第167話 『戦闘狂』
玉座の間を沈黙が支配する。
「人払いを願います」
老枢機卿の言葉に従い、アルバート先王夫妻とリカルド新王夫妻、そして天人ら三人以外は退室した。
誰も口を開かない、緊張感の漂う玉座の間。真っ先にその沈黙に耐えかねたのは純白のプレートメイルの教会騎士だった。
「くそっ、熱ぃし重てぇ!」
そうボヤき、兜を脱ぎ捨てる。
「こんなモン着て戦えるヤツなんてホントいんのかよ?」
教会騎士は次々と甲冑を外してゆく。その姿にアマンダは
「そりゃお前ぇ儀礼用ってヤツだろ。しかしまああれだな、『馬子にも衣装』ってヤツだな」
「そりゃ俺のセリフだ。お前ぇこそまるで王妃みてえじゃねえか」
と笑い飛ばす騎士甲冑の中身の男、ルーク。そして
「ふふんっ!あたいは正真正銘『王妃』だぜ?」
アマンダもそう笑い、その手に光る指輪を自慢げにかざす。
「おう、話は聞いてんぜ!お前ぇがリカルドを歯牙にも掛けなかったって男だな!俺ぁアマンダの父親でアルバートってんだ。これでもちょっと前までここの王だったんだぜ?」
強え男は好きだぜ、よろしくな、とルークの手を取りバシバシ肩を叩くアルバート。
「あなた、初対面ですよ!最初くらい礼儀正しくなさってください。貴方がルークさん、ですのよね?夫が失礼してすみません、アルバートの家内のエルメラです。話は聞いております。娘がお世話になったようですね、ありがとうございます」
とエルメラは丁寧に頭を下げる。
が、ぶっちゃけて言ってしまうとエルメラのように丁寧にされるよりアルバートみたいに雑に接してもらう方がルークとしても楽なのだ。思わずルークも『え、ああ、はあ、こちらこそ、ルークです』と変な返事を返す。
そして未だ沈黙を守る『天人』と『老枢機卿』。
「…で、嬢ちゃんが天人か」
結月にツカツカと歩み寄るアルバート。
とアルバートの手が帯刀しているその刀にのびる!
…微動だにしない結月。アルバートも腰の刀に手を添えた状態で固まる。その彼の喉元には老枢機卿の杖先が当たっている。
「どういうおつもりかな?」
老枢機卿は何の感情もなくアルバートを凝視する。
「ははっ、やはりか。すまねえな。ちょっと試したかったんだ、勘弁してくれ」
と両手を挙げて笑うアルバートの後頭部にアマンダのドロップキックが炸裂!
「ぐえっ!?」
「クソ親父っ!テメェ何考えてやがるっ!?」
ユヅキに手を出すなっつっただろ!とアマンダはアルバートを締め上げる。
「まあ待て、誰も本気じゃねえ。もし誰かが本気なら今もうここに死体が転がってんぜ?」
それを無表情で見守る結月。そんな様子にアマンダも
「なあユヅキ、いつまでそんなんしてんだ?」
するとしばしの沈黙の後、結月は大きく息を吸うと盛大にため息をつき
「はぁ〜、もうほっっんとこんなのイヤ!」
と羽織っていた教会の儀礼服を脱ぎ捨て、いつもの長ズボンと白い開襟シャツ姿に戻る。
「おっ、いつものユヅキだな。なかなかの演出だったぜ」
あれが本性かと思っちまったよ、とアマンダは肩をすくめて笑う。
「あははっ。ああいうのは言葉を発しないほうがそれっぽく見えるでしょ?」
同じように結月も肩をすくめて笑う。そして老枢機卿もその役目を終え、姿を元に戻す。
「ま、これで一件落着じゃろか。カカッ」
そう笑う『老枢機卿』であったその人、派手な長着に男袴の女浪人『永』。
「んな…!?エイ、あんたそれどうやってんだ?」
アマンダもあの老枢機卿が永の変装だろうとは感づいてはいたが、まさかそんな瞬時に姿を変化させているとは思ってもおらず、思わず絶句。
「む、アマンダには知らせておらぬかったか?」
ルークも結月も『そういや言ってなかったっけ?』と顔を見合わせる。
ともあれいつもの空気が四人に戻る。が、二人、明らかに
警戒をしている者が
「…お前ぇさん。天人の守護者みてえだが、何が望みだ?」
アルバートは腰の刀に手をかけ、永に詰問する。
「ふむ。望み、とな?」
「しらばっくれんじゃねえぜ?今回、天人を動かしてまで街を、そして『俺』を救っただろ。その事に対しての『対価』は何かって聞いてんだ」
アルバートの腰から『カチリ』と、刀の鯉口を切る音が聞こえる。
「親父っ…」
止めようするアマンダをエルメラが止める。
「ふむ、『対価』とな。ヌシを救っておいてヌシの命を対価にいただく、というのは滑稽な話じゃな」
そう笑う永。アルバートから敵意を向けられても未だ刀に手を添えていないところに余裕が見て取れる。
「なんならリカルド達をもう一丁そそのかしてこのまま中央へ攻め込んでもいいんだぜ?」
その為の準備も既にあるしな、そう言ってニヤリと笑うアルバート。だがそこから漏れるのは強烈な『殺気』だ。
「ふむ。ヌシがそうしたいのならばそうするがええ。さっき言ったじゃろ、儂らはそんな小事には関心せぬと」
そんな殺気も永は柳に風と受け流す。するとアルバートは破顔一笑
