第172話 閑話22『カンド再び』
「静、どうしたんだ?」
「…ん。何でもないわ」
港街・マイルの街並みを眺め、静は一軒の商店の前で立ち止まる。
かつてこの街には結月の友人であるフィナ、その父親であるレインに妻のリエル、そしてフィナの婚約者のジャスティン、彼らが飲食店を営んでいた。
今やそこは雑貨店になっており、静たちが彼らと共に作ったあのカウンターの店はもう見当たらない。
「でもね母さま、あの商店主のおじさんは彼らの情報を受け継いでいるよ」
見た感じ中肉中背の商店主の男性。過去にいたあのイケメンエルフや看板娘の面影は全く見当たらない。だが遠の解析ではその商店主は彼らの遠い子孫なのだそうだ。
そしてその店に『お父さんただいま〜』と帰宅する幼い女の子。彼らの遺伝子はまた脈々と紡がれて行く。
「知り合いの店?顔出さなくていいのか」
と祐樹は言うが、彼らに何と説明する?三百年前のあなたの先祖の知人です、なんて事も言えるはずもなく
「ううん、知らない人よ」
そう言って静は微笑み、その場を後にした。
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貨客船の船着場は結構な賑わいを見せていた。
行き先は地獄と言っても過言ではないあの『魔獣の島』だ。なのに港で船を待つ人々の中には明らかにハンターや商人ではない行楽客、家族連れも多く見られた。
「あれ?この船ってあの島へ行くんだよな、なんで?」
祐樹がその光景を不思議そうに見ていると
「なんだい兄さん、あんたらも家族であの島へ遊びに行くんじゃないのかい?」
隣りで船を待っていた家族の婦人の話では、あの島の入り口の街『カンド』で今ある遊びが流行っており、危険な島の街道へ入ることなくカンドの港で遊び、そしてそのまま一泊、次の日の船で帰ってくるという『レジャー』が流行っているのだという。
「なんでもあそこの漁師さん達がちょっと変わった漁をしててさ、それを体験させてくれるんだって」
一度やったらクセになっちゃうらしいよ、と笑う婦人。
「へぇ〜。そうなんですか、ご丁寧にありがとうございます」
そう答えながらも祐樹には思い当たる節があり、思わずほくそ笑む。
そして帆船に揺られること一昼夜。再びカンドの街の地を踏む祐樹。その船着場に掲げられた看板には
『魚吊りの島へようこそ!』
煌びやかに飾られた到着ゲートのあるカンドの船着場。
前にここを通った時はこの『地獄の一丁目』に相応しく、手練れのハンターかハイリスク・ハイリターンを覚悟した商人くらいしか通らない、正に『修羅の門』だったカンドの出入口ゲート。
それが今や完全に観光地の様相だ。
祐樹が門を通って振り返ると、そこには『またのお越しをお待ちしております』の文字が。
「ふ〜ん。変われば変わるもんだなぁ」
前にこの地を発ってから一年と少しくらい、なのにこの変わりよう。
船着場には観光案内所のようなものがあった。その『レジャー』を請け負ってくれる漁師宿を斡旋しているようで、船から降りた旅行客は皆そちらへ向かっていた。
だが静はそれには見向きもせず
「ねえ祐樹、どうする?馬車借りてナワまで行く?」
「えっ、俺たち三人だけで!?」
強い者でもある程度の集団になって行動するのがこの島のセオリー、祐樹の知る常識だ。だが
「ダメかしら?前は私と結月と遠の三人だったけど、全然問題なかったわよ」
「そりゃ君たちならそうかもしれないけど…」
なんせ今回のメンツにはお荷物的存在の自分がいる。それに
「まあ急ぐ旅でもないしさ、三日後の月出には乗合馬車も出る、それでいいんじゃないか」
と言って祐樹はその観光案内所を指差す。
「そっか。そうね、祐樹のいう通りね。旅行だもの、美味しいモノ食べてノンビリ行きましょう」
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「シードゥ、さんですか?」
