第081話 閑話7『中村静の長い1日』
『…この件により警視庁は情報を漏洩させた疑いで住所不定・無職の真島祐樹容疑者(27)の身柄を確保して事情を聞き、取り調べを進めています』
テレビの朝の全国ニュースから聞こえてきた聞き覚えのある名前に、静は思わずテレビを凝視する。
『調べによると真島容疑者は、アルバイト女性のIDで研究所内に侵入し、備え付けてあった端末を使用してインターネット上に研究データ等の企業内部情報を故意に流出させた疑いが持たれています』
画面に映し出されていたのは見慣れたあの研究所の建物。静はテレビの前で口を開けたまま固まってしまう。
「ねえ静。この研究所ってあなたがアルバイトしてた所じゃないの?」
あ…あ…な、なんなんなのよこれ?どうして、何が、どうなってるの?何をやってんのよあの男は!?
あまりにもの予想外な展開に静はまだ口を開けたまま茫然自失状態だ。
「静、静っ!あなた大丈夫?」
「あ、ごめん母さん。これ私の行ってた研究所で逮捕されたのって担当の主任さんだ」
しかもニュースで言ってた『アルバイト女性』って私だ、とはさすがに言えなかった。だが母は察したようだ。
「じゃああなたの所にも警察官が来るのかしら」
そんな、私は何も知らないし何もしていない!確かに彼を研究所に入れたのは私だけど…
と朝から混乱する静だったが、結局、静の元へ警察官が訪れる事はなかった。
朝から大学へ行った静。着くや否や門の前にいた報道関係者と思われる数名の方からマイクとカメラを向けられる。
「この大学の学生があの事件のあった研究所でアルバイトをしていたらしいのですが、どなたかご存知ありませんか?」
どうやら誰がその『アルバイト女性』なのかはまだ把握していないらしい。手当たり次第聞いているようだ。静も『すいません、存じ上げません』と答え、校内へ。
そして事情を知っていそうな吉井教授の元を訪れる。
「吉井教授、中村です。よろしいでしょうか」
「入りなさい」
静が入室すると、吉井教授は少し疲れたような諦めたような、そんな表情を見せていた。
「…教授。貴方は最初からご存知だったのですか?」
吉井教授は暫く逡巡すると首を横に振り、口を開く。
「中村さん。もう少し、もう少しだけ待ってもらえないだろうか。そうしたら説明させてもらうよ。大丈夫、君の所に警察官が来るような事はありません」
そう言うと教授はデスクの上で手を組み、苦悩の表情で俯き目を閉じた。
「わかりました。失礼しました」
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「ねえねえ?あのニュースの『アルバイト女性』ってこの大学の学生なんだって!誰なんだろうね」
学内はその話題で持ちきりだ。静も別に友人達に詳しいアルバイト先の話はしていない。あえて言う必要もないと判断した静は皆と同じように『誰だろね』と答えておく。
と、視界の端にある男子学生の姿が。西川だ。
(なあ、俺たちも逮捕されちゃうのかな?)
(馬鹿言いなさいよ、あなた何か悪い事したの?黙ってジッとしてれば何事も無かったように終わるわよ。余計な事は言わないでね)
とクギを刺しておく。
とりあえず研究所へ近づくのは危険だ、報道のエサにはなりたくない。夕方まで大学で過ごした静は、まっすぐ帰宅する事に。
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「お帰りなさい、静。例のニュース、まだやってるわよ」
夕方のテレビのニュースも情報漏洩事件の話題で持ちきりだった。
その中に1つ明るいニュースが。流出被害を受けた製薬会社が真島主任を告訴しない方針を明らかにし、これにより呼び方が『真島容疑者』から『真島氏』に変わったようだ。
そしてそのニューストピックで静は初めて自分の参加した研究の意味を知る事となる。
テレビの中の医療ジャーナリストのコメンテータがそれを説明してくれた。
『この研究により、コールドチェーン管理の必要なワクチンも常温保存が可能となります。その上軽量になる為、それを最も必要とする地域、今まで届ける事が難しかった輸送手段の限られるアフリカ内陸部や熱帯地域、保存設備のない貧困地域にまで一度に大量のワクチンを届ける事が可能になります。これは様々な意味で『世界を変える』研究ですよ』
そんなに凄い研究だったのか!確かにそうだ、真島主任は言っていた『ワクチンを粉末化する研究です』と。
しかしならばなぜ情報を漏洩させたのだ?その質問は静に代わってニュースキャスターがしてくれた。
『薬には様々な法律や制限があり、日本では認可が下りるまで長い時間を要します。ですが他の国では様々な対応を取っており、いち早く製品化させたかった彼が故意に製法の情報を世界に向けて流出させたのではと私は考えてます』
『ではなぜ真島氏はより早くの製品化を望んだのでしょうか?』
『それには二つの答えが考えられます。1つは誰よりも早く製品化させてその名誉を独占したかった、もう1つは今現在も失われつつある多くの命を救う為、なりふり構わずワクチンを製品化させてその流通を望んだ。私は後者だと思いますね。彼は国際援助のボランティアでアフリカにいた人物です、だれよりもその現実を知る人物ですよ』
静はパソコンを立ち上げ、流出した研究データを探す。それは直ぐに見つかった。web上のあちこちに『魚拓』が貼られ、もうその広がりを止める事は不可能な状態だった。
