輝ける時(卅と一夜の短篇第16回)
篝火が赤々と燃えている。いつもであれば数えきれないほどの星が散らばる夜の空は、地上の明るさに飲まれて暗く静まり返っている。
夜空の静けさとは対照的に賑わう町に、軽やかな笛の音が響く。遠く離れた町の端にまで、太鼓の音や祭りに沸く人々のざわめきがかすかに届いていた。
今ごろ、広場には町じゅうの人が集まっているだろう。いや、今日のために町の外から来た人もたくさんいるはずだ。
そんな喧騒から遠く離れた町外れの暗がりに、ひとりの男がいた。家と家の間にできた暗い隙間に身を寄せる男は、途切れ切れに聞こえる音楽に耳を傾けている。明るく照らし出された広場の中央、贅沢に飾り付けられた舞踏場は、今日この日に選ばれたただひとりの舞姫のための場所。奏でられる曲も、集まった人々も、そのひとりの踊りのためだけのものだ。
明るく照らされ賑わう広場を思い浮かべていた男は、軽い靴音に気づいて意識を目の前に戻す。
男の視線の先には、町に背を向けて歩くひとりの人がいた。町中の人が広場に集まっているだろうこのときに、明かりも持たず歩く顔も見えない相手だが、男はためらわず声をかける。
「ジズファ」
名を呼ばれて、人影が立ち止まる。声を頼りに振り向いたが、暗がりに立つ男を見つけられないのだろう。頭に被った薄布をずらして、あたりを見回している。
布を指先で持ち上げて首を回す、それだけの動作であるのに、どこか優雅で艶がある。その様子に、男は呼び止めた相手が目当ての人物だと確信して、暗がりから姿を見せた。
ジズファは動く人影に気がついたのだろう。ぱちりと瞬きをして、自分に向かってくる者をじっと見つめる。暗がりの中、互いの顔がうっすらと見えるほどの距離まで近づいたところで、ジズファが声を上げた。
「あなた、舞台を作りにきていた……。どうして、ここに?」
「君が故郷に帰ると奏者の子と話しているのが聞こえてね。待っていたんだ」
言いながら、男はジズファの服装に目をやり、哀れみを覚える。舞姫の選考が行われていた七日の間、ジズファたち踊り子たちは見た目で差がつかぬように揃いの華やかな衣装を身につけていた。
風にそよぐ薄布を重ねて飾られた彼女らは、開いたばかりの花のようだった。手足には細い金属板が連なるビラ飾りが付けられ、身動ぐたびにシャラリと涼やかな音を立てては人の目と心を惹きつけ、輝いていた。
それがどうだ。今のジズファは農婦がまとうような粗末で飾り気のない服を着て、安物の布を頭に巻いている。そのせいで、せっかくの麗しい顔も悩ましい肢体も隠れており、彼女の魅力が損なわれてしまっていた。男はそれを残念に思う。
「舞姫には選ばれなかったけれど、優雅な衣装に身を包んで舞う君は素晴らしく美しかった。君にそんなみすぼらしい格好は似合わないな」
ジズファが眉を寄せたのにも気がつかず、男は自分の提案がきっと彼女を喜ばすに違いないと自信を持って続ける。
「聞けば、ずいぶんと田舎の生まれなのだろう? 帰ったところで君の美しさを活かせるとは思えない。それよりもこの町に残ったほうが、きっと君のためになるよ」
「……」
強く頷きながらの言葉に、ジズファはにこりともせず、返事もしない。その沈黙をためらいだと受け取った男は優しく微笑んで、彼女の元に一歩近寄る。
「住まいや暮らしの心配をしてるんだったら、大丈夫だよ。祭りの舞姫には選ばれなかったけれど、君は僕にとってたったひとりの舞姫だ。僕の家に空いている部屋があるし、知人の酒場で踊れるようにお願いしてあげるよ。みんな君に見惚れるだろうし、君も幸せになれるだろう」
言いながらもう一歩、足を進めた男にジズファは唇を引き上げて笑った。その笑顔に彼女が喜んだのだと思った男は、後ろ手に隠していた花束を取り出して渡そうとし、動きを止める。
笑っていた。
男の前で頭の薄布を脱いだジズファは、あまりにも美しく笑っていた。その笑みはこれまでに見たどんな女よりも艶やかで強かで、男は魅了され身動きもできなくなる。
「ご存知ないでしょうけど、わたし、剣が得意なの。あなたが褒めてくれた舞は、いつもは剣を手にして舞っている剣舞なのよ。故郷では狩りや害獣退治に、わたしの剣の腕がけっこう重宝されてるんだから」
瞬きもできずに魅入っている男に、ジズファはくすくすと可笑しそうに笑う。そして、ぐっと目に力を込めて男の目をまっすぐに覗き込んだ。
「着飾って、輝いている間だけがわたしの人生じゃないわ。わたしの幸せはわたしのものさしでしか測れない」
静かにそう言うジズファは、男が見たたおやかな舞姫ではなかった。それよりもさらに美しく力強い、猛禽のような魅力を持つ女性であった。
その恐ろしいまでの美しさに魅入られ男がぶるりと身震いすると、ジズファはまた表情を和らげて笑みを浮かべる。
「でも、着飾った姿を褒められたのは嬉しかったわ。思い出に、ひとついただいていくわね」
言いながら男が持つ花束から一輪抜き取ったジズファは、優しい笑顔とありがとうの言葉を残して歩き去った。
彼女の消えた暗がりで馬の蹄の音が聞こえたのは、彼女が馬を駆って故郷へ帰ったのだろうか。
男は、ジズファの残した鮮やかな表情に心を揺さぶられ、その場から動くこともできずにただ呆然と見送るばかりだった。
お題のとおりなら、本当は男が輝くべきなのでしょうけど。そこは創作ということで。