第170話 閑話20『危険な新婚旅行・転』
「やあおはよう。よく眠れた?」
緑の匂いと鳥の鳴き声、そして顔に当たる陽の光で静は目を覚ます。
「ええ、熟睡しちゃった。祐樹、あなたは大丈夫なの?」
寝ずの番をしていたのだ、昨夜のゴタゴタもあってか祐樹は笑顔ではあるものの若干の疲れも見て取れた。
「まあ平気だよ。ここから東へ半日も歩けば大きな道路に出るからさ、そしたらそこで車を拾うか仮眠するかにするよ」
じゃあ行こっか、と祐樹は荷物を背負い歩き出す。
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「ねえ。東へ向かうって言ってたけど、こっちであってるの?」
祐樹がおもむろに歩き出したジャングルの獣道らしき道。方角もわからないし地雷もあると言っていたはずだ。大丈夫なのだろうか?
「うん、東はこっちで間違いないよ。それにこれ『人の道』なんだ。ほら見てごらん」
と祐樹の指差した先を見ると、キレイにスッパリと切られた木の枝が。
「鉈で枝打ちしながら誰かが通ったんだ。それに地面も踏み固められている、これは誰かが常用している道の特徴なんだ」
そう言って、祐樹も邪魔になりそうな木の枝をナイフで枝打ちしながら歩いて行く。
「で、今が午前八時。赤道に近いこの辺りじゃあ太陽はほぼ真東から上る。だからこの時間に東へ向かうのならアレに向かって歩けばいいんだよ」
と祐樹は太陽を指差す。
「太陽が東から上って正午に天頂、そして西へ沈む、ってのは誰もが知る常識だよね。でもさ、それを普段から意識して空を眺めているとね、太陽の位置から時間を計れたり方位を知れたりするんだよ」
まあこればかりは理屈じゃなく体感と経験かな?と言うと祐樹は木漏れ日に手をかざし
「いやしかし、ジャングルで木陰だとはいえこの時間からもう蒸し暑いね」
すると祐樹はあるものを見つける。
「あ、そうだ静、のど乾いてないかい?」
祐樹が指差すのは、太いカズラのような木の枝。
「あ、それテレビで見たことあるわ!切ったら水が出てくるアレよね?」
祐樹はニヤリと笑うとその枝をナイフで切る。すると切り口から滴り流れる『水』。口に含み、それが祐樹の知るモノで間違いがないか確認すると、それを静に差し出す。
「どう?」
静は恐る恐るそれを口に含む。
「…なんとも言えない味ね」
美味しい、とはとても言えない。が、飲めないほど不味くもない。
「それが飲めるんだったら脱水で倒れることはなさそうだね」
そう笑って祐樹はそれを再び口に含み
「ま、言うほどジャングルをさまようつもりもないけどさ」
午後には大きな通りに出る、さあ歩こう、と二人は再び歩みを進める。
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祐樹の予告通り、太陽が天頂を過ぎようとする頃に二人は大きな道路に突き当たった。アスファルトで舗装されており、都市と都市をつなぐ幹線道路のようだ。
「思ってたより立派な道路だね、これなら車も…」
と言ったはなから大きなトラックが遠くから近づいてくるのが見える。祐樹がそれに向かって手を振ると、トラックは祐樹たちの前で止まってくれた。
「#$☆→%¥?」
「#&@$£」
え…!?祐樹がトラックのドライバーと現地の言葉で会話している!?
