第171話 閑話21『危険な新婚旅行・結』
『カランコロン』
喫茶店のドアのベルが鳴る。
都内某所の喫茶店。少々甘酸っぱい思い出のあるその店に、祐樹は帰国も早々に吉井教授から呼び出しを受けていた。
「んだよ吉井さん。俺、帰ってきたばっかでまだ疲れてんだよ、もうちょっと休ませて…」
と祐樹がその目を向けたボックス席。並んで着席していたのは吉井教授と…静。
「疲れているとこ悪いな祐樹。けどな、こういうのは早い方がいいだろ?」
と吉井教授は静の正面の席を指差す。祐樹は『ゴクリ』と唾を飲むと、マスターに『あ、ホ、ホットお願いします』と告げてからその席に着く。
が、対面に着席したにもかかわらず静は下を向いて俯き、祐樹とは目を合わせない。なので
「な、中村さん、今回の件は本当に申し訳ありませんでした。騙した上に危険な目にも遭わせちゃって…」
と祐樹は謝罪するのだが、静は俯いたまま顔を上げない。仕方なく祐樹も目を伏せてテーブルへと視線を落とす。
のだがその瞬間、『ガタン』という物音とともに祐樹は両こめかみに軽い衝撃を受ける。立ち上がってテーブルから身を乗り出した静に頭を両手で挟まれたのだ。
突然のことに祐樹が驚き、視線を上げるとそこには真正面から自分を見つめる静の視線が。そして
「し・ず・!」
一瞬、祐樹はポカンとし
「し、静さん、ごめんなさ…」
頭を挟む手に少し力が加わる。
「し・ず・!!」
再び強い口調で訂正を求める静。だが真正面から祐樹を見据えるその瞳は少し潤み、怒りの様相ではない。
「静、ごめんね。騙しちゃって本当にごめん」
「…許してあげるから目をつぶって歯を食いしばりなさい」
祐樹は言われた通り目をつぶり歯をくいしばる。てっきりそのまま頭突きか平手打ちでも来るかと覚悟していた祐樹だったのだが、訪れたのは唇に触れる暖かくて柔らかい感触。
『え?』と思ったのも束の間、おでこに軽く『コチン』と衝撃を受ける。静は祐樹のおでこにおでこを合わせ、そして小刻みに震える。しゃくりあげて泣き始めたのだ。
「ごめんなさい…。私、何も見えてなかった…」
そのまま、額をくっつけたまま無言で目をつぶる二人。心地よい沈黙がテーブルに流れる。
「…ま、すべてを語らずとも、といったとこか。良かったな祐樹」
そう笑ってコーヒーを啜る吉井教授。それを見計らい、マスターが祐樹の分のコーヒーをテーブルにそっと差し出す。
「でも騙した事には変わりないんだ。これは当分のあいだ言われ続けそうだね」
肩の力を抜いて苦笑し、そうボヤく祐樹に静は
「ええ言いますとも。一生言い続けるわよ、『私はあなた達のお父さんに、お爺ちゃんに新婚旅行で騙されたのよ』ってね」
そう言って静は涙目ながらも不敵な笑みを浮かべて微笑む。
「あっはっはっはっ!祐樹、諦めろ。お前はもう一生彼女の尻の下だ」
吉井教授は大笑いしてそう言うと、その場が落着したのを見計らって携帯電話を取り出す。
「それでね中村さん、今度はこっちです。君に謝りたいって人がもう一人いるんですよ」
ちょっと失礼しますね、とそう断ってから吉井教授は何処かへ電話をかける。
「もしもし、吉井です。…ええ、はい、…そう、一緒にいます、今替わりますね」
そう言うと吉井教授はその携帯電話を静へ差し出す。
「国際通話です、高いので手短にね」
思い当たる節もなく、静は疑問顔で携帯電話を受け取り
「…もしもし?」
「シズさん、私です、ベネッタです」
携帯電話の通話先、それは一人の女性だった。あの国のガイドだったシュレスタの妻で、通訳で、あの旅を共にして、そしてあの時…
「ごめんなさい、あんな事をして本当にごめんなさい…」
そこから続く現地の言葉と嗚咽の声。意味はわからないが泣きながら謝っている、という事はわかる。
「私たちの国の人を助けに来てくれたあなたにあんな酷い事を…私のことは嫌ってもいい、でも私たちの国、嫌いにならないで…」
日本語でそう言って再び電話の向こうで嗚咽して泣き始めるベネッタ。
