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第一話「序文一」



 私はもう、生きていることができなくなったので、死のうと思う。




 その理由を語るには、あまりにも長くなってしまったこの私の、四十余年に及ぶ妄執もうしゅう妄念もうねんまみれた、苦悩と絶望の人生というものを一から述べねばならぬから、きっと長くなってしまうだろう。


 もしもこれを読む者がいるのならば、このつまらぬ人生を自らの手で終えようとしている愚かでちっぽけな、私という人間への最後の情けとして、是非とも最後まで目を通して頂きたい。 


 何も書き溜めせずに書き記していくので、酷く読み難く、理解し難いことも多々あるだろうが、それこそが今の私の飾らない嘘偽りの無い、在りのままの気持ちと心境を表している証左だとして、どうか御寛恕ごかんじょの程を願いたい――




 自殺を結論付けた経緯は色々あるけれども、結局は全てこの弱い私という人間のせいに他ならない。

 私は生来の臆病者で、感情というモノを表に出すことが出来ない、心も体も弱い情けない人間だった。人との間に波風を立てることを嫌い、他人との間に軋轢あつれきを生むことや波風を立てることを、怒りの禍根かこんを残すこと何よりも嫌った。


 殴り合いをする度胸もなければ、口論をする勇気もない。だから、いつだってどれだけ腹を立てようとも悲しくなろうとも、気がおかしくなりそうな激情に駆られようとも、その都度自身を押し殺して生きてきた。


 自制心と言えば聞こえがいいが、そんな高尚こうしょうなものではない。ただ弱く、臆病でやり返すことができないから、他者から与えられた痛みを誤魔化すために、それ以上の痛みを自分自身に与えて、痛みを麻痺させていただけの、精神的自傷行為に過ぎないのだ。


 そのように内に内に負の感情を溜め込んでは精神的自傷行為を続けて生きてきた私は、負の感情、精神的苦痛というものを人一倍感じやすく、一度与えられた苦痛を一生忘れることのできない人間になってしまった。


 ことあるごとに、ふとしたときに、過去の苦痛がフラッシュバックのように脳内に浮かび上がっては私を苦しめる。そのフラッシュバックに身悶えし、身をよじって苦痛が鎮まるのを待つことしかできない、喜びというモノを感じることが極端に薄く、生きることが苦痛にしか感じられない、喜びが九あったとしても負が一あれば九の喜びを殺してしまう、全ての思い出に負しか見出せないような、人生になんら楽しみを見出すことのできない欠陥者、人間社会の劣敗れっぱい者なのだ。



 例えば、私が誰かにバカと言われたとする。普通の尊厳ある人間ならばいわれの無い罵詈ばりに対して、言い返すなり手を出すなり、防衛行動なり報復行動なりを、言われたことに対して見合った行動をとるだろう。だが、私はそのどちらも選ぶことができない男であった。もしバカと言われれば、まず最初に聞こえなかったフリをするか、聞こえないフリをしてもなお馬鹿にしてくるならば、笑ってやり過ごすことを選んでいた、といえば分かりやすいだろう。



 そんな精神的欠陥を持つ劣敗者である私ではあるが、私は死にたがりではない。先にも述べたように私は生来人一倍の臆病者である。今までは死ぬという未知が何よりも怖かった、死より恐いものはなかったし、死を考えることが何よりも嫌だった。


 きっと死は胃カメラを飲むことよりも苦しいだろう……足をつるよりも痛いだろう……何よりも一寸先も見えぬ奈落の闇に落ちていくのだろう……それを考えるだけでも身の毛がよだつ……冷や汗が流れ震えが止まらなくなる……おお……死とはなんて怖ろしいものなのだろう……。

 

 だが、その恐怖以上の苦しみが私に襲い掛かり、結果、私は生きてはいけなくなってしまった。生ではなく死に、死の先にこそ、この妄執を終わらせる活路があることを見出してしまったのだ。



 今記しているこれは、遺書のようなものであって正しく言えば遺書ではない。では何なのか? と問われれば、これは誰にも話すことの出来なかった、私の人生における重大な秘密というものを、一切隠さずつまびらかに打ち明けた機密書であり、私の頭の中の全てといえるようなものである。


 本当ならば誰にも打ち明けず誰にも見せず誰にも語らず私の中でだけで終わらせ、墓に持っていくべきもののはずだった――


 現につい昨日までそうしようと思っていた……


 けれども、私という小さな人間はそのことに耐えられなかった。この苦悩を、自分の中でだけ終わらせたまま死ぬことは到底できなかった。だから私は遺書とは別に、この遺書のようなものをしたためて、どこかに隠そうと思う。誰かに読まれることがあるのか無いのか分からないまま、有耶無耶うやむや曖昧あいまいな状態で死んでいくことを望んだ。


 それでいいし、それがいい。誰かに読まれるかもという可能性があるだけで十分なのだ。それが私にとってある種の救いになるのだから。誰かに読まれると分かっているのならばこれを書きはしなかっただろうし、また、誰にも読まれないと分かっていたのならば同じく書きはしなかっただろう。


 つまり、私は、その読まれるか読まれないかという酷くぼんやりとした曖昧さに、妙な心地良さと、そこにこそ、ある種の救いと呼べるようなものを見出したのだ。だからこそ読まれるか読まれないかということはあまり深くは考えずにこれを書いている。考え過ぎれば、これを書くことなど到底できるわけが無いのだから。


 分かって欲しいとまでは思わないが、誰かに知っていて欲しいと思う、寂しげな素直になれない子供のような、斜に構えて捻れ過ぎて真っ直ぐになってしまった、複雑怪奇な心境だと言ってしまえばそうなのかもしれない。


 最初に、生きていることができなくなったとは述べたが、誤解されないように言っておくと、私は怪我や病でそうなった訳ではなく、人間関係の問題、ましてや何者かに脅迫されて嫌々死のうとしている訳でもない。 


 けれどもよくよく考えてみれば、今述べたことは私が死のうとしていることに全く関係ないが、一つを除いて全てに関係があると言っても過言ではない。


 これを病というのならば四十年来の病であると言えるし、人間関係の問題といえばそうであるとも言えるし、脅迫めいたことをされたと言われればこれまたそうでもあるともいえる。が、ただ一つ間違っていないことは私が嫌々死のうとしているわけでは無いということだ。その理由はこの遺書もどきの中で追い追い語っていこうと思うのでここでは割愛させて頂く。

 

 とにかく結論を言えば私はこれを書き上げたならばすぐにでも死なねばならない。それも今日中に、この遺書のようなものが書き終わればすぐにでもだ。それはすぐにでも死なねばならないという私の意思に他ならない。

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