ゆったりとした動作で、仏頂面をした村の神父に見送られながら乗り込もうとしていた。
――行かなきゃ。
そう思ったと同時に、エリーは駆け出した。
両手で大切な物を抱えるように、少女らに向かって。
突然の事に、慌てて一番近くにいた御者が間に入って止めに入ろうとする。だがいつの間にか隣にいた祭服の少女がそれを片手で制止した。
やがて走りは歩みへ。
一歩前に出た彼女の前で立ち止まる。
乱れた髪を気にする余裕はなく、堪らず、呼吸を整える前に口を開いた。
声は震えていた。
「あ、ありがとうございま、す……」
「気にしないで。それよりも、それを早く渡してあげて」
そう言って少女は道を譲った。
エリーは俯いた顔が微熱にうなされるのを感じながら、実行した。
その相手は誰になるだろう。
どちらの御者か、老神父か、あるいは村の神父か、あるいは……。
そう少女が考えを巡らせている内に、エリーの足はぴたと止まった。
戸惑いを見せる当人に、こくりと頷く。
そして何も言わずに押し付けるみたく渡して、エリーは頭を下げるなり逃げ去るように帰って行った。
ばたん、と扉の音と共に、止まった時が動き出す。
なんだったんだ。事情を知らない面々が口々にいう中、
「これって、どういうことなの……?」
事情を知っていながらもそれ以上に姉の行動に戸惑っている弟達が、物怖じせずに少女の元へ駆け寄って尋ねた。相手の両手には、いましがた手渡されたばかりのものがある。
エリーから受け取ったのは、その少女だったのだ。
少女は複雑な表情で、
「あー……きっとお姉さんには、私達には予想もつかない、ふかーい事情があるんだよ」
意味が分からない、といった風な子供達に、少女は苦笑。
「まあ、しばらくはそっとしといてあげて」
「うん、分かった」
一人がいう。
「お姉ちゃんは何者なの?」
「私? 私は怠惰で退屈な、ただの旅人だよ」
そういって少女――クーは、帽子の影から笑みを覗かせた。
◆
揺れる馬車の中で、年長の修道女が口を開いた。
「何だったんですか?」
「敬虔な信者からの贈り物」
「へえ……あの神父中々すごい人なのね。教会建てたばっかりなのに」
「こら。――それで、何を貰ったんですか?」
そういってクーが見せたのは、
「りんご?」
「そうみたいだね」
神妙に見つめる先、小さな両手には赤々とした果実が収まっている。
それはつまり、エリーが窓から眺めていたのは教会にいる誰かではなく、教会にいるはずの人間だったという事で、
「まさか私を探していたとは……」
どうりで出会ってすぐに逃げ出した訳だ、と一人勝手に納得しているクー。その横で何のこっちゃと顔を見合わせる修道女が二人。そのうちの年下の女の子が、
「食べないの? なんならあたしが貰っちゃうけど――」
と手を出して、ぴしゃり。
あう、と打たれた手をさすりながら顔をしかめた。
「……何でよ」
「ダメですよ、リナリア」
「でもフィオラ、コイツ食べる気なさそうだし」
再びぴしゃり。
今度は悲鳴が上がった。
「いったーい!」
「『コイツ』じゃありません。自分の立場をわきまえなさい」
優しい声ではっきりと諭すフィオラに、リナリアは不満を隠そうともせず膨れっ面だ。
その様子をクククと呑気に笑うクーをしばらく親の仇のように睨みつけると、やがて隣で微笑をたたえる彼女を気にしながら三度目の叱責を受けないように、慎重に言葉を選ぶ。
「それで。クー様はそのリンゴをどうされるのですかー……?」
それが問題だった。
エリーには『形に残るもの』という意味でアドバイスを送ったつもりが、実際に贈られたのは食べ物だった。食べ物の使い方の大部分は『食べる』なので、このままでは全て胃に収めるしかないのだ。もっともリナリアが聞きたいのはそんな当たり前のことではなく、自分で食べるのか、分けてくれるのか、という意味なのだろうが。
悩んだ末、
「仕方ない。大切に持ってても腐っちゃうし」
結局、クーは『食べる』を選んだ。
そしてリンゴはなくなった。
「あれ?」
ひょいと、取り上げられて。
「その前に、クー様?」
「なにかな?」
かじりつこうとして空ぶった姿勢のまま見つめ返せば、リンゴを手ににこりと笑うフィオラがいる。
「何か言うべきことがありませんか?」
「うん? なんだろう。……『いただきます』?」
さも思い当たる節がありませんといった風に聞き返すクーに、リナリアはやれやれとため息をついて狸寝入りし、フィオラは語気を強めて、違います、と。
「神父様、カンカンに怒ってらっしゃいましたよ」
「ひどいなぁ……私はちゃんと大人しくしてたさ」
「いいえ。『お部屋で大人しくしていてください』とお伝えしたにもかかわらず勝手に抜け出したのは分かっております。おまけに神父様の大切にしていらっしゃった壺も壊してしまい、更にはお祈りも放り出して日暮れまで遊びに出かけていた言い訳を、是非お聞かせ願えますか、巫女様?」
ああ、とクーは悟った。
全く怒っていませんとばかりに笑顔を見せつつも淡々と糾弾している彼女を見て。
これはとてつもなく怒ってる時のフィオラだ、と。
クーは冷静に窓をノックして、御者にこういった。
「ごめん、ちょっと止めてくれる? 急ぎの用事を思い出したんだけど」
「ダメです、止めないでください、巫女様は只今ご乱心なのです。はあ。向こうの神父様を誤魔化すのがどれだけ大変だったか、説得するのにどれだけワイズマン神父が苦労なされたか……巫女がお祈りをサボタージュなんて聞いた事ありませんよ……」
「じゃあ自分が一人目だね」とは口にしない。いえば修行の一環と称して断食でもさせられるかもしれず、仕方なくクーは正直に理由を告げる。
「だって……あの部屋、本の一冊もなくて退屈だったし」
「言い訳はお聞きしません。罰として次の村に着くまで聖典の暗唱をしていただきます」
「じゃあリンゴは?」
「暗唱が終わるまで私達でお預かりします」
そんな殺生な!
しかし有無を言わさぬ威圧感で「さあどうぞ」と促されて、クーは渋々従うしかなかった。
「ワカリマシタ……『世界には森と闇があった。森は神の住まう母なる家、闇は――』」
後続のワゴンでは、やっと収まった姦しい響きにワイズマンと御者が肩をすくめる。
クーは、一言一句覚えているそれを唱えながら、思い出す。
まさか新しい人生がこんなに退屈な物だったなんて、と。




