第180話 『世界』
「ねぇ遥。あなたはまだこの世界の存続に反対?」
そもそもこの一幕はそこから始まった。遥はこの世界を不要と断じたのだ。
「静様の命令は承認されました。この世界は今の人類が滅びるまで継続されます」
「けど不服って感じね」
しばらくの思考の後、遥は口を開く。
「…私はこの世界を無駄な時間の浪費だと考えます。なので静様の考えをお聞かせ願えますか?」
「そうね。そもそも何を無駄だと言うのなら地球に人類がいる事そのものが無駄なんじゃない?」
人がいようがいまいが世界は絶対的に時間が流れ続ける。万物は緩やかに崩壊へと傾き、いつか必ず終焉を迎える。永遠なんてものはどこにも存在しない。
そしてそこに人類の観測の有無などは全く関係ない。ならば世界にとって人類の存在こそどうでも良い、それこそ無駄そのものだ。
「考えてもみなさい。世界を、宇宙を絶対的なモノと捉えてそこに存在を必要とするモノなんてあると思う?」
私たちがそのごく一部しか知らない広大な宇宙。これだってもしかするとどこかの世界のとある物質を構成する電子核の一つなのかもしれない。
もはやそんな事を、何を必要とし何を無駄とするかを論ずること自体が無駄なのだ。
「それに遥、あなたわかってないわよ。人ってね、ホント無駄なモノが好きなの。まあその際たるモノが…『感情』かしらね」
生物は進化の過程で本能や思考とは別に『感情』を得た。そして人類はそれが邪魔で無駄なモノだとわかっても捨てられなかった。
「だってそれが『人間』だもの」
狂おしいほどに慈しみあい、愛しあい、憎しみあい、そして殺しあう。感情が思考を支配し、時に過ちをおかす。簡単な算数で出る答えをわざわざ遠回りして解き、そしてそれを間違える。
その無駄こそが人の人たる所以。
「遥。あなたがシミュレーションという『実験』に対して無駄なく正しい『結果』を求めるっていうのは私にもわかるわよ」
静も過去は研究者だった。実験に対して結果が必要な事くらい誰よりもよく知っている。ましてや遥は擬似人格、コンピュータなのだ。その傾向はより強いだろう。
「あなたが『無駄』だと考えて排除してきたモノ、それは世界には不要だったかもしれない。でもね、それはきっと人類にとって必要不可欠なモノだったと私は推測するの」
「…その省いたモノが、例えるのでしたら『心の狂った残忍な凶悪犯』だったとしてもですか?」
遥が作ったこの世界。シミュレーションとはいえ『遥の望んだ世界』。そこに悪人や犯罪者はいようとも『矯正の効かない許し難き凶人』は存在しなかった。遥が『人』に対して夢を見すぎて無自覚に調整していたのかもしれない。
「ええそうよ。それも人にとっては必要なモノよ」
怒りは憎しみを生み、悲しみにつながるのかもれない。しかしその悲しみを強さに変えられるのもまた『人』だ。
「綺麗事だけじゃダメ。人類には瀉血も必要なの。私は知らないけど今までのシミュレーションでその要素が省かれてたのなら、そのせいで成功しなかったんじゃないかな」
他者とぶつかる事で血は流れる。だが感情や想いがあれば、合理や計算を超えて他者と強くつながる事もあるのだ。
「だから遥、これから先この世界の人類をよく見ておきなさい。このシミュレーションはあなたの本来の目的である『現実世界の人類再生』のガイドにはならない、けどあなたが『人』を知るのに絶対に無駄にはならないわ」
遥は静の言葉を熟考すると
「わかりました。では私はこの世界の行く末を見守らせていただくことにします」
納得を得たのか、遥はそう言って微笑んだ。
「メサイアもそれでいいわよね?」
静が遥にそう呼びかける。すると遥の髪色が漆黒に変化した。
「私はtype034を守る存在です。type034が承認し世界が実行されるのであれば私が言うことは何もありません」
そう言って瞳を閉じるとその髪が元の水色にもどる。
「きっとね、人類、いいえ『生物』には『目的地』があると思うの。ずーっと遺伝子を掛け合わせ続けて気の遠くなるような遠い時間の果てに行き着く目的地が。本来は遥の目指すべき場所はそこなのかもしれない、けど今回はその事は考えずにこの世界を楽しみましょう」
現実世界の続きは遥に任せるわ、そう言って静は笑う。
「ま、私は誰が何と言おうと祐樹と再会できたこの世界が最高に愛おしいのだけどね」
と祐樹の腕に手を絡める静は一件落着な感を出している。
「また結弦には不憫な思いをさせてしまったみたいだな。いつも悪いな」
と謝る祐樹。だが…
「いいよ父さん。母さんもヅキ姉も無事に戻ったんだしさ。それはいいんだけど…これからみんなで元の状態に戻るんだよね?ルーク、君たしかギムさんを殺そうとして剣を突きつけてなかったっけ?それどうすんのさ?」
結弦にそう言われ『あっ!』と変な声を出して青ざめるルーク。メサイアに操られていたとはいえ、どうやらその時に見たモノやその時の記憶はあるらしい。
「ねえ遥、あっちってどうなってるの?」
こことは違うマトリクス。メサイアに操られていたルークが英雄としてナワの街を訪れ、教会の面々を率いて祐樹と静を消去しに来たあの場面だ。
「あちらのマトリクスは、私たちがこちらに移動した瞬間から停止状態です」
ならばこのままあちらに戻ると、ギムへと向けられたルークの剣を静が阻止したところから再開されるわけだ。
「そうね、そこから辻褄が合うように、で、キチンと落着するような話となると…」
『う〜ん…』と考え込む静。そしてマンガのように手を『ぽんっ!』と叩くと
「閃いた!」
そして不敵な笑みを浮かべ
「ねえ遥、とりあえず永と遠を戻してちょうだい。いい筋書きが浮かんだわ!ふふふっ、祐樹もユヅキも知ってるでしょ、私って意外と脚本とか考えるの上手いのよ」
『やっぱ私って天才!』と高笑いする静。
だが祐樹とユヅキ、二人は思った。もう誰の首も飛ばなきゃいいけどな、主に物理的な意味で。と。
ま、静の脚本ですからねぇ(笑)