第078話 閑話4『大学生・中村静』
うららかな春のような陽気につつまれた草原の街道を、三人を乗せた馬車はポクポクと進んでゆく。
カブールを出て約20日、次の街まで続く一本道の街道。手綱を握るのは永遠だ。
静と結月は幌を外した荷台で爽やかな風を浴びて微睡んでいる。
「ねえ母さん、こんなこと言うのもなんだけどさ、父さんのどこが良かったの?」
結月がイミグラで目覚めた時、父である祐樹も横で寝ていた。だが若返っていたその姿は父と言うよりも『少し歳上の男性』だった。
そう思ってあらためて見ても、ごく普通だった。とりたててイケメンではないし、あの人に惚れることは…まず無さそうだ。
「なによ失礼ね。祐樹の良さがわからないなんて結月、あなた残念で愚かな人ね」
「なっ…!?」
いや、そこまでは言わなくても、と結月は抗議しようとしたのだが
「でもね、私も初めて会った時はまさか結婚するとは考えもしなかったわよ」
と笑い、静は『祐樹との出会い』を語り出す。
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「中村さん、私の知人から『優秀な学生を2名ほど助手に回してくれないか』って頼まれたんだけど、行ってくれないかな?」
大学2年の冬、静は自身の通うゼミの吉井教授にそう頼まれた。一応バイト扱いで給料も出してくれるとの話だった。
そのバイト先とは大手製薬会社が運営する研究所、新薬の開発や研究をしているところだ。
自身も来春には大学3年生、もうそろそろ就職するか院に進むか決断を迫られる時期だ。他の事にかまけている場合ではない。
だが、就職するならばゲノム解析を専攻している自分に研究所でのバイト経験はプラスにはなってもマイナスにはならないだろう、そう考えた静は教授の頼みを二つ返事で引き受けることにした。幸い本年度の単位も日数も既に達成済みだ。
もしかすると『新薬開発』に携われるかもしれない。
世界を変えるような夢の新薬の研究開発に自身も立ち会い、貢献できるのでは?そんな期待がなかったわけでもない。
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「失礼します。帝関大学生命科学部の吉井教授の紹介でこちらへ伺うように指示を受けた中村と西川ですが、真島主任はおられますか?」
受付で案内された場所は職員室のような事務室だった。
「ああ、こっち、こっちだよ」
と奥の方から手を挙げて静達を呼んだのは薄汚い白衣に身を包み、ボサボサ頭に無精ヒゲ、清潔感のカケラもない主任研究員『真島祐樹』だった。
「吉井さんのとこの学生さんだね。え〜と…中村さんと西川君だったよね、IDカード出来てるから渡しとくよ」
どうやら話は通っていたようで一安心なのだが…なんなんだこの男は?A型の静としては生理的に受け付けないタイプの男だ。こんなのが上司をしているバイトとは…先が思いやられる、と若干意気消沈気味な静。
「そのIDカードで勤務時間とか給料とかも計算するからね、無くしちゃダメだよ。あと情報管理も厳しいから誰かに貸したりしちゃ絶対にダメだからね」
静は思わず『そんな事あなたに言われなくてもわかってます』と言いそうになるのを抑えて『はい』と返事をする。
じゃあ案内するから、と真島主任に連れられて静達は研究所の上層階『第3研究室』へ。
「ここはね、既存のワクチンを粉末化する研究をしてるんだ。もう作業は大詰めなんだけどさ、その為のデータ管理や観察にちょっと人手が足りなくてさ、ウチのメンバー達も全然休めてなくて一杯一杯なんだ」
と言い、真島主任は自分のIDカードをセキュリティゲートへ翳す。それにならい、静と西川も自分のIDカードを翳し、『第3研究室』へ入室する。
「みんな聞いて下さい。私の知人から優秀な学生さんを2名派遣してもらいました。西川君と中村さんです。西川君にはAチーム、中村さんにはBチームに入ってもらいます。それぞれ都合のつく時間を聞いて上手にローテーションに組み込んで、交代で休憩なり休暇なり摂るようにして下さい」
じゃあ各チームリーダー、よろしく。と言って真島主任は退室してしまった。
「中村さん、私がBチームのリーダー・三谷です。さっそくだけど今日ってこれから時間あるかしら?」
はい、大丈夫です。と静が答えると三谷女史はさっそく仕事についての説明をしてくれた。
要は経過観察とデータ取り、そしてエクセルのようなデータ入力。単純な作業だ。
Aチームがセッティングした実験をBチームが観察し、データを取る。Aチームに行った西川がちょっと羨ましくも思う静。
一通り説明してくれた三谷女史は、Aチームのリーダーと相談すると
「うん、じゃあ観察当番の2人にはちょっと悪いんだけど、今日はこれから学生2人の歓迎会をしましょ!2人ともお酒呑めるんでしょ?」
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「「「かんぱ〜い!」」」
研究所の近所の居酒屋で静達は歓迎会を開いてもらった。
と言うより歓迎会を名目にした呑み会のようだ。
皆、白衣を着ていたのであまりわからなかったが、けっこう若い。そしてある事に気が付く。真島主任が来ていない。
「主任さんは来られないのですか?」
静のその一言に席は静まり返る。そして三谷女史が口を開く。
「ねえ中村さん、あの人に来て欲しいと思う?」
あまり知らない人を否定するのは静としても好ましくないとは思うのだが、いかんせんあの身なりだ。本音で言うとあまり近寄って欲しくない。
「だいたいあの人ね、研究員じゃないもの、管理者なのよ」
その三谷女史の言葉を皮切りに、方々から愚痴が溢れ出す。
やれ口うるさいだの、やれ細かいだの。計測データが誤差の範囲内だというのに『はい、やり直し』と言われたり。
「その前にあんたの身なりをやりなおせっての」
と言って皆に笑われている真島主任。
そして三谷女史は語り出す『将来の展望』
「私はね、まだ治療法もない難病を研究して治す薬を開発したいの」
そういった難病に苦しむ人々を治療して助け、いつか偉大な医学博士になるのが夢だという。
「こんな既存の薬をイジってる場合じゃないのよ。まあ仕事だし上からの指示だからやるけどね」
三谷女史は溜め息まじりに言葉を吐き出すと焼酎をあおる。
「え、でも研究テーマって誰方が決めてるんですか?」
「真島主任よ。彼が会社に企画書をプレゼンして通ったから私達が彼方此方からあのラボに呼集されたのよ」
三谷女史曰く、新薬開発は期間も長期に及び、成果が得られない事も多く、しかもリスクが大きい。
それに比べて既存の薬の改良は成果がなくても元々で、成果が出ればラッキー。リスクも少なく期間も短い。
「どうせ『上』にいい顔するのと給料泥棒の一石二鳥狙いでしょ。あんな薄汚い男の考えそうな事よ」
みな『うんうん』と頷いている。これはまた随分と嫌われているものだ、真島主任。
「そんな話より中村さん、あなた彼氏いるの?大学生なんでしょ、青春を謳歌してる?将来有望ないい男いたら紹介してよ。ツバ付けとくからさ」
楽しげな笑いに包まれて、『歓迎会』という名を借りた飲み会は夜遅くまで続いた。
と、静の回想から始まった閑話『出会い』。全5話でお送りします。
こんなノリのラボのメンバーですが大半は博士号を持っており、出向元の製薬会社では実績と実力を兼ね備えた優秀な研究員達です。
だからこそ実績も実力もない『真島主任』が上に立ってダメ出しするのが気に食わないでしょうね。
それにまあ上司の愚痴は呑み会のお約束みたいなものです。




