8
オレンジに輝く太陽によってテニスコートが照らされる。
フェンスには男女関係なく生徒が集まっており、始まりの時を待つ。
コートの中央に二人の男が互いに握手する。
「水谷君、ビビッたら逃げてもいいんだよ?」
「フン、そんな醜態はさらさない」
両者、睨み合ったすえ、自らのポジションに着く。
先行は赤城、ボールをバウンドさせて相手を伺う。
相手はあの水谷。赤城は何としてでも勝ちたい。
やがてボールは宙を舞って停止した後、引力に引かれて落下する。
直後、急激な衝撃によってボールは速度と方向を変化させる。
「おっらぁ!」
赤城は大きく身体をしならせて、渾身のサーブを放つ。
ボールは残像を残しながら水谷のゾーンである隅に向かう。
水谷は動く素振りは一切見せず、赤城に点が入る事を許した。
フェンスの向こうにいるギャラリーは想定外の弾速に感嘆の声を上げる。
赤城はよっぽど嬉しかったのか、どこかで聞いた決め台詞を吐いた。
「……まだまだだね」
「言ってろ」
赤城の元にボールが届き、水谷を見据えて再び強烈なサーブを繰り出す。
二人の立つコートは歓声ともに熱狂の渦に包まれる。
「二人とも凄い上手ですね」
「そうですわね。赤城さんが全力で打ってきているのに対して、水谷様はまだ本気を出してない様子。まだこの勝負、分かりませんわ」
赤城が強烈なショットを放つ。
水谷はそれを悠々と打ち返す。
一球一球が観客を魅了し、
当初水谷一強の声援であったが赤城を応援する声も聞こえて来た。
この勝負の行く末をまだ誰も知らない。
勿論、裏で暗躍していたエリーゼにも。
やがて赤城が水谷に大差をつけて一セットを獲得した。
「水谷君どうだい? もうギブアップするかい?」
「フン、これからだ」
エリーゼの予想通り一セット目は赤城の勝利に終わった。
各自水分補給し、二ゲーム目に備える。
両者共に健在。多少の汗はかいているが、疲労している様子は見せない。
やがて二ゲーム目が始まり、
コートチェンジを済ましてからのスタートとなる。
サーブ権は水谷が持つ。
「ほらほら、さっさと打ちなよ」
赤城はラケットをしっかり握り、サイドステップで挑発する。
対する水谷は挑発に乗る事なく冷静にコートを見渡す。
彼は手に持ったボールをしばらく見つめたあと、
フッと息を吐いてサーブを放った。
心地良い音を響かせて放たれた球は赤城の股を通り抜けてバウンドし、
ライン外へ飛び出た。
「へ、へぇ~。水谷君も粋なことするんだね」
彼はボールを受け取った後、頬を上げて「まだまだだな」と呟いた。
それ以来赤城は防戦一方を強いられた。
彼の華麗な戦略によって、赤城は左右前後に走らされ苦戦させられた。
結果、終盤になってからペースを取り戻せたが二ゲーム目は水谷の物となった。
一ゲーム目、二ゲーム目、勝敗、展開、
今のところ全てはエリーゼの記憶通りである。
本当の勝負はこれから。
エリーゼは張り裂けそうな思いを閉じ込めて試合を見守る。
「おらぁ!」
赤城の怒声と同時に三ゲーム目が始まる。
守りに必死だった時とは変わり、攻守バランス良く臨んでいる。
余裕を見せていた水谷は体力的に厳しいのか額に大粒の汗を流す。
しかしそれは赤城も同じ。
先ほど走らされた影響で動きが少し鈍くなっている。
二人の疲労度はピークに迫ろうとしていた。
ふとエリーゼは春香の横顔を盗み見る。
春香はわぁ、と楽しそうにボールを目で追いかける。
わたくしは自分の未来や人生の為に赤城が勝ってほしいと思っていますわ。
ですが春香、貴方は今誰を応援していますの?
あなたを守るために戦う水谷?
あなたを好きだと言う赤城?
もしかしてあなたはすでに恋をしていますの?
“海辺に立つ君へ”で主人公が恋心を抱く描写はまだまだ先のはずである。
しかし確証は無い。
貴方の描く未来にわたくしはいるのかしら?
どうか、どうか貴方の瞳に水谷と赤城だけでなく、わたくしも映して欲しい。
エリーゼは春香の手を握ろうとしたが、寸前のところで止めた。
彼女は目の前で繰り広げられる光景にただ、ただ目を輝かせていた。
二人の闘いは熾烈を極めていた。
水谷が放つ渾身のジャンピングスマッシュ。
しかし腕力で勝る赤城はこれを難なく打ち返す。
ボールはネットの上を何度も何度も往復する。
策略の水谷。強打の赤城。
二人が作りだすラリーは異質な物であった。
左右上下に満遍なく打ち返し、赤城のスタミナを奪う水谷。
対して赤城は返ってくる球を、無策だが全力で打ち返す。
一見このラリーは水谷が有利に見えるが、そうではない。
赤城の単純な強打を打ち返すにはそれなりの力量が必要であり、
ラケットを握る腕には相当の負担がかかっている。
つまり、両者には同程度の割合で疲労が蓄積されていた。
「水谷君、きみぃ、なかなか、やるねぇ」
「お前も、な」
二人は大量の汗に濡れ、酸素をより多く吸収しようと肩を上下させる。
取っては取られての激戦。
気が付けば両者の得点はデュースとなっていた。
ここからはポイントを二連取した方が勝利となる。
どちらも余裕は一切なく、緊張状態で挑む。
「やっぱり本当だったんだな……」
「何の話だ?」
何を言ってるのかしらあの男は!?
