最終話「結論」
そして私は、そんな憎悪に苛まれ続けるうちにある恐ろしいことを思いついてしまった。それは、第二子を作る、ということだった――
今、妻と新たな子を作って生まれた子が私に似ていてYの要素が一つもなければ、それは今の妻が私をYよりも愛してくれている、想ってくれているという証に他ならない……と。そんな怖ろしい考えが私の中で浮かび上がったとき、私はまた天啓を得たりと、死人のようなふらふらとした足取りで、これで全ての問題が解決する、と、熱に浮かされるように、よろぼいよろぼいと寝室へ向かった。
ゆっくりと扉を開けた寝室には、妻と、何故か手麗児が寄り添うように向かい合って穏やかな寝息を立てていた。
ハテ……? おかしいな? と思った。
手麗児はもう高校生だ……妻と寝ているのはおかしい……そう思ったが、ふと、窓の外を見ると、大雨が降っていて雷が鳴っていることに気付いた。私はその時初めて、外が豪雨で雷鳴が轟いている夜だということに気がついたのだ……。
なるほど……妻は雷が怖くて手麗児を呼んだのかと理解した。私には一度だって雷が怖くて抱きついてくることはなかったくせにと……同時にどす黒い想いが湧いた。もういいか……やってやるか……と、私は手麗児が隣に寝ているというのに、妻の私への愛を証明したいがために、妻へと手を伸ばしたとき、穏やかな寝息を立てて寝ていた手麗児がポツリ……と「お父さん」と寝言を言った――
私は忽ち我に帰って、自身の顔を奥歯が砕ける程の力で殴りつけた。幸いにも、激しい雨音が邪魔をして手麗児と妻が起きることは無かった。
私は口から血を流しよろめきながら寝室を後にして、書斎へと戻り、机の上に置いてあった安定剤を手当たり次第口へ放り込むと、同じく机の上にインテリアとして置かれていた、丸々ふっくらとした、色合いの良いグレープフルーツを皮ごと貪るように齧りつけ、皮やら種やらを関係なく夢中で口の中に詰め込み、薬と共に噛み砕いて飲み込んで、半分ほど食べたところで安楽椅子にどっかりと座り込んで宙を見上げた――
危なかった……危うく自分は取り返しのつかないことをするところだった……。そう思って、朦朧とする意識のなか、自分を深く恥じた――
子供は愛の証であって、愛の証明のために利用するものではない…………
何と怖ろしいことを考え付くのか、と、自分で自分が怖ろしくなった……。そしてなによりも、私はもしも生まれた第二子が、またYに似ていたら、自分が何をしでかすかわからなかった――
第二子がY似だったらば、きっと、自分の理性が崩れ狂気が嵐のように溢れ出て、生まれたばかりの赤子を床に叩きつけて殺し、妻も絞め殺してしまうかもしれない……と、私は急激に効いてきた薬の影響で酩酊状態になりながらも涙を流し続けた。
私は、もう何が悲しいのかも、何がしたいのかも、何が真実なのかも何も分からなくなってしまったのだ――
もう妻が手麗児を愛おしむさまを純粋な目で見ることができない……。私は終わってしまった……。
私は一体どこから間違えてしまったのだろうか――? 生まれてきたこと? Tに恋をしてしまったこと? Tと結婚をしてしまったこと? 妻と娘を邪な目でみてしまったこと?