「あっはっはっはっ!やっぱダメか!いやすまなかったな。今のは本意じゃねえ、忘れてくれ」
単純にあんたに興味があっただけだ、と笑うアルバート。そんなアルバートの背後から
「あらあなた、私以外の女性に興味がおありになるって…どういう事なのですか」
ドス黒いオーラをまとうエルメラ
「な、いや、ちがっ、おいエル!お前ぇわかってんだろ!?言ってたじゃねえか、あの枢機卿は要注意だって!?」
慌てて釈明するアルバート。どうやらこの夫婦、婦人のほうが力関係は上にあるらしい。どうりでアルバートがハーレムを形成していないわけだ。
「ま、アルの冗談はさておきまして、私たちとしては貴女のように大きな力を持つお方の扱いについては慎重にならざるを得ないのです」
そのあたりはご容赦ください、と頭を下げるエルメラ。そしてリカルドは
「察するに本当に見返りを求めておられないようですが、街を統べる王としてそういう訳にはまいりません。何か対価を求めていただければ我々も対応しやすいのですが…」
と困り顔。すると永は『ふむ…』と考えると手をポンっと叩き
「おお、そうじゃ、丁度良いのがあった。リカルドよ、お主たしか『天人の血を持つ者にしか開けぬ本』を持っておったな、それを儂にくれぬか?」
リカルドとアルバートは顔を見合わせる。一応それは『王の資産』。今はリカルド、ちょっと前まではアルバートの物という事になっていたのだが
「なんだ、そんなもんでいいのか?」
アルバートにしてみれば自分には開けない本。自身が王位につく前から王城の宝物庫に昔からあった、いわば『宝物庫の漬物』だ。
それを開くことのできたリカルドに聞いたところで、中身も真偽のわからない歴史書のような物だという話だ。
「うむ。それを渡すべき相手に渡してやりたいのじゃ」
リカルドは玉座の間の扉の向こうで控えていたレオナルドに指示を出し、その本を持って来させる。
『史記』
表紙にその二文字だけ書かれた本。それを受け取る永。だが無論それは永にも開くことは出来ない。なのでそのまま結月へ渡す。
事もなさげに本を開く結月。その一ページ目に書かれてあった一文
『人は歴史に学び、過ちを知り、そして道を得る。祐樹、お前はどうだ?』
「…うん。この本、私の父さんに宛てて書かれた本、みたいなんだけど…?」
さらっと目を通す結月。だがそれには大まかな年表とその頃に起こった出来事が記されているだけだ。特にメッセージのようなものは感じられない。
「ふむ。ま、ユーキに渡せば何かわかるんじゃろ」
結月は本を閉じると再びそれを永に渡す。永は『うむ、大事に預かっておこう』と言うとその本を少しはだけた懐へとしまう素ぶりを見せる。すると永の中へ溶けるように消える『本』
「これでこの街での用事も全てすんだかの。どうじゃ?観光でもして帰るか」
そう言って笑い、顎をさする永。すると神妙な表情でリカルドが立ち上がる。
「ルーク。今一度、私と手合わせを願えませんか」
リカルド曰く、無論負けた事は悔しくもあり痛烈な無力感にも見舞われたのだが、それ以上にあの戦いを反芻すると『あの時はこうすべきだったのか』や『あの時こうしていれば』といった心踊るイメージが沸き立ち、思わずニヤけてしまうのだという。
「あなたを負かせたいというわけではありません、ただ…」
そういうとリカルドは言葉を溜め、そしてニヤリと笑い
「いえ、あなたに勝ちたいのです」
「ははっ!なんだ、天人の血ってのは戦闘狂になる成分でも入ってんのか?いいぜ、受けて立つぜ、『グリムルの新王様』よ」
そう言って拳を突き出すルーク。そしてリカルドはそれに拳を突き合わせる。
「何よ、ウチの父さんは戦いはからきしだったじゃない。それにあんたの遠い祖先の男もかなりの戦闘狂だったわよ」
結月はそう言って笑う。そして
「でね、永。あなたにはアルバートさんから用事があるみたいよ?」
するとアルバートもニヤリと笑い
「察しがいいな天人の嬢ちゃん。エイの姐さん、あんた強ぇんだろ?俺と手合わせしてくんねぇか」
もうウズウズしてたまんねえんだよ、と年甲斐もなく目を輝かせた、戦いに心躍らせている鬼人の壮年戦士がそこにいた。
「…て事は、今回は私の出番はなしか。じゃあアマンダ、一緒に買い物でも行こっか」
なんて軽く考えていた結月。
だがここは武を競う街『グリムル』。その先王と新王がそれぞれに心躍らせて戦う、いうならば『先王の偉大さ』と『新王の強さ』を住民たちに示し、そして彼らに『最高の娯楽』を与えるまたとない機会なのだ。そんな小規模に終わるはずもなかったのである。
この後、街の住民も参加しての『剣技大会』が行われました。実況は割愛しますが、リカルドはルークに勝ち、永はアルバートに勝って決勝へ進んだのですが老枢機卿姿だった永は
「先王との戦いで腰を痛めた」
という理由で決勝を辞退、リカルドが優勝したのでした。