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ダメ男、アメリカに行く(後編)  作者: 江川崎たろ
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第六話 「ダメ男、水が欲しい」

現地時間、15時過ぎ。平良は、早くも目を覚まし、シャワールームで解凍の儀式を行っていた。二時間にも満たない睡眠であったが、それでもやはり、睡眠はすごい薬だ。頭がすっきりとしていて、鬱陶しい気分など微塵も感じられなくなっている。


シャワーを浴び終わり、爽やかな気分で先程まで履いていた赤いパンツを手に取り、そしてまた履いた。Tシャツだけ別のものに着替えると、それだけで随分と新鮮な気持ちになるものだ。


喉が渇いたのだが、水を買い忘れている事に今更気が付いた。水道水は飲まない方がいいと、旅行会社の田村に注意を受けていたので、仕方なくロビーへと、水を探しに向かった。


それにしても、今、目の前に広がる気色は素晴らしい。プールにヤシの木、そして大きな青空。パラソルの下には、寝そべる事の出来るベンチがある。これはまさしくリゾートだ。


過去に何度ほど、こういったロケーションの一部に溶け込みたいと、憧れを抱いただろうか。きっと、数えきれない程だ。いつか、そんな時が訪れる。そう思う反面、なんだか別世界の人が、限られた人が、選ばれた人だけが、体験出来ること。つまり、自分には無理だと、そう思っていたのかもしれない。それがどうだろう、今、俺は、この素晴らしい景色に溶け込んでいる。


気分を高揚させるには、もうじゅうぶん過ぎる程だ。それでも、やはりまだ、不安感や恐怖心は完全には拭いきれていない。日本でなら、空港からホテルへの移動、そしてチェックイン、どれも全て、飽き飽きする程簡単だ。しかし、それが海外ともなると、マラソン大会を終えた時以上の達成感と、疲労感が身体に残る。


何はともあれ、今は水だ。水を探せ。さて、日本なら大抵の場合、プールサイドに、ジュースの自動販売機が一台くらい、設置されているだろう。ここ、アメリカでも、果たしてそれは同じだろうか。……ほら、あった。自販機は予想通りに設置されている。喉が乾いたら自販機でジュースを買う。そんな、単純な行動は、日本もアメリカも変わらないのだ。正直、かなりほっとした。


しかし、その安心は一瞬で消え去った。ぱっと見て解るのが、日本の“それ”とはまるで姿が違う。そして、金額も書かれていない。果たして、この自販機は幾らで水を売るつもりなのか。まさか、自販機なのに……時価?……あり得ない。あり得るわけがない。価格はいったい、誰が決めるというのだ。ランダムか。ランダムに価格を決めるというのか。いやいや、いくらアメリカでも、さすがにそれは、スケールがデカ過ぎる。なら、それなら、いったい、どうすれば……。


ガチャガチャと、騒がしい音を立てながら、色々と試してみる。しかし、一向に買える気配はない。困った。困った時は、助けを求めればいい。基本中の基本だ。しかし、『ヘルプミー』しか、言葉は浮かばない。母国、日本でなら、簡単だ。『自販機の使い方が解りません。教えてください』。1分だ。1分で解決出来る。


困ったなーと辺りを見渡すと、プールの逆サイドにバーカウンターがあり、売り子の女性が中にいるのを発見した。もしかすると、この自動販売機は、そもそもダミーなのかもしれない。購入する事の出来ない自販機にイラつき、今すぐにでも喉を潤したい人間は、多少高額でも、バーで飲み物を買ってしまう。なるほど。心理戦か。この商売人め。安易に負けを認めるのは、しゃくだ。しゃくではあるが……いいだろう。


平良の敵は、今、自動販売機から人間に変わった。とてつもない緊張が走る。その緊張の元となるのは、あの伝説の飲み物『ウァーラー』を無事に買えるのか、という不安だった。


しかし、平良も馬鹿ではない。きっと“ウァーラー”なんて飲み物は存在しない。というか、通じない。経験から、それを理解している。さぁ、いよいよバーカウンターに到着だ。まずは……挨拶だ。「ハーイ!」よし。いよいよだ。勝負の瞬間(とき)だ。恐る恐る、1発目の攻撃を仕掛けた。「……ウォータープリーズ」。下手な小細工は無しだ。直球、ストレートだ。すると、敵は意外な反応を見せた。「ウォーター?…あー……」と、困っている。確かに、言葉は通じている様だ。しかし、困っている。どう見ても困っている。


『あたし、困ってます』と、そんな解り易い表情で、彼女は「NO」と、首を横に降った。どうやら、決着がついたようだ。見事に1発目の攻撃を、敵に喰らわす事は出来たのだが、驚くことに、お店に水を置いていなかったのである。これは、ドロー判定だ。負けちゃいない。


彼女はきっと、「ごめんね、水はないの!他のものでもよければ、何か飲む?」そんな会話がしたいのだろう。しかし、平良の“ウォーター”という下手くそな発音と、この明らかなアジア人顔から、英語が話せない人間だと判断したのだろう。なんと言ったらいいのか迷うように、もじもじとしている。


そんな彼女の心情を察し、気をきかせた平良は、『そうだ、ビールを飲もう』と、決心した。それは、彼女の背面にある冷蔵庫に、ビールの瓶が並んでいるのが見えたからだ。しかし、それだけではない。持ち前のサービス精神でもあるのだ。『水を置かないお店や、あなたに責任はないよ。悪いのは、この俺だ』そんな、気遣いの意味を込めて、「おー!アイムソーリー!あー……バドワイザープリーズ!」と、笑顔で言ってみせた。


女性は「OK」とニコヤカだ。本来の目的は果たせなかったが、楽しく買い物が出来た。これは嬉しい。俺は、アメリカで、ビールを買ってやったぜ。しかも、だ。なんて紳士な対応をしてしまったのだろう。すげーだろ。皆に言いふらしたい気分だ。平良は、完全に自惚れていた。


会計を済まし、「センキュー」と、唇を尖らせて言った。気分は最高だ。しかし、この買い物は、決して明るい希望に満ちたものではない。何故ならば、平良の喉を潤してくれるのはバドワイザーのみだと、暗示しているからだ。平良はそれに気づかず、パラソルの下のベンチに腰をかけ、煙草を吸いながら、そしてその時間を味わった。


途中、プールで泳いでいる男性に時間を聞かれると、何故かすんなりと聞き取る事ができ、そして、正確な時刻を知らせる事が出来た。なんだ、結局は気分の問題ではないかと、平良は少し安心した。


同時に、今自分はアメリカの地で、そしてアメリカ人の方と、スムーズにコミュニケーションを取れているという経験が、自信に繋がったのだろう。すぐにでも、歓喜の叫びをあげたい気持ちを我慢させながら。気分が良いからかビールが進む。


そして2本目のバドワイザーだ。プールで泳いでいる10代にも満たないであろう女の子が泳いでいる。決していやらしい眼ではなく、微笑ましい気持ちでそれを眺めていると、それに気付いた父親らしき人物が笑いながら「ゲッラーウ」と言い、手でシッシッとあしらった。


平良は、大袈裟に笑う仕草をやってみせて、そして目を大きく開き「ふぅー」と言いながら彼を指差した。彼も手を叩いて笑っていた。すごい、すごすぎる。なんだ、なんなんだ、この感覚は。自分は今、たった一人のアメリカを楽しめているではないか。俺、めっちゃ格好いい。


3本目のバドワイザーに突入した。疲れもあるのか、いつも以上に酔いも回り、そして上機嫌の平良がそこにはいた。さっきまでの不安が嘘の様だ。「はぁ~幸せだなぁ~」3本目のビールを飲み干すと、そろそろ水でも飲むかーと、平良は立ち上がった。


もちろん、すぐに気が付いた。水の代用品として、ビールを飲んでいた事に。口をあんぐりとさせ、身体が硬直してしまっている。それなりに、ショックを受けている様子だ。


元気のない姿で、再びカウンターへ向かう。「バ、バドワイザー……うん、ワン」四本目のバドワイザーをサイドテーブルに置いて、煙草に火を着ける。


一人作戦会議の始まりだ。まず、一番気になったのは、カウンターの売り子の気持ち。彼女の気持ちを予想した。「この人、バドワイザーが大好きなんだなー」これに違いない。


「違う、違うんだー!」と言いながら、平良は体をくねらせた。なんだか、とても恥ずかしいのである。それにしても、このままでは、アルコール中毒まっしぐらだ。きっと医者には、何故そんなに飲んだのか?と、確認されるだろう。そうしたら「水の飲み方がわからなかった」と、そう答えよう。きっと、別の科に行くよう、指示されるはずだ。


どうしよう、どうしようと、彷徨きながら考える。もう一度冷静に辺りを見渡す事にした。何か手掛かりがあるかもしれない。そして、1分も経たない内に、発見してしまった。


なんと、バーカウンターから、そこまで離れていない場所にテーブルが設置されており、その上には、コーヒーを作る機械が2つ置かれている。ホテルのバイキング会場とかによくあるあれだ。そして、張り紙には『free』と書かれていた。今、頭に雷が落ちた気がする。この衝撃は強い。


平良は、バーカウンターの売り子に気付いて貰えるように、わざと大声で笑いながら「わーお!ふりーどりんく!」と言って見せた。きっと売り子の女性は「なんだこいつ」と思っていたに違いない。それでも、一緒に笑ってくれた。


こんな、日本にいる時では決して味わう事の出来ない時間が、平良は心地よかった。まるで、夢を見ている様にも思えた。そして、ビール代は勉強代だなと思いながらコーヒーを啜る。何を勉強したのかというと、堂々と楽しんでいれば、この著しく乏しい英語力でも、案外聞き取れるし伝わるという事だ。


いい気分になりながら、夕陽に染まった綺麗な空と、そして、日本では12月にしか目にすることがないであろう、電飾を眺めている平良は、まさかこれから、自分の身に事件が起ころうとは予想だにもしていなかった。



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