第125話 『遥、空気嫁よ』
「それで静様、今後のご予定はいかがなさいますか?」
吉井教授の肖像画を見ていた静は席に戻り、遠は皆に紅茶のおかわりを注いでまわる。
「そうね。この子達は祐樹を迎えに行きたいって話だから…まあそれは祐樹が目を覚ます少し前くらいになったら行動しましょうか」
それまでに迎えに行く『設定』や変装を考えとくのよ、と静に言われ、結弦はあまり乗り気ではなさそうなものの結月は『そっか、変装か。どうしよっかな〜?』と楽しそうにあれだこれだと相談し始める。
「そうだ!ねえ結弦、あんたと私で組んでさ、あと何人か集めて『魔王を討伐する勇者のパーティ』作っちゃって、それに父さんも巻き込んじゃうの。それどう?」
魔王の眠る地下迷宮の最深部、いざ討伐する魔王と対面したら母さんだった、なんて面白くない?と結月は楽しそうに言うのだが
「え〜…でもヅキ姉、僕、近くで見守りたいのはそうなんだけどさ、そういうウソというかドッキリみたいなのはなんだかヤダなぁ…」
やはり結弦は乗り気ではない様子だ。なにせ結弦が『父』に会うのは今の生も前の生を通しても初めての事なのだ。こちらの事情を話せない事は許容できても、おもしろ半分にウソでダマすような事はさすがに出来ないし、したくもない。
難色を示す結弦に『じゃあ結弦、あんた考えなさいよ』と結月は口を尖らせるのだが、結弦は『でもなぁ…』と考える様子を見せる。
「でしたら私にアイデアがあります。こんなのはいかがですか」
と出てきた遥のアイデアは
遥には『隠密』のような子飼いの行商人が大勢いる。その中でタイミングの良い時期に『ナワ』まで行く者の護衛に結月と結弦をあてがい、とりあえずは三人で大陸の東の果て『マイル』へ。
そこで『ナワまで同行したいハンター二人』を護衛に雇って海を渡り五人でナワまで行って、そこでその二人が抜ける。
その抜けた穴を埋める人材をナワの教会の掲示板で募集し、永に受けさせて祐樹と永の二人を組み込んでまたマイルまで戻ってくる、というものだ。
「永が付いている以上、祐樹様に何の危険もないとは思われますが、結月様も結弦様も祐樹様が『あの島』にいる間くらいは見守っておきたいのでしょう?」
そうなのだ。母のアイデアとはいえ『あの島』は何せ危険すぎるのだ。と、その母は
「何よあなた達。ちょっと祐樹を見くびり過ぎてない?あの人ふつうに凄いわよ」
何もわかってないわね、と静は肩をすくめて笑う。
「まあでもその遥のアイデア、いただきね。けどまだ一年以上あるんだし、然るべき時期になったらまた考えましょう」
そんな先のことを今ここで話を詰めても仕方ないわよ、と静は紅茶に口をつける。
「ねえ母さん。だったら行動に移すまではかなり余裕があるんだよね、その間って何か予定があるの?」
すると静はカップを置くとニヤリと笑い
「そうよ。よくぞ聞いてくれました。その為に二年も早く起きたんだから」
そう言って静は祐樹との再会までに『用意したいモノ』の事を皆に話す。
「そっか!それは父さん絶対に喜ぶよ!」
て言うか僕も欲しい、楽しみだよ!と結弦は期待に胸を膨らませる。しかしそれにはあまり興味のない結月は
「でもそれってばさ、母さん独りで用意するモノだよね?私たちは?」
静は『う〜ん…』と考える様子を見せる。どうやらそこまでは考えてはいなかったらしい。
「ま、好きになさい。あなたたちも大人なんでしょ」
と、こんな時は都合よく大人扱い。
「まあお金に困るような経済状況じゃないけど教会の依頼を受けたりしてもいいわよ。結弦はあの楽器、遠が管理しててくれたみたいだし」
家はカブールにあるし、いざとなればココへ来れば遥も助けてくれるだろう。この辺りを拠点に周囲を探索の冒険に出るのも悪くないな、と結月はまだ見ぬ世界に好奇心を膨らませる。
「そっかぁ、あの楽器まだ残ってたんだ」
じゃあまた練習して公園で弾いたりしようかな、と言う結弦に結月は
「なに言ってんの。あんたは私と冒険の旅に出るのよ」
と強制的に旅の共を命ずる。結弦は『ええ〜!?聞いてないよ〜!』と抗議するのだが、結月は『だから今言ったじゃない』と、どこかで聞いたような漫才を繰り広げる。
「ま、ともあれ当面の予定は決まったわね。ここはカブールとも近いことだし、また寄らせてもらうわね」
『お茶、ごちそうさま』そう言って静は席を立つ。すると遥は
「ああ静様。最後になりましたが私、新しい発布を出そうかと考えております」
少しバタバタするかもしれませんが良しなに願います、と微笑む遥に『ん?まあ好きになさい。じゃあまたね』と静は手をヒラヒラと振って退室する。
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「まあ、いい眺め!イミグラにこんな所あったのね」
花を買った一同は吉井教授の墓参りに来ていた。『僕、知ってるよ。多分あそこだ』という結弦の案内で訪れたのは、街を見下ろす丘の公園の傍にある墓地だ。
教授の墓標はすぐにわかった。さすが大教皇と呼ばれていただけあって、それはそれは立派な墓標が建てられていた。
供えられていた花も枯れておらず、察するに常に誰かが参っているようだ。
「教授、お久しぶりです。此度も人に愛される人生を送られたようですね」