観光案内所の受付嬢は台帳をペラペラとめくってシドの宿を探し、ふと止まる。
「すみません、お客様のお名前を伺っても?」
「祐樹、祐樹真島です」
すると受付嬢はニコリと笑い
「やはりそうでしたか。シドから聞いてますよ、もしユーキ・マジマと名乗るお客様が来たら必ずウチの宿に案内してくれ、って」
あの宿すごく人気なんですよ、と受付嬢は宿までの案内図を祐樹に差し出す。
「あ、いや彼には一度お世話になったことあるんだ。場所も知ってるよ」
じゃあ直接彼と話をするよ、と祐樹は案内所を後にする。
「その人が例の漁師さん?」
祐樹が釣りを教え、疑似餌を渡したこの街の漁師『シド』こと『シードゥ』。その事はすでに静に話してある。
「そうだよ。『シードゥ』っていう人なんだ。あの海人様の島の名前を貰ったんだって」
と祐樹は港の沖に見える島を指差す。するとそれを聞いた静は『あら、あははっ』と笑い出してしまう。
「あのね祐樹、その海人様って私の事なのよ」
「えっ!?何だよそれ!?」
静は簡単に説明する、三百年前にあの島に居着いた海竜を退治した事を。
「でね、私の名前を貸してあの島に『静真島』って名前をつけて海人様の島ってことにしたの」
ならば…
「じゃあシドの名前って、元をたどれば君からとったようなモノなんだ」
ははは、と祐樹は苦笑。
「そうね。でも面白いわね、私の名前が巡り巡って祐樹に繋がるなんて。これも『他生の縁』ってことかしら」
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「おおっ!海人様!久しぶりっ!」
「やあシド、久しぶり。てか違うって言っただろ」
笑いあって握手するシドと祐樹。
「そうだったな、『海人様の旦那』だったよな。て事はあれか、となりの美人の奥さんが海人様ってことか!」
さすがは海の神様だ、美人だな、と言って笑い出すシド。
いや違う。いや違わないのだが、だが違う。
複雑で引き攣った笑いを浮かべる祐樹をよそに
「やあ奥さん初めまして。俺は漁師でこの宿もやってるシードゥだ。よろしくな」
気楽にシドって呼んでくれ、と静と握手する。
「祐樹の家内の静です。主人がお世話になりました。今日もお世話になってもいいかしら」
「無論だぜ!満室だろうが他の客追い出してでも歓迎するぜ」
それはどうだとは祐樹も思うのだがシドは諸手を挙げて大歓迎。
そしてシドはしゃがみこみ、遠と目線を合わせる。
「で、坊ちゃんお名前言えるかな?いくつだい?」
「ぼくエン、六さいです!」
お、賢いなあ!と遠の頭を撫でるシド。だが遠の本当の年齢は自分たちよりはるかに歳上、この中では最年長。何億歳とかなのだ。
外見を変えたら中身も変える、そんな芸達者な遠に祐樹も苦笑い。
「でさ、シド。次の月出まで泊めてもらおうかと思って来たんだけど…」
案内所の受付嬢曰く、シドの所の宿は大層な人気の宿だという話だ、もし本当に満室ならば挨拶だけでもと寄った祐樹だったのだが
「おう、大丈夫だ!都合よく空いてる部屋がある、泊まってってくれ!」
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「ごちそうさま。ホント美味しかったわ」
宿の夕食に静もご満悦の表情。とそこへ
「よっ、一杯やろうぜ」
シドが酒とツマミと三人分の器を持って現れた。
「え、いいのかシド、こんなトコで呑んでて」
たしか父親と二人でこの宿と漁師をしているという話だ、シドがここで油を売るということはその父親が一人で後片付けをしているという事になるはずなのだが
「ああ、料理はあらかた出し終えた。後は見習いの連中に任せて問題ないだろ」
と笑い、祐樹たちのテーブルにグラスを並べるシド。
