表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/16

第十三話「解」


 それが判明した経緯は酷く雑で偶然なもので、興信所とか化学的研究所とか、そういった緻密じみた検証の結果判明したわけでも、高名な霊能者に見てもらったとか、突然神様が降臨なされてことの顛末てんまつを御話になられた、などいった神秘的現象の結果判明したわけでもない。


 仕事柄各分野の識者しきしゃに会うことが多かった私は、とある時に仕事が一緒になった医学界の権威である大先生に、空き時間中、特に期待もせずに何かの手掛かりになれば良いくらいの気持ちで「これは友人の話ですが」とぼかしながら「自分と妻から産まれた子なのに、昔妻が好きだった男にそっくりの子供が産まれた」ということ、DNA鑑定の結果でも間違い無く遺伝子的にも自分と妻の子であるということも話した。


 すると思いの外真面目に私の話しを聞いてくれていた先生は「うーん」と唸りながら……二三度机を指でトントンと叩くと、難しい顔をして私を見ながら「これはあくまで俗説の域を出ていない説ですが……」と前置きして「テレゴニー」という現象と、その理論の話を懇切こんせつ丁寧に教えてくれた。


 先生曰くテレゴニーとは、先夫遺伝せんぷいでん感応遺伝かんのういでんとも言いい、女が以前交わったことのある男の後に別の男との子を産んだ場合、前に交わった男の特徴がその別の男との子に現れる、という説だそうだ。そして、さらには女が前の男のことを強く想えば思うほど、その想われた男の特徴が強く、別の男との子供に現れるものらしい。


「ま、そんなことあるわけありませんがね」と言ってガハハと先生が笑ってその話は終わった。私はその話を聞きながら一体どんな顔をしてどんな相槌あいづちを打っていたのかすら覚えていないが、テレゴニーの話を聞いたとき、不思議なほど合点がいって、憑物つきものが落ちたようにすっきりと胸のつかえが無くなった感覚はよく覚えている。それは手麗児が産まれてからずっと抱いてきた疑問、手麗児がYに似ている理由の解が出たからに他ならない。



 手麗児がYに似ている理由……それは――

 

 何年経っても未だ微塵みじんも薄れえなかった妻の並外れたYへの想いが、真贋しんがん定まらぬテレゴニーという学説をまことだと実証してみせたということなのだと――! 妻は未だにYを想っていているのだということを、少なくとも手麗児が産まれるその瞬間まで妻は私よりもYを想っていたということ…………。だから手麗児は、私の愛する無垢なる可愛い可愛い愛娘は、妻の断ち切れぬ想いによって、遺伝子上では完全に私の子であるのに……Yに……Yに似てしまったのだ――!!



 そして私は同時に、もう一つの気付くべきではなかった発見をしてしまった。それは……テレゴニーの学説が正しいと仮定して推測するのならば……つまり妻とYは過去に交わっていたことがあるということだ――


 高校生の頃か? それとも中学生の頃か? はたまた小学生の頃か? そんなことはどうでもいい、いくつであろうがとてもゆるせない……。妻がYと交わっていたという事実が赦せない……! Yの亡霊と交わっていたほうがまだマシだった! 何故ならそれならば私が一番目に妻の身体を知っているということなのだから! いや違うのか? もしかしたら妻はYと最初に交わってYが死んだ後私と交わってその後Yの亡霊と交わっていたのか!? ああ、今考えただけでも頭がはちきれそうになる! 亡霊不義説はこのテレゴニーという解が出てきた時点で終わったのだ! 妻の想いはまだYへと引き摺られているのは確定したが、それは想いであってオカルト的な交配ではない!!



 答えはきっとこうだ――!



 Yも妻も私が妻のことが好きだと知っていたから、Yと妻はきっと自分がTと付き合いだしたことを私が衝撃を受けないようにと黙っていたのだろう……。きっとYのことだ、Yは妻と交わった後、事後に妻に腕枕でもしながら「あいつには日をみてからこのことを言おう、きっとショックを受けちまうだろうから」というようなことを言うだろう。そして妻は「……うん」と幸せそうな顔をしながらYの胸に顔を埋めてそう答えていたに違いない…………。



 これを読んでいる貴方はこれを私の妄想と、妄執と妄念に苛まれた男の病的な被害妄想だと想っているのかもしれないが、生まれてからずっと家族のように生きてきた三人なのだ、想像したくないことも想像できてしまうのだ、そしてきっとこの妄想は、妄想ではないのだろう……。少なくとも私はこれが妄想ではなく、事実もしくは限りなく事実に近い妄想なのだと確信している……。


 Yと妻は過去に交わっていた――


 そのことを私が知ったときのことたるや、身体中が憎悪で満たされ家中の家具壁床を全て叩き壊し自分の全身を滅多刺しにして脳みそをくりだして踏み潰したいほどの耐え難い衝動に支配されて、それが未だなおもって、いや違う、日に日に強く私をむしばさいなめるのだ――!