ここまで読んでいただければ、アナタも何故、私が生きていけなくなったのか、少しは分かって頂けたかと思う。理解は出来ずとも、多少なりともこの狂った私の、誰にも言えなかった妄執というものを知って頂けたと思う。
先日、手麗児が十八歳になった。高校の卒業式に夫婦で出て、卒業生代表として答辞を読む手麗児の晴れ姿をしっかりと目に焼き付けてきた。手麗児は卒業後、私達が通ったあの大学に通うことになった。
手麗児は心身ともに、とても美しく育った。人のために涙を流せる子、人を思いやることができる子、活発で頭も良く社交性がある子……。誰もが羨むほどに美人で、活発で、運動が出来て勉強もできる、しとやかで……矛盾するようでありながら何も矛盾が無い素晴らしい子……。我ながらなんて出来た娘なんだ……。
ああ……私とは大違いだ――
もう何の心配もいらない――
例え今後どのようなことが起ころうとも、きっとこの子なら乗り越えていけるだろう……。たとえ乗り越えられず、私のように捻じれ狂ってしまっても、どんな人間になってしまったとしても、私はお前を責めないよ……私は全て受け入れるよ手麗児……。だから何も心配せずに、好きなように生きなさい……。
本当ならお前が二十になるまでは我慢していたかったが、私はそれまで耐えられそうにない……。すまない、手麗児……。こんな父だが、私はお前を、心の底から愛している。全てが赦されるのならば、私は何度生まれ変わってもお前の父でありたい……。
妻よ、私は、こんな私でも、今でもお前を愛している――
だが、結局お前は、最後の最後まで私を愛してくれなかったな……。先日、手麗児の卒業記念に帰郷したとき、私は、私たちに隠れて一人でYの墓参りに行き、そこで涙を流すお前の姿を見てしまった……。そこで、確信したのだ――
ああ……やはり……お前は未だにYを愛しているんだな――と。
だから手麗児にヤツの要素が強く出たのだ。
私はそれが、どうしても赦せない。狂って狂って狂いきって、捻じれて捻じれすぎて真っ直ぐに見えるほどに、狂いきった先にある悟りを乗り越えても、私はそれが赦せないのだ。
嫉妬と憎悪と妄執と妄念から、今にもお前を殺してしまいそうだが、それもきっと、いや、これが、これこそが、私が抱く愛故に捻じれ歪んだ結果なのだと思う。
だから……もし次が、来世というものがあるとするのなら……お前は決して私と出会わないでくれ……。私もお前と出会いたくない……。私は何度生まれ変わっても、お前が目の前にいれば、きっとお前を好きになるだろう……。だが、お前はきっと……何世繰り返そうが、Yを好きになるのだから――
怒りは短い狂気だという。ならば恋は美化された永続的な狂気だ。
恋なんてするべきじゃなかった……少なくともこんなに苦しいのなら、しないほうがよかった――
本当に最後の最後だが、私が生きていけなくなった理由というのは、私が魂というものを信じているからに他ならない。Yが肉体的に死んでいようとも、その魂が残っている限り、永劫私を苦しめるのだ……。だから私は、決着をつけねばならない――
私の中で、何も変わらない真実はただ二つ。私は娘を手麗児を何よりも愛し、そして、それでも妻を愛している――
精神薬を絶って一週間が経つ。用法容量をかなり超過して服用していたというのに、不思議なことにこの身体には一切の離脱症状がでていない。むしろ調子が良く清々しい気さえする。きっと心だけでなく、この身体も、私が出した死という結論を喜んで受け入れてくれているということなのだろう。まさに心身ともに健やかだ。
今の私は狂ってはいるのだろうが、おかしなくらい落ち着いて凪いでもいる。
酷く静だ。
随分と白髪が増えてしまったな――
庭にいる虫の音が聞こえる――
空気の音が聞こえるほどに五感が澄み渡っている――
勿論薬は服用していない。
何故なら、私は薬で曖昧な意識のまま、逃避のように死んでいこうとするような、そんな情けの無い男ではないのだから。
ああ――
思ったより時間がかかってしまったな――
仕方ない――
妄執は尽きぬ――
妻よ娘よ、こんなことを綴ってはきたが、私はお前たちを心から愛しているよ。
だけど私はYを許せない。死んだ後にお前の魂がYの所へと行くことが許せない。
だから私は、一足先にあの世へ行ってYを殺して来ることにする。
さようなら愛する家族よ――
父より