「ベネッタさん、心配しないで。もう事情は聞いたの。私、あなたのこともあなたの国のことも好きよ」
相変わらず電話の向こうから聞こえ続ける嗚咽の声と現地の言葉。だがそれが悲しみではなく感謝の言葉に変わった事くらい、言葉を知らない静にだって理解できた。
「今あなたの国は大変な状況だけど、それが落ち着いたらまた会いましょう、必ずよ。じゃあまたね」
もう電話の向こうのベネッタが収拾のつかない状態だったので、静は電話をそのまま吉井教授へ返す。
「うん…うん…はい、ではまた」
電話を切ると、吉井教授は大きく息を吐く。
「彼女、君に拳銃を突きつけたんですよね?それから毎晩泣いて、ほとんど眠れなかったみたいなんですよ」
夫のシュミット曰く、あれから妻のベネッタは、拳銃を突きつけられた静の驚愕と恐怖する瞳が目に焼きついて離れず、強い自責の念と罪悪感に駆られて毎夜ごとにシュミットに縋って泣いていたという。
静が『内戦下の反体制派の人なのに意外ですね』と言うと
「静。彼女が兵士に見えた?」
彼女らもあの村の人々も、たしかに反体制派ではあるのだが、ただ王党派を支持するだけの一般市民であり兵士というわけではないのだ。
「静が村のことに気づいた日さ、俺は彼らの家に行ってただろ?実はあの時、次の日の『俺たちが追い出される時』の打ち合わせをしてたんだよ」
本来ならばあの翌朝、祐樹があの村の秘密に気づき、そして祐樹がベネッタとシュミットに拳銃を突きつけられて二人で村を追い出され、そしてジャングルを半日歩いて、という流れだった。
が、それよりも早く静が気づいた。なので少々予定が狂ってしまったのだ。
「打ち合わせの時にベネッタは言ってたんだよ、『私はこんなの持ちたくない、拳銃は怖い』って」
だがそんな彼女があの場でとっさに拳銃を突きつけたのには理由があった。
「まず下手に暴れられて誰かがケガをしたり、ましてや死人が出るような事態を避けたかったのもあっただろう。でも考えてもみなよ、あの村が反体制派の村だって事を俺たちが知って、困るのは誰だと思う?」
静は考える。村人、村長、シュミット夫婦…彼らには何も困る理由はない。私たちが政府側の人間ならともかく、外国の『善意の第三者』なのだ。
そして元よりあの村は政府から反体制派の村として目をつけられている、今さら外国人である私たちに反体制派だと知られたところで何の不都合もあるまい。
問題は私たちだ。反体制派だと知らずにジャングルで助けられて村に留まっていたというのなら言い訳も出来よう、だが
「あそこが反体制派の村だと知った上で私たちが留まっていたら…私たちが反体制派の協力者、スパイとして政府側に処刑される!?」
だから静が公然とそれを『知った』と言ってしまった時点で、彼らは早急に二人を村から出さなければならなくなったのだ。
「彼女はね、『あの場での最善の手』としてあんな事をせざるを得ないかったんだ」
予定通り『ボランティアが銃で脅されて支援物資を奪われた』を実現するために、そして何より最も大切な事『祐樹と静の二人の命を守る』、その為に彼女はとっさにアドリブで静へと拳銃を向けたのだ。
「打ち合わせをしている俺にでさえ拳銃を向けるのを躊躇するような女性なんだ。そんな彼女がましてやなんの事情も知らない君に拳銃を突きつけたんだ、相当に心苦しかったんじゃないかな」
だから許してあげてね、と。
「また…会えるかしら?」
「さっき電話で約束してただろ?また会いに行こうよ、一緒にさ」
次行く時は安全な国になってるといいな、と祐樹は笑う。
「どうなるのかしら…彼ら」
そう呟き、静は遠い異国の彼らに想いを馳せた。
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「結局、王党派は鎮圧されて元の民主制に戻ったのよね、あの国」
反体制派は総員玉砕、なんて事にもならず、頭のすげ替えがありそうでなかったという内戦の顛末になったのだった。
