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「赤城さん、コンディションはいかがかしら?」
「まったく問題ないね」
来たる決戦の為にエリーゼと赤城は最終確認を行う。
この勝負にはエリーゼと春香の未来が掛かっている。
従って赤城には万全の状態で挑んでもらわないといけない。
赤城は制服を脱ぎ、スポーツウェアに着替え始める。
不細工でたるんだ皮膚は存在せず、代わりに引き締まった身体が露わになる。
六つに割れた腹筋。三角筋から上腕二頭筋、上腕三頭筋、
そして手首までが筋肉が隆起していて血管が所々浮き出ている。
その強靭な肉体を支える胸鎖乳突筋から僧帽筋、
そして脊柱起立筋にかけて盛り上がる綺麗なチューブ。
俗に言う細マッチョ。
制服を着ていて分からなかったが、彼の肉体は実に素晴らしい物であった。
それは元男であったエリーゼが見てもさすがとしかいえない。
「鍛えているんですのね」
「ああ、もちろんさ。僕も女の子と付き合うのに必死なのさ」
赤城はあっけらかんに笑うと着替えを完了させた。
「もしかしてエリーゼちゃん……筋肉フェチ?」
「そんなわけありませんわ」
エリーゼは抑揚のない無機質な声で返答する。
現在エリーゼの身体は女ではあるが、中身は男である。
なので赤城の筋肉に尊敬や凄いなどと言った感情はあるが、
恋愛感情は一切存在しない。
もしエリーゼが赤城に恋愛感情を持ち彼と付き合ってしまったら、
恐らく生理的嫌悪から吐血してしまうだろう。
「赤城さんは二日の猶予がありましたがちゃんと練習はされましたの?」
「ああ、スポーツ漫画の最高峰ともよばれるあの“テニスの魔王様”で一通り予習はしたよ」
テニスの魔王様とは超人気漫画である。
荒廃した魔界を統一すべく、
魔界一球技武闘会にて主人公であるヨウマは田舎魔族の長として出場し、
次々と現れる強敵を乗り越えて着々とテニスの才能を開花させていく、
という内容である。
エリーゼは空いた口が塞がらない。
眼球は白目を向き、喉の奥からは砂が湧いてくるような錯覚さえ覚える。
この方はどうしてこんなにお馬鹿なのかしら?
“海辺に立つ君へ”では赤城が練習している描写はありませんでしたが、
本当は漫画を読んでいただけ?
本当に赤城はあの完璧人間水谷に勝てるのかしら?
「ま、まあ冗談だよ。そんなガッカリしないで」
「よかったですわ、それが冗談で。正直、貴方に対する印象は極端に悪いので半分信じかけましたわ」
「エリーゼちゃんには僕がへらへらしているように見えるかもしれないけど、僕にだってプライドはあるさ。乗り越えないといけないと思ってる相手だって沢山いるし、今の自分を不満に思っている僕もいる。誰かに認められようと努力する。誰かに嫌われないように悪い所も治す。だから安心して欲しい。勝つよ、僕は」
赤城は夕暮れ色に染まった手の平を見つめる。
彼は両親からの愛を受けずに育った。
水谷家には遠く及ばないものの赤城家はたった一代で高みに昇りつめ、
期待の新生としてその名を広めた。
そんな偉大な父を持つ赤城蓮介は幼少期にあまり構って貰えなかった。
その影響か、赤城蓮介は人一倍優しさや愛に飢えていた。
こうして彼は人の温かみを求め、数々の女生徒と交際し今に至る。
つまり彼の性格は彼を取り囲む環境や責任によって致し方なく、
必然的に育った結果であり被害者なのである。
「そういえば、貴方はなんでそんなに春香に執着するのかしら?」
「一目惚れってやつさ。今まで何人も女の子と付き合ったけど、こんな事は初めてなんだ。だから、なんだろう。これが運命ってやつかな、って思ったんだ」
本当は悪いやつじゃなくて良いやつかもしれない、とエリーゼは感心せずにはいられなかった。
赤城なら春香を任せられるかもしれない。
だがその考えを瞬時にエリーゼは否定する。
赤城がどんな良いやつでも春香と結ばれればHAPPYENDは避けられない。
そうなってしまえばエリーゼは恐らく因果応報の死を迎える。
自らの意思に関係なく春香達に恨みを買い、皆が敵にまわる可能性は存在する。
エリーゼはこの世界をまだ完璧には把握していない。
自分の行動によって多少のシナリオを変えられる事が分かっているが、
しかしそれだけだ。
春香救出イベントだってエリーゼが助けるという結果になったが、
足止めに成功していたと思われていた水谷がその場にいた。
実は本当にこの世界を支える超常的な力が存在していて、
エリーゼの行動は修正可能と判断して見逃したのかもしれない。
エリーゼは何も知らない。
僅かな希望にすがり続ける。
叫び狂いそうな心を抑え続けながら前を向いて歩いていく、
それだけしかエリーゼには許されていない。
己の未来の為に、微小でも不安要素は削らなければならない。
だから何としてでも赤城には勝ってもらわないといけない。
「ところでさ、僕。形から入るタイプでさ、この緑のバンダナと白い帽子。どっちが良いと思う?」
「あ、あ、あ、貴方という人はぁぁぁぁあああああああああああああ!!」