「/#&#¥☆!」
「@€¥☆→¥!」
祐樹は静を振り返り
「荷台で良けりゃ乗っていいってさ」
バッカン状の荷台には乱雑に満載された廃タイヤの山が。だが隙間もあり人が乗れなくもない。二人は転げ落ちぬよう身体の位置を確保し、トラックの荷台に乗り込んだ。
「祐樹、あなたここの言葉話せたの?」
「う〜ん…あれはね、実はここの隣の国の言葉なんだ」
祐樹曰く、この国の人にしてみれば東北弁と関西弁くらいの違いなのだという。
「今は国境を隔てて別の国になってるけどさ、昔は同じ王族が治める一つの国だったんだよ」
っても俺も単語を言うか聞くかくらいしか出来ないけどね、と笑うと祐樹は大欠伸をし
「ああ…このゴムタイヤの揺れ、気持ちいいね…着いたら起こしてね…」
と言って寝てしまった。
「こんな状況で…って図太さで言ったら私も同じかしら」
と苦笑しつつも、万が一にも祐樹が荷台から転げ落ちぬよう静はその腕をしっかりと掴み、荷台で揺られること数時間、二人を乗せたトラックは夕闇迫る街に、この国の首都に次ぐ第二の都市へと到着したのだった。
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「へぇ〜。あなた言語が堪能なのね」
着いたのは日本にもある国際的な某有名ホテル。
英語を使ってササっと事情を説明し、部屋をとる祐樹。無論、静も英語は堪能なのだが祐樹の使う英語は『生きた英語』だ。
「ま、俺の場合は『習うより慣れろ』だったからさ」
ベッドに腰掛け、祐樹は一息をつく。
「でも前に記者会見でフランス語とスペイン語と…あとドイツ語だっけ?話してたじゃない」
すると祐樹は大声で笑い出す。
「あはははっ!そっか、あれか、あれね。あれはね、言いたい事を事前に通訳してもらっててさ、それをカタカナで書いて覚えて喋ったんだよ」
ちなみに記者たちの後ろにカンペもあったんだよ、と祐樹は小さな暴露。
「え、じゃあ実際は?」
「そうだね…英語とフランス語、ってもアフリカで使われてたちょっと変わったフランス語で『サンゴ語』ってやつなんだけどね、他はこの国の言葉みたいに色んな国の単語をちょっとずつ知ってる程度かな」
それでもまあ何とかなったでしょ?と祐樹は笑う。
「ま、とりあえずシャワーでも浴びてきなよ」
その間に何か食べ物のルームサービス取っとくからさ、とルームサービスのメニューに目を落とす祐樹。
が、何か様子のおかしさを感じ、顔を上げた祐樹の目に入ったものは
手で顔を覆い、肩をしゃくりながら泣く静の姿だった。
「あ!ご、ごめん!俺なんか悪い事言っちゃった!?」
さっきまで普通に会話していた静。なのに少し視線を落として戻すといきなりの号泣。祐樹はあわてて自身の発言を思い起こすのだが
「ごめんなさい、違うの」
そう言って静は涙をタオルで拭う。
「ごめんなさい。私があの村であんな事に気づかなければ…あんな物を見なければ…私のせいで大事な支援物資を…人の命を救う医薬品を…」
そう言って再び涙を流し始める静。
ジャングルの村から都市に戻り、落ち着いた部屋に快適な空間。そこにきて初めて冷静さを取り戻した静。
反体制派の罠にかかり、たどり着いた先もまた反体制派、『テロリストの村』。そして銃を突きつけられて大事な支援物資まで奪われてしまった。
自分が同行したせいで祐樹の支援活動は失敗に終わったのだ。
教授に『新婚旅行をプレゼントだ』とか言われて浮かれて、それでも必ず自分は役に立つはずだと頭に知識を叩き込んで乗り込んできたこの国。
だがその結果は祐樹の足を引っ張るだけにとどまらず、目的の不達成という最悪の事態まで生んでしまった。
その事で自身の不甲斐なさと自責の念が急に押し寄せ、静は涙したのだ。
「…静。ごめん、今は訳は話せないけど君が謝る必要はないんだ」
日本に帰ったらまた説明するからとりあえず今はシャワー浴びといでよ、と祐樹は静にタオルを持たせてバスルームへ行かせる。
一人、ベッドに倒れこんだ祐樹はボソっと呟く。
「…こりゃ日本に帰ったら『成田離婚』かなぁ」
あ、でもまだ入籍してないか、と言って深いため息をついた。
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「いやぁ大変な目に遇いましたね」
無事で良かった、何よりです、と笑顔で握手を求めてくるのはこの国のコーディネーターの日本人男性と大使館員の女性。
女性は落ち込んでいる静を見ると
「大変な目に遭ったわね。反体制派の村ですもの、怖い目に遭ったでしょ?でもこの国の人たちの大半は良い人ばかりなの、この国を悪く思わないでね」
