15
「では整列が完了しだいバスに乗車してください」
ジャージ姿の生徒が続々と集まる。
彼らのほとんどがあくびを噛み殺し、瞼を下ろしかけている。
それもそのはず、現時刻は通常の登校時刻より一時間程早い。
しかし、そんな生徒らを横目に元気な少女が一人。
「やまやまやまやまやまですよエリーゼ!」
「春香、貴方が山を好きなのは分かりましたわ。ですがまだ出発してませんしそんなに興奮しなくてもよいのでは?」
「エリーゼ! 山は偉大なんですよ! 山は風を作り、雨を作る。その雨からは草木が生えるんです! 山神なんて言葉もあるんですから山は偉大なんですよ!」
「あーはいはい。山は偉大ですわね。それでスピリチュアルな話に持っていくんですわね。その話四回目ですわ」
春香はこの通りである。
顔を合わせた一言目に山。二言目は偉大。
これを何度も繰り返し話されるとさすがにエリーゼも辟易としてくる。
しかし彼女の必死に訴えかける姿はとても愛らしく、なんとも言い難い。
「赤城は来たか?」
「あら、水谷様。まだ赤城さんはいらっしゃっておりませんわ」
「まさかあいつ、今日が校外学習だってこと忘れているんじゃないよな」
「そんな! 今日は待ちに待った山登りの日ですよ? 赤城さんが忘れるはずがありません!」
「わたくしもそこまで赤城さんが抜けてる方とは思っていませんわ」
「駄目だ、携帯がつながらない。まさか寝ているのか?」
誰もが赤城の遅刻を確信した、その時であった。
校門から一台の車が法定速度ギリギリで侵入し、
綺麗な弧を描いて急停止する。
その車から見慣れた男子生徒が現れる。
「おい赤城! 遅刻だぞ!」
「あ、先生すんませーん! あとで反省文書きまーす」
彼は腰の高さ程のキャリーケースを携えてこちらに向かう。
「駄目じゃないですか! 赤城さん遅刻ですよ!」
「いやぁ~目覚まし時計セットするの忘れててさ~あはは」
「目覚まし時計セットしなくても事前に使用人へ伝えとくだろ普通」
「こ、校外学習自体忘れてたんだよね……」
ポリポリと頭をかく赤城。
それに対する周りの表情は冷ややかだ。
あの天使と形容される春香でさえお怒りのご様子。
頬をぱんぱんに膨らませて眉をしかめる。
えへぇ。可愛いですわぁ。
「赤城さん! もしかして山を舐めてるんですか? 山は偉大ですよ? だいたい赤城さんは……」
始まりましたわ。春香のスピリチュアルトークとスピリチュアル説教。
滝のように喋りだす春香に冷や汗を流す赤城。
彼はもしかして? という目でエリーゼに助けを求めるがこれを無視する。
やはり春香は可愛いですわね。
夢中になっている姿は一歩引いた所で見るのが一番ですわ。
人柱になっている赤城には感謝。
「ところでなんで赤城さんはキャリーケースを持ってきているんですか? 今日は日帰りですよ?」
「え?」
「日帰りですよ? もしかして山に泊まるんですか? やめた方がいいと思いますよ?」
「……」
春香の真っ直ぐで穢れのない言葉が赤城の心を抉り取る。
「まさか赤城、お前」
「そ、そんなわけありませんわよね?」
「……そのまさかなんだよね」
エリーゼは赤城の評価を二段階下げた。
彼は笑顔でキャリーケースを転がす。
どこかにぎこちなさを覚え、ゆっくりと停めてあった車の方へ寄る。
「あ、そうだ、エリーゼちゃん。ちょっとこっちに来てくれるかな?」
「わたくし?」
半場呆れながら赤城の所へ向かう。
正直馬鹿が映るから近寄りたくないですわ。
「それで、なんなんですの?」
「ちょっと待っててね」
彼はキャリーケースを少し開けて腕を突っ込む。
やがて出て来たのはパンツ。
「あ、ごめん。これ僕のね」
再度手を突っ込む。
これ僕のね?