「旗印だった王族は処刑されちゃったけどさ、反体制派の村だって血を分けた同胞として保護されてたし、まあ彼らも言ってたけど『長い目で見ればこれで良かったと思える結果』になったんじゃないかな」
内戦終結後、政情が安定したとして日本は彼の国の人々に対してビザの発給を再開した。そしてシュミットとベネッタの二人は正規の手続きを踏んで日本を、祐樹と静の元を訪れたのだ。
「まあ人なんて何かしらの事情があって行動するもんじゃない、彼女らもそうだったし。で、こいつらも…」
と静は足元に転がる盗賊団のリーダー格の男を刀の鞘で軽く小突く。
「…ぅ。なっ!?」
意識を取り戻し、あたりを見回す男。だが仲間たちは早々に逃げ出してしまい、もうどこにもいない。
「こらっ!観念しろっ!」
そう言って乗合馬車の御者がその男を捕縛する。
「ありがとうございます!貴女のような方が乗っていて助かりました。この男は街に着いたら私が衛士の詰所に連行しますので…」
そう言った御者の男に刀を向ける静。
「バレてないとでも思ってるの?あなたもグルでしょ」
「へっ!?な、なんのことで…」
苦笑いと脂汗を浮かべ、静を見上げる御者の男。
要はこうだ、手筈どおりに乗客を街道の脇道へ連れ込み、仲間たちが乗客を脅す。
上手くいけば強奪した荷物を山分け、失敗したとしても逃げる。もしくは捕まっても御者の男が逃す。そうやって阿漕な稼ぎをしているのだ、彼らは。
「私がそんな彼らの仲間だとでも…」
と御者の男が背後に伸ばした手を
「あ、ホントだ。こんなトコにナイフ隠し持ってる」
祐樹が素早く取り押さえる。
「動きといい目線といい、バレバレなのよあなたたち。全然慣れてないみたいだし。これで何回目?」
御者の男と盗賊団のリーダーの男は顔を見合わせ、現状を理解すると
「…三度目、です」
二人の男は完全に観念し、自白し始める。
マイルの北に位置する小さな村の出身の彼ら、本来ならば漁師なのだがここのところの不漁で生活が立ち行き行かず、やむなく知人である乗合馬車の御者の男に協力を取り付けて、身なりの良く金目のものを持っていそうな乗客に狙いを定めて罠にかけていたという。
「怪我させるつもりも、ましてや命なんて奪うつもりもなかったんです!勘弁して下さい!」
そう言って土下座する二人の男。
すると静はため息をつき
「ねえ祐樹。あなた確か『変わった釣り具』作ったって言ってたわよね。彼らにそれ教えてあげてよ」
突然の話題の転換に静以外の皆がキョトンとする。
「え、いや、そりゃまぁいいけどさ、彼らの裁きはどうすんの?」
彼らは盗賊であり、すでに二度も客を嵌めているのだ。
「裁き?私が?」
祐樹はてっきり静が彼らを断罪し、成敗すると思っていたのだ。
「なによ、あなたも結月も私を一体何だと思ってんのよ」
静は土下座している二人を立たせ
「あなたたち、悪事を働いたって事は自覚しているわよね。なら今回は見なかった事にする。で、ウチの主人が新しい漁業の漁方を知ってるの、それ教えてあげるから本職の漁に励みなさい」
もうあんな事すんじゃないわよ、そう言って静は刀を『チン』と仕舞う。
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その後、網漁しか知らない漁師だった彼らに祐樹が教えた『釣り』は、高値の魚を次々と得ることに成功し、彼らの生活を安定させるに至った。
御者の男も当時の客が祐樹たち三人しかいなかったこともあって、何事もなかったかのように通常業務に復帰。
そしてこれ以降、この界隈で乗合馬車が襲われるという話は当面聞かれなくなったのだった。
静と祐樹の新婚旅行(仮)のお話でした。
次回からも祐樹たちがナワまで行くお話が続きますので、結月たちのお話はもう少し先ですね。
大丈夫、結月のハッピーエンドは今から考えますので貴女は待ってて下さい。
おや、また遠くから声が聞こえるぞ?
『こら〜…!そんなの先に考えときなさいよ〜…!』