第142話 『夢の還る場所』
結弦はエレベーターに乗って訪れた沈黙に意を決して問いかける。
「ユーキさん。マキ姉の正体には気付かれたのですよね?」
ずっと、今朝からずっと頭の中で呟いて何度も何度もシミュレーションしたこの言葉。結弦はどんな言葉が返ってきても『僕はあなたの息子です』と告白しようと決めていた。
だが祐樹の返事は結弦の想像を一つ、ただ一つだけ飛び越えてやって来た。
「ああ。理由まではわからないけど察しはついてるよ、君の事もね」
『察しはついている』
…え、なんで?結弦の存在については何のヒントもなかったはずだ。なのになぜ?
一応は母から聞いていたので結弦にとってもそれはある程度『予想していた祐樹の答え』だった。
なのに、だったはずなのにそれを聞いた途端に胸の奥底から湧き上がり喉をついて溢れ出しそうになるその『感情』。
その時、結弦がふと見た祐樹の顔。それは初めて見る顔だった。柔らかなやさしさを湛えた、紛れもない『父の顔』。
結弦は祐樹から視線を離すと下を向いて俯き、口を手で押さえて必死にその感情を抑え込もうとする。だが堰を切って溢れ出す『それ』を結弦はもう留める事が出来なかった。
「うっ、うう…ゆ、ユーキさん…僕は…僕は、あなたに会いたくて…」
次々とこみ上げて来る『涙』と『想い』。
そんな結弦の頭を祐樹は暖かく大きな手で優しく撫でる。
「君は『はじめまして』だな。俺も会えてうれしいよ。君の存在は…」
結弦の感情がピークに達し、もう崩壊して崩折れそうになったその時
『ちーん』
無粋なアナログ音と共にエレベーターは停止、『迷宮最下層』へと到着した。
「っと、着いたみたいだな。話の続きは『魔王』と会った後だ」
祐樹はそう言うともう一度結弦の、『息子』の頭を撫でて優しく微笑み、エレベーターを降りていった。
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…扉の向こうに人の気配がする。いよいよ『彼ら』が来たみたいね。
今日、祐樹達が迷宮に来ると聞いていた静は早めに家事を終わらせ、用意していた『魔王の衣装』に着替えて『魔王の間』で待ち構えていた。
静が『ふふふ。もう祐樹にはバレてるみたいだし、どんなセリフ言おうかしら?』なんて軽く考えながら待っていると、その扉がノックされる。
「遠です。永が戻りました。祐樹様も一緒です」
静は姿勢と心の襟を正し、ひとこと答える。
「入りなさい」
遠によって開け放たれた扉。その向こうには愛する家族達がいた。
結月。結弦。そして…祐樹。
その瞬間、静に吹き荒れる『感情の氾流』。十九億を一にまで圧縮したような『記憶の塊』が静の心を走馬灯のように駆け抜け、頭が真っ白になる。今まで考えていた事も言おうと思って用意していた言葉も見失ってしまう。
あの日、あの朝。『行ってきます』と言って仕事へ向かった祐樹。そしてそのまま生きて帰宅することのなかった愛する夫。その彼がいま目の前に立っている。
祐樹は真剣な面持ちから一転して少し微笑むと、腰のナイフを逆手に持ち暗示を解いた全力疾走で静に向かって駆け出した。
ええ、わかってるわ。いつものアレね。
静はいつものように祐樹の攻撃を軽く受け止める。武器は丸めた新聞紙ではなかったが。
刀とナイフの鍔迫り合い。静の目の前には優しく微笑む祐樹。その愛おしい口が優しく動く。
「なあ。あの筑前煮、もう残ってない?」
予想通りの予想外の言葉。
「バカ、遅いわよ。もう食べちゃったわ」
『おかえりなさい、あなた』
静は祐樹の目を見て涙声でそう呟くと、二人は武器を手放して熱い抱擁と口づけを交わすのだった。
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祐樹の胸に抱きつき、もはや号泣に近い様子で肩をしゃくりあげて泣く静。
「…ねえ母さん。私たちの前では泣かないって言ってなかったっけ?」
腕組みをしてニヤニヤと笑い、母と父を囃し立てる結月。結弦もなんとも見てられないなぁと頭の後ろで手を組んで苦笑だ。
と、何か言いたげなルークを『後で説明します、とりあえずはこちらへ』と永と遠が連れて退室、部屋には一家四人だけが残った。
