第204話 『罰した者と罰された者』
教会都市イミグラ
その賑やかなな表通りを行き交う人々も事情は様々で、この街に生まれた者、都会に憧れて住み始めた者、流れ着いた者、それらが渾然一体となってこの街の人の流れを作っていた。
だがそれはこの街の誰もが笑顔に満ち、明日への希望と夢に心を弾ませている『理想郷』というわけでもない。光がある以上、『影』は出来てしまうのだ。
その表通りから路地を入った奥の『裏通り』
澱んだ空気とすえた匂いに支配されたそこは、陽の光や風も届かず、まるで人の心まで停滞したかのような場所だった。
その裏通りの建物の影に結弦身を潜め、『対象者』を観察する。背後に気配を殺した二人の男を伴って。
「…ちがうね。彼は『白』だ」
結弦がそう呟くと背後の二人は『はっ』と短く答え、路地裏の奥の闇へとその姿を消した。
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祐樹が静との二人旅を再開する前夜、その別れの席を用意してくれた男たちがいた。
「すまぬな。此度は本当に苦労をかけた」
そう言って頭を下げたギリアム。そして
「ともあれこれで私とあなたは名実共に『家族』です。困った時はいつでも言って下さい」
そう言って祐樹と乾杯を交わすスタン。
「そうなる前から俺はスタンには頼りっぱなしだったけどな」
祐樹も遠慮のない笑顔で答える。
三人とも、子が『大人』となり、ここがあらためて、いや再びの『おのれの人生』を歩む岐路なのかもしれない。
祐樹は娘も息子も結婚し、スタンも一人娘は結婚、そして既に結婚をしていたギリアムの娘・カレンも人生の方向性を決めたようだった。
「私も娘夫婦には歌人として人生を歩むと告げられた。もう何も言うこともあるまい」
と父親の顔で満足げに笑って見せるギリアム。
「そうか。じゃああとは次代の教皇を任せられる人物を見つければ君も奥さんと悠々自適だな」
スタンは仕事とはいえ夫婦でグルメ旅。祐樹は夫婦で完全に漫遊旅。そんな中、まだ『後任者を探す』という役目の残っているギリアムを冗談半分に笑う祐樹だったのだが、その言葉を聞いてギリアムもスタンもキョトンとする。
「…ユーキよ、もしやお前は聞いておらんのか?」
「これは本当に知らないようですね」
顔を見合わせるギリアムとスタン。
「なんだよ、何か俺の知らない話でもあるのか?」
スタンが話すことを躊躇した為、ギリアムが説明を始めた。
「お前の息子、私のところで下働きしているぞ」
ギリアム曰く、天人教会の警察組織の裏側『猟犬』でその一員として勉強中、だというのだ。
「なっ!?俺そんなの聞いてないぞ!?」
祐樹は自分より先に事情を知っていそうなスタンを若干の抗議のこもった視線を向けるが
「私は…ユヅルの義父、つまりは『妻の父親』なります。なので自身の身の振り方については義父に説明する必要があると」
成すべき事を見つけた、と強い瞳で決意を語っていましたよとスタンは話すのだが
「…実の父親には説明なしかよ」
そう言って祐樹はカウンターにうなだれる。
「まあ思うところがあるのだろう。お前の前で言うのも何だが彼は優秀だ、ゆくゆくは教皇を任せたいと思っているぞ」
「へっ、俺に似て優秀なんだよ」
そう言って皮肉な冗句に笑う祐樹と二人。祐樹にとってまるで過去の太田会長や吉井さん達とふざけあって呑んでいるような、そんな会話。それは祐樹に遠い昔を思い出させた。
「そっか…俺に娘も息子もいて、それももう結婚してて。でも『俺』はどこまでいっても『俺』なんだよな」
いつか自分も『大人』になる、と思ったまま今の自分がいる。途中で一度は途切れたものの、今の自分はあの頃の自分の延長だと再認識する。
「俺って変わらないんだよなぁ…」
かたや娘は壮絶な戦いを経て結婚し、今や『皇后』として国母と子育てに奔走している。
かたや息子は自分なりの生き方を見つけ、愛する伴侶と共に新たな道を歩み始めた。
そうやって立派になってゆく我が子たちに対し、特に何もない自身の情けなさを酒の席でうなだれて二人に愚痴る祐樹なのだが
「ユーキ。あなたのそういう所、きっちりユヅルにも受け継がれていますよ」
「なんだよ、あいつが情けないってのか?」
自慢の息子を貶されたように感じて祐樹は強めの視線をスタンへと返す。
「違いますよ。人を、『家族』を立派だと思い込みすぎる部分ですよ」
結弦には父と母、そして姉を必要以上に『立派』だと思い込むふしがあり、自身もそうあろうと無理をして自分を作っている部分があった。
だが多くの人間がそうであるように祐樹も静もけっこう抜けている部分があり、ユヅキだって肝心な部分以外では割とポンコツ娘なのだ。
「ユーキよ、お前は生まれた瞬間から『ユーキ』で死ぬその時まで『ユーキ』なのだ。他の誰になるはずもなかろう?」