シド曰く、あれからこの街では漁師宿が大繁盛し、後に続けと言わんばかりに漁と料理の両方を習いたいと漁師宿へ弟子入りを志願する若者が増えたという。
「それがよ、最初はユーキに教えてもらった『魚吊り漁』が客に大人気だったんだけどな、今はなぜか定置網の引き揚げに同行したいっつー客も増えてきてんだよ」
あんなの見て何が楽しいんだろな、とシドは肩をすくめる。
「ま、ともあれ再会を祝おうぜ」
そう言ってシドはグラスに酒を注ぎ、軽く口をつけるとそれを祐樹の前へ。次に同じようにして静へ、そして自分の分を注ぐ。
「じゃあ再会にカンパイ!」
酒を掲げる三人。
「じゃあちょっと失礼して先に遠を寝かせてくるわね」
そう言って静は一旦離席、寝惚け眼で目をこする遠の手を繋いで部屋へ連れて行く。その後ろ姿を見守る祐樹とシド。
「家族か…そういやユーキ、前にここへ来たとき家族はどうしてたんだ?」
「ああ、あの時はちょっと家族とはぐれてたんだ。で、合流できたから今度は家族旅行って次第だよ。て言うかシド、君は結婚しないのか?」
見たところ新たに見習いが何人か入っているようだが、シドに結婚して妻帯している様子は見当たらない。
「ん〜…そうだな、まあちょっと出遅れた感じだな」
シド曰く、このカンドの街の適齢期でなおかつ魚や漁に対して抵抗のない女性はみな結婚してしまい、それ以外の女性はこの危険な島を見切って西の大陸へ渡ってしまったという。
幼い頃から母親のいなかったシドは女性とどう接したらいいのかわからず、その上に父とこの漁師宿を切り盛りするのに必死で気がついたら結婚相手になりそうな女性がこの街にはもういなかったのだそうだ。
「ま、好きになった女がいねぇってワケでもねえんだけどな、俺ってば親父似で職人気質なんだよ、家業に没頭してたんだ」
それも今となっちゃあな、と溢し、シドは酒を啜る。
「あら何よ、あなたまだまだ若いじゃない。そんなこと言ってたら巡る縁も巡ってこないわよ」
静が戻ってきた。
「ははっ。奥さんもユーキも俺と歳そんなに変わんねえんだろ?二人とも達観してんなぁ」
だが『漁師宿の嫁』とは、魚を扱える事は無論のこと漁具の手入れの手伝いから宿の切り盛りまで、それは多忙を極める立ち位置なのだ
「ま、よっぽどの物好きじゃねえとこんなトコに嫁には来ねえし、まず呼べねぇよ」
そう笑い、シドは寂しげに再び酒を啜る。
「でもさ、連日満室の大賑わいみたいじゃないか、中にはここで働きたいって言う若い女性も現れたりしないのか?」
「ははっ!そんな幸運を夢見て待ってたらそのまま老人になっちまうぜ」
そんな話よりユーキ達の旅の話を聞かせてくれよ、とシドは空いたグラスに酒を注ぎ、そして夜は更けてゆく。
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「いいヤツなんだけどなぁ…」
月出の日。シドは祐樹たち三人の乗る乗合馬車をわざわざ見送りに来てくれた。
「ま、本人も完全に諦めたってワケでもないみたいだし、良縁が巡ってくるといいわね」
祐樹たちはシドを含め見送りに来てくれていたカンドの街の人たちに手を振る。
乗合馬車三台。商人の馬車が四台に護衛の傭兵が十人と馬車一台。ちょっとした旅団だがこれがこの島で移動する際に必要最小限の戦力、たった三人馬車一台で往復など無謀すぎて有り得ない話なのだ。
「なによ人をバケモノみたいに。祐樹だって永と二人であの岩山からナワまで歩いたんでしょ?」
「そりゃそうだけど…でもあれって永が俺の知らない間に『露払い』してくれてたんだろ?」
と遠を見る。遠は『だね』と笑う。
ともあれ八台の馬車は特に何かに襲われる事もなく、定刻通り月斜の夕方に『イン』の街に到着したのだった。
なんとなくなんとかなると思っていたモノ。結婚と仕事。
しかしなんともならなかった人も大勢います。
なかなか難しいですよね、普通に生きるのって。