第134話 『謡唄い』
「これは…ユーキのアイデアなのですか」
祐樹とルークの手合わせが行われた翌日、孤児院から見下ろす川の中ほどに『簗』は完成した。
さらにその翌日にはスタンと永によって教会の不正の件も片付き、その日の午後に彼らはその祐樹のアイデアだという簗を見に来たのだった。
そしてその『簗』を前にして固まるスタン。マールは少しばかりその事情を知っている。
遥の手の者には視察の他にもう一つ役目を持たされているのだ。
それは『新たな技術の報告』
遥が静と話した中で、どうしても一つ譲れないというものが彼女にはあった。それが『地球環境の汚染』だ。
その最たるもの『内燃機関』や『化石燃料』、『石油化成』のような環境を汚染する可能性のある技術がどこかで芽吹かないかどうか、それを監視する為に遥は手の者の行商人に『新たな技術』の報告を課している。
たしかにこの『簗』はスタンにとっては報告事案なのだがこの場合は環境汚染につながるモノでもなく、ましてや遥もその事情をよく知る人物、父・祐樹による発案だ。スタンが遥に報告したところで問題はないだろう、そう判断したマールはそれを静観する。
ともあれこれでこの街での用事は全て済んだ。
祐樹が手がけた孤児院の方も運営資金の件が解決できた上に収入源も得られた。院の子供たちも学校へ通えるようになったのだ、これ以上がない程の解決だろう。
これで何事もなくインの街を出発してカンドへ向かえる…とマールも安堵したそんな矢先、夜の会食の席にてマキがやらかす。
マキがその毒舌で祐樹を怒らせたのだ。
マキにしてみれば身内に対する絶対的な信頼、そして真実を知るゆえの悪言だったのだろう。しかし祐樹にとっては違っていたのだ。
さほど親しいとも思っていない小娘から吐き出された『家族の死』を思わせる悪言。そんなマキに対して向けた祐樹の視線は『怒り』だった。
「ひっ…ご、ごめんなさい、言いすぎたわ」
結月の記憶にある『親の叱り』とは全く異なる『祐樹の怒り』。自身とのつながりを完全に遮断し拒絶するようなその視線にマキは慌てて謝るも祐樹はそれに耳を貸さず出て行ってしまう。
「マキ姉、さすがに今のはマキ姉が悪いと思うよ」
マールはそう言うとルークに軽く目配せをして祐樹を追って出て行く。
「マキ。貴女はどうもユーキに対しては辛辣なところがありますね。私は彼は中々の好青年だと思うんですけどね」
スタンはそう言って笑うと席を立ち
「まあ貴女には貴女なりの事情があるのでしょう。ですが今のは私も貴女が悪いと思いますよ」
『近いうちに一言謝っておくべきですね』と言うとスタンは支払いを済ませ、スタン一家も永と共に店を後にする。
そして自然と残ってしまったマキとルーク。そうか、マールのあの目配せはこれか、とルークは今はもうここにいないマールを恨む。
目もあてられないほどに落ち込んだマキ。普段のように悪言の応酬ならば造作も無いルークだが、これにはほとほと困ってしまう。
そんなルークがなんとか絞り出せた言葉がこれだった
「…なあマキ、お前ぇユーキの事が好きなのか?」
「はぁ!?あんた何言ってんのよ!?んなワケないでしょっ!!」
ルークのデリカシーのない一言にしょぼくれていたマキは一瞬で元どおりになる。
「でもよ、なんでそんなにユーキに突っかかるんだ?俺が言うのもなんだけどあいつ掛け値無しにイイヤツだぜ?」
ちょっとおっさん臭ぇヤツだけどな、とルークはケラケラ笑う。
「そんな事…言われなくても知ってるわよ…」
と呟きマキは再びテーブルに突っ伏す。
またしても深く落ち込んでしまったマキにルークも調子を崩されてしまう。頭をクシャクシャとかくと
「だあ〜!んじゃあよ、俺も今夜のうちにフォロー入れとくからよ、お前ぇ明日の朝…じゃねぇな明後日の朝か、明後日の朝にキチンとユーキに謝んだぜ」
『じゃあ宿に戻ろうぜ』とルークは退席を即する。
「…わかってるわよ」
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明後日。月陰明けの月出の日。朝から宿の前で謝罪合戦を繰り広げる祐樹とマキの姿がそこにあった。
互いに謝るものの自らの悪言の罪悪感を拭いきれないマキ。そんな彼女にその夜、永が挽回のチャンスを作ってくれる。
いつのまにか複数の商隊が共に移動し旅団のようになっていたスタンの商隊。夜になると誰からともなく酒を持って焚き火の周りに集まり、ちょっとした宴会の様相を見せていた。
そしてマールは楽器を持ち出し夜の宴にBGMを奏でて宴は盛り上がる。
そんな折、永がマキに振る。
「マキよ。ぬし、踊れ。そして唄うのじゃ。先日ユーキに失礼を働いたじゃろ。ここらで詫びがてら披露してはどうじゃ?」
その永の心遣いをマキは寸分たがわず受けとめる。祐樹に先日の非礼を詫び、祐樹の前で心を込めて歌ったその歌は
『遠く離れた想い人』に想いが届くよう願う唄。
父さん、ごめんなさい。母さんも結月も生きてる、父さんは知らないと思うけど息子もいるんだよ。みんな元気だよ。
マキが想いを込めて舞い唄うその歌に祐樹は聴き入り、遠く離れた家族を想って涙を流し、そして微笑む。
歌と演奏が終わり、マキには周囲から惜しみない拍手が送られた。だが何よりマキの心に響いたのは
『ありがとう。いい歌だな』
という祐樹の言葉と、その潤んだ瞳の優しい笑顔だった。
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翌朝。なのに何故だか機嫌の悪いマキ。
「何よ、私そんなに性悪な女にみえるのかしら」
昨夜、祐樹の笑顔を取り戻し、自身も心の靄の晴れたマキ。その時そんな彼女に話しかける一人の商人がいたのだ。
「お見事な歌ですね!イミグラから来たと伺ってますが…もしやあなたがあの『グラシエの家』の娘なのですか!?」
その言葉をマキは嫌悪の表情で否定
「なっ!?あんなのと一緒にしないでよ!」
マキの幸せだった気分はその質問で一気に霧散する。
「す、すみません、そうですよね!安心しました」
商人は『ステキな歌、ありがとうございました!』と言って去っていったのだった。
「ちがうよマキ姉。イミグラから来て歌の上手い娘とくれば、ちょっと知ってる人ならグラシエの家のあの娘だと思っちゃうって」
マールももちろん知っている。イミグラではある意味有名な『グラシエ』の家、『歌聖』を祖に持つ一族だ。
その『祖』であるのは言わずもがな歌聖『カノン・グラシエ』。
「カノンはいい娘だったんだけどね…」
結弦はそう呟くと少々不機嫌な姉と別れて馬車に乗り込み、今日も再び旅が始まった。
歌聖『グラシエ』の家。
大陸中でも有名な一族ですが、イミグラでは別の意味で有名な家系です。
そのくだりは第五章あたりで書く予定ですが、もし別の章で書くことになったらこの文も書きなおしますね。
次回は少し時間を巻き戻し、インの街の会食の夜から始まる閑話『ルークのファッションチェック』です。