そう笑い、グラスを傾けるギリアム。
「けっ、なんだよお前らだけ大人みたいな顔しやがって」
酔い、悪態をつく祐樹に対し
「ふっ、私だって中身は昔とそう変わらん。外では大人な顔をしているだけだ」
「私は昔からこんな感じでしたよ」
二人は柳に風とやんわり受け流す。
「まあいいさ。ギリアム、息子の事よろしく頼むせ」
「うむ。図れる便宜は図っておこう」
そういうのはいいって、と笑い、祐樹たちはさらに酒を進めるのだった。
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「…見つけた」
また違う路地裏。身を潜めた結弦の視線の先には一人の獣人の女がいた。
見るからに裏社会で生きていそうな扇情的な格好とその目つき。詐欺や窃盗で生業を立てているパーティの女リーダーと目される人物だ。
なにやら数人の男と言葉を交わし建物の中へと入っていく。事前にあった情報の通りその建物が彼らのアジトのようだ。
彼ら全員の気配がアジトの中にあることを確認した結弦は、気配を殺し、その扉をノックする。そして
「ミリーさん、ミリー・バレントさん、ここを開けていただけますか。中央教会異端審問官です」
建物の中の気配が消え、周囲には殺気が満ちる。無論それで怯む結弦ではない。そしてその扉にも開く気配はない。
『仕方がないなぁ』と呟くと結弦はその手に持つ『本』に意識を通し『扉』の情報に干渉する。すると誰も触れていないのに音もなく開くその扉。
「動くんじゃねえっ!」
その刹那、二人の男が結弦に短剣を突き立てた。
「ふんっ、『教会の犬』かい。ここで始末してもいいんだけどさ、今日は機嫌がいいんだ。見逃してやるよ」
さっさと行け、とミリーは腰のダガーを抜いて結弦へと突き立てて脅す。だが
「ミリーさん。貴女にはいくつかの罪に対して捕縛命令が出ています。教会へ同行願います」
全く臆することのない結弦にミリーは軽く舌打ちするが
「姐御っ!裏口も締められてんぜ!」
逃走経路の裏口を確認しに行った男が、そこにも革鎧を着た教会騎士が張り付いている事に気がつく。
「…っ、仕方ねぇな。おいお前、悪いが死んでもらうぜっ」
とミリーはダガーに力を込める…はずだったが、その手にダガーはもうない。
「ミリーさん。同行願えますか」
ミリーのダガーを持ち、ごく真面目な表情で同行を訴える結弦。ミリーは取り巻きの二人に目をやるも、その二人は小さな呻き声を一つこぼし、そのままその場にくず折れた。結弦がミリーからダガーを取り上げるのと同時に彼らに一撃づつ攻撃を入れていたのだ。
ミリーは慌てて振り返る。だが部屋の奥からは気を失った残りの男たちをかかえた二人の革鎧の騎士が現れる。
「…あたしゃここで捕まるわけにはいかないんだよっ!」
ミリーは殺意も露わに結弦を睨みつける。だが結弦はやや表情を緩め
「ミリーさん。貴女が故郷の両親を養う為にお金が必要な事は存じています」
結弦は気を失っている男たちを一人づつ指差し
「彼と彼、サイラスとエリオスの兄弟はこの街に病気の妹がいます。彼、イーサンも故郷に仕送りをする為、そして彼…」
と一人一人の名前と金が必要な理由を述べてゆく。
「…だからっ、だからなんなんだっ!お前ぇに私らの何がわかるってんだ!殺すっ!てめぇブッ殺す!」
ミリーは結弦に飛びかかろうとする。だがちょうどその時、要請に応じて駆けつけた地回りの教会騎士が部屋へと乱入し、彼女を取り押さえた。
「ちくしょう!なんだよ!クソッ!離せっ、ざけんなっ!」
拘束されてもなお悪態をつくミリー。
「冒険者を目指した貴女たちがなぜここまでその身を窶したのか私は知り得ません。ですが…」
それでもなお結弦は優しく語りかける
「貴女の犯した罪は償えないものではありません。その罪を償えば貴女が再び陽の元を歩くことが出来ることを私は知っています」
そんな結弦にミリーはツバを吐きかける。
「けっ、誰かに教わんなかったのか?そんなのは余計なお世話ってんだよ!」
それでも結弦は微笑みを絶やさず
「貴女たちは人の『幸せに生きる権利』を侵害しました。ですがその権利は貴女たちにもあるのです」
そう言うと結弦はミリーの額に手をかざす。するとミリーは意識を失い昏倒した。
「しっかりと罪を償って下さいね。願わくば貴方に素敵で幸せな人生があらんことを」
ミリー達の身柄は地回りの教会騎士たちによって連行され、彼女らのアジトには結弦と補佐の騎士の二人だけが残った。
そんな沈黙の中、結弦がポツリと呟く。
「贖罪か…。お前たちはどう考える?」
だが二人の騎士からは返事はない。その表情もフルフェイスの皮兜をかぶっている為、何も読み取れなかった。
結弦はただ一言、彼らにぶつける。
「俺は、お前たちを許さない」
彼らのフェイスマスクに開いたただ一つの穴。そこから覗く片眼にも動揺は見られない。