ど、どどど、どういうことですの!?
さっきのパンツは彼の物ではない可能性がある?
いやいや、さっきのはボクサーパンツだったし女性が履くとは考えられない。
では誰の物なのか?
答えは水谷?
なら万事解決ですわ。
二人は幸せなキスをして終了ですわ。はいはい、めでたしめでたし。
――恐らく違いますわね。
赤城は他人(春香)のパンツを手に入れている?
逆にわたくしが春香のパンツを期待していた、と考えての発言なら納得がいく。
しかし確証は得ない。
赤城は未だキャリーケースの中に肘を埋めて探している。
ここでエリーゼは声を潜めて質問する。
「赤城さんは春香のパンツを持っているですの? それはどこで、どのような方法で?」
「はは、面白いこと言うね。持ってたとしても言わないよ」
「そうですわね」
反応を鑑みるに盗ってはいないらしい。
もし反応アリだったら強制捜査で証拠物品を差し押さえできたのに。
悔しいですわ。
しかし春香のパンツが赤城の手に渡っていない事を幸と見るべきか。
「お、あったあった」
「これはなんですの?」
彼は腕を引き抜くと、一冊のファイルとUSBメモリーがその手に握られていた。
「この前のお詫びでございます。どうぞご拝見ください」
彼からファイルを受け取る。
“No.1”と書かれたファイル。
一見なんの変哲もないが、何故かズシリと重たい。
赤城に促され、表紙をめくる。
「こ、これは!?」
そこに春香がいた。ファイルの中に春香。
ケーキを頬張る春香。
あくびを噛み殺す春香。
うたた寝しそうになる春香。
全て春香春香春香。
「な、No.1とはどういう意味かしら?」
「よく気づいたね」
赤城はキャリーケースを良く見えるように開ける。
中に入っていた衣類をどけると、
なんとそこにはエリーゼが持っている物と同じ物がいくつか並んでいた。
「全て、全て中身が違うのかしら?」
「ふふふ、確認するかい?」
この自信たっぷりの表情。
――この男、できる!
「お気に召したかな? それとこちらも忘れないようにね」
彼が持つのはUSBメモリ。
「まさかそれにも入っておりますの!?」
「ふふふ、そのまさか、さ。こっちには画像だけでなく、動画も入っているのさ!」
「しゃ、写真だけではなく動画までもですって……?」
「そのとおりだよ。時は有限。すなわち今過ごしている瞬間は二度と帰ってこないんだ。であれば、こういった形に残すのは当然さ」
ああ、わたくしは何て愚かなのかしら。
この者はこれを届けるために、自らをピエロと化した。
それにも関わらずわたくしは……。
「赤城さん。わたくしは貴方を誤解していたようですわ」
「いやいやいや、エリーゼちゃんには厚意にしてもらってるからね」
にやけ面でゴマをする赤城。
平常時のわたくしであれば不快に思っていたかもしれませんわ。
ですが彼は同志。むしろ心地よい。
「オーホホホホホ、オォォオホホホホホ!!」
最っ高に気分が良いですわ!
これでお家に帰った時でも春香たんエネルギーを摂取出来ますわ!
盗撮とか犯罪とかどうでもいいですわ!
実行犯はわたくしではなく彼ですもの。
そのリスクをふまえて彼は実行した。
もし彼と春香が良い関係になったらこの事実を突きつけてやればいいですの。
これぞ一石二鳥。
エリーゼは赤城の評価を二段階、いや三段階上げた。
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バスに乗り込んでから少し経った。
現在高速道路を走行中なので、窓からは無機質な灰色の世界が広がっている。
予定では目的地までまだ掛かるらしい。
「皆さんこれをどうぞ」
前の座席からひょっこり顔を出した春香から、
可愛らしくラッピングされた小袋を手渡される。
中には茶色い生地でできたケーキのような物が入っていた。
「春香、これはなんですの?」
「移動中お腹が減るかなと思って作ってきちゃいました」
彼女は照れたように顔を隠す。
ゴクゴクリ。
春香たんの手作りお菓子。
春香たんの愛情がたっぷり詰まったお菓子。
春香たんの血と汗と涙とその他でできたお菓子。
わたくしの手にはそれがある。
これは今食べるべきなのかしら?