と静をなぐさめる。静が落ち込んでいる理由はそれではなかったのだが、そこにすかさず祐樹が言葉を挟む。
「いやぁ、でも命があっただけでもラッキーだったと思ってますよ。とりあえず早く日本に帰りたいや。もう帰れるんですよね?」
「ええ。もう車も飛行機も手配できてます。一緒に首都まで戻りましょう」
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「おお、祐樹!ごくろうさん!」
成田空港には太田会長が迎えにきていた。
「太田さん…俺、疲れたよ…。」
深いため息を漏らす祐樹。
「なんだ、可愛い彼女の前で情けない顔してんじゃねえよ。概ね予定通り上手くいったじゃねえか」
そう言って祐樹の背中をポンポンと叩く白髪の老紳士・太田会長。
が、その聞き捨てならない太田会長の言葉に静は目を剥いて祐樹を見る。
「概ね…予定通り…!?」
どういう事!?と静は祐樹に詰め寄る。
「なんだ祐樹、お前ぇさん彼女に説明してなかったのか?」
「出来るわけないだろ!?終わってここに戻ったら説明しようと思ってたんだよ」
先に太田さんが言っちゃうからややこしい事になるんじゃないか、と抗議する祐樹。だが静の勢いはおさまらない。
「どういう事!?じゃあ反体制派の罠にはまって彼らの村に支援物資を置いて逃げる事が予定通りだったって事!?」
祐樹に噛みつかんばかりに詰め寄り、睨みつける静。祐樹は視線をそらすとグッと目をつぶり、苦虫を潰したような表情で言葉を吐き出す。
「…ああ、そうだよ。今回は反体制派に支援物資を、医療品を届ける事が目的だったんだ」
静は言葉を失う。祐樹が、自分も、まさかテロリストに加担する行動をしていたとは
「私を…騙したのね?」
祐樹はしばらくの沈黙の後、その苦しげな表情のまま重い口を開く。
「…ああ。そう思ってもらって構わない」
「…最低。さよなら」
静はそう呟くと自分の荷物を背負い、電車の駅の方へと立ち去った。
「なんだ祐樹、追わねぇのか?」
「…ま、こうなる予感はしてたからね」
と、諦めの言葉とため息を吐く祐樹だが、先ほどの『疲れた』と言った時よりさらに酷く草臥れた顔になっている。目も涙目だ。
「そっかそっか、じゃあしゃあねぇな!俺の行きつけの店にいい娘がいっぱいいる、適当に見繕ってやるから今から行こうぜ!」
が、祐樹も当然そんな気分にもなるはずもなく
「…いや、いいよ。太田さん車で来てんだろ?ちょっと俺の家まで送ってよ」
こうしてようやく祐樹は帰途についた。
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「おかえりなさい…って静、あなたどうしたの?」
もうすぐ結婚する彼と海外ボランティアへ出かけていた娘。だが帰ってきたと思ったらその顔は『仏頂面』だ。
「…なんでもない」
「静。あなたが『なんでもない』って言う時は大概なにかあるのよ」
話きいてあげるからとりあえずお風呂入ってきなさい、と、ここでも入浴を即される。
自宅に帰り、風呂にも入り、日常を取り戻してもなお冷めやらぬ『不満』。
「で、何があったの?彼の、祐樹さんの事?」
静は母に全てを話す。反体制派の支援活動に駆り出された事を。
「そっかー。そうね、祐樹さんらしいわね」
と言って母は笑う。
「なんで笑ってんの!?私、テロリストを支援してきたんだよ!?」
なんでこんな…と静は悔しさを滲ませる。
「ねえ静。母さんは見てないからわからないんだけど、あなたが滞在した反体制派の村って、凶悪なテロリストがいたの?」
いや、いない。普通にゴム農園に勤める父親たちと家庭を守る母親たち、そして無邪気に遊びまわる子供たち。
なんら変哲のない『普通の村』だった。
「母さんに詳しい事はわからないけどね、反体制派って事は国やそれらの機関から援助が受けられないんじゃないの?」
「そんなの仕方ないじゃない、あの人たち『反体制派』なんだから」
自らの選んだ道よ、自業自得じゃない、と静は吐き捨てる。
「そうね。大人たちはそれでいいわ。けど子供たちは?」
あの村長の娘。王族の写真を神のように崇めていた。だが考えればわかる、そんなの親からの押し付けで本人の意思は介在しない。
「あなた、その村で子供たちと遊んであげたんでしょ?その子たちが『安価な薬で簡単に治る病気』で死んでしまう状況だったら、なんとかしてあげたいと思わないの?」
「そりゃ…まあ…」
