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第七話「告白」


 分かっている、しっかりと分かっているのだ。この時のTに計算も何もないことはちゃんと頭では、理性では分かっているのだ。Tは本気でYの死を悲しんでいた。勿論私もだ。だが、分かってはいても、それはただ頭では分かっているというだけで、それ以上の嫉妬がまたも私をおかしく狂わせるのだ。人間の精神、感情とは本当にぎょがたい。


 理性でわかっていても、そんなことはただの理屈だと跳ねつけて、妄念や激情が外に溢れ出ようとするのだから。嫉妬はげに恐ろしい。理性なんてものはなんの役にも立たない。感情という爆弾の安全装置が理性なのだとして、その安全装置をいとも簡単に取り外してしまえるものが、怒りや嫉妬といった激しい感情なのだ。喜怒哀楽があるとするなら、喜楽は幻想で夢、哀怒だけが現実で真実。苦しいことは現実で嬉しいことはまやかしだ。



 Yが死んでからというもの、Yへの想いを未だに抱き続けるTに対して、私は持ち前の脳由来の嫉妬という病に苦しめられながらも、精神的にも余裕を取り戻してきた私は、Tへの未だ続く恋心、その一切を一時的に捨て、自分を殺し下心無しになんとか死んだYの分までTを支えてやらなければ、という思いでなんとかTが元気を取り戻せるように誠心誠意尽くした。そう言っても過言ではないだろうと言えるくらいに、尽くして尽くして尽くしきった。

 

 私はこの言葉が大嫌いなのだが、頑張ったのだ。誠心誠意、自分に出来うる限りのことをしTに尽くしきった、献身したのだ。


 Yが死んでからというもの、Tは学校にも行かず満足に食事も摂らず、いつも虚ろな瞳で作りかけの青いマフラーを胸に抱きながら部屋の隅に座ってぼうっと宙を見つめては、時折静かに涙を流し、酷い時には嗚咽おえつをし泣き叫ぶということばかりを繰り返していた。


 その様はさながらわめく死体であった。死者のみに想いを寄せ、生者である私を歯牙にもかけぬ亡者。この時Tは確かに死体だった、生きながらにして死んでいたのだ。


 憔悴しょうすいした、衰弱死すいじゃくしを待っているようなTを、なんとか生き返させるように尽くす中で、私には一つ耐え難いことがあった。それは、Tが溢す涙だった。Tの腫れた二重まぶたの両目からしたたる涙が、私の目にはどうしても汚いものにしか見えなかった。本来ならその涙は、生きては二度と会えぬ想い人を想った、悲しき清廉せいれんな美しいものであるはずだ。


 が、私から見ればそれはTがYへ捧げた涙、Yへの供物くもつでしかないのだ。だからこそ、その涙が、私の妄執というフィルターに通されると、生きながらにして死体となってしまったTの、腐った脳と臓腑からしたたり落ちる腐汁ふじゅうにしか見えなかった。


 Tの両親もどうしていいのか分からず、されど仕事に行かねばならず、私に「Tのことを頼む」と何度も頭を下げて仕事へと行き、私が学校の合間や休日には一日付きっ切りでTの面倒を見て、Tの両親が帰ってくると私も自分の家に帰っていく、という生活が続いた。


 一生懸命に世話を焼く私を一顧いっこだにせずYのことを想い続けるTに対して「ならもう死ねよ」「あざといんだよ、わざとらしいんだよ。そうやってれば、皆が構ってくれると思っているんだろう?」と言いたくなったし、ほぼ毎日腹立たしく殴り飛ばしてやりたくなったりもしたが、その苦悩と怒りを微塵も表には出さず、Yという恋敵の為に傷心し感情を失ってしまったTのために、声をかけ馴れない料理を作り、励まし続けた。


 そうして一ヶ月ほどが過ぎたとき、Tは徐々に快復していき、学校へも行くようになった。半年が経つ頃にはようやく昔のように笑顔を浮かべるようになった。周りの人間たちも元気になって良かったと喜び、私の献身を褒めそやした。私は他人からの賛辞の言葉など心底どうでもよく、また何も私の心に響くものなどなかったが、Tから「ありがとう」と言われた時、初めて私の献身に意味があったのだと、じんときて瞳が潤んだ。



 そして高校の卒業式の日、私はYの遺影いえいを抱え卒業式に出た。不思議な因果か、送辞はTが、答辞は私が読んだ。


 私は都にある大学に進学することが決まっていたので、あと一週間もしない内に荷造りをして故郷ここを出なければならなかった。だから、卒業式が終わったあと、Yの墓前へTと二人で卒業の報告に行き、そこで私はフラれることを覚悟の上で、この妄執にケリをつけ新たな自分の人生を歩むため、そして踏ん切りを着け、決着を着ける為にTに告白をした。


 Yの墓前で告白したのは他でも無い、この十七年間に及ぶTへの想い妄執を清算するなら、必ずYにも立ち会ってもらわねばならなかったからに他ならないだ。Yを抜きにして出来ようはずがなかったからだ。



 具体的に何を言ったのかは、正直言って恥ずかしいことこの上ないので伏せさせてもらうが、省略すれば十七年間貴女が好きでした、と言ったのだ。


 Tは私の告白に複雑な表情でしばし無言のあと「はい」と答えてくれた――


 はい――


 はい――――


 はい――――――?


 私はその全く意図していなかった予想外中の予想外な答えに、最初はTが何を言っているのか訳がわからずポカンと立ち尽くし、次に理解が訪れ、その次に感情がせきを切ったように溢れ出した。私は「はい」という言葉の意味する所をようやく理解できたとき、情けなくも涙が溢れた。


 私の十七年間が今ここに報われたのだ、これを泣かずにおられようか、喜ばずにおられようか。そしてここまで溢れ出る感情を押しとどめなかったのも生まれて初めてだった。何故なら、この溢れ出る感情は私を苦しめる妄執ではなく純粋な喜びと涙だったのだ。


 嬉しくて堪らなかった。ずっと好きだったTと付き合えることが嬉しくて嬉しくてそして意味がわからなくてボロボロと涙を溢した。そのことを思い出してみても未だに恥ずかしくて仕方が無い。恥を忍んで言えば、この時は嬉しさと、生まれて初めてYに勝ったという醜い感情が一厘ほどあったことは否めない。


 そして貴女を大切にします、Tを大切にするとYの墓前で約束をしたのだ。



 だが、私は未だに、何故Tが、妻が、私の告白を受け入れたのか分からない――



 Tは未婚で未成年の未亡人――そうさせてやれば良かった――


 胸にYの面影を抱かせたまま、一人で老い死なせてやれば良かった――

 

 そうすればこんな私と結婚し、お互い、いらぬ苦労をしなくてもすんだのではないか……?

 今となってやっとそう思うことができるようになったが……いや……きっと今際いまわきわに近い今だからこそ、そう思えることができるのだろう……本当なら、私もTも妻と夫ではなく、幼馴染のままだったほうが、きっと二人にとって最良の関係だったんだろう…………。


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