第196話 閑話27『再来する悪夢の気配』
木で出来たカウンターの席に座り、祐樹は強めの蒸留酒で唇を湿らせていた。
月陽の夜であるにもかかわらず薄暗く狭い店内には祐樹以外の客はいない。他にいるのはカウンターの向こうにいる店主である老ドワーフの男だけだった。
この寡黙な老店主は必要以外の言葉を口にしない。接客業を営む者がこれでいいのか?とも思わないわけでもないのだが、こういう場合は無駄に口が滑る店主よりよほど安心感が持てる。
一皿目のナッツが消費されて蒸留酒が半分になった頃、祐樹の隣にフードを目深にかぶった男が席についた。その気配を察した祐樹は酒のグラスに視線を落としたまま男に声をかける。
「やあ、久しいな」
「ああ。待たせてしまったようだな」
祐樹と旧知であろうその男。フードをかぶって怪しい風体ではあるのだが、そこから覗く口元は少し微笑み、どこか優しげでもあった。
そして祐樹と同じように酒を注文し、乾杯をかわす。
「あいかわらずのナマグサだな」
若干の皮肉めいた祐樹の言葉に
「ここにいる私はただの『男』だ。君と同じく『娘を持つ普通の父親』さ」
ため息と共にそう言葉を返し、フードの男は苦笑した。
「ははっ、色々と苦労がありそうだな。で、なんだよ話って?」
祐樹が静と共に久々に戻ったカブール。そこで立ち寄った教会に、たまたま臨時の司祭長代理として着任していた女性、このフードの男の妻である『カトレア』に
『ユーキさん、あなたに内密の相談があるとウチの主人が話しておりました。今ちょうど彼もこの街に来ておりますし今夜お時間をいただけませんか?』
そう言われ、祐樹は自身にも馴染みのあるこの店を指定したのだ。
フードの男は意識を集中し、話を聞き取れられる範囲に人がいない事を確認すると意を決する表情でこう言った
「うむ。先だってなのだがな、実は『天啓』を受けたのだ」
『天啓』
過去に遥が天人として君臨していた頃、遥が人々に情報を伝達するために使用していた手段だ。教皇となった現在でも稀に行うことがあるらしいのだが
「だがな、それがどうも『ハルカ様』の言葉とは思えんのだ」
そう言ってフードの男は苦い顔で首を傾げる。
「なんだよ、そんなの直接遥に確認しちゃいけないのか?」
「うむ…『天啓』に関してはハルカ様は決して表では口になさらないのだ。だから『天啓』なのだろう」
そもそも『天啓』とは『天人の言葉』という位置付けであり、遥はそれを人々に伝える代弁者としての『教皇』、教皇がそれに口出しをするという事は天人に対して不遜である、という解釈だ。
だがこのフードの男は『天人』が今も現存しているという事を知り、しかもそれが『真島家』の四人だけだとも知る数少ない人物の一人である。なのでその『天啓』が教皇ハルカ様の言葉でないのなら真島家の誰かの言葉なのか?という可能性も考えたわけなのだが
「君たち家族の言葉でもないのも明白だ」
フードの男は首を横に振り、その可能性を自ら否定する。
「てか何だったんだよ、その『天啓』って」
祐樹の言葉に男は少しの逡巡を見せて口を開く
「ある『少女』を始末せよ、だ」
その穏やかではない話に祐樹も一瞬動きを止めた。
「…そりゃ穏やかじゃないな。こういう事はキチンと遥に聞いた方がいいか」
祐樹はそう言うとそのまま
「遥、ちょっと来てくれ」
すると祐樹の座る席の隣、フードの男とは反対側の席に一人の女性が現れた。さも最初からそこに座っていたかのように、彼女は事もなさげに口を開く。
「祐樹様、どうなさいましたか?」
「ギリアムの話は聞いていただろ、どういう事だ?」
ギリアムも遥の出現に慌てて被っていたフードを取り、敬い伺うような視線を遥へと向けた。
「ええ、その件は存じております。メサイアがその者を『この世界にとっての危険因子』と判断したようです」
その事を遥は知っていた。だが
「…そっか、メサイアか。そりゃ厄介だな」
そう言って祐樹も唸る。
もとより『メサイア』は遥の最終防壁のような存在であり、遥の中にあって遥をも制御し修正できる『回復プログラム』。
独立した個性と思考を持つそれは、遥にとって『天人』と同等に手出しのできない存在なのだ。
だがそこで祐樹に一つの疑問が浮かんだ。
「けどさ、アレに目をつけられるってのは尋常じゃないぞ。その娘は一体何をしたんだ?」
まず余程の事がない限り彼女は動かない。彼女が動く、という事はその存在が『世界の存続にとっての脅威』であり排除する必要がある、そう判断されたのだ。
「その者は私が『破壊不能』と定義づけたモノを破壊しました」
なるほど。遥が定めた『枠』を超えてしまったのか。それならばメサイアが動くのも致し方あるまい。
「だったらさ、メサイアならギリアムに命令しなくても『最初から居なかった存在』として、まあ言葉は悪いが『処理』する事もできたんじゃないのか?」
世界の管理者である遥やメサイアならば、死者を蘇らせるかの如く生者を『生まれなかった』事にするのも可能だ。しかしそうしない理由が彼女らにはあったようだ
「その者は『天人』に近しい存在です。迂闊に触れる事を危険とし、その者の処分方法はこの世界のルールと人に委ねる、というのがメサイアの判断だと察します」
天人に近しい存在?と祐樹は首を捻る。するとギリアムがその重い口を開く。
「ユーキよ、その者とはスタンの娘『ニース』の事だ」
思わず祐樹は息を呑む。無論、誰であってもその存在を消滅させる事は許されない。だがおそらくメサイアが世界を改変してニースの存在を『無かったこと』にしても、祐樹たちはその存在の記憶を持ち続けるだろう。
現に今、おそらくは結弦の手による改変だろうが『月陰の設定が書き換えられた事』も祐樹や静は把握している。
ましてや祐樹はスタン達とは家族ぐるみの付き合いをしており、ニースが結弦に想いを寄せている事を静やミラから聞かされているのだ。
「…このまま放っておくと数年前のケンカのやり直し、って事か」
そう呟き祐樹は頭をクシャクシャと掻く。
もうニースが『この世界』か『メサイア』に消されるか、もしくはそれを阻止する為に再び天人達がメサイアと刃を交えるか、の二択しかないのか?
「まあともかく一度持ち帰って家内とも相談するよ」
なんといっても祐樹には静や結月のような『戦う力』はない。知恵を絞るしかないのだ。
「良き結末の訪れを願っております」
そう言って遥は瞳を閉じて頭を下げ、その姿を消す。
「私から事を動かす気はない。だが私に出来る事があるのならば何でも言ってくれ」
そう言ってギリアムも席を立ち、祐樹の背に軽く触れるとフードをかぶり、来た時と同じように静かに店を出て行った。
再び店主と二人きりになった祐樹。静かな店内でため息まじりにポツリと呟く
「なかなか隠居はさせてもらえないみたいだな…」
そう言って空のグラスをカラカラと振る祐樹。
寡黙な老店主は口角をほんの少しだけ上げると、酒を一杯、静かに祐樹へと差し出すのだった。
メサイア再来です。
無論、どう言いくるめたところでメサイアの方針が変わらない事も祐樹は知っています。
しかも一度は夫婦そろってメサイアに殺されてますからね。
祐樹は英雄や勇者ではありません、本当にメサイアの事が怖いんです。
がんばって知恵を絞って下さいね、祐樹。