第195話 閑話26『その頃の静たちは』
「あらシズじゃないの!久しぶりじゃない!」
「お久しぶりねティリア。元気してた?」
静は笑顔でそう答える。旅から旅に暮らす静たちだったのだが、このたび久々にカブールへと戻ったのだ。
だがもうそこに彼女らの自宅はない。いまティリア宅の隣に住む者は
「あっ、シズさんにユーキさん!お久しぶりです!」
そう言って静たちの元の自宅だった家から顔を覗かせたのは、お腹を大きくしたネコ耳の少女。
「シャルも久しぶりね。トマはどうしてるのかしら?」
「あの人は…今ちょっと用事で出てます」
以前、家出をしてその生活費のために悪事を働いていた少年『トマ』と少女『シャル』。その時に静と祐樹にしっかりとお灸を据えられた二人は、とりあえずイミグラの両親の元へ帰り、その後に両親の元で成人した。
そして二人は互いの両親とも相談した上で、キチンとしたカタチで結婚する事となり、あらためてカブールの静たちの元へ『雇ってほしい』と訪ねてきた。
それが良いタイミングだったのだ。
安定した生活環境を求める二人、そしてその肉体の若さゆえか流離の旅生活を求めた二人。その利害が一致して静と祐樹は全てを二人に託して旅立った。
「元気そうで何よりだわ。まさかもう妊娠してるとは思わなかったけど」
そう言われたシャルは大きなお腹をさすって幸せそうに微笑む。それを見て静も目を眩しそうに細めて微笑む、のだが…
「…にしてもこんな身重なシャルを独りで置いてトマはどこへ行ってるのよ?」
そう言うと若干の殺意を撒き散らしながら静は周囲を見回す。すると
「シズさーーーん!」
遠くから手を振って走ってくる若者が。トマだ。
「はぁ、はぁ、シ、シズさんにユーキさん、お久しぶりですっ!」
遠くに見えた静が殺気を放っていたものだからトマは慌てて駆け寄ってきたのだ。もしかすると過去の経験がそうさせたのかもしれない。
「あなたも久しぶりね。元気そうで何よりだわ」
「お、おかげさまで、商売の方も順調です!」
聞くに商品の配送と注文の聞き付けに出ていたようだった。
「トマ、戻ってすぐで大変だとは思うけどまた注文が入ってんだよ」
も一丁行ってきておくれよ、と注文票を手にしたティリアに次を急かされる。が、彼は新妻で臨月であるシャルが気がかりなのだ、不安そうな顔でトマはシャルを見返る。
「なんて顔してんだい!どうせ男のアンタがいても何の役にも立ちゃしねぇんだよ。さ、走った走った!」
シャルの事はあたしらに任せな、とティリアに背中を叩かれてトマは注文票を受け取ると
「シ、シズさん、ちょっと行ってきますっ!」
ユーキさんもまた後ほど、と言ってトマは駆けていった。
静がティリアやご近所さん達と始めた味噌と乾物の生産販売。どうやらなかなか売れ行き好調のようだ。
「そもそも祐樹の為に作ったんだけどね」
まあ売れてるってのなら幸いね、と静は東奔西走するトマの背を見送る。
「シズさん、お時間あるようでしたら夕食を食べて行かれませんか?」
聞くに味噌や乾物を販売する者としてはそれを知らないわけにはいかない、とシャルはそれらを使った料理を試行錯誤しており、その出来栄えを静に見てもらいたいのだという。
「ええ。そういう事ならご相伴に預かろうかしら。祐樹、あなたはたしか夜に用事があるのよね?」
「ああ、俺はちょっとアテがあるからさ。静、君は遠と一緒に御相伴にあずかってもらっていいかな?」
「エン…くん?」
シャルは不思議顔で辺りを見回すが、シャルの知る小さな子供『エン』はどこにも見当たらない。すると静の横にいたイケメン好青年が
「シャルさん、お久しぶりです。私ですよ」
そう言って微笑みながらその手刀をトントンと自らの首にあてる。
「あっ!そっか、君はそうだったね」
あの時あの廃屋で、静に首を斬り落とされたあの野蛮そうなハンターの男。あれも変装(?)したエンだった事をシャルは思い出した。この人は自分の姿を好きに変えられるのだ。
「今、お茶を用意します。皆さん入って下さい」
そうにこやかに微笑み、シャルは三人を招き入れた。
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「うん、上出来よ!とても美味しかったわ」
祐樹にも食べさせてあげたかったわね、と静は満足気に微笑む。
結局のところ、身重なシャルをキッキンに立たせる事を許さなかった静の鶴の一声により、その料理の全てをトマと遠が作った。
しかしその料理の完成を待たず、祐樹は所用のため退席せざるを得なかった。
「ユーキさんにも食べてみていただきたかったのですが…」
「まあ待ち合わせだからね。相手を待たせるより自分が待つほうが性に合うんでしょ」
でもこんな夜の街で待ち合わせって、まさか…?とシャルは疑いの目で首を傾げる。
「はははっ、ちがうわよ。相手は私も知ってる『男』よ。ってシャル、あなた何か身に覚えがあるの?まさかトマが…?」
シャルは祐樹の夜の待ち合わせの相手を『女』だと疑った、それはシャルにその経験が、トマの『浮気』があったからか?そう捉えた静はまたしても殺気をトマに向ける。
トマはあわてて席を立ち上がるとそれを全力で否定する。
「ち、ちちちちちちち違いますっ!あ、あれは僕の勘違いでして…」
その真相はこうだ。
この街に来て間もない頃、トマは通りでエルフの女性に声を掛けられた。露出の多い服を着た艶やかな女性だった。
『夜になったらお店が開くから、そしたら来てね』
そう言ってエルフの女性はウインクして背後の店を指差す。要は夜の店の女がおこなう昼営業だ。
だがそれを純朴だったトマは『仕事か何かの依頼かな?』と真面目に受け取ってしまい、夜に出かけて行って、そしてしばらくの後にキスマークと香水と酒の匂いをつけて帰ってきた事があったのだ。
話を聞くやいなや静の腰のあたりから『カチリ…』という音が聞こえる、刀の鯉口を切る音だ。シャルが慌ててトマの弁明をする。
「シズさん、これは本当にこの人が抜けていただけの話です。あれはあれでいい勉強になりましたし…」
言うまでもなく、帰ってきた時のトマの所持金はすっからかんだった。
もちろんその後に夜の店に通うような事もなく、見るとトマはその失敗を恥じているのか随分と小さくなっている。どうやら本当に他意はないようだ。
「そう。シャルがいいって言うのなら私は何も言わないわ」
そう言って刀を戻して微笑む静。だがトマは後に語る、この世にあんな恐ろしい微笑みがあってたまるものか、と。
トマは何と言いますか…まあ天然さんです。
シャルも天然なんですが、トマの抜けっぷりを見て『私がしっかりしなきゃ!』とガンバっております。
そしてトマも恐怖した『静の微笑み』。結月や結弦も含め、皆が静の事を『強くて怖い』といいますが、祐樹だけは
『優しくて、そしてとても弱いんだよ』
そう言って静を見守っています。