第006話 『誰か噂をしておるのか?』
二人が石室を出て小一時間ほど歩いた頃だった。
先を行くエイがその歩みを止める。
「ユーキよ、何かの気配があるぞ。感じぬか?」
「ん、何かいるのか?」
祐樹は肌の感覚に意識を集中する。
うん、何かいる、のか?
漠然と、存在というか気配のようなモノを感じる。
「あれじゃ」
とエイの指差す先の茂みに見え隠れするのは…イノシシのような獣だ。
「イノシシじゃな」
初エンカウントがまさかの普通の動物で拍子抜けする祐樹だったが、二人がイノシシを確認したと同時にイノシシも二人に気付いた。
そしてイノシシは前を行くエイではなく祐樹をターゲットにして猛突進してきた。
突然の事に回避が遅れ、目前までイノシシに迫られる祐樹!
「ヤバいっ!」
と直撃を覚悟したその瞬間。
…時間が、止まった?
いや、止まってはいない、スローモーションだ。突進して来るイノシシがスローモーションになったのだ。
それでもこれを喰らうのはまずい、と慌てて跳んでかわす祐樹。が思った以上に跳び上がり
「うげっ」
祐樹は遥か上にあった木の枝に頭を強打し、スローな世界の中、ゆるやかに落下した。
イノシシはそのまま走り去って行ったようだ。祐樹にはもう気配も感じられない。
「ぃたたた…」
しかし今のは何だったんだ?と上を見る祐樹。
頭を強打した木の枝は普段街でよく見る街灯くらいの高さにある。これがこの世界の人間の平均的な運動能力なのだろうか?
「ははは。災難じゃったの」
笑いながら手を差し伸べるエイ。
「なあエイ。今のイノシシ、なんか途中からスローモーションにならなかったか?」
「なんじゃ?儂にはユーキが大仰な跳躍でイノシシを避けたようにしか見えんかったがの」
祐樹には遅く見えてもエイには普通に見えていたようだ。
という事は今のは何かの動きを遅くする現象、ではなく自分以外の時間を遅くする現象なんだろうか、だがそもそも俺ってば魔法使えないんだよな…とブツブツ考える祐樹に
「いやしかし惜しかったの、今のイノシシ。あれだけの大物であれば森を抜けて街へ出るまでの食料に事欠かなかったんじゃがの」
というエイを祐樹は驚愕の表情で見返る。
「えっ!!無いのか食料!?」
「儂のどこに食料があると?」
お手上げポーズのエイ。たしかに手ぶらだ。
「あ、いや、あの、でも、なんか夕方になったら勝手に食事のシーンになったり、さあ食事も済んだし歩こうか、とか、いつの間にか食材があったり…」
と祐樹は御都合主義満載な話をしていたがエイのとても残念な人を見る優しい笑顔を見て、諦めた。
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先のイノシシ遭遇から数時間後。またしても歩みを止めて手で祐樹を制すエイ。
今度は祐樹にも感知できていた、しかし何処に何がいるのかまではわからない。さっきのイノシシとは少し違う気配だというのはわかるのだが…
「聡いのユーキ。あれじゃ」
エイの指差す先には…今度はウサギだった。だが知ってるウサギより随分と大きい。
そして決定的な違いはその頭にある一本のツノ。
「ホーン・ラビットじゃな」
まんまだ。ひねりなし。
割とファンタジーでは定番中の定番中、角ウサギ。
「魔獣の類じゃが食えるぞ。味は普通のウサギと変わらん」
どうやら『魔獣』と『獣』の間に食材としての垣根はないようだ。だが注意事項があるようで
「あまり魔力の強大な魔獣を食べるとな、その魔力素を身体が消化吸収できずそのまま排出されてしまう、わかりやすく言うと腹を下すのじゃ」
ああ、魚でいうところの『アブラボウズ』だ。
だが祐樹は魔力を全く持っていない。おそらく魔力素の消化吸収も出来ないのではないだろうか。
とくれば魔獣を食べれば腹を下すこと必至だ。よって祐樹は魔獣は食べられないと判断した。
「かわいいウサギじゃないか。俺は無益な殺生はしない主義なんだ」
博愛の眼差しで角ウサギを見守る祐樹。だが
「あの角は売れるぞ」
「かわいそうだがあのウサギには死んでもらう」
エイのジト目を横にナイフを抜き、それっぽく構える祐樹。黒光りするそのナイフは相変わらず重い。
祐樹が身を屈めて距離を詰めようと一歩進んだその時、角ウサギは背中を見せて逃げ出した。
「あっ、待て!」
と祐樹が駆け出した瞬間。
まただ。
世界が祐樹だけを残してスローモーションになる。
角ウサギを追う祐樹。
軽い。身体が軽い。持っていたナイフも羽根のように軽い。
祐樹は空を駆けるように走り、あっという間に角ウサギを追い越して前に立ち塞がる。
角ウサギは進路を変えようと向きを変えたが祐樹はその先に体を入れ、真正面から対峙する。
驚愕に小さな目を見開く角ウサギ。
背中を見せ、逃亡を計る。
が、
遅い。遅すぎる。
祐樹の目の前にあるのは角ウサギの無防備な首。
あとはこのナイフを振り下ろせば殺せる。楽勝だ。
…だが祐樹はそのナイフを振り下ろせなかった。
「なんじゃユーキ、角を取るのではなかったのか?」
「あ、いや、なんだ、その為だけに殺すのはなんだか気が引けて…」
「そうか。まあ己が不甲斐ないとおもうのであれば次で結果を出せばよいのではないか?」
ニヤリと笑うエイ。祐樹は図星を突かれて苦い表情だ。
「生き物を…殺す、か…。」
祐樹とて別にベジタリアンというワケではない、今までさんざん肉を食べてきた。ただその『命を奪う』行為を他人任せにしてきただけだ。
現状それは通用しない。金があれば肉も買えるのだろうがそもそも金もないし店もない。全て自分でやらなければいけないのだ。
それが出来ないのならば話は簡単だ、今度は祐樹自身が彼らの『食料』になるだけだ。覚悟を決めねば数日後には彼らの糞だ。
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再び森を歩き始める二人。
祐樹は歩きながら考える、前を行くエイの事を。
見知らぬ世界で自分が起きるのを待っていた、この旅の水先案内人・エイ。
戦っているところは見た事はないが肌で感じる、本能でわかる。彼女は『強い』。
祐樹には格闘技経験はほぼないが、それでもわかってしまうほどの戦ってはいけない相手特有の『嫌な感じ』を持っている。
そしてもう一つ祐樹がエイに感じたもの、それは『秘密』を持っているという事。
誰かに依頼されて自身を護衛する為にあの石室で起きるのを待っていたと言っていたのだ。その『誰か』が誰なのかは気になるところだが、それは聞いたとておそらくは教えてくれまい。
そこは祐樹も理解する。だが一つ、一つだけどうしても納得のいかないことが。
祐樹はあやしむ。なぜなんだ…
…あの格好。
「へっくし!」
前を行くエイがくしゃみをした。
夕方頃、祐樹は朝のヤツより小ぶりなイノシシを仕留めた。
エイのあの格好の理由は後で説明しますが、ある人の無茶振りから派生したあの格好です。
そこに本人の意思は介在しませんが、案外ノリノリであんな格好して楽しんでます。