わたくしとの協力がばれたら大変ですわ!
思わずエリーゼは赤城を睨む。
「いや、こっちの話さ。それよりも水谷君。君と勝負していて分かった事がある。それはね……君の弱点、さ!」
「フン、ハッタリのつもりか? さっさと打ってこい」
「まあまあそんなに焦るなって」
エリーゼと赤城は同じタイミングで目を合わせた。
どうやら考えていた事は同じようだ。
エリーゼは瞬きを利用してモールス信号を送った。
パチパーチ・パーチパチパチパーチ・パーチパーチ。
( イ ・ マ ・ ヨ )
赤城は合図を確認した後軽く頷き、相手に顔を向ける。
「そんなに余裕でいられるのも今のうち……だっ!」
赤城のラケットから一直線にボールが飛ぶ。しかし打ち返される。
赤城も負けじと打ち返す。
数度のラリーの末、ついに好機が訪れる。
「この瞬間を待ってた! そしてこれが君の弱点さ!」
水谷は気づいてしまった。自分の左側のゾーンががら空きであることを。
赤城は全神経を集中させ、狙ったコースへ行くように叩き込む。
打ちだされたボールは手薄となっていた左側のゾーンへ向かう――と思われたが、なぜか水谷の方へ向かった。しかも股間を明らかに狙ったように。
しかし、水谷は易々と打ち返してポイントを自分の物にした。
赤城はしばし立ちすくむ。
「な、なんであの球を打ち返せたんだ? 実は嘘だった? しかしあの話は本当だったし……」
赤城は放心しながらも小言を呟く。
エリーゼは赤城の行動に疑問を感じていた。
タイミングも球速も完璧。ではなぜあんな所に打ったのか?
その疑問は彼の発言によって跡形もなく消え去った。
「なんでだ? あの子が言った通り、ちゃんと右タマを狙ったのに……」
「右タマ? お前は一体何を言っている?」
エリーゼは瞬時に状況を把握した。ああ、あいつは本物の馬鹿だと。
もしやと思って水谷はエリーゼを睨む。
「ひゅ、ひゅひゅひゅ~ひゅひゅ~」
エリーゼは真横九十度に首を回転させ、吹けない口笛を吹いた。
その後の試合はあっけないものだった。
戦意を喪失した相手に容赦をかけるほど水谷は甘くなく、
二ポイント連取でストレート勝ちした。
やがて二人はネットの上で固くも熱い握手を交わした。
「水谷君。正直君の事を少し勘違いしていたようだ」
「ああ、こちらこそ君を見くびっていたよ赤城。馬鹿ではあるが悪いやつじゃない」
「ったく、馬鹿は余計だよ」
肩を組み、笑いを交えながら互いを称え合う。
まるでそれはスポーツ漫画のワンシーン。
二人の様子を、エリーゼは前世の青春と重ねていた。
って、感傷に浸ってる場合じゃないですわぁぁぁぁああああああ!!
なんっなんっですのこの茶番はァ!?
右側の球と右側のタマを間違える?
本当にハァ!? ですわ!
はぁ。
わたくしが要らない助言をしたせいで負けたのか、
そもそも負けると確定していたのかは分かりませんがこれは失敗ですわ。
これでHAPPYENDの可能性が出てきますが、確定ではありませんの。
ここからは慎重に物事を進めなければいけませんわ。
目指すのはわたくしの悲惨な結末を回避しつつ、春香と一緒にいられる未来。
しかし、わたくしは諦めませんわ!
オーホホホホホ!
赤城が水谷から離れ、春香の元へ近づく。
「やあ春香ちゃん。今まで迷惑をかけてたみたいでごめん」
彼は深く頭を下げた。
「い、いえ、そんな謝らなくても……」
「いいや、謝らせてくれ。僕のせいで君を傷つけたかもしれない。これは全面的に僕が悪いんだ。本当にごめん……しかし君への気持ちは諦めきれない」
頭を上げ、春香に向かって手を出す。
「どうか僕と友達になって欲しい!」
「いえ、駄目ですわ」
「エリーゼちゃん……君は一体どっちの味方なんだい……」
こうして”海辺に立つ君へ“の主要キャラクターである水谷、赤城、春香、そしてエリーゼの四人が出揃った。
行き着く先はHAPPYENDか、はたまたBADENDか。彼らはまだ知らない。