掃除もしようかと訪れた静だったのだが、墓標はその必要もないくらい美しく手入れされていた。
大学で教鞭をとっていた頃も、皆に敬愛され威厳をもって教壇に立っていた吉井教授。場所と環境は変われどその人となりは変わらなかったという事を、この古いにもかかわらず美しく保たれた墓標が物語っている。
「教授。私は…私は今があるという事が正しい事なのか、正直な気持ちわかりません」
伏し目がちで弱気な表情の静。だが結月と結弦の手を取ると
「ですが今こうやって娘と息子と、そしてもうすぐ伴侶とも再会し、家族全員がそろいます。その事に後悔はありません」
『次は来世で会いましょう』と静は微笑み、頭を下げる。
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カブールへ戻った静達。それからの生活は平穏そのものだった、『その時』までは
「それでね、ティリア。聞いてよ」
ある日のお昼頃。遠は迷宮の管理、結月と結弦は教会の依頼を受けて彼方此方へ探検し、稀に帰らない日もあったり。
静の自宅にはティリアをはじめとするご近所の主婦たちが集まり、いつも通りの井戸端会議。
「そういやシズ、この前あなたが言ってた所、いくつか調べといたわよ」
「ええっ!?本当に!ありがとう、嬉しいわ!」
ティリアは懐から用紙を取り出し、テーブルに広げる。カブール市街の簡単な地図だ。
「ええと…これとこれ、それとここがお酒を作ってるところね。で、こことここがチーズを作ってるお宅よ」
あとパン屋の場所と紅茶屋の場所を聞いてゆく静。
「うん、これだけあれば十分よ。本当にありがとう、ティリア」
満足げにうなずく静。
「ね、ね、どうするの、シズ。お店でもやるの?」
そのラインナップだとちょっとした食料品店か、まさかのコンビニでもオープン出来そうな雰囲気だ。だが
「ふふふっ。そうじゃないの。ちょっとそこにある『モノ』に期待してるのよ」
と言って笑う。
「まあモノになるかどうかは随分と先の話になるんだけど、さっそく明日から巡って…」
と静やティリア達が歓談していると、突然、家のドアが猛烈な勢いでノックされる。
「シズ!いるの!?大変よ!大変!」
その声の主はご近所主婦の一人。井戸端会議で顔を合わすうちの一人だ。静が玄関ドアを開けると慌てた表情で飛び込んで来た。
「あ、ティリアもいた!ちょうど良かったわ、大変なのよ!」
「まあ落ち着いてよ、どうしたの?」
そう言って静は息も切れ切れな彼女にコップ一杯の水を渡す。
「はぁ、ありがと。そう、あのね、いい?落ち着いて聞いてね」
そう言って彼女は一度息を飲み込むと
「魔王が…あの『地下迷宮の魔王』が目覚めたのよ!」
「ええー!!」
ガタンッ!と椅子を倒し立ち上がるティリア達。彼女らも途端に慌てだす。
「ああ、ええと、どうしよう!?逃げなきゃ、なのかな!?」
…言えない。言えまい、その目覚めた魔王が今ここに、目の前にいるとは。
とりあえずそんな事はおくびにも出さず、静は冷静に彼女に問いただす。
「ねえ落ち着いてよ。でもそれってばどこ情報なの?」
まあ確かに魔王は目覚めたのだが。しかしもしかしたら街の騒乱を企てる別の誰かのガセ情報かもしれないのだ。
だがそんな静の杞憂も必要ないくらい、彼女の答えは決定的なものだった。
「教会の掲示板よ!朝から噂になってたから見てきたのよ!」
(くそぅ…これか、遥の言ってた発布ってやつは)
静は明後日の方向を見て独り語散る。
「ねえシズ、あなたどうする!?ご主人もここへ帰ってくるのでしょ?ああ、私、今日は子供も旦那もどっか行っちゃってるのに!」
皆、オタオタと慌て始める。と静はテーブルを『バンッ!』と叩き
「みんな、落ち着いて」
とりあえず座って、と皆に微笑みかけ、全員分のお茶を用意する。
「まずね、『魔王』は目覚めたけど『封印』が解かれたってワケじゃない、のよね?」
「封印?」
それから静は心の中でウソを詫びながら、それっぽい話を創って盛って聞かせ、皆を落ち着かせる。
「そっか、じゃあ今すぐ危ないってワケじゃないのかしら…?」
その静の話で皆は冷静さを取り戻す。
「ええ、多分大丈夫だと思うわよ」
多分も何も、その魔王は今ここにいるのだ。
「もう一度教会に行って司教様か騎士団長あたりにキチンと説明してもらったほうがいいかもね」
静がそう言うと皆は『じゃあ…とりあえず教会行こっか』と席を立つ。静を残して。
「あれ?シズ、あなた行かないの?」
「ええ、多分大丈夫だと思うし。家族みんな出てるからこの家は私が守らなきゃね」
と笑ってみせる。
「凄いわね、あなた。肝が座ってるというか」
六英雄と同名ってのは伊達じゃないわね、とティリアは笑う。
「じゃあちょっと教会まで行ってくるね」
そう言ってティリア達は連れ立って教会へ向かった。
独り、家に残った静は大きな大きな溜め息をつく。
「はぁ〜…。ちゃんと話聞いときゃよかった。あの子、加減と空気の読めないところあるもんなぁ…」
『好きにしなさい』って言っちゃったし…と魔王様はテーブルに突っ伏し、教皇様への苦言を呟くのでした。
様々な事象に対してはシミュレーションできる遥なのですが、どうやら人がどう思うのかとか空気を読む能力はミジンコ以下のようです。
まあ本人もホログラムですし、まさに空気嫁ですね(笑)