第004話 『あのお方』
「なん…だと…!」
祐樹は拳を握りしめ、湧き立つ感情に後押しされて呻くように言葉を吐き出す。
「何がどうなっているんだ!?『全てを知る者』とか言ったな?私がここでこうなっている理由を知っているのか?私は生きているのか?死んでいるのか!?」
脳裏をよぎるのは妻と娘の笑顔。たった昨日まで当たり前にあった平凡な日常。祐樹は立ち上がり、エイに詰め寄る。
「これはなんなんだ!私はもう帰れないのか!?君は何か知らないのか!?なぜなんだ…私が何をしたってんだよ…」
八つ当たり気味に言葉をぶつけた祐樹だったが最後の方は涙と嗚咽でもう言葉になっていなかった。
あまりにもあっさりと失ってしまった『当たり前の毎日』、そしてこのワケのわからない『現実』。祐樹はエイの胸ぐらを掴んだまま、茫然自失にまた崩折れてしまう。
だがエイは、それを特に気にする様子もなく平然とこう答えた。
「ふむ、儂にはユーキ殿が何を知らず何が知りたいのかがわからぬのじゃ。じゃがな、『あのお方』ならばユーキ殿の持つ疑問の答え、その全てを持っておられるはずじゃぞ」
不敵な笑みを瞳に湛えるエイ。
祐樹はそんな彼女の瞳をじっと見上げる。
流れる沈黙の時間は数秒か数刻か。
この女性を、『あのお方』とやらを信じていいのか?
「…すまない、取り乱してしまった。少し、考えさせてくれ」
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石室内に戻った祐樹は少し冷静さを取り戻す。
なぜ自分がこんな事になっているのか祐樹自身にも全然わからない。だがここで泣き喚いても仕方がないのは事実だし、そもそも自分を守るために彼女はここで起きるのを待っていてくれたのだ、彼女にあたるなんて以ての外だろう。
そしてどうやら『あのお方』とやらが何かを知っているようだ。だが祐樹はあの事故で『死んだ』ということを自覚している、よもや家族に再会できるとは到底思えない。かと言ってどうしたらいいのかもわからない。
唯一わかっている事、それはこのままここにいても仕方がないという事くらいだ。そして他に為すすべもない事も。
「……。」
…前に進む道があるというのなら進もう。もしかするとその道は『家族との再会』に繋がっているかもしれない、少なくともここにいるよりは。
「…わかりました。私をその『あのお方』の元へ連れて行って下さい、お願いします」
するとエイはニヤリと笑い
「左様か、心得た。では着替えた後に夜明けを待って出立じゃ。とりあえずは街へ出るぞ」
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祐樹は彼女から渡された服に着替えた。
黒を基調とした前開きで裾の長い、ファンタジー要素たっぷりな服だった。目の前の女性もいい歳してコスプレっぽい格好をしているが、そういう世界観なのだろうか?自分みたいなおっさんが着ても大丈夫なのか?と祐樹は不安になったが、とりあえずは着てみる。
「ほう。よく似合うておるな」
この状況に祐樹の心も疲弊しているからだろうか、その笑顔も祐樹には含み笑いに見えた。
案外、街へ出たら皆が普通にスーツとか着ていて静あたりが『ドッキリ!』と書いた看板を持って出てくるんじゃないだろうか…なんて甘い想像をしてしまう。
「そうじゃ、これも渡しておこう」
とエイが祐樹に渡したのは刃渡り三十センチほどの黒光りするナイフ。何気なく受け取るのだが
「重っ!」
軽くて素早い武器の代表格・ナイフ。
マンガとかではよく見るモノだが実物はこんなに重かったんだ、と祐樹は変に感心する。
「あの、エイさん」
「エイでよい。『さん』はいらぬ。ユーキ殿、儂は護衛、気遣いは不要じゃ。楽に話せ」
「では私…俺も祐樹でかまわない。呼び捨てで結構、だよ」
祐樹はあえて敬語を使わず答える。
「ではユーキよ、何か聞きたい事があったのではないか?」
エイは『街へ出るぞ』と言っていたのだが、さっき祐樹が外の景色を見た時、夜だったのにもかかわらず街明かりのようなモノは全く見当たらなかった。見えていたのは月に照らされる夜の樹海ばかりだ。ここは街の近くではないのだろうか?
「うむ、結構離れておるぞ。歩いて十五日といったとこじゃ」
「じ、十五日…」
予想以上の答えに祐樹は思わず後ずさる。
不動産情報なら誤植を疑う、最寄り街までまさかの徒歩十五日。
なかなかの物件だな、この石室。と祐樹は独り言ちる。
だが自分から『連れていってくれ』と言ったのだ、いまさら『やはりここで斬ってくれ』なんて言わないし、もう言えない。とりあえず公共の乗り物か何かないのかを聞いてみるが
「十日ほど行けば街道に出るんじゃが、そこで乗り合い馬車を拾えば二日で着くぞ」
それでも十日は歩かなければならないようだ。
「じゃがそうタイミング良く乗り合い馬車が通るとも思えんがな。じゃしユーキよ、そもそもおぬし金を持っておるのか?」
ところがどっこい祐樹は金どころか何も持っていない。所持品ナシの無一文のスカンピンだ。
これは自身の主義には反するのだが、この場合は致し方あるまい、と
「ごめん、エイ。大変申し訳ない。知り合って間もない君にこんな事を頼むのは何なんだけど…お金貸してくれないか?」
申し訳なさいっぱいの顔で借金を頼む祐樹だが、エイは妙に楽しそうな顔でこう答えた。
「儂も無一文じゃ」
またしても崩折れる祐樹。
祐樹、徒歩十五日の旅に決定。
ま、百里の道も一歩からだよ、祐樹。