ここにきて静は祐樹の行動原理について考える事に思い至る、なぜあんな事をしたのか。そんなのは簡単だ、あの人はいつも『救える小さな命を救う為、これ以上悲しみが生まれぬように』そう考えて行動に移す。
「ねえ静。あの人が目的の為に手段と過程を選ばない、自らの身を顧みないって事はあなたが一番良く知ってるじゃない」
…そうだ、そうなんだ。祐樹はいつも結果に対して真っ直ぐなのだ。以前のワクチン剤開発騒動の時もそうだったが、今回の件も『失われそうな幼い命を救う手助けをしたい』その一点のみを常にブレずに保っていた。
相手が政府派だとか反体制派なんてのは全く関係なかった。ただ医療品の届かない地域に医療品を、子供たちの命を救う手助けをしに行っただけなのだ。あの人は何も変わっていない。
愚かなのは…矮小なのは…私だ。
「私…ひどい事を…」
静の頬を涙が伝う。
「大丈夫よ、あなたのような男勝りな娘を嫁にもらおうとしてくれる素敵な男性じゃない、キチッと話し合えばお互いの誤解も解けるわよ」
そう言って母は静の頭を優しく撫でる。
「近いうちに、また会ってもらいなさい」
「…うん、そうする。ありがとう母さん」
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「中村です。よろしいでしょうか」
「入りなさい」
帰宅した翌日。静は大学の吉井教授の元を訪れていた。
「無事戻ったようですね、お疲れ様でした。で、今日は祐樹と一緒ではないのですか?」
「実は…」
静は昨今の事情を吉井教授にも話す。
「そうですか…。ふふっ、祐樹らしいですね」
そう言って吉井教授は苦笑する。
「でも私、思うんです。先に少しくらい事情を説明しておいてもらったらもう少し協力できたのに、って」
祐樹の行動には理解を示したものの、そのやり方に若干の不満を漏らす静。が
「あはは、そりゃ無理ですよ。あのプランが万が一にもあの国内で政府側に漏れたら『法廷抜きの銃殺刑』ですからね」
吉井教授の口から出た恐ろしい言葉に静は絶句する。
「考えてもみなさい、内戦下の国で反体制派に支援、いわゆる『スパイ活動』なんて官軍にバレたらその場で銃殺刑ですよ」
知らなかったとはいえその恐怖を今更ながらに実感し、静は震え上がる。まかり間違えば生きて帰れなかったかもしれないのだ。
そのあまりにもの静の驚きように吉井教授もさすがにフォローをいれる。
「ははっ。ごめんなさい、少し脅しすぎたみたいですね。実は今回の件、日本も相手国政府も反体制派にも『暗黙の了解』だったのですよ」
「暗黙の…了解?」
要は西側である日本が東側の支援を受ける反体制派を公的に支援するわけにもいかず、またNPOも政情不安な状態では手出しができなかった。
自国も反体制派の医療まで手が届かないし、それ以前に反体制派を公的に支援なんて出来るはずもない。かと言って反体制派とは言え彼らも血を分けた同胞、その一般市民を見殺しにしたくない。
だから『個人的に来た海外からの支援者が支援物資を奪われた』という形で支援することにしたのだ。
「暗黙の了解とは言ってもね、しっかりとした支援の証拠を残しちゃったらあの国も君たちを『国家反逆罪』で処刑せざるを得なくなるんだ。だから祐樹も絶対にそうならないよう、慎重に慎重を期して行動したんですよ」
証拠を残さぬよう、誰にも揚げ足を取られぬよう、確実に『強奪の被害者』になるように考えて祐樹は行動していたのだ。
「でも…そうまでしてあの国の人々を『支援』する必要があったのですか?」
内戦下、いわば戦時下の『命の尊厳が低い国』の人々の命を救う為に祐樹は命がけで医薬品を届けに行ったのだ。
「中村さん、その考え方は改なさい。人の命の尊厳は何処であれ不変であり、失ってもいい命なんてのはどこにも存在しません」
それともあなたは『街で十人殺害したら殺戮者だが戦場で千人殺したら英雄だ』とでも言うのですか、と静は吉井教授に鋭い眼光で射抜かれる。
「飢餓のアフリカであれ内戦下の東南アジアであれ、命の尊厳を不変としてそれを救おうと行動する祐樹、彼は立派ですよ。私の息子にも近い年齢の彼ですが、本当に尊敬できる私の大切な友人です」
そう言って吉井教授は立ち上がると
「彼の人生を最高の物にしてあげるのでしょう?彼と一緒ならあなたの人生も最高のものになると信じています」
そして静の手を取り
「彼を、祐樹の事を頼みましたよ」
と、優しく微笑んだ。
普段から強がりで人には涙を見せない静。
祐樹は
『君を泣かせるような事はしない』
と言ったのですが、静は
『あなたと知り合ってから、私は泣いてばかりよ』
と笑いました。
ホントよく泣いてますよね、静。