 だが一つ得たことはあった。それは手麗児は本当に私の娘であったということだ! 良かった! 手麗児は私の娘だ! 血を分けた本当の子だったのだ! 良かった! 本当に良かった! だがその愛娘を愚かにも変質させてしまった大馬鹿者が私の妻なのだ! 手麗児は本当ならどんな顔をしていたのだろうか? 少なくとも妻とYと私の相の子のような顔立ちはしていなかっただろう。もっと私に似ていただろうに! 色は白く線の細い内気な子だったかもしれないのに、だというのに、妻の穢れた想いが私の娘を侵してしまった! お前は満足だろうだが私はどうだ?! ええ? ふざけるな!

 


 そうして知りえた情報から、私はどんどんと精神を病むようになっていってしまった。だってそうではないだろうか? 付き合っているのならば素直に言ってくれればこっちも傷心はするだろうがそれは幼い頃から受け入れていたことなのだ……覚悟していたことなのだ……私の恋が叶わないことくらいずっと前から分かっていたのだから――! 


 だからこそ私は心の底からYと妻を祝福していたというのに、こともあろうか二人はそれを隠して私を哀れんでかけなくてもいいとんだ見当違いの心遣いをしていたのだ! 陰で私のことを嘲笑あざわらっていたのだ!! こんな気遣いがあるだろうか? この死にも勝る屈辱!! それとも私は隠れて小馬鹿にされていたのか?! そもそもいつからだ? いつから陰で付き合って突き合っていたのだ? 高校からか? 中学からか? それとも小学生の頃からか?! どこまでやったのか!? 口付けはしただろう性行為もしただろう! 何回したのか何処までやったのかどうやってやったのかを気にすると気が狂いそうで仕方ない!!  Yは私の妻の身体を何処まで知っているのか――?! 


 そしてなによりも私を苦しめるのは……妻は、未だに、Yを愛しているということだ!!


 考えつくせばきりがないくらいの屈辱と憎悪は、私のもろくちっぽけな精神では到底許容できない赦せないことだった。だが私はそれでも妻を愛しているのだろう……。愛しているからこそこんなに苦しいのだろう……。だがそんな自分を、妻を、Yを、手麗児以外の全てがわずらわしい……赦せない……。


 私はどうすることも出来ない。妻にこの気持ちをぶつけることなんて到底できやしない……。手麗児が悲しむし、そんな勇気も無い。それに妻も今は私のこと「も」多分だが多少は愛してはくれているのだろう……きっと……。けれども私はそれでは駄目なのだ。一番でなければ嫌なのだ。他のことならば何番だっていい最下位でもいい……。だが、愛する人の中では一番でありたい……これは我侭わがままなのだろうか……?



 きっと妻は、今でもYが好きなのだろう。私への愛は無いのかもしれない。もしかしたら妻は私のことを怨み憎んでいるのかもしれない。Yが私にいらぬクソのような気を使ったせいで、妻はついぞYとおおやけに付き合うことができなかったから。そのことを恨んでいるのでは無いだろうか? 残念ながら私は妻との初体験の時のことは緊張しすぎてよく覚えていないのだ……結局のところ、私は妻が処女かどうだったかすら分からないままなのだ………… 


 きっとYと妻は、あの時、幼い時、Yと山の中で見た見知らぬ恋人同士がやっていたような、あのようなおぞましい行為を平然とやってのけていのだ……! 許せない……赦せない……妻の身体を知っていていいのは私だけだ――! 貴様ではない!!



  私は妻を愛している……その気持ちの狭間を、その苦悩懊悩を、私はこの書斎でいつも一人で味わっていたのだ。この書斎から一歩でも外にでれば、私は一家の主として妻を愛し愛する娘に笑顔で接さねばならない。私が不安げにしていれば、私が不安定でいれば、きっと娘が心配してしまう。そんなことは出来ない。娘には常に笑っていてもらいたい、私は娘が幸せになってくれなければ嫌なのだ。


 私はなんとか書斎でこの憑り付かれたYと妻への妄執を振り払おうと努力したが、娘の顔を見るたびにその努力が無駄になることを知った……。愛しい娘よ、手麗児よ……お前に何も罪はないんだ。誰が悪いわけでもない……妻の愛と想いを責めることもYを責めることもできない……。だが私は、妻が自分を一番に愛してくれていないという、その事実がどうしても受け入れられない。 



 なんとかこの妄執の逃げ道を探していたが、私は体質的に酒を飲むことができず、この憎悪妄執の逃げ道といえば結果的に薬しか残されていなかった。


 だが薬とはいっても違法な薬物に手を出したことは一切ない。手麗児のことを思えばこそ、そんな真似は出来るわけがないではないか。私はこの苦しみから一秒でも長く逃れたいだけで快楽を得たいわけではない。だから私は自分自身を殺すしかないのだ。


 けれども処方された精神安定剤などというものは心の痛み止めにしかならず、決して傷を癒してくれるものなのではない。所詮は対症療法に過ぎず、結局空いた穴は塞がれず傷はどんどんと広がっていき、その空いた穴の大きさの分だけ薬を増やすことしか、やれることはないのだ。この傷が癒えるわけがない。肉体的不義ならば医学的に証明でき法的にも罰することができるが、精神的不義を一体どうやって証明し罰することができようか……?





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