出来れば自室で春香たんの画像や動画をオカズにゆっくりと食したいものですが、本人を目の前にして食べるのも良いのでは?
わたくしには分かりませんわ……分かりませんわ!
エリーゼから一つ前の席でビニールが擦れる音が聞こえた。
「うわ! 春香ちゃんこれめっちゃ美味しいね! 」
「なっ!?」
「本当ですか!? 赤城さん嬉しいです!」
「本当だよ! 春香ちゃんお菓子作りの才能あるんじゃない?」
「えへへ、そんなことありませんよ~」
心底嬉しそうな表情を浮かべて春香は座席の影に隠れる。
慌ててエリーゼは包装を開ける。
開けた瞬間、鼻腔にふわりと良い香りが流れる。
口内から溢れ出る唾液を抑えながら一かじり。
外はサクッと、中はふわふわ。
甘くほろ苦い生地にチョコチップが散りばめられたカップケーキ。
たった一口なかに入れただけなのに味覚が過剰に刺激される。
脳が命令する。もっと食せと。
噛めば噛むほどケーキの甘さが際立つ。
こういう類は徐々に口内の水分が失われていくが、
不思議とその状態にはならない。
「春香! こ、これ美味しいですわね!」
「エリーゼありがとう!」
春香は返事をしたが顔を見せることはなかった。
く、もっと良い褒め言葉は無かったのかしら?
自身のボギャブラリーの低さに頭が痛くなりますわ。
やはり、先手を打った赤城の存在は大きい。
こうなるならさっさと食べればよかったですわ。
ふと、エリーゼは隣の席にいる水谷に目を向ける。
「あら? 水谷様は春香が丹精込めたカップケーキを食べないのですか?」
「も、もしかして苦手な物とかありましたか?」
顔を覗かせる春香。
なぜここで出るのにわたくしの時には出ないの……。
「いや、これは……」
なぜか水谷の手元には未開封のケーキがあり、手を付けていなかった。
ははーん。
さてはこのガキ、潔癖症で他人の手作りは食べられないとかほざくのかしら?
それなら好都合。食べない事で春香の心を傷つけて心の距離が開く。
そしてそこをわたくしがケーキを食べて好感度アップ!
感謝しますわ水谷。
貴方という踏み台でわたくしは春香と相思相愛の道に近づきますの。
オーホホホホホ!
「よろしければわたくしが貰いますわよ? 良いですわね? 頂きますわ!」
「あ、僕も欲しい」
睨みを効かせて、出て来た赤城を牽制する。
よっしゃあ二個目ゲットですわ!
間髪入れずにカップケーキに手を出す。
ああ、これはお家でゆっくりと動画を見ながら頂きましょう。ゲへへ。
しかしお目当ての物はエリーゼの手をひらりとかわす。
「こ、これはどういうことですの!?」
「誰が要らないと言った?」
水谷の指がケーキへと向かう。
やがて香ばしい匂いが辺りを漂い始める。
「いつもの俺なら誰かの手作りを食べない。だが丁度小腹が空いていたところだ」
「あわわわわわわですわ!」
――サクッ。
幾度が咀嚼し、喉を鳴らす。
彼が持つのは歯形がついたカップケーキ。
「うまいな」
「ぁ……」
春香は一瞬で頬を紅く染め、覗かせていた頭を引っ込める。
なぁーんですの? 今の。
いかにも乙女って感じで。
ボギャブラリー勝負なら勝っていますのに。
あーあーあー。
今のわたくしは何も考えられませんわー。
きっとこれはわたくしの勘違いですわー、きっとそうですわー。
しかし、バスが到着するまで春香の口数は増えなかった。




