第183話 『イミグラの日常』
前話、結月編の最終回より少し時間を戻し、物語はナワでのドタバタが解決した後に結弦がイミグラに戻ったあたりから始まります。
無職だ。まごう事なき無職なのである。
ナワでのドタバタが片付き、両親はカブールへと帰った。姉はルークと結婚し、共にあの島を治める事となった。さぞ忙しい事だろう。
そして僕は…
イミグラに戻った結弦。スタン夫婦に挨拶と報告を済ませると結弦は中央教会にも程近いところにある石造りの家を借りた。
三百年前にも借りたあの家だ。タイミングよく借家として空いていたのだ。
ただ三百年前とは違い、今は見舞いに行く相手もいない。そして懐にはニ年前に姉と共にこなした依頼の報酬がまだたんまりと残っている。なので特に生活に困窮する状況でもない。
かと言って怠惰に過ごせないのは母親ゆずりなのか、適度に教会の依頼をこなし、たまに広場で楽器の弾き語りをしたり。
そして街を見下ろす丘の上にあるカノンの墓所へと墓参りをする、これがイミグラに戻った結弦のここ一年の日常だった。
ただ一つだけ、結弦にはしなければならない事があった。それが『史記』の編纂だ。
吉井教授が遺した本の一つ『史記』。結月がそれを開くと『年表』の様なモノが見えると言っていた。だが結弦が開くとそこには『物語』が見えた。どうやら見る者によって中身の表現がやや違うようだ。そして
「ん、これって吉井さんが遺したモノなんだよな。じゃあなんで近年までの出来事が記載されているんだ?」
これが祐樹が本を開いて発した第一声。吉井教授が亡くなったのは約三百年前。吉井教授が書いたのであれば記載はその三百年前で終わっていなければならない。だがその『史記』にはその後の話はおろか先日のルークの領主就任まで記載されてある。静はその本をパラパラとめくり、小さくため息をつくと呟く
「そうね…言うならばこれは『世界のステータスウインドウ』かしら」
そこに見えるのは世界のアーカイブ。
その種明かしはこうだ。
約三百年前。真島家の四人が休眠状態に入ったあの時、この世界の最高権限は吉井三津夫ただ一人に一極集中した。
そのタイミングを利用し、教授は世界の記憶に対してアクセス・キーを作成したのだ。それがこの『史記』。
この先にこの世界を誘う運命にあるであろう『古代人類の情報を持つ者』、それらが視覚的に歴史を閲覧できるようにウィンドウを作成したのだ。
「でも…面白くないわね、こんな年表じゃあ」
肩をすくめてそうボヤく静に祐樹も頷き同意する。
「え、父さんも母さんもコレ年表に見えるの?」
どうやらそれが『物語』に見えているのはこの場では結弦だけのようだった。なので結弦は皆の前でその史記の一文を読み上げてみた。すると
「あれっ、年表が!?」
驚きの声を上げるユヅキ。彼女にも年表にしか見えていなかったそのページ、だが結弦が読みあげた途端、その一部分のみが物語状の文章へと書き換わったのだ。
「へ〜、面白いわねコレ。ねえ結弦あなたこれから暇でしょ、これ編纂してみない?」
なにかいいモノが出来るかもしれないわよ、と静は笑う。
まあ静の言うとおり自身には結月と違って特に用事があるワケでもなければ志があるということでもない、なので結弦はその母の提案を了承。
こうしてイミグラへ戻った結弦は『史記』の編纂を始めたのだった。
「…って書いてある事をなぞるだけなんだけどねぇ」
手の上でペンをクルクルと回して頬杖をつき、結弦は自宅に訪問しに来ていた遥にその愚痴を漏らす。すると遥は
「でしたら結弦様、以前に仰られていた学園など行かれてはいかがですか?」
「あ、そっか。そういえば次の春にロジーとニースも学園に通うんだっけか」
じゃあそのタイミングで僕も学園に行こうかな、と笑う結弦。そんな彼に遥『ではそのように手配しておきます』と微笑み姿を消す。
だが結弦は油断していた。
このA.I.、天然なのだ。
翌春、ニースとロジーと共に登校した結弦、そんな彼に用意されていた席は学生ではなく『教職員』。それを知った結弦は愕然と頽れる。
「なんだよ、結局は僕もボヤき担当じゃんか…」
教職員用にあてがわれた校内の自室でそうボヤき、ため息をつく結弦なのだった。
まあまあボヤかないの結弦くん。あなたにも幸せな結末を用意しますから。
でもね、その前に泥をかぶるのがお約束。
史記の編纂と広場で楽器の弾き語り、そしてカノンの墓参りの日々。もう言わば『趣味は墓参りです』な結弦。そんな彼に良からぬ噂が流れます。