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店内にジャズ風の落ち着いたBGMが流れる。
木目調の家具や装飾品、
店主の掘り深いシワがレトロ感を一層引き立てる。
辺りにはコーヒー特有の香ばしい匂いが漂っており、
夕時だというのに客はまばらだ。
リラックスしながら読書するには持ってこいの場所だろう。
しかし、そんな喫茶店を運営する店主でも近寄りがたい女性が一人。
「ご注文は?」
「え? ああ、アイスティーをお願いしますわ」
店主は伝票に書き込み、カウンターへ戻った。
エリーゼは額に手を当てる。
肩が重い。
吐く息も重い。
腕を動かすのも億劫。
身体が溶けてきている気がする。
これが喪失感ってやつかしらね……。
しばらくすると注文したアイスティーが届き、一口含ませる。
コーヒーとは違った風味が味覚を刺激し、鼻腔へ広がる。
だが気分は晴れない。
あああああああああああ。
日に日に春香たんと心の距離が開いていきますわ!
最近あーんをさせてくれないし!
最初はあんなにわたくしにべったりだったというのに!
はあ。
春香といえば水谷の作品に対するあの反応も気になる。
確かにあの趣のある絵は感心した。
あの時わたくしは見ていた。春香の横顔を。
瞬き一つせず微かに頬を染め、
力が入った拳を胸元に置いて。
写真で切り取られたように身動きせず。
まるで恋する乙女のように。
春香が水谷を好きになった?
いえ、主人公の恋愛感情の描写はまだ先のはず。
しかし絶対とは言えない。
なぜならエリーゼという不確定要素が働いているから。
本来、原作ではエリーゼは春香を目の敵にしていた。
ありえるはずのない関係。
ありえるはずのない状況。
ならばありえるはずのない恋愛感情が芽生えてもおかしくはない。
ではどうすればよかったの?
あの時春香を助けなければよかった?
春香に近づき過ぎないようにすればよかった?
赤城にアドバイスしないほうがよかった?
わからない。なにもわからない。
こんがらがった頭をアイスティーで流す。
すると店の入り口からカランと鈴が鳴り、男が入ってきた。
男は店内をぐるりと見渡すと、目当ての人物に歩み寄る。
「席、いいかな?」
「どうぞ。そもそも呼んだのはわたくしですわ」
「それで? エリーゼちゃんはなんで僕を呼んだのかな?」
ふてくされるエリーゼに対し、赤城は悠々に座る。
「決まっていますわ。春香の事ですわ」
「ああ春香ちゃんね、なるほどなるほど……。
実は僕もエリーゼちゃんに聞きたい事があったんだよね」
「聞きたいこと」
「うん」
赤城は辺りをキョロキョロしたあと、神妙な顔つきで囁く。
「エリーゼちゃん、気づいてるかい?」
「何を?」
「あそこに座ってる女の子、凄い可愛くない?」
「なにを言うかと思えば……」
可愛いと聞いて反射的に赤城の目線を辿る。
ショートパンツにゆったりとした紺色ブラウス。
巨乳とは言えないものの、程よい大きさの胸。
胸の形は数種類存在するが、
そのなかでもかなり好感を持てる造形。
そして胸の次に大事な顔。
すっきりと鼻筋が通っており、大きな瞳、健康的な肌。
赤城の言う通りある程度のレベルは有しているが、
エリーゼのお眼鏡には適わなかった。
最後にエリーゼは膝とショートパンツの間――太ももを瞼の裏に焼き付けた。
「まあまあですわね。ですが春香には敵いませんわ」
たしかにレベルは高かった。胸や顔、スタイルも問題ない。
正直エリーゼの方が身体の造形美に関してクオリティが高い。
中身が男とはいえ、一定量の自信はある。
しかし、それを振り切るほどの存在が春香なのだ。
胸が小さい、背も小さい。だが春香の長所はそこではない。
彼女自身から放たれるオーラ、
雰囲気がエリーゼをやる気にさせる要因なのだ。
当然、勝る理由がない。
「……思ってたんだけどさ。エリーゼちゃんって実はおっさん?」
「はえ!?」
「いやいやだってさ、
春香ちゃんへの接し方はハッキリ言って異常じゃん?
それで決め手はさっきの。
普通女の子って足元から顔にかけてじっくり見るよね?
でもエリーゼちゃんは胸から見た。
つまり、エリーゼちゃんは女の子だけど中身はおっさんなのかなって」
「そ、そ、そんなこと……」
赤城に正体がバレた?
いやこれはチャンスでは?
冷静に考える。
赤城に正体がバレたところでなにかデメリットがあるだろうか。
わけを話せば今自分の置かれている状況を理解してもらえるのでは?
そうすれば春香は誰とも結ばれずに済むのでは?
いえ、そんなにうまくはいかない。
赤城は春香に明確な好意を抱いている。
さらに馬鹿。
たとえ彼と協力関係が築けたとしても、
全て裏目になってしまう可能性が高い。
実際決闘イベントでは失敗している。
ここは上手く誤魔化すのが吉が。
もしバレたとしてもわたくしが転生したなんて信じられるはずがない。
「それにエリーゼちゃんは彼女を性的な目で見てるでしょ」
「それは絶対にありませんわ!」
「ふーん、まあいいや。」
ふざけた態度とは一変、彼はエリーゼを真っ直ぐに捉えた。
「エリーゼちゃん、どうしてあの時未来予知のようなことができたんだい?」
赤城の聞きたかったことはこれか。
問題が次々に山積みになる。
こっちは春香の事でいっぱいだというのに。
どう誤魔化すべきか。
正体を明かすのは論外。
たまたまだと言い張るのはいささか難しい。
しかしこの窮地、天才であるエリーゼにとって容易いものだ。
「……実はわたくし、神の声が聞こえるのですわ」
「神の声?」
「ええ、あの試合を予知し、
水谷の弱点がわかったのはこのお告げのおかげですわ。
赤城さんも薄々気づいてるのでは?
それしか理由がないでしょう?」
「まあたしかに」
「あら? 声が聞こえますわ」
エリーゼは目を閉じながら眉をひそめ、耳に手をあてる。
「はい、はいはいはい、はいですわ……」
赤城は目の前で繰り広げられる三文芝居に瞳を大きく開ける。
目には目を、馬鹿には馬鹿を。
「予言がありました。
迷える子羊よ、これからそなたの愛する者に危機が訪れるだろう。
まずはエリーゼと協力しなさい。
さすれば幸福な未来が待っているだろう」
「危機? 何が起こるって言うんだ?」
「わかりませんわ。しかし春香が危ないというのは本当でしょうね」
「そうか……」
「それで? 赤城さんは予言に従ってわたくしと協力しますの?」
「エリーゼちゃん、一つ聞きたい。
本当に春香ちゃんの身に危険が迫るのかい?」
「恐らく本当ですわ」
「……わかった。協力しよう」
赤城は腕を出す。
こちらも答えるべく腕をだして握手をした。
どうやら彼は信じたらしい。
エリーゼは心のなかでほくそ笑む。
赤城はなんて馬鹿なのだろうか。
こうなったらとことん利用してやりますわ。




