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第十一話「霊魂」


 それは――


 Yは死んでいる。Yに兄弟はいない。妻はY似の男や他の男と不義を犯してはいない。なのに手麗児はYに似ている。


 これらから浮かび上がる一つの答えは――


「妻はYの霊と不義を交わしているではないか?」ということだった。


 これをここまで読んでくれた人ならば勿論分かってもらえると思うのだが、私がこの疑問に至ったことは何ら不自然ではなく、むしろそうだそうだと首肯していただけるものと思う。論理的にもこの疑問はとても自然でありきたりなものなのだから。何故ならYは完全に死んでいてYの遺伝子を持つ者はYの両親意外いなく、妻はY似の男と浮気していない。


 ならば他にどのような理由があるのか?


 Yの亡霊と妻が不倫をしている。と考えればほらこの通り、今までの疑問がストンと腑に落ちるではないか。


 そう、もしかしたら、もしからしたら、妻は、Yの幽霊、霊、魂、呼び方はなんでもいいが、それと不義を重ねていたのではないのだろうか? そんなある種答えのような疑問が私の中に浮かび上がり、脳内を瞬く間に占拠したのだ。理性的な面ではバカバカしいと分かっていながらも、そうは思いながらもその疑いが頭から離れなかった。妻とYの肉体を越えた精神的あるいは魂的な強い繋がりが、愛情と情が、ついに唯物ゆいぶつ科学を越え、きょうび馬鹿にされているオカルト的な交配を可能にして、あの子が生まれたのではないかと……。でなければそんなことはありえないじゃないかと……。


 つまりはこうだ――


 私と妻が最初に子を作る行為をし、私の子種が妻に受精したとしよう、そうしてその受精したものが、妻とYの霊的な力によって遺伝子が変質させられ、私の遺伝子が駆逐されYの遺伝子に書き換えられ、そうして手麗児が生まれた、ということではないのだろうか?

 

 死人は死人、死人に子を産むことはできない。妻は生きてYは死んでいる。つまりYと妻がどれだけ霊的な不義を重ねたとしても、妻が妊娠することは絶対にありえ無い。妊娠することは出来ないのだ。そこで登場するのが私というわけだ。


 私はYの遺伝子を再びこの世に広めんがために選ばれた媒介ばいかいなのだ。肉体を持たぬYが妻と子をなすのなら物理的な子種がいる。そして妻がその子種を宿す必要があって、様々な行為を行った結果上記しているような遺伝子の霊的改変が行われ、結果手麗児が生まれたと考えると、嫌なほど理屈が通っている……バカバカしいくらい理路整然りろせいぜんとしているではないか――



 となれば、妻はどうやってYの亡霊と交わっているのか? そこが問題となってくる。


 私は読書家であったが、そういったオカルト関係の本は殆ど読んだことなく、とんと無知であるので、あらゆる宗教の教典を手始めに、心霊、所謂いわゆるオカルト系の本を遮二無二しゃにむに読んだ。


 合っているのか合っていないのか分からないような、真と偽の間にあるような本、はたまた、科学的に霊的な事象を検証しようとしている本、明らかに金を稼ぎたいがために嘘を書き連ねたような、悪辣あくらつで低俗なカストリ雑誌の記事を適当にまとめあげたような本、頭を患っているような患者がさも真実のように書いたようなバカバカしいような本まで、とかく読めるものならば片端から全て読み漁った。



 結果的にいえばどれもこれも私が求めている答えが載っているようなものはなく。私は無駄に神秘的な知識を身につけただけとなった。だが、そのような本を読み漁っていく内に、私の中で「魂」という存在が、明確に実在するものとして私の中で確立されたのは収穫であったのかもしれない。


 これは何某かの本を読んで身につけたようなものではなく、はたまたどの本かに載っていた他人の考えや教えによって影響されたものではないが、ある意味では今まで読んだ全ての本や事象に影響を受け私の中で確立された考えなのだ。



 人は魂を持つ――


 人は決して心臓と脳だけで生きているわけではない。何故ならば、だとするのなら、ただのタンパク質の塊でしかない血肉生物が、ここまで苦悩くのう懊悩おうのう煩悶はんもんするわけがないからだ……。してたまるものか……脳が発達しているから人は悩むのではない……人は魂を持つからここまで悩み苦しむのだ……。苦しみは苦難は誰かから与えられた試練などではなく、魂というものが持つ、致命的な欠陥のせいなのだ。


 魂ははなから苦悩するようにできているのだ……。だがその魂の苦悩構造は大なり小なり人によって違いがある……。その欠陥が大きければ大きいほど私のようになり、小さければYのように何も悩まず快活に生きられるのだ…………。



 魂とは仏教的にいう輪廻転生を繰り返し、過去から未来へと延々と引き継ぎされる記憶の保管庫のようなものなのではないのか? よく前世の記憶を持ったとか、前世の記憶があるなどの話を聞くと思うが、この話の不思議なところは仏教国に限った話ではなく、神・仏・基・回といった宗派関係無く世界各国でその話題があることから、これは仏教間に限った話だとは云い難い。


 人は死して肉体が死ぬも、熱量の塊である魂は消えず、死後自らが望む所に行くのだ……。天国を望むなら天国へ、地獄を望むのなら地獄へ、現世に留まりたいのなら幽霊として留まり、生まれ変わりたいのなら新たな肉体へ宿り生を繰り返す。そして前の肉体時にあった記憶というものは過去に死んだ肉体に残して、新たな肉体では全てを忘れ去り新生を歩き出す……。


 つまりYはあの世にも行かず生まれ変わることもせず、現世に留まることを選び、妻に干渉しているのだ…………


 この考えを馬鹿げていると思うだろうか? 私は馬鹿げていないと思う。何故なら霊や魂という存在が科学的に証明できないのならば、存在していないという証明もできないではないか! まさに悪魔の証明だ! 否定も肯定もできないのならこの馬鹿げた妄想を否定も肯定もできないではないか!


 私は妻とYの霊的な不義を疑った! ということは私はそういった存在を信じているということの証左に他ならず、否定できなければ永遠にこの疑いを持つことが確定してしまったではないか! いつになったら科学は明確な証拠を出して霊的な存在を全否定してくれるのだ!? いつそんな日が来るのだ!? 非科学的なんていう思考放棄した馬鹿の一つ覚えみたいな台詞を言わなくて済む日が来るのだ!? 



 妻はYの霊と不義を行い手麗児が生まれ――


 手麗児の遺伝子情報はYの霊的な力で書き換えられ、手麗児には本来あるはずの私の遺伝子が入っていない――


 だからYに似ている――


 

 それが答えなのだ――――

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