第202話 『内燃機関?』
一堂に会した皆は、机上に広げられた『図面』に注目する。
「これは…言うならば『蒸気式機構』、とでも言うのでしょうか」
スタンはそう言って唸る。そのとおり、そこに描かれている機構は紛うことなく『蒸気機関』だ。
ただそこに燃料という概念はない。あるのは物理的に駆動する機関、そしてその原動力の元となる『熱エネルギー』を生み出す『魔法陣』だった。
ニースの件の落ち着いた後日、結弦は静と祐樹に『見せたいものがある』と一枚の図面を学園から持ち帰ってきた。
それはロジーによって描かれたある装置の設計図。
「すごいわね。私たちはこれに近いモノを実際に知ってるけど、その存在を知らずにコレを設計するなんて」
静はそう感心する。だがロジーは静に褒められているにもかかわらずその表情は渋い。
「シズさんに褒めていただいて光栄なんですが、この機構の原案は父の研究の影響を受けているのです。それに…」
図面の幾箇所かを指差すロジー
「この回転駆動をこちらの開閉機能へと連動させる仕組みに不安があるのです」
こちらを介するとロスと強度が心配で…、とロジーは腕を組み唸る。その機関の原案はその部分に不安を抱えたまま行き詰まっていたのだ。
「そうね。全くの予備知識なしでここまでの機構を組み上げられたのは素晴らしいわ。ねえ祐樹」
静はその行き詰まりを解決する方法を知っている。それは過去の世界では常に身近にあった機械であり、誰もが利用する道具だった。
無論、祐樹にも既知の機構であることは言わずもがなである。
静がその話を祐樹に振ったのは、その技術を彼女らに教えてしまっても良いかどうかの判断を得るためだ。
「そうだな。ここまで自力で到達したんだ、少しくらいヒントを出してもいいかな?」
この機構は遥が規制するほどの進んだ科学技術ではないし、そもそも彼女『ロジー・ヨシイ』はその名の示すとおり『吉井三津夫』の子孫、彼女も天人の血を引く者なのだ。万が一にもメサイアには手出しが出来ないし、危険はないだろう。
そう判断した祐樹はその図面のある場所とある場所を指差す。
「ここにシャフトを通して歯車を付けるんだ、ここにもね」
そう言って図面に少し記入を付け加える祐樹。
「こっちの歯車を小さく、そしてこちら側の歯車はそっちの歯車より歯の数が倍になるようにする。そうすると…」
ロジーはハッと目を見開き、図面を凝視する。そして
「あっ!それでこれをこうして、これをここに繋いで…」
身を引いた祐樹に代わり、ロジーは図面に次々と記入してゆく。少し呟き、計算し、そしてまた書き込む。ロジーは完全に自分の世界に入り込んでしまったようだ。
それを横から図面を覗き込んでいた静は、同じく図面を覗き込んでいたミラに一言
「ねえミラ。私、魔法の仕組みって全然わからないんだけど、これで本当に熱が生まれるものなの?」
問われるもののミラも腕を組んで首を傾げ、怪訝そうな顔で図面を見ている。
「ニース。これってあなたも一緒に考えたの?」
ミラはそう言って図面のある箇所を指差す。黙って頷くニース。
「どうしたの?」
疑念の表情を隠しきれないミラ。だが静は魔法陣はおろか魔法というものには全く精通しないのだ、ミラが一体何を訝しんでいるのかすら見当もつかない。
「これね、ここにあるべき『魔法陣の続き』が書き込まれていないの」
ミラ曰く、これは魔法陣として不完全なモノ、この『魔法陣』には明らかに欠落した部分が何ヵ所も見受けられるというのだ
「これだとたぶん炎は発現しないはずなんだけど…」
ミラの見解ではこの魔法陣はいろいろな部分が欠落している。だがニース曰く、そこに込められる『力』は行先を失わず辻褄の合う構成に仕上がっている、というのだ。
「ねえお母さん、これ見て」