「嘘…嘘じゃないけど、本当に祐樹なのよね」
祐樹はもう一度静を抱き寄せ、その髪に顔を寄せる
「この匂い、懐かしいな」
と静の髪に鼻を埋め、思いっきり吸い込む。
すると静も祐樹の首元に顔を寄せ
「そうね」
と互いに互いが持つ『空気』を吸い込む。
「あ〜、おっほん。二人とも、私たちがいること忘れてない?」
あまりにもそのイチャイチャの度が過ぎたので結月も思わず水を差す。
「ちょっとくらいいいだろ、久々なんだ。それに俺たちの仲が良いから結月たちが生まれたんだぞ」
と笑った祐樹は結弦の前へ行き
「君の、本当の名前は何っていうんだ?」
「結弦。真島結弦です、父さん」
涙目でそう答えた結弦を祐樹は力強く抱きしめる。
「ごめんな。旅の間、いっぱい不憫な思いさせちゃったな」
『いえ、父さん』と抱きしめられた祐樹の胸元で鼻をすすりながら結弦は答える。
「祐樹、この子あなたがいなくなってから生まれたのよ。なんとなく察するだろうとは思ってたけど、なんで息子だってわかったの?」
静も涙を拭いて鼻をすすりながら祐樹に問いかける。その静の疑問ももっともなのだが、祐樹にはそこに至るヒントがあったようで
「そうだな。あの日さ、俺が事故にあった日だけど君は婦人科の検診に行くって言ってただろ?珍しく少しアレが遅れてるとも言ってたし」
そして決定打は祐樹が生前最後に受け取った『帰るメール』の返事
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[お疲れ様ー。今日はいい話があります、なるべく寄り道せずに帰ってきてね。ちなみに今夜は筑前煮で〜す(^^)v]
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「婦人科で検診を受けたその日にメールではなく直接話したい『いい話』とくれば、ってね」
マキが『結月』だと気づいたその時、ならば弟であるマールとは何者だ?と疑問を持ち、上記の理由でその正体におおよその察しがついたのだという。
そしてそれと同時に『魔王』の正体にも祐樹は気づいた。
「結月が心の底から恐れおののく存在なんて静以外にはいないだろ?」
そう言うと祐樹、今度は結月の前に立ち満面の笑みで両手を大きく広げて『飛び込んでこい!』のポーズをとる。
「…なに?また脛を蹴られたいの?」
「結月、お前は相変わらず辛辣だな」
と笑う祐樹に予想外の出来事。結月が本当に祐樹の胸に飛び込んできたのだ。
「おかえりなさい父さん。あの時、私たちを助けてくれて本当にありがとう」
だがそこは大人な祐樹、うろたえる事もなく結月を受け止めてその頭を優しく撫でる。
「ただいま結月。そうか、絵里ちゃんも助かったんだな」
微笑ましい父娘の再会。だがその横で瞳に炎を宿す静。といってもそれは祐樹に抱擁されている結月に嫉妬しているというワケではなく
「…結月、あなたまさか父さんの脛を蹴り飛ばしたりしたの?」
『はっ!?』と目を見開いて我に帰った結月は祐樹から離れ、二、三歩後ずさる。
「あ、あの、母さん、それはね、あの…」
「結月、そこに正座なさい」
決して言葉を荒げる事もなく、だが絶対に逆らえない圧力を持つ静の『説教』。思わず祐樹と結弦は顔を見合わせる。
「でもヅキ姉、それを言っちゃあインの街で…」
「なっ!?ユヅ!それ以上はっ!」
結弦のその言葉に静はさらに眼光鋭く目を光らせ、結月の顔が絶望に彩られる。が
「あはははははははっ!そうだ、これだ、やっぱこれだよな『真島家』は!」
祐樹はそう大爆笑して結弦の肩をポンポンとたたく。
「いや〜懐かしいな。こうじゃなきゃな我が家は。結弦もよく覚えておくんだぞ」
今まで見たことのない100%の笑顔で笑う祐樹。
そんな祐樹に結弦も今まで言うことの出来なかった『一言』と笑顔で答える。
「うん、父さん」
魔王の迷宮・最下層にて一家集合です。
祐樹の感覚としては半年ぶりくらいの再会ですが、静にとっては三年ぶり、結月には九年ぶりくらい、結弦は初対面ですかね。
まあ実際には約十九億年ぶりなのですが。
四方山話ですが『匂い』って記憶に直結しません?昔住んだ街の匂いとか祖父母の家の匂いだとか。個人的には視覚より嗅覚の方が記憶に触れるような気がします。