そのデータに目を通す静。だがそれは見覚えのあるデータではない、キチンと細部まで精査され、パターンを解析し、全てを綺麗に完璧に纏め上げた膨大な『完成されたデータ』だった。
ラボのチームメンバーが提出した、投げっぱなしの計測データなんかではなかった。
「なんで…なんで貴方は…」
静の目から涙とウロコが落ちる。彼は、真島主任はデータの取れたその夜にデータを編纂し、纏めていたのだ。夜通しで。毎晩。
『あ、もう間も無く真島氏が弁護士を伴って記者会見を開くようです。会見場に森井キャスターがいます、森井さーん!』
と、静はテレビに釘付けとなる。会見場を写すテレビの中に弁護士や知らない人に並び、坊主頭でキレイにヒゲを剃った真島主任の姿があったのだ。
『では会見を始めたいと思います。まず始めに真島氏の言葉をお聞きください』
進行役にそう言われ、真島主任は話し出す。
『World all of you. Medical professionals. I'm Majima. Please make a vaccine using my research results. Thanks to excellent researchers I was able to finish it. Finally I would like to thank everyone who researched at the site. 』
(世界中のみなさん、医療関係者の皆様、真島と申します。お願いします、私の発信した製法のデータでワクチンを作って下さい。優秀な研究員達のおかげで製法の完成にこぎつけることができました。彼らの知識と努力に感謝します)
同じ事をフランス語とスペイン語、ドイツ語で言うと、記者達の質問を振り切り、会見は終了した。
呆然とテレビの前に立ち尽くす静。
「凄い人ね、真島さんって。静、行かなくていいの?」
その母の言葉をきっかけに静は動き出す。
コートを羽織りマフラーを巻いてブーツを履き、駅へ向かって駆け出す。
どこへ向かえばいい?会見はどこでやってた?そんなの知らない!とにかく向かう。どこへ?とりあえず研究所だ!白い息を吐き、静は疾走する。
はやる気持ちを抑えてメトロに飛び乗り、研究所の最寄駅で降りる。
研究所の前には報道関係者が陣取っていた。動きがないところを見ると真島主任はこちらへは来ていないようだ。
とそこへ停車する一台のタクシー。降りて来たのはなんと真島主任。
途端に報道陣に取り囲まれる。当然だ、見えてなかったのかこの状況!?
静は通行人を装い、そ〜っと研究所の入り口まで歩いて行く。素早くIDカードを翳し開錠すると
「主任っ!こっち!」
真島主任を研究所内に引き込み、素早くドアを閉める。
「ああ、中村さん。助かったよ」
会見ではかなりキリッとした表情だった真島主任だが、目の前にいる彼は相変わらずのボヤッとしたいつもの彼だった。
「なんで…なぜ誰にも相談しなかったのですか!?」
静に責めているつもりは、あった。
「じゃああなたは『流出させて会社に損害を与えるデータを作って』と言われて、そんな事に賛同できますか?」
出来ない、出来るはずもない。今回は刑事告訴されなかったので避けられたが本来ならば『犯罪者』、前科者になるのだ。
「第3研究室で研究して下さった研究員の皆さんには本当に感謝しています。ですが彼らを巻き込む訳にはいかなかったのです。彼らはあの製薬会社の将来を担う非常に優秀な研究員です。その経歴にほんの小さな汚点も残すわけにはいかなかったのです」
彼らの名はその製法を生み出した研究者として歴史に名を残し、『真島祐樹』はその製法を流出させた『愚か者』として名を汚す。
これが真島祐樹と吉井教授、そして吉井教授の知人でもある製薬会社の会長の描いたシナリオだった。
「でも、だったら何で、貴方に何が残るのよ!」
「私には何も残らないし、何もいりません。ただ泣いて悲しむ人達が減ればそれでいい。それだけですよ」
祐樹の見て来たアフリカの現実
未だ部族社会が根底にあり、紛争や内戦の絶えない彼の地。そこに蔓延するエボラや結核、そしてHIV。ポリオやマラリアのワクチンも足りていない。
清潔な飲み水もなく、健康な人ですら汚染された水を飲み感染症にかかる。そんな環境の中でも懸命に家族を守る父親と母親。
出産はまさに命懸けだった。出産時の母親の死亡率も非常に高く、また子供の生後一年以内の生存率も恐ろしく低い。
ほんの少しの抗生剤、ほんの少しのワクチンがあれば救えた命がたくさんあった。
その少ないワクチンですらコールドチェーン管理(低温保存)もままならない現状。
奥地の小さな村に至っては『医療』すら存在しない。祈祷師が祈祷するのみだ。
「君にとってのアフリカは『テレビの中のはるか遠い異国の地』かもしれない、けど私にはこの同じ空で繋がれた『知ってる場所』なんだ。母親は同じ様に十月十日お腹の中で子供を育み、そして出産に挑む。それは日本もアフリカも変わらない。産まれてくる子供もね。みんな可愛いんだよ」
と言って真島主任は笑った。
のちに静は語る。この瞬間、私はこの人と結婚するんだと確信した、と。
一応、劇中は約20年ほど前を時期に設定しておりますが、その時期にはマラリアのワクチンはまだ出来ておりません。
と言いますかごく最近ですね、マラリアのワクチンが実用段階に入ったのって。
近年、日本も平均気温が上がってきており、マラリアの脅威が他人事ではなくなる日もそう遠くはないかもしれませんね。