結弦はその目を強く睨みつけるも、彼らは全く怯むことはなかった。
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「天罰?」
祐樹の疑問にギリアムは少し考える仕草を見せる
「『天人』が直接下した『罰』だからな。まあ『神罰』でも構わないが」
少し昔、ギリアムの元に『神罰を下された男たち』が連行されてきた。
「彼らは償えぬ罪を犯し、天人によって直接『神罰』を下された男たちだった」
『世界』によって罰を下された二人。どこにも逃げ場のない彼らが選ぼうとしたのは『死』だった。だが
『天人様はお前たちに『死』ではなく『罰』を与えた。その意味を考えぬのか』
そう諭し、ギリアムは彼らに『解放される死』へ逃げるのではなく『生きて苦しむ道』を選ばせた。
「まあ彼らは罰を下されて当然の者たちだ。むしろ本来ならば天人教会が下さねばならぬ罰、それを我らに代わり彼らに与えて下さった『天人様』に我らの愚を詫びねばならん話なのだが…」
祐樹はその話を聞き、その罰を下した『天人』が結弦であることを悟る。そして
「…『罰』を与えた以上は『赦し』も与えなきゃいけない、って事か?」
ギリアムはうなずいてグラスを傾け、軽く口を湿らせる。
「だが以前にユヅルは言っていたのだ、『お前たちを絶対に許さない』と」
祐樹は腕を組み『う〜ん…』と唸ると
「それじゃダメなんだよな?」
ギリアムは重々しくうなずく
「あの男たちは自らの悦楽の為に暴力を奮い、人を殺害した。だがそんな彼らに自らの感情で制裁を加えたお前の行い、それに何の違いがあるのかと私はユヅルに問うたのだよ」
無論、これが詭弁だとはギリアムもわかっている。だが他者に暴力を振るった以上、それが正義であると主張するのならば誰にも言いくるめられない正当な『理由』が必要だ。
そして正義を主張する以上、制裁と赦しは表裏一体。死を与えずに罰を与えたのならば、同時に赦しも与える余地が必要なのだ。
祐樹はクシャクシャと頭をかくと
「あ〜っ!なんかこう難しい話だな、単純に『あいつら悪人だし気分次第で罰しました。なんかすんませーん』じゃダメか?」
ギリアムは盛大に苦笑いをし
「そんなものいいわけがないだろう!だから言っているのだ、それでは彼らと何も違わぬと」
聖職者の頂点であるギリアムの模範解答。だが酔っている祐樹はギリアムへ負け惜しみの弱点攻撃を始める。
「ふん、偉そうなこと言ってさ。俺が止めなきゃ遥に消されてたくせに」
「あ!?それとこれとは話が全く違うであろう!」
動揺するギリアムにスタンも笑顔で追加攻撃。
「何をおっしゃるのですか。あの件では私も奔走させられたのですよ」
それは祐樹がまだ静と合流する前、スタンと共にイミグラを目指して旅していた時に起きた『祐樹の異端審問事件』。
教会騎士に追い回され、スタンの保護の元たどり着いた教会都市イミグラ。
その時に遥と面会した祐樹は、その件で少し気を悪くしていた。正確にはその時の遥の受け答えに。
しかし遥は後日、その『異端審問事件』の最高責任者で保守派筆頭である大司教ギリアムを呼び出し
『お前の行いは天人である祐樹様の気分を害しました。その罪は万死に値します。今すぐこの世界から消滅なさい』
そう言って天人一家の立ち会いの元、ギリアムの存在を『抹消』しようとしたのだ。
当然だが祐樹たちがそれを止め、祐樹は気にしていない旨をギリアムに伝えると共に遥には今後も手出し無用と厳命、そうして今日に至ったという経緯がある。
「そもそもだが私は別にあの時の判断も行動も誤っていたとは思っておらん!ユーキよ、お前が気に障ったのはあの際のハルカ様の物言いだったのであろう!」
そのせいで私が処断されるのは腑に落ちん、とギリアムも二人に反撃する。
「俺も別に怒っちゃいないさ。ただ遥は天人の事になると神経質になっちゃうんだよ」
なんせ俺たちは『天人』だからな、と祐樹はドヤ顔で笑う。するとスタンから飛んでくるツッコミ。
「ふふっ。こんな呑兵衛で威厳のカケラもない人ですけどね」
「なっ、スタン!そりゃひでぇよ!」
さらに二人で大笑い。そんな二人を傍らにギリアムは再び酒で口を湿らせ
「ユヅルよ。お前もこれくらい気負いすぎずに生きられる力加減を身につけてくれると良いのだがな…」
そう呟き、優しいため息をついたのだった。
結弦編最終話です。
いつも大人になろうと、大人であろうと心がける結弦。
結婚し新たな職業についた彼ですが、それでも子供っぽさが抜けないのは仕方がない事かもしれませんね。それは彼だけではなく皆も、私自身もそうだと思います。
彼の幸せな新婚生活は後日談で書くこととして、結弦編は今話で締めくくり、次話からは各人物の余談的なエピソードを書いていこうかと考えております。