そう言ってニースは別の一枚の紙を取り出した。それは今の世界ではごく一般的な『炎の魔法』の魔法陣。家庭用のコンロなどの中に用いられているモノで、これと『魔石』の組み合わせで家庭用コンロは出来ている。
「私たちね、この魔法陣を解析してみたの」
その魔法陣の『線』が持つ意味を、その『図形』のもたらす結果を。世界が『当たり前』に享受していた『便利さ』の原理を三人は読み解こうとしたのだ。
「でね、これって…」
と、ニースは結弦に視線を送る
「うん、これは『化学式』と『物理公式』が複合的に組み合った図形なんだ」
曰く、燃焼という化学変化や温度変化、さらには力学的な『力』の発現による浮遊や飛来、それらの数値や公式を何らかの図形に当てはめたモノ。それを複合的に組み合わせて魔法陣は構成されている、らしい。
「らしい?」
そう語る結弦も言葉の最後は疑問形だった。
「そうなんだ。これは役割を与えられた組織の集合体、いわば魔力の集積回路だって事はわかった。でも…」
ロジーに弱い魔力を流してもらいながら結弦は魔法陣各部の線を切断、その時に魔力がどう流れ、どれだけロスが生まれるかをニースが観察。そしてどういった物理現象が発生するのかを結弦が観測。そうする事でこの『魔法陣』の持つ役割を解き明かした。
しかしそれを『理解』するのとはまた別だ。
『図形』から『事象』を読み解く事は出来た。だがその逆の『事象を起こす図形』を導き出す、魔法陣を『起きる現象』を目標として一から生み出す事はほぼ不可能に近かった。
「時間をかければできなくもないんだろうけど…まあ今回はこれでいいかってさ」
そう言って結弦は既存の炎の魔法陣のある箇所とある箇所を次々と指差す
「こことこれ、あとこれは『光』の発現と『酸化』に関わる部分。そしてこの図形間の距離がその酸化にかかる『時間』をあらわしているんだ」
ロジーの製作した図面に込められている魔法陣はその部分が省略されていたり、極端に短くなっていたり、改良が加えられていた。
「減らしたりするぶんにはそんなに難しくなかったよ」
そうやって出来上がったのは、うまく『熱』だけを発生させる部分を残した『省エネ発熱魔法陣』。
光や酸化に魔力を割かない高効率魔法陣だ。
結弦は魔法陣の一部を指差し
「この部分を肌で直接触れる事で魔力が流れ、ここがピンポイントで発熱する。この部分を小さくしたから微弱な魔力でも相当な温度まで上げる事が可能になったんだ」
その熱で水が瞬時に気化してピストンを押し、その運動をクランクが回転へと変換する。燃料のいらない立派な『蒸気機関』。
だが結弦は肩をすくめ、軽くため息をつくと
「けどさ、これは所詮『机上の空論』ってヤツなんだ。実際に作ろうと思ったら精密な加工が必要な部品とかもあるし…」
と、結弦は横目で遠を見る。しかし遠もそれが振られる事を既に察していたようだった。遠も結弦と同じように肩をすくめ
「そりゃまあ僕だったら創造るけどさ」
遠は伺うように横目で祐樹へと視線を送った。
「いいんじゃないか、俺も助言しちゃったし。何よりもこれは遠の『無機物操作』があって初めて出来る部品だらけだろ?」
けどそのうちドワーフの匠とかなら作っちゃうかもな、と笑い、祐樹はそれの製造に許可を出す。
「じゃあ決まりだ。遠、僕の…俺の学園の私室まで一緒に来てくれないか」
さっそく製作に入ろう、と結弦はまだ使い慣れない一人称を言い直すと、ニースやロジーと共に席を立つ。
こうしてこの世界で初の蒸気式エンジンが生まれるのであった。
このスチームエンジンを使い、ロジーは『蒸気二輪車』を製作します。いわゆるバイクですね。
ちなみに父であるミシェルは蒸気機関ではなく内燃機関、燃焼性ガスによるガスエンジンを開発していました。
その機関の図面自体は完成していたようですが、どうも燃料の抽出に失敗を重ねていたようで、とにかく爆発する家だと有名でした。
それをロジーは横目で見ていたので、機関の設計はさほど困難ではなかったようです。