第095話 『母娘』
翌、月陰の日
誰もいないマイル近郊の草原地帯にて対峙する二人の母娘。
「そういえばこっちで目覚めてから一度も剣を合わせてなかったわね、結月」
先日のレインの店での一件、結月があまりにも不甲斐なかったのを見かねた静が『ちょっとあなたの剣を見せて』とここまで連れ出されたのだ。
結月の前に対峙する、目標にして孤高の存在、静。物心つく前から祖母に竹刀を握らされていたという母は、いつだってその高みにいた。
『さすがはあの中村静の娘だね』
剣道の大会で幾度となく言われた言葉だ。普通ならば皮肉に取れなくもないその言葉も、結月には『誇り』だった。その名に恥じぬよう生きてきた。
その母が敵にまわったとわかった瞬間の、あの絶望感は思い出しただけでもゾッとする。天地が返る思いとは正にあの事だ。
だが今は対峙する状況だが『敵』というわけではない。剣を構えて冷静にその佇まいを観察し、呼吸を読む。
「いいわよ、打ってきなさい。私は手を出さないから」
母に小手先のトリッキーな剣技は通用しない、結月は正攻法で次々と剣を打ち込んでいく。
上へ下へ、突いて薙ぐ。それらをキレイに受けて流す静。いつしか結月は呼吸を合わせているつもりが合わされている事に気がつく。
「結月、あなた『眼』が先行しすぎよ」
静はそう言うと一度構えを解き、結月に受けの姿勢をとらせる。互いのその距離は大幅で歩いて三歩ほど。
「打ち込むわよ。『眼』に惑わされないでね」
そう言うと静は正眼に構える。そんな静の一挙手一投足に意識を集中する結月。と次の瞬間、母の腰が少し下がったと思ったら受けに構えた剣に響く衝撃!
「くっ!?」
「だから言ったでしょ?『眼』に惑わされないでねって」
その声は結月の背後から聞こえる。慌てて振り返り、剣を構える結月。
「剣も将棋も何でも一緒、その場に臨んで見て判断して動いてちゃ遅いわよ。何十、何百というパターンを予測してそれぞれに対応できる動きを常日頃から身に付けておきなさい」
そう言う静はもう剣を降ろし、構えを解いている。それにならい、結月も構えを解く。
「技術と知識はあるみたいだけど、結月、あなたは圧倒的に『経験値不足』ね。でもまあいいでしょう、一緒に『島』へ渡りましょうか」
曰く、結月があまりにも不甲斐ない様子なら、静は結月をここで待たせて永遠と二人で島へ渡る事も考えていたそうだ。なんせ東の最果てのまだ向こう、魔獣の濶歩する離島だ。我が身も守れない様だと万が一の事態もないとは限らないのだ。
「今日はこれくらいにしときましょう。また時間を見つけて稽古をつけてあげます。あなたも素振りくらいはしておきなさい」
「はい、ありがとうごさいました。お母様」
結月と静は互いに一礼し、この時代に目覚めてから初めての稽古を終える。
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「でもさ、母さんの剣って迷わず『首』を狙いに来るわよね。なんで?」
街へと戻る郊外の街道。結月は母の剣筋を思い出す。ゲオの時も先日の一件も、静の剣は確実に首を刈る剣筋だった。剣道として習う剣にそんなものは存在しない。
「そうね。そもそも剣道って『相手を倒す』格闘技じゃないものね」
そう言うと静は立ち止まり、誰もいない方へ向いて正眼に構える。そして振る。無駄のない、まるで剣道の教材用DVDの手本のようにキレイな剣筋。
「結月。あなたの正確な剣筋、素晴らしいと思うわよ。剣道はそれを競う競技だからね」
でもね、と静は言葉を続ける
「結月、あなたは私の母さん、お婆ちゃんから剣を習ったでしょ?私も『剣道』はそうなんだけど、私に最初に『剣』を教えてくれたのは私のお婆ちゃん、あなたの曽祖母にあたる人なの」
そしてその曽祖母、剣道家ではないという。
「あなたの通っていたウチの実家の道場、あれ元々は剣道場じゃなかったの。薙刀道場だったのよ」
時代の流れもあってか一向に増えない門下生。それを静の母が『このままでは道場が廃業れる』と他所へ剣道を習いに行き、そして五段を取得した時点で実家の道場を剣道場にしたという。
だがそこは戦前から脈々と続く薙刀道場を継いだ祖母、結構な衝突があったそうだ。
「薙刀と剣道、ルールも結構違うんだけど、戦前は薙刀対剣道の公式試合なんかもあったんだって」
家事と仕事と忙しかった母にかわり、薙刀を手にした祖母に剣を習う事が『剣の始まり』だった幼い頃の静。静の母がいざ剣道を教えようとすると『静の剣筋がエラい事になってる!?』と慌てたんだそうだ。
「だから母さんの剣筋は多様化したんだ」
と言う結月の言葉に静は首を横に振り
「昔ね、道場によくお婆ちゃんのお友達が遊びに来てたの。その人たちによく言われたのよ」
と言うと静はいたずらっぽく笑い
「さすがは『首刈り十和子』の孫娘だねってね」
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宿へ戻り、風呂で汗を流す二人。
親子であるはずなのに、肉体年齢では2歳しか差がないはずなのに、胸の存在感が母に対して圧倒的に足りない結月。
「くそぅ…なんでだ」
圧倒的に足りないのは経験値だけでいいじゃない、そう呟く。
「ふふふ。そういうのが好みって男、案外いるものよ」
その母の言葉を全力で蹴り返す
「ふんっ、そんなのこっちから願い下げよ!大体『肉体的特徴』に惹かれる男なんてロクなヤツいないじゃん」
ましてや貧乳趣味なんてキモいわよ、と毒づくと『じゃあそんなに気にしなくてもよくなくて?』と静に言われ、結月は顔を鼻まで風呂に沈めて『ブクブクブク』と何やら呟く。
「でもね、本当は私、結月には剣道をやって欲しくなかったの」
「えっ?」
たしかに結月が自分で『剣道をやりたい』と言い出すまで、静が結月に剣を教えるような素ぶりはなかった。むしろ高めのハードルを設けられて阻止するような気配すらあった。
「私は幸いにして祐樹という物好きな人と知り合えて結婚して幸せになれたけど、やっぱり『剣豪な女』ってのはどうなのかしらね」
自身の筋肉質な腕を見て笑う静だが、結月としてはその若さもあってか『結婚』に対してそこまで夢を持っていない。結婚する事こそが幸せだとは思わないし、ぶっちゃけ独りでも幸せな人生を送る自信がある。
「そうね。私もそう思ってたわね」
大学院に通いながら『妊娠・出産・育児』をこなした静。その母の語る育児生活。
「大変だったのよ。出産してすぐの頃は昼間も夜中も3時間おきに授乳しなきゃだし、深夜の2時に授乳してたらオシメからウンチ漏れてて。それを掃除してシーツも洗濯して。『私、何やってんだろ…』て思ったりしてたのよ」
まあそこは祐樹も手伝ってくれたんだけどね、と苦笑する静。
だが女として生まれ、いずれ『母』となるならば結月も必ず通る道。そんな話を聞いてまだ結婚したいなんて全然思わないし、思えない。
「でもね、そんなのも今思うと幸せの一つだったなって思うの。あなたが生まれてくれなきゃ『あの苦労を味わえる権利』もなかったもんね」
苦労を味わえる権利?そんなものいらないし欲しくもないわ、そう言う結月に
「楽で楽しい事が『幸せ』とは限らないわよ。辛く苦しい事が『不幸』とも限らないし。少なくとも今こうやって祐樹の為に苦労が出来る事、私は幸せに思うわよ」
と言って笑う静。たしかに『何かを乗り越えて何かを成す』というのは楽な事ではないが、その達成感は何物にも代え難い、と言うのならば結月にもわからなくもない。
「ま、理屈じゃないのよ。現に今こうやってあなたと一緒にお風呂に入って、その慎ましげな胸を見て笑って、こんな幸せなことわぶぇっ」
「なによっ!誰の遺伝子よ!」
全力で湯船のお湯を静に浴びせる結月。負けじと静も浴びせ返す。
「知らないわよっ!私も私の母さんもナイスバディだったわよ、苦情なら祐樹のトコのお義母さんに言ってよね!」
そこから始まる湯と苦情の浴びせあい。
あまりに長く風呂から戻らない二人を心配した永遠がその外見を女性に変えて女風呂へ様子を見に行くと、そこにはいい感じに茹で上がった二人がいたそうな。
「…なによ、あんた外見好きに変えれんでしょ。その大きな胸は嫌味?それとも好み?もう胸の大きさで税率変えたらいいのに…」
と、結月のわけのわからない八つ当たりに、ただただ苦笑する永遠なのでした。
女性がファッションや自身のスタイルを気にするのは、男性に対するアピールというより、どちらかというと同性である女性に対するライバル心のほうが強いですよね。
『男ウケなんてどうでもいい、ただ他の誰よりもオシャレで可愛くありたい』
そう願うのは女性の性でしょうか。
まあしかし男性も『男らしくありたい』と願う理想は、女性から見える『カッコいい』ではなく、男から見た『カッコいい』だったりします。
その辺はあまり男も女も変わらないのかもしれませんね。




