16
バスに揺られて一時間強。
エリーゼ達を含める聖マリアンヌ学園の生徒は目的地に到着した。
目の前にそびえたつのは赤黄緑と、色鮮やかな表情を見せる山。
視界の隅にチラリと雲を覗かせるが、
真っ青な空が山と共に訪問者を歓迎する。
「ついに到着しましたね!」
「そうね春香。足元には気を付けるのよ?」
春香が夢中になっている隙にエリーゼは蛇のように腕を絡め、
両腕でガッチリホールドする。
身長差のせいで不格好な体勢になるが、エリーゼにとって屁でもない。
むしろ彼女に密着できるので良い香りだ。
「そういえば先に水谷さん達が出発しましが、今はどこらへんにいるんですかね?」
「水谷様ぁ? ああ結構早めですものね。競争だ、とか言ってもう終着点についているのではありませんの? あの二人ならありえそうですし。ま、心底どうでも良いですわ」
「ええ~、それは残念です。せっかく各自でお弁当持参なのでお昼は一緒がいいなと思ってたのに……」
ウサギやタヌキなどのデフォルメされたキャラクターが特徴的なナップサック。
春香が背負うそれには食欲をそそるような香りが漏れていた。
「あの二人には申し訳ないですがお昼はわたくしと食べましょう」
「そうですね! でも私、水谷さん達も一緒だと思って多めに作ってきちゃったんですよね」
「……」
ッカーンと頭に何かが落ちて来た気がした。
なぁーぜ多めに作ってきたのかしら?
キニナリマスワネー。
「安心なさい。実は朝食を取り忘れましたの。ですからわたくしなら全て食べられると思いますわ」
「わあ! 良かったです!」
嘘ですわ。しかし吐いてでも春香の弁当は食べる所存。
「あら、こちらに川が流れていますわね」
「本当ですね! ちょっと行ってみましょう! ほら早く早く!」
「ちょ、ちょっと春香! そんな急かさないで! 転んでしまいますわ」
組んでいた腕を彼女は強引に引っ張る。
転びそうになるが、寸前のところで踏みとどまる。
春香はしゃがんで袖を捲り、腕を浸す。
水の流れる音を背に、春香は垂れた髪を耳に掛ける。
川の表面で反射する光が春香を幻想的に照らす。
エリーゼはその姿に心奪われる。
わたくしは守りたい。この瞬間を。この光景を。
「ほら、エリーゼも腕を出してください。結構冷たくて気持ちいいですよ」
言われるがままに腕を出し、川に浸す。
確かに気持ちがいい。
川の流れ一つ一つが皮膚を撫でる。
今まで抱えて来た悩みや暗い気持ちが、
この透明に限りなく近い川に癒されるように。
隣には彼女がいる。
少し動かせば手と手が触れ合う距離。
ここで彼女に触れれば受け入れられて貰えるかしら。
それとも気味悪がられて拒否されてしまうのかしら。
恐らく後者ですわ。
こんな人間を受け入れられるはずがない。
ですが、そばにだけはいさせてほしい。
これ以上は何も望みませんの。どうか。
エリーゼは触れそうになった自分を抑えた。
「さ、そろそろ進みますわ。このままですと風邪を引いてしまいますわ」
「はい!」
彼女の笑顔がやけに眩しい。
エリーゼは自らを強く恥じた。
――歩いてから数分が経つ。
終着点までまだまだ着きそうにない。
進行度としては全体の三分の一と言ったところか。
空を見上げると晴れと比べて雲の割合が大きくなっている。
「なんか雲ってきましたね。予報では降水確率ゼロパーセントだったのに。もしかしてこれから雨でも降るんですかね」
「それは困りますわね」
しばらく歩くと開けた所に到着する。
僅かながら湿りを帯びた風が頬を撫でる。
エリーゼは一つの確信の下、春香に提案する。
「春香、そろそろお昼をとりましょう」
「お昼ですか? まだ十二時を回ってませんし早くないですか?」
「この先あまり良い場所無いらしいのでここで取るのが一番ですわ」
「そうなんですか? あと二か所ぐらいここみたいな場所があったと思いますけど? まあ、私もお腹空いてた所だったんでお昼にしましょうか!」
二人は適当な場所でシートを広げる。
春香はナップサックから布で結ばれた箱を取り出す。
彼女が封を解くと、中からピンク色の二段重ねになったお弁当が姿を現す。
パカッと蓋を取ると、
兼ねてから漏れていた美味しそうな匂いはより一層強くなった。
「美味しそうですわね。もしかして全部手作りなんですの?」
「いやいや全部じゃないです。ほとんど冷凍食品ですよ」
彼女のお弁当をじっくりと見る。
一段目は箱を半分に分けてご飯とお野菜などのお惣菜。
そして問題の二段目には一口サイズのハンバーグにナゲット。
キャラクター物のポテトに極め付けはタコさんウインナー。
あれれーおかしいですわー。
オカズの量に対してご飯が少ない。
彼女の性格上オカズばっかり食べるのではなく、
バランス良く食べるイメージですわ。
しかも二段目は男性が好みそうな物ばかり。
まるで誰かにあげるような……。
いえいえいえいえ。
勘違いですわ。百パーセント勘違い。
大天使である春香がそんな下賤な考えを持つはずありませんわ!
諦めるな。諦めるなわたくし。頑張れわたくし。
きっと彼女は、そう!
二人でお昼を食べる状況を予見して、
このわたくしの為に用意したのですわ!
学園ではほぼ毎日お昼を一緒に食べているので自然とわたくしの好みを把握し、
わたくしの為にオカズを用意したのですわ!
ハンバーグとかウインナーは春香の前ではあまり食べなかった気がしますが、
これはわたくしの中身を男だとなんとなく理解していたのですわ!
うん、絶対そうですわ!
ああ、春香の優しさが心に染み渡りますわ。
ありがとう春香。
春香、一緒に目指しましょう。
“独り身女社長エンド”のその先へ。
「でも春香のお弁当は美味しそうですわ。それに比べてわたくしのは……」
エリーゼは手元に目を落とす。
そこには悪役令嬢の名に相応しくない至って平凡で素朴なお弁当があった。
蓋を開けると素材は豪華なのだが、
いかんせん盛り付けや色合わせが微妙なので残念な物になっていた。
「え!? エリーゼ、もしかして自分で作ってきたんですか?」
「え、ええそうですわ」
春香にも一目で見破られる始末。
やはりわたくしの根底は男。
前世で培ってきたものはそう簡単に誤魔化せませんわね。
く、安くて簡単だからといってカレーやうどんに頼る生活がここまで影響するとは。
もうちょっと日ごろからおしゃれな食事をすればよかったと後悔しますわ。
「すごいですね! これを全部お一人で!? 卵焼きも綺麗に焼けてますし、野菜もちゃんと入っててバランスが良いと思います!」
「そ、そんなにまじまじと見ないで欲しいですわ! こんな品のない物を……」
エリーゼは蓋をしてナップサックに入れようとする。
だが春香は腕を掴んで阻止する。
エリーゼは彼女の刺激的なボディタッチにドギマギしながらも狼狽する。
「春香、なにをするんですの!? こんなもの生ゴミの肥やしにしてしまえば良いのですわ!」
「食べ物を粗末にしてはいけません! それにエリーゼのお弁当も中々良いじゃないですか! 確かにイメージでは上品なお弁当を想像してましたがこういったお弁当もいいじゃないですか!」
うぐっ!
やはり手作りではなく既製品を持参するべきだったか。
「それに私はエリーゼが手作りを持ってくるなんて想像できませんでした。すなわち今回の事でエリーゼを知れた気がします。だからエリーゼが手作りしてきた事は悪いことじゃないです! むしろ良い事です! ……ああ、上手く言葉に出来ませんが私が言いたい事はこういう事です!」
「で、でも……」
「もう! エリーゼ! そういう事なら私にも考えがあります!」
春香はそういうと、エリーゼの手からお弁当を引ったくって蓋を開ける。
彼女はそのまま目をつぶって口を大きく開ける。
「これはどういう事ですの?」
「あーんですよあーん」
変わらず目を閉じたまま口を開ける。
おや? おやおやおや?
状況を察するに春香たんは食べさせて欲しがっているんですの?
まさかまさかの棚から牡丹餅展開ですわ!
反射で春香たんの小さなお口に箸とオカズをブチ込みたくなるが、
これを苦渋の思いで留める。
「あーんって、いいんですの?」
「もうしょうがないです。エリーゼがお弁当を捨てるって言い始めるから私が食べる事にしたんです。それと私だけが食べるのもアレなんでエリーゼも私のお弁当食べてくださいね」
「……春香もあーんして貰えるのかしら?」
しまった!流石に攻めすぎましたわ!
しかし当の本人は意思を見せる事無く、眉間に人差し指を当てて考え込む。
エリーゼは願う、もし駄目ならオカズ交換だけでも良いと。
暫時、春香が悩んだ後、その閉ざされた口を開く。
「……ぃですよ」
「え!? なんですって!?」
「……ぃいですよ」
「えぇ!? なんですってぇ!?」
「だから! 良いですよ!」
エリーゼの脳内が真っ白になる。
邪な気持ちも考えも何もかもが吹っ飛ぶ。
真っ白になった後、どこからともなく色んな物が降ってくる。
デフォルメされたエリーゼと春香。
先端が濡れたフォークやスプーンそして箸。
ハイエースにキングサイズのベッド。
最後に独り身女社長と化した春香の立ち絵。
「今日だけ、今日だけ特別ですよ? もとはと言えば最近変な目で見て来るエリーゼが悪いんですからね!」
「え、ええ」
おっと、意識が軽く飛んでた気がしますわ。
戻って来いわたくし。パラダイスはすぐそこにある。
「じゃあ早く食べましょう。こう見えても結構楽しみにしてるんですから」
こんな春香見たことがありませんわ。
これが俗に言うデレ期ってやつですの!?
「い、行きますわよ」
エリーゼは比較的に自信のある卵焼きを、食べやすいようにカットする。
なぜか緊張してしまいますわ。
思えば周囲に誰もいない。なにか過ちが起こってもおかしくない。
これは誘っているのかしら?
こんな大自然の真っただ中で?
いえ、今は目の前の事に集中するべきですわ。
エリーゼは震える腕をもう片方の腕で抑えながら、彼女の小さなお口に運ぶ。
――パクリ。
箸を持つ手に懐かしくも艶めかしい振動が伝わる。
ああやばいですわ。頭のどこかがちょっとおかしくなってしまいそう。
春香は卵焼きを味わい、それを飲み込む。
「エリーゼ! 美味しいじゃないですか! これを捨てようだなんてもったいない! これ、付け焼刃じゃ絶対に出来ませんよね!? いつから料理してたんですか?」
「じゅ、十年ぐらい前からかしら」
「そんな早くからですか!? エリーゼはやっぱり凄いです!」
その時は性別が違いますが嘘は言っていませんの。
思ったより好感触だったのが嬉しいですわ!
例えそれがお世辞だったとしても。
冷凍食品に頼らない生活をしていてよかったですわ!
神様には感謝しかありませんわね!
オーホホホホホ!
「はい、じゃあ次は私の番ですね」
「次?」
「エリーゼはもう私が言ったこと忘れたんですか?」
すると春香は自らの弁当にある一口サイズのハンバーグを取り出す。
「はい、あーん」
「え、え、なんですの、え、ちょ、え」
「あーん」
反射的に目をつぶって口を開く。
ドドキドキドキ。
エリーゼは何が起こるか分からない風を装い、
平常心を保ちながらその時を待つ。
まだかしら、まだかしら?
逆あーんなんて一生のうちにあるかないか。
かもん! バッチこいですわ!
しかし、いくら待ってもそれは来なかった。
「……?」
エリーゼは不審に思い、目を開ける。
「むぐ!?」
口内に甘じょっぱいソースが広がる。
驚きながら口を閉じると二本の棒がするりと抜けた。
残った固形物を飴玉のように味わう。
舌で転がすと中に凝縮されていた汁が漏れ出す。
一度噛めば肉特有の旨味が溢れ出し、口内は大洪水に見舞われる。
ああ、春香たんの愛が広がっていきますわ。
春香たんのあーん。
春香たんのハンバーグ。
春香たんの肉汁。
これぞまさに愛ですわ!
独り身女社長エンド確定!
オーホホホホホ!
「は、春香ぁ……美味しいですわぁ」
「そ、そんな!? なんで泣いてるんですか!? ただの冷凍食品ですよ!?」
気づけば頬に暖かいのが流れていた。
それに構わずエリーゼは味わい続ける。
やがて物が喉を通り、ふぅっと一息つく。
「次はわたくしの番ですわ! 両方共空になるまで終わりませんわよ!」
「ええ、まだやりたいんですか!?」
エリーゼは箸でオカズを持っていく。
それを春香はまんざらでもない態度で迎える。
二人は昼食を心行くまで楽しんだ。




