好きなヒト
私、菊花はダーリンたるほのちゃんとはデキ婚である。
きっとそうでなければほのちゃんは私をパートナーには選ばなかった。そうだと知ってるだけである。就職決まって研修やら実務やらで半年以上、うちあげでちょっぴり絡まれたことを大袈裟に愚痴って襲ったのがきっかけ。お酒の勢いって言い張ったけど、私はその日ほとんど飲まず酒の匂いだけをはりつけていた。
愚痴りながら飲んだのだって軽いチューハイ缶でしかもフルーツジュースで割っていた。
つまみを出すと言って席を外そうとしたほのちゃんに強引に迫った。
嫌われているわけでもないって知ってたから。むしろ好意的に対応してくれてると知ってたから。私はそれを迷わず利用した。
卑怯?
そうかもしれないけど、逃げ道を塞ぎたかった。
一度、きっかけをつくればなんとなくのタイミングはつくれて、じわりと追い詰めてる感じが悪い女気分でサイコーだった。事実婚ぽくして妥協してくれるんじゃないかって期待してた。だって、高校生だったあの頃からずっと私はほのちゃんが良かったんだ。
結婚を言い出したのはほのちゃん。
たぶん、私より早く私の妊娠に気がついて。そんなことに気がつかなかった私は舞い上がるようにしあわせだった。
私の両親はほのちゃんを気に入っていて、ほのちゃんが多少周りとコミュニケーションが苦手でも気にはしなかった。というより、静かに手際よく行動するほのちゃんを信じていた。ほのちゃんは言葉が足りなかったり、口が悪かったり、無愛想だったりするけれど手を差し出してくれることを惜しむ人じゃなかったから。
結婚するまでに一応双方の疾患確認にと健康診断をした時に妊娠がわかった。驚いた私と驚かなかったほのちゃん。
両親は喜んだし、ほのちゃんのご両親も喜んだ。
結婚祝いと子供の祝いだと一軒家をぽんと準備してくれるくらいに。
少しゆとりおおめの二世帯住居。ビニールプールなら広げられそうな庭にガレージとよくわからない倉庫。
職場の人にはちょっと困った顔をされたかも知れない。
私は浮かれていた。
商店街で自転車屋をしていた父はそれをきっかけに営業方針を変えたようだった。細々と修理には店を開けているようだったけれど他にも仕事を探して行ってるようだったから。
ほのちゃんは三男で私が長女だからほのちゃんがうちの名字を選んでくれるという話もどこかほっとした。息子に生まれて欲しいなんて言われたことはないけれど。
仕事は続けられるの? と環境が変わりすぎることを上司が心配してくれてた。産休の話を聞きながら、帰ってほのちゃんに伝えれば、「どうしたいんだ?」とだけ返ってきた。
続けたい。仕事は楽しかった。
「続けたい」
「じゃあ、それでいいだろう」
ほのちゃんが私に応えたのはそれだけだった。
レモン色のドレスを着て正装したほのちゃんの横に立つ写真。ちゃんと式をしてもいいんだとほのちゃんは言ってくれたけど、そこまで無理をさせるのは嫌だった。
私はほのちゃんの本心に自信がないまま結ばれたのだ。強引に、打算的に。
だから夫の協力なんて一部だけのものなのだという情報が増えてきてもその不安を訴える度胸はなく、しかたないだろうとだけ思った。
その間渡されたお弁当もその前にもらっていたお弁当も大半がほのちゃんの手作りだったことを知ったのは産後である。
だって母さんだと思うじゃない。二世帯それぞれキッチンもあるって言っても二階のキッチンは使ってるふうじゃなかったんだもの!
つまり、食べやすいサイズのおにぎりも、好きなはずのオカズも、残したおかずは出現率が下がったのも全部ほのちゃんの気配りだった。
気が利き過ぎじゃないの!?
部屋でこもって仕事をしていることも多くて無関心なんだと沈んだりもしたけど、見えないところでいろいろしてくれてた。そういうほのちゃんだって知ってたはずなのに、不安が止めれなかった。
ほのちゃんが赤ちゃんに興味を持ってないように見えて。
母はそんな私に大丈夫よと笑うだけだった。
ふてくされた私の頭を軽く撫でて「ほとんど家事ができない菊花に文句の一つも言わない人でしょう?」と。
でも、二階の私達の部屋から私気がついたら一階の両親の部屋のそばへ布団が準備される生活だった。実は嫌だと思われてるんじゃないかと思う。
一緒にいてくれない不安を告げれば、軽やかに笑われた。
「あなたそそっかしいから階段が心配だったんでしょう? あなたがゆっくりできるように思ってくれているわ」
両親は気がつけば私よりほのちゃんの味方だった。
きっといろいろ不安だったんだ。
実の両親との同居、家事の分担はほとんどなくて母とほのちゃんが担ってた。
ほのちゃんはもともと在宅ワークの人だったから。妊娠した私と時間を共に過ごすのが嫌なのか閉じこもってばっかりだったから。すごく産まれたらどうなるのか不安だった。
仕事は続けたい。でも、ほのちゃん育児に協力してくれるのかしらって心配だった。
だって、だってそんな話ばかり耳にしていたから。目にしていたから。誰に大丈夫って言われてもうまく心に入ってこなかった。
私の心にきっと押し切ってほのちゃんをはめたっていう罪悪感があったから。
楓が生まれて、「頑張ったな。おつかれ様」って言われて嬉しさでなにも言えなくて、小さく「ありがとう」って囁かれて泣いた。
だってそんなこと言ってもらえるなんて思ってなかった。
退院して一週間。
私が楓のオムツに四苦八苦する十数分間の後、ほのちゃんが出来上がり修正をほぼ瞬時で行い、まぁうまくなったんじゃないって顔で頷く。ほのちゃんにお世話される我が子に嫉妬しそうと母にぼやけば、「あなたもお世話されてる側でしょ」と笑われた。
「もっとお世話覚えたいんだけど?」
「……菊花はまず体調を戻していかないとダメだ。それからだと思う」
出産は病気ではないとはいえ身を割って子供は出てくる。ここで私は恵まれているんだろうなと気がつけた。
結果、二人目の柚にミルクをあげながら思うのは、ほのちゃん、いつもありがとう。愛してるってことだけだったりする。
「菊花、夕食」
ほのちゃんの呼び声にぐずる柚を抱きあやす。
「はーい。今日のごはんなぁに?」
「ごろごろ野菜のミルク煮」
味の薄いメニューだ!
「しいたけの肉炒めもある。味が濃いめだから楓にやるなよ」
「わーい。ほのちゃん大好きー」
「ほら、柚をこっちに」
今度こそもう少し育児上手なママになるぞ!
「仕事はどうなんだ?」
無愛想ではあるけれど、私の行動にだって興味を示してくれる。楓の時には気がつかなかったけれど、妊娠中の私に無関心なわけじゃなく、心配しすぎて過干渉にならないようにって斜めな気遣いみたい。
今だって仕事のこと振るのは大好きな育児を私に干渉されたくないからじゃないかと疑っている。
「せっかくだから資格取得の資料を読んだりしてる」
知ってるくせにと思う。
「気が向いたら楓の寝かしつけ」
「任せて!」
うちの子達は夜泣きしないいい子達じゃなくて私が気がつく前にほのちゃんが……いや、私だってそういうところもお世話したいんだよ。ほのちゃんと母さんが倒れたら私何もできないよ?
不安を読んだように問題低そうなとこ任すんだもんなぁ。
「……よろしく」
いいお母